小林五月 シューマンツィクルス 11

 伊藤恵と共にシューマン演奏では双璧をなす小林五月、シューマンツィクルス 11は3月開催が新型コロナウィルスの影響で11月となった。(17日 HAKUJU HALL)

 まず、小林の編曲によるペダルフリューゲルのためのスケッチ、Op.58、3つの幻想小曲集、Op.111で始まる。ペダルフリューゲルのためのスケッチはロマン主義でありながら、シューマンのバッハ受容による作品であることを再認識した。3つの幻想小曲集は、ブラームスを思わせる第1曲から始まる。小林は、この曲を激しい流れより、ジーグ風のリズムで演奏した。そこには、クライスレリアーナの残影があった。全体にゆったり目のテンポで、じっくり演奏された。

 ヴァイオリンの藤原浜雄、チェロの毛利伯郎が加わった幻想小曲集、Op.88はシューマンのロマン性を見事に表出していた。ヴィオラの磯村和秀が加わったピアノ4重奏曲、Op.47が当夜の白眉だった。シューマンの音楽が会場に響きわたり、ロマン主義の世界が広がった。第3楽章がアンコールされた。

 次はどのようなプログラムになるか。楽しみてある。

鈴木優人 バッハ・コレギウム・ジャパン ヘンデル リナルド

 最近の活躍ぶりが注目の的となっている鈴木優人、バッハ・コレギウム・ジャパンによるバロック・オペラシリーズ。今回はヘンデル「リナルド」を取り上げた。(3日 東京オペラシティ コンサートホール)

 当初予定されていた外国人ソリストたちが新型コロナウィルスのため、来日不能となり、日本人ソリストたちによる上演となったものの、それぞれが素晴らしい歌唱・演技を見せ、素晴らしい内容の上演となった。

 リナルドが藤木大地、ゴッフレードが久保法之、エウスタツィオが青木洋也。日本を代表するカウンターテノールがここぞとばかりに素晴らしい歌唱・演技を繰り広げた。日本の古楽演奏には欠かせない存在になったことを裏付けるものとなった。アルミレーナの森麻季がこれに輪をかけ、歌唱・演技がもっとも光った。アルミーダの中江早希、アルガンテの大西宇宙の歌唱・演技も見事。波多野睦美、谷口洋介、松井亜希、澤江衣恵も光った。

 鈴木優人の卓越した統率力・指揮・チェンバロが全体を盛り上げ、引き立てて行った。十字軍をテーマとしながらも、ドイツからイギリス国王となったジョージ1世をリナルドに見立て、新しいイギリス国王としての期待を込めたという観測も頷けよう。

 鈴木優人は最近、ブリテン「カーリューリヴァー」上演を行ったり、メシアンなどの現代ものにも取り組んでいることを踏まえ、二期会などのオペラ公演の指揮台に立つ日が来ることを切望する。

第47回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 読売日本交響楽団 メシアン「峡谷から星たちへ」

 第47回サントリー音楽賞を受賞した読売日本交響楽団が、記念コンサートとして20世紀フランスを代表する作曲家、オリヴィエ・メシアン(1908-92)「峡谷から星へ」を取り上げた。(6日 サントリーホール)

 当初、フランスの巨匠、シルヴァン・カンブルランが指揮を執ることになっていた。新型コロナウィルスによる入国制限のため、クリエイティブ・パートナー、鈴木優人が指揮、ピアノ、小管優となった。鈴木優人の活躍ぶりにも注目すべきコンサートとなった。

 ローマ・カトリックの信仰に立つメシアンは、「世の終りの四重奏曲」「アーメンの幻影」などを残している。第2次世界大戦後、セリエリズム、鳥の鳴き声に注目すべき作品なども残した。メシアンの歩みは、20世紀を総観したともいえよう。鳥たちの声にいざなわれたメシアンは、アメリカ、ユタ州、ブライスキャニオンを旅行、大自然の息吹に触れる。また、アフリカ、日本の鳥も出て来る。メシアンの自然賛歌といえようか。

 小菅優のピアノが素晴らしい。メシアンの音楽の全てを余すところなく表現した。ホルンの日橋辰朗、シロリンバの西久保友広、グロッケンシュピールの野本洋介も好演だった。

 鈴木優人がトゥランガリラ交響曲に取り組み、名演を聴かせている。小管も共演している。この組み合わせでメシアンが聴けたことは大きい。音楽家として大きな飛躍ぶりを発揮、素晴らしい成長を遂げてきた。

 11月3日、ヘンデル「リナルド」も楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第139回定期演奏会 ロ短調ミサ BWV232 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第138回定期演奏会は、晩年の大作、ロ短調ミサ、BWv232、指揮は鈴木優人、ソプラノ澤江衣里、松井亜希、アルト布施奈緒子、テノール西村悟、バス加耒徹であった。(20日 東京オペラシティ コンサートホール)

 第1部、キリエの激しい訴求力に始まり、第2部、グローリアで神の栄光を力強く歌う。第3部、クレードではイエスの誕生、受難、復活への道筋を歌い上げる。特に、クルツィフィヌス(十字架に付けられ)から復活への過程が絶品だった。第4部、サンクトゥス、第5部、アーニュス・デイも素晴らしい。

 ソリストたちも鈴木優人の指揮に応え、素晴らしい歌唱を聴かせた。男声陣、西村悟、加耒徹が傑出していた。女声陣も澤江衣里、松井亜希、布施奈緒子の歌唱が光る。鈴木優人がこれだけの大作を素晴らしい手腕でまとめ、感動的な演奏に仕上げたことは大きい。最近の活躍ぶりを十分に裏付けるものとなった。

 10月6日の読売日本交響楽団とのメシアン、11月3日のヘンデル「リナルド」が楽しみである。

読売日本交響楽団 第230回 土曜・日曜マチネーシリーズ

 読売日本交響楽団 第230回 土曜・日曜マチネーシリーズはクリエーティヴ・パートナーとなった鈴木優人がベートーヴェン生誕250年記念に合わせ、ヴァイオリン協奏曲、Op.61、交響曲第6番、Op.68「田園」によるプログラムで素晴らしい名演を聴かせた。(13日 東京芸術劇場)ヴァイオリンは若手のホープ、郷古廉で、これも素晴らしい名演だった。

 ヴァイオリン協奏曲では、第1楽章の抒情味たっぷりでもベートーヴェン特有のスケールの大きさを兼ね備えた音楽をたっぷり味わうことができた。カデンツァでは低弦、ティンパニを織り交ぜたものを用いつつも、全体の流れが一貫していた。第2楽章の深み溢れる変奏も内面から湧き上がる音楽が素晴らしい。第3楽章もスケールの大きさ、抒情味たっぷりの音楽を展開した。

 交響曲第6番「田園」は、ベートーヴェンの自然への思い、小川の情景、村人たちの祭りと嵐、嵐が過ぎ去った後の感謝と祭りがたっぷりと描かれていた。ヴィーンの自然をこよなく愛したベートーヴェンの思いを伝える名演だった。

 ベート―ヴェンでも素晴らしい名演を聴かせた鈴木優人には、20日、バッハ・コレギウム・ジャパンとのバッハ、ミサ曲、ロ短調をはじめ、10月6日、メシアン「峡谷から星たちへ」、11月3日、ヘンデル「リナルド」と注目のコンサートが続く。音楽家として本格的な歩みを続ける鈴木優人の活躍には注目したい。

東京二期会 ベートーヴェン フィデリオ Op.72

 ベートーヴェン生誕250年とはいえ、新型コロナウィルスのため、多くのコンサート・オペラ上演が中止・延期となった。東京二期会による「フィデリオ」上演は、当初は指揮ダン・エッティンガーだったものの、大植英次に変更となった。(5日、6日 新国立劇場)

 深作健太の演出はナチズムの象徴、アウシュヴィッツに始まり、1945年~2020年に至る戦後75年の世界・ドイツの歴史を見据え、ベートーヴェンがこのオペラで意図した「希望」「自由」を見事に表現したと言えよう。

「アウシュヴィッツの悲劇があるから今がある。」

とアンゲラ・メルケル首相をはじめ、ドイツの政治家たちは苦い歴史を忘れずにいる。日本はどうだろう。日本は近代日本の失敗たる戦争の歴史に向き合っていない。これを改めて感じた。

 大植は、日本人として初めてバイロイト音楽祭の指揮台に立った。レナード・バーンスタインの基で「フィデリオ」を学んだことに加え、ニコラウス・アーノンクールにも教えを請うたという。その成果を見事に発揮した。

 今回の上演では「フィデリオ」本来の序曲ではなく、第2稿に用いた「レオノーレ」序曲第3番を序曲に用いたことからしても、深作の演出の意図に沿ったものとしても成功した。舞台が監視国家となり果てた旧東ドイツの刑務所と言う設定も頷ける。

 フロレスタンを歌った福井敬の素晴らしい歌唱、小原啓楼のストイックな歌唱は聴きもの。レオノーレを歌った土屋優子、木下美穂子が持ち味を発揮した歌と演技を見せた。ロッコを歌った妻屋秀和、山下浩司も舞台を盛り上げた。マルツェリーネを歌った富平安希子、愛もも湖、ヤキーノを歌った松原友、菅野敦も持ち味たっぷりの好演だった。悪役ピツァロは大沼徹、友清崇が見事に演じた。最後に登場するドン・フェルナンド、黒田博、小森輝彦が重量感ある歌唱と演技を見せた。

 戦後ドイツ史は縮小された領土、冷戦による東西分断国家時代から再統一となった。しかし、東西の格差が残ったり、極右政党も出て来た。そんな中で、ベートーヴェンが唯一のオペラで表現したかった「希望」「自由」の何たるかを再考するためにも「フィデリオ」の存在価値がある。もう一度、私たちはベートーヴェンが表現した「希望」「自由」を考えてみよう。

サントリーホール サマーフェスティバル 一柳慧がひらく 2020東京アヴァンギャルド宣言 オーケストラスペース 2

 サントリーホール サマーフェスティバル最終日、一柳慧がひらく2020東京アヴァンギャルド宣言、オーケストラスペース 2は川島基晴「オーケストラのためのスペース」、杉山洋一「自画像」、一柳慧、交響曲第11番「ピュシス」であった。

 川島作品は2つの楽章からなり、第1楽章は点描技法などを取ったもの。第2楽章は偶然性によるもので、指揮者が様々な身振りなどでオーケストラを指揮する。最後にはオーケストラ楽員が退場する。これは、ハイドン、交響曲第45番「告別」を基にしたともいえよう。川島による自作自演だった。

 杉山作品は杉山が生まれた1969年からシュトックハウゼンの「賛歌」までの戦争・紛争地域の国家・州歌を織り込んだもの。ベトナム戦争、中東戦争などが織り込まれ、カバリーニェス「皇帝の戦争」で始まり、イタリア軍の弔礼ラッパで終わる。

 一柳作品は人間の不条理さを描いたもの。人間とは何たる存在か。それを問いかけるべく、今日の世界を問いかけている。杉山・一柳作品は鈴木優人が指揮した。この2つの作品でも、鈴木優人の素晴らしい音楽性が光る。

 鈴木優人について、「鈴木雅明の令息」と見る向きがあった。2017年、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」で音楽家としての名を確立、一人の音楽家となった姿には、今後の活躍ぶりを期待する。

サントリーホール サマーフェスティバル 第30回 芥川也寸志サントリー作曲賞 選考演奏会

 第30回 芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会は、東京芸術大学大学院生3人の作品がノミネートされた。これは異例のことである。これまでの演奏会を見ると、愛知県立芸術大学・京都市立芸術大学・東京学芸大学・桐朋学園大学・国立音楽大学・東京音楽大学などからのノミネートがあり、それなりに優れた作品の受賞があった。今回、東京芸術大学からのノミネートのみとなったことは、優れた作品が集中していたことを示していた。(サントリーホール)

 まず、第28回の受賞者、坂田直樹「手懐けられない光」から始まる。3楽章形式で、点描様式・うなり・トリルによる無窮動を用い、光の神秘を描き出した作品で、聞きごたえ十分な作品に仕上がっていた。

 選考演奏会は、冷水乃栄流「ノット ファウンド」から始まる。ベートーヴェン、交響曲第9番、Op.125「合唱」を引用して、人間不在の世界を描き出さんとした意図による。作品としては頷けるものがあっても、心に響かなかった。小野田健太「シンガブル・ラブⅡ-feat.マシンカーダ」は夏、セミの一生を基にした作品。自然の神秘が伝わって来た。有吉祐仁郎「メリーゴーラウンド/オーケストラルサークル」は円形配置で、遊園地のメリーゴーランドから無窮動を生み出した作品。着想は面白くとも、心に伝わらなかった。

 選考会では、冷水・有吉作品から何も伝わらなかったことが指摘された。小野田作品は音楽から伝わるものがあった。その結果、小野田が受賞した。

 最近の選考演奏会を聴いても、心に響く作品に出会えないもどかしさを感じつつ、受賞作品が決まっても、これでいいかと自問することがたびたびだった。今回は心に響く作品に出会うことが出来て喜ばしい一時だった。来年もこの思いが伝わるだろうか。

サントリーホール サマーフェスティバル 一柳慧がひらく 2020東京アヴァンギャルド宣言 オーケストラスペース 1

 2020年のサントリーホール サマーフェスティバルは、イザベル・ムンドリーが新型コロナウィルスのため来日不能となったものの、一柳慧による2020東京アヴァンギャルド宣言、芥川作曲賞線香演奏会のみとなったものの、聴き応えある内容だった。

 高橋悠司「鳥も使いか」「オルフィカ」、山根明季子「アーケード」、山本和智「ヴァーチャリティの平原」第2部、3.浮びの二重螺旋木柱列。この4曲によるプログラムだった。(26日 サントリーホール)

 「鳥も使いか」は琵琶弾き語りに霊感を得て、オーケストラと三味線の弾き語りによる。日本の伝統音楽と西洋のオーケストラが見事に融合、武満徹「ノーヴェンバー・ステップ」に匹敵する作品としても注目すべきだろう。

 山根は芥川賞作家を受賞した大阪の女性作曲家。まちの商店街の活気に満ちた様子をオーケストラで描き出した作品で、マーラー、交響曲第1番「巨人」を思わせる。日常生活の一コマを描き出そうとした試みを買う。

 山本作品はマリンバ、インドネシア、バリ島のガムラン音楽を融合した作品。マリンバの響きとガムランの響きが対立、かつ調和しながら一つの空間を形成していた。

 「オルフィカ」はヴェーベルン様式を基にした神秘的な作品。作曲家としての高橋の面目躍如だった。最初と最後に高橋作品、中堅作曲家の山根・山本をはさんだプログラム構成が成功したと言えよう。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第137回定期演奏会 バッハ マタイ受難曲 BWV244

 新型コロナウィルスで延期となっていたバッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ「マタイ受難曲」BWV244は、日本人ソリストながら名演だった。感染対策を取りつつ、昼公演・夜公演に分けての上演だった。(東京オペラシティ コンサートホール)

 鈴木雅明はどっしり、かつ重厚に宗教曲における傑作のドラマを進めて行った。ソリストたちがこれに応え、素晴らしい歌唱・音楽を届けた。エヴァンゲリストの櫻田亮が見事。イエスを歌った加耒徹は2019年2月、東京二期会、黛敏郎「金閣寺」に次ぐ見事な歌唱を聴かせた。2人のカウンターテノール、青木洋也・久保法之、テノールの中嶋克彦・谷口洋介も忘れ難い。谷口は暗譜で堂々たる歌唱ぶりだった。浦野智行の重厚な歌唱も光る。渡辺祐介、アルトの布施奈緒子も素晴らしい歌唱を聴かせた。中でも、ソプラノでは森麻季が真摯な歌を聴かせたことは印象に残った。

 新型コロナウィルスがかえって、イエス・キリスト受難を際立ったものにした。早く、収束を祈りつつ、これからのコンサートシリーズに期待しよう。

鈴木雅明 オルガンリサイタル

 新型コロナウィルスでのコンサート中止・延期、オンラインコンサートが相次ぐ中、日本を代表するバッハ演奏家、鈴木雅明のオルガンリサイタルは素晴らしい一時だった。(19日 東京オペラシティ コンサートホール)

 プログラムはブクステフーデ「プレリューディウム ト調」BuxWV.148、「パッサカリア 二調」BuxWV168、コラールファンタジア「われ汝を呼び求めん、主イエス・キリストよ」BuxWV.196、バッハ゜コラールパルティータ「喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ」BWV768、コラール「われ汝を呼び求めん、主イエス・キリストよ」BWV639、「トッカータとフーガ ニ短調」BWV565、コラール「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BWV632、「パッサカリアとフーガ BWV582」、アンコールはバッハ「主イエス・キリストよ、われらを顧みたまえ」BWV709であった。

 バッハが徒歩でリューベックに赴き、耳にしたブクステフーデの音楽の深さに導かれ、バッハのオルガン音楽の心髄を鈴木自身の解説でたっぷり味わうことができた。トッカータとフーガ、パッサカリアとフーガの深遠さ、コラールでの素晴らしい歌。それらが信仰からにじみ出たものであることを再認識できた。

 8月3日、マタイ受難曲が楽しみである。

バッハ・コレギウム・ジャパン 第136回 定期演奏会

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第136回定期演奏会は教会カンタータシリーズ、「祈りの音楽」と題してモテット中心のブログラム構成であった。(16日 東京オペラシティコンサートホール)

 まず、鈴木優人のオルガンによるバッハ、ファンタジア、BWV562-1、「われら悩みの極にありて」BWV641で始まった。オルガニストとしても成長著しい進境をみせた。ペルゴレージ「スターバト・マーテル」に基づく詩編第51篇「いと高き主よ、わが罪を消したまえ」は、ダヴィデが家臣ウリヤの妻、バト・シェバを寝取り、ウリヤを戦死させ、自分の妻としたことに対する預言者ナタンの叱責を受けた折のもので、ソプラノ・アルトの2重唱による。松井亜希、ベンノ・シャハトナーが見事な歌唱を見せた。バト・シェバとの件は後に、息子アムノンとタマルとの近親相姦事件、アブサロムの反逆事件を引き起こすこととなった。

 後半、カンタータ、BWV156「わが片足は墓穴に入り」からのシンフォニアで始まった。少人数オーケストラならではの繊細な音色を味わった後、モテット「御霊は弱さを支え」BWV226、「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229、「主に新しき歌を歌え」BWV225が続いた。BWV226、229では合唱のしっとりした味わいを聴き取ることができた。BWV225では、松井亜希、ベンノ・シャハトナー、櫻田亮、ドミニク・ヴェルナーと合唱とのやり取りが素晴らしい。神に新しい歌を奉げようという思いに満ち溢れていた。

 2020年は、4月10日の「マタイ受難曲」から始まる。創立30年記念として、「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」などが目白押しとなる。マタイ受難曲の新版も出た。楽しみである。

 

第63回 NHKニューイヤーオペラコンサート

 

 新春恒例のNHKニューイヤーオペラコンサートも63回目を数えた。日本オペラ界を代表する歌手たちが登場、1年が始まる。今回は指揮にアンドレア・バッティストーニ、ハープのグザヴィエ・ド・メストレを迎えた。

 今年はイタリア・オペラ中心のプログラムで、どの歌手たちからも力のこもった、素晴らしい歌が聴かれた。特に聴きものはプッチーニ「蝶々夫人」から「桜の花をゆすぶって」、「トゥーランドット」から「お聞き下さい」「泣くな、リュー」、第1幕フィナーレ、ヴェルディ「ドン・カルロ」から「われらの胸に友情を」、「シモン・ボッカネグラ」から「悲しい胸の思いは」、「オテロ」から「アヴェ・マリア」、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」

から「主はよみがえられた」であった。

 「蝶々夫人」ではピンカートンのため、部屋に花を蒔く蝶々さんとスズキの思いが伝わる。「トゥーランドット」はトゥーランドットに求婚するカラフ、リューの思いがぶつかる。「ドン・カルロ」ではスペイン王室の三角関係に悩む王子カルロ、親友でフランドル解放を進めるロドリーゴ公爵の友情が歌われる。「シモン・ボッカネグラ」はジェノバの政争と和解に揺れるフィエスコの心情を歌い、「オテロ」はヤーゴの策略によって命を落とすデスデモーナの清純な祈りが素晴らしい。「カヴァレリア・ルスティカーナ」ではキリスト復活を祝福しながらも、悲劇を予感するような雰囲気が伝わった。アリアのみならず、重唱、場面からの抜粋がかえって、オペラそのものが伝わった。

 最後はヴェルディ「椿姫」から「乾杯の歌」でお開きとなった。2020年の日本のオペラ界はどうなるか。楽しみになって来た。

 

 

ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2020

 

 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団恒例のニューイヤーコンサートは、ボストン交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任を務めるラトヴィア出身、アンドリス・ネルソンスが指揮台に立った。

 今年は生誕250年のベートーヴェンのコントルダンス、北欧のヨハン・シュトラウスと言われたハンス・クリスティアン・ロンビ「郵便馬車のギャロップ」、スッペ「軽騎兵」序曲が加わった。ヨーゼフ・シュトラウスも没後150年だったため、ヨーゼフの作品が目立った。

 ヨーゼフの作品をじっくり聴くと、抒情性・歌に溢れた作品が目立つ。しかし、42歳で早世したことは惜しまれた。ロンビでは、ネルソンスが郵便馬車のラッパを吹きつつ登場した。ヨハン2世の「もろ人よ抱き合え」には、ベートーヴェンを意識したような面がある。ベートーヴェンのコントルダンスでは、後の交響曲第3番、Op.55のフィナーレの旋律を用いたものがあり、その点では興味深かった。ベートーヴェンもヴィーンの舞曲の歴史に名を残す存在であったことも再確認した。

 ヴィーン楽友協会は1825年設立、ベートーヴェンは最初の名誉会員、シューベルトは理事を務めた。ヴィーン楽友協会大ホールも1870年に完成、こちらも150年の歴史がある。その意味でも大きな意義のあるコンサートだったと言えよう。

 2021年、リッカルド・ムーティが指揮台に立つ。ムーティも80歳、どんな演奏を聴かせるだろうか。

 

 

北とぴあ国際音楽祭 ヘンデル「リナルド」

 

 北とぴあ国際音楽祭のフィナーレを飾るオペラは、ヘンデル「リナルド」であった。十字軍をテーマしたトルクァート・タッソ「解放されたエルサレム」をもとに、ジャコモ・ロッシの台本による。1711年の初演版、全3幕による上演であった。

 寺神戸亮、レ・ボレアードのオーケストラも円熟の境地に入ってきた。ほとんどがバッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカのメンバーたちである。

 クリント・ファン・デア・リンデのリナルドをはじめ、フランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリのアルミレーナ、布施奈緒子のゴッフレード、中嶋俊春のエウスターツィオが素晴らしい。中でも、アルミーダの湯川亜也子、アルガンテのフルヴィオ・ベツティーニが傑出していた。リナルドとアルミレーナの純愛、アルガンテとアルミーダがリナルド、アルミレーナに心を寄せつつも最後は恋人同士で結ばれ、キリスト教に改宗することとなる。そんな心の動きを見事に表現していた。

 ヨナタン・ド・クースターが全体をしっかり引き締め、澤江衣里、望月万里亜もドラマを盛り上げていた。セミ・ステージ形式とはいえ、バロック・オペラの醍醐味を引き出した上演で、見ごたえ・聴き応え十分である。

 来年はジャン・バプティスト・リュリの傑作「アルミード」である。楽しみである。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第135回定期演奏会 ブランデンブルク協奏曲

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第135回定期演奏会は、鈴木優人によるブランデンブルク協奏曲BWV1046―

BWV1051、全6曲であった。

 前半が第1番、第6番、第2番のフラット系、後半が第4番、第5番、第3番のシャープ系によるプログラム構成で、鈴木優人自身の解説によると、フラット系はアーメン終止という。なるほど、これは素晴らしい構成力だと肯かされた。

 第1番の素晴らしい色彩感、第6番の渋み、第2番の華やかさが際立ったし、第4番、第5番での協奏曲の醍醐味、第3番の弦の饗宴といった1曲1曲の性格も浮き彫りにした構成が、かえってブランデンブルク協奏曲の本質を浮き彫りにした。

 ヴァイオリンでは若松夏美、高田あずみ、山口幸恵、竹嶋祐子。コルノ・ダ・カッチャ(仮のホルン)の福川仲陽、藤田麻理恵。オーボエの三宮正満。トランペットのギ・フェルベ。リコーダーのアンドレアス・ベーレン、山岡重治。フルート・トラヴェルソの鶴田洋子。チェロのエマニュエル・バルサ、山本徹。エマニュエル・ジラール。ヴィオラ・ダ・ガンバの平尾雅子。こういった人たちが光る。鈴木優人のチェンバロも見事。

 まさに、鈴木優人の世界というべきだろう。11月30日、12月1日、いよいよ、NHK交響楽団定期演奏会に登場することとなる。こちらも楽しみである。

 

 

 

北とぴあ国際音楽祭 エマ・カークビー ソプラノリサイタル

 

 北とぴあ国際音楽祭の注目公演の一つ、古楽声楽のパイオニア、エマ・カークビーのリサイタルは前半がイギリス・ルネッサンス期のトーマス・キャンピオン、ジョン・ダウランド、ジョン・ダニエルのリュート歌曲の名作、後半がバロック期のウィリアム・ヘイズ、ヘンリー・パーセル、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(ジョン・フレデリック・ヘンデル)の名作を並べた素晴らしいプログラム、聴き応え十分であった。 (7日 北とぴあ さくらホール)

 つのだたかしのリュート、寺神戸亮、迫間野百合、阿部まりこ、渡部安見子、懸田貴司、櫻井茂、藤田麻理恵、水谷陽子、上尾直樹といった優れたバロック奏者たちがカークビーのソロを支えつつも、素晴らしい演奏を聴かせたことは特筆に値する。

 キャンピオン、ダウランド、ダニエルからはイギリス、エリザベス1世の宮廷の香りか伝わってきた。パーセルではイギリスの香り豊かな英語の響きが見事。バッハ、ロ短調ミサからの「我汝を讃え」、ヘンデル「我知れり」での信仰、「アルチェステ」からの「やさしきモルペウス」も素晴らしい。アンコールでのバッハ、結婚カンタータ「悲しみの影よ、去れ」もまた味わい深かった。

 声の衰えがあるとはいえ、音楽の核心をついていた。ことに、前半のリュート歌曲の深い味わいに繋がった。11月29日、12月1日、ヘンデル「リナルド」が楽しみである。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 10

 

 アンジェラ・ヒューイットのバッハ・オデッセイ、第10回はイギリス組曲、第4番、BWV809、第5番、BWV810、第6番、BWV811、ソナタ、BWV963であった。(5日 紀尾井ホール)

 第4番の力強さ、第5番の暗さ、第6番の激しさ・深遠さ。第6番が傑出していた。この作品でヴィルヘルム・バックハウスの名演を知る一人としても、それに匹敵する名演だった。組曲の一つ一つの性格表現も見事だった。

 ソナタは若きバッハが、後にライプツィッヒ、聖トーマス教会カントールに着任する前、その職にあったヨハン・クーナウの「聖書ソナタ」の影響を受け、一つの試みとして作曲したものとしても興味深い。それなりに聞き応え十分であった。

 アンコールはフランソワ・クープラン「恋の鶯」で、豊かな歌心が余韻を残した。いよいよ、2020年5月、このシリーズも完結する。楽しみになってきた。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 9

 

 アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第9回はバッハ、イギリス組曲第1番、BWV806、第2番、BWV807、第3番、BWV808を中心に組曲、BWV823、前奏曲とフーガ、BWV894によるブログラムだった。(1日

紀尾井ホール)

 ヒューイットのバッハへの情熱が伝わってくる。歌心十分、深い精神性にも欠けていない。イギリス組曲はヴァイマール時代からケーテン時代初期にかけての作品で、前奏曲ーアルマンドーークーラントーサラバンドージークの定型を踏みつつ、ブーレ、ガヴォット、メヌエット、パスピエをはさんでいる。いささか保守的とはいえ、荘重さが漂う。

 第1番での明るさと荘重さ、第2番、第3番での重厚さが素晴らしい。ブーレ、ガヴォットでは長調と短調の対比がくっきりしていたし、サラバンドでの深い歌心は感動的だった。それゆえ、ジーグの重みが伝わってきた。

 組曲、BWV823は前奏曲ーサラバンドージーグによる構成とはいえ、サラバンドの深みある歌心は絶品。ジーグも古典主義への道を示しているかのようだった。前奏曲とフーガ、BWV894はバッハのヴィルトゥオジックな面を押し出した演奏とはいえ、歌も十分。この作品がライプツィッヒ時代のクラヴィーア、フルート、ヴァイオリンのための3重協奏曲、BWV1044となったことも頷ける。

 アンコールでのバロックの小品が味わい深かった。後半が楽しみである。

 

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェンプラス 第6回

 

 横山幸雄のベートーヴェンリサイタル・シリーズも大詰めとなった。今回は5大ソナタ、第8番、Op.13「悲愴」、第14番、Op.27-2「月光」、第17番、Op.31-2「テンペスト」、第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、第24番、Op.78、第25番、Op.79、第26番、Op.81a「告別」、第27番、Op.90、第28番、Op.101、第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」、自作主題による変奏曲、Op.76、幻想曲、Op.77、ポロネーズ、Op.89を取り上げた。(東京オペラシティ コンサートホール)

 前半の5大ソナタには円熟した横山の姿が伝わった。Op.90、Op.101のじっくりした味わい、Op.106「ハンマークラヴィーア」の素晴らしいまとまりが光る。変奏曲、Op.76は後のトルコ行進曲の主題によるもので、見事な演奏。幻想曲、Op.77の素晴らしさ、ポロネーズ、Op.89の見事さも光った。

 このシリーズも2020年、ベートーヴェン生誕250年で締めくくりとなる。最後の3つのソナタの他に、どんな作品が加わるだろう。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第134回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第134回定期演奏会は世俗カンタータ中心のプログラム。アントニオ・ヴィヴァルディによる協奏曲、BWV593、カンタータ第196番、BWV196「主は御心に止め」、第202番「消えよ、悲しみ」BWV202。シンフォニア、BWV1046a(ブランデンブルク協奏曲第1番初稿)第1楽章。第208番「狩りこそ喜び」BWV208。

 ヴィヴァルディによる協奏曲はオルガンのための作品とはいえ、オルガンの特性を見事に引き出している。鈴木優人の素晴らしい演奏が光る。BWV196ではゾフィー・ユンカー、青木洋也、ザッカリー・ワイルダー、ドミニク・ヴェルナーの歌唱も見事。BWV202ではジョアン・ランのソロが素晴らしい。

 後半はBWV1046aを前奏、BWV208につなげたことは、貴族の祝典を再現したものとして注目に値する。ユンカー・ラン・ワイルダー・ヴェルナーが見事に応えた。鈴木雅明がしっかりまとめた。

 11月は鈴木優人によるブランデンブルク協奏曲全曲。楽しみである。

 

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 2019

 サントリー芸術財団(音楽財団から改称)サマー・フェスティバル、2019年はジョージ・ベンジャミン、オペラ「リトゥン・オン・スキン」日本初演、ジュネーヴ出身のフランス系スイスの作曲家、ミカエル・ジャレル(1958-)のオーケストラ作品を中心としたコンサート、第29回サントリー芥川也寸志作曲賞、選考演奏会を聴いた。(29日 30日 31日 サントリーホール)

 ベンジャミンのオペラはサントリーホールでのホール・オペラ上演を活かした舞台で、休憩なしであった。中世フランスの作家、ギヨーム・ド・カプスタン「心臓を食べた話」に基づく。貴族とその妻アニエス、3人の天使が登場、天使が細密画本を書く少年、ヨハネ、マリアに姿を変えて登場する。貴族が細密画本を作る少年を城に招いたことから、妻が自我に目覚める。貴族が少年を殺し、その心臓を妻アニエスに食べさせ、殺そうとするものの、アニエス自ら死を選ぶ。3人の天使たちがその有様を見つめる。大野和士、東京都交響楽団をはじめ、アンドリュー・シュレーダー、スザンヌ・エルマーク、藤木大地、小林由佳、村上公太が素晴らしい舞台を見せた。

 ミカエル・ジャレルのオーケストラ作品。ヴァイオリン協奏曲「4つの印象」はヴァイオリンの特徴を生かしつつ、見事なまとまりを見せた。ルノー・カプソンのための作品で、カプソンの見事さが光る。「今までこの上なく晴れわたっていた空が突然恐ろしい嵐となり」は、一瞬の天候の急変、人生の突然の悲劇を描いたもので、心を打つ作品。横井祐美子「メモリウムⅢ」は聴き応え十分。アルバン・ベルク、3つの小品、Op.6は12音技法に寄りながら、旋律性豊かなベルクの特性が現れた作品。パスカル・ロフェ、東京都交響楽団も素晴らしい。

 第29回芥川也寸志サントリー作曲賞は鈴木治行「回転羅針儀」、稲盛安太巳「擦れ違いから断絶」、北爪裕通「自動演奏ピアノ、2人の打楽器奏者、アンサンブルと電子音響のための協奏曲」の3曲が上った。北爪作品がす素晴らしい発想だった。受賞は稲盛となった。今回から、聴衆の投票が取り入れられたものの、選考に反映されないことは如何なものか。聴き手こそ作品を判断できるはずではないか。新しい試みがあっても、選考に活かていく手立てを考えてはどうか。疑問が残った。

 

泣き 悲しみ 恐れ おののき 鈴木雅明 音楽講演会

 

 日本キリスト改革派、東京恩寵教会での鈴木雅明、音楽講演会は12回目となった。今回はバッハ、カンタータBWV12「泣き 悲しみ 恐れ おののき」を取り上げた。

 このカンタータはヨハネによる福音書、第16章、16節~24小節による。イエス・キリストはユダヤ教指導者、ローマ帝国に捕えられ、十字架にかからんとした時、弟子たちに語っている箇所である。イエスが処刑後、復活も予言している。

 第2曲の合唱は後に、ロ短調ミサ、BWV232「クルツィフィヌス」に転用された。人間の苦悩、イエスの十字架が一体となっていることがわかる。アリアは人間の苦しみ、信仰告白、神の業を歌う。コラールの救い。器楽のオブリガートには、十字架モティーフがかなりあることがわかった。その他、信仰に関係する音型も巧みに織り込んでいたことにも気づく。バロック音楽の修辞法にも注意したい。

 BWV12を聴いた後、いくつかの質疑応答の後閉会。聴き応えある一時だった。

 

菅野雅典 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 5

 

 菅野雅典、メンデルスゾーン・シューマン作品全曲演奏シリーズ、第5回を聴く。(19日 東京文化会館 小ホール)今回はメンデルスゾーンがスコットランド・ソナタ、Op.28、シューマンが幻想曲、Op.17を中心としたプログラムで、メンデルスゾーン、前奏曲とフーガ、Op.35-2、シューマン、アレグロ、Op.8、クラーラ・シューマン、前奏曲とフーガ、嬰へ短調、ファニー・ヘンゼル、序奏とカプリッチョ、ロ短調を取り上げた。

 クラーラはローベルトと共にバッハ、ベートーヴェン研究を日課としていた。ローベルトには4つのフーガ、Op.72、7つのフゲッタ、Op.126、オルガンのためのBACHの名による6つのフーガ、Op.60がある。クラーラの作品はその成果の一つで、1845年のローベルトの誕生日プレゼントとなった。そこにはメンデルスゾーンへのオマージュも感じ取れる。聴き応えのある作品だった。

 ファニーの作品はヘンゼル家のイタリア旅行中の作品で、こちらも聴き応え十分の作品だった。これはフランスの作曲家ジョルジュ・ブスケ、シャルル・グノーの評価も得た。ファニーの再評価が進んだ今、取り上げる機会が増えることを望みたい。

 メンデルスゾーンの前奏曲とフーガはバッハ、平均律クラヴィーア曲集へのオマージュとはいえ、ロマン主義の傑作のひとつとして再評価すべきではないだろうか。演奏から感じられてきた。スコットランド・ソナタはスケールの大きさ、歌心が調和していた。

 シューマン、アレグロの自由闊達さ、歌心が素晴らしい。幻想曲ではキズがあった箇所は惜しいとはいえ、シューマンの音楽の本質をしっかり捉えていた。歌心と物語。全て一体化していた。

 アンコールはクラーラ・シューマン、ロマンス。ローベルトに先立たれた悲しみが伝わる。ブラームス、インテルメッツォ、Op.118-2。深々とした歌心が素晴らしい余韻を残した。次回はどのようなプログラムになるだろうか。

 

 

調布国際音楽祭 バッハ・コレギウム・ジャパン 華麗なる協奏曲の夕べ

 調布国際音楽祭、フィナーレは鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンによるヴィヴァルディ・バッハ・ヘンデルの協奏曲、バッハ、管弦楽組曲第4番(初稿版)で締めくくりとなった。 (6月30日 調布グリーンホール)

 ヴィヴァルディ「調和の幻想」、RV565、「四季」より夏、RV315を聴きながらバロックの協奏曲が独奏楽器群とオーケストラによるものから独奏楽器による協奏曲へと至る進化を感じ取った。ヘンデル、合奏協奏曲、HWV324、オルガン協奏曲、HWV293、バッハ、ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲、BWV1060にも同様である。ヘンデルのオルガン協奏曲はオペラ、オラトリオの幕間に演奏されたとはいえ、芸術性もある。ヴィヴァルディは慈善院(オスペターレ)の女性たちによるオーケストラのために作曲され、バロック協奏曲の頂点ともいえよう。

 寺神戸亮、懸田貴嗣、三宮正満といったバッハ・コレギウム・ジャパンの名手たちのソロは素晴らしい。締めくくりにバッハ、管弦楽組曲第4番の初稿版としたプログラム構成も心憎い。

 ただ、プログラムにはコンサートごとの曲目解説などがあった方がよいようにも感じた。来場した聴衆の中にはどのような作品かわかりにくかった面もある。プログラムは記念品のため、一工夫欲しい。来年への課題として取り組んでほしい。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第133回定期演奏会

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン第133回定期演奏会は鈴木優人が指揮を取り、カンタータBWV147「心と口と

行いと生涯を持て」、BWV37「信じて洗礼を受ける者は」、マニフィカト BWV243、鈴木雅明のオルガンでバッハ、前奏曲、トリオとフーガ、BWV545-1、529-2、545-2、ブクステフーデ、第1旋法によるマニフィカト、BWV203によるプログラムであった。今回はイエスを身ごもったマリアが、バプテスマのヨハネを身ごもったエリザベツを訪れたことにちなむ構成であった。

 鈴木雅明による見事な演奏の後、カンタータBWV147のスケールの大きさには感心した。きびきびした音楽作りとはいえ、バッハの音楽を見事に踏まえている。BWV37も手堅くまとめていた。マニフィカトも壮麗、かつ深みにも欠けていない。

 ソリストでは櫻田亮、加耒徹の素晴らしい歌唱が光った。松井亜希、クリステン・ウィットマー、テリー・ウェイも好演。次回は狩りがテーマとなり、鈴木雅明の指揮となる。楽しみである。

 

 

アンドリス・ネルソンス ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 

 ラトヴィア出身のアンドリス・ネルソンスをカペルマイスターに迎えたライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がブルックナー、交響曲第5番を取り上げた。(30日 サントリーホール)

 第1楽章からドイツのオーケストラの響きが伝わってきた。ブルックナーの重厚な響き、音楽がホール全体を覆っていく。第2楽章の深い歌心。たっぷりした歌を堪能した。第3楽章のスケルツォの不気味さ。トリオでののどかな風景との対比もくっきり表れていた。第4楽章。この楽章にはシューマンの影響が感じられる。シューマンの交響曲第2番、第3番には他の楽章のモティーフを組み合わせ、纏めて壮大なフィナーレを形成する。ブルックナーがシューマンの技法に学んだことを再認識した。演奏も壮大さ十分であった。

 ここ最近、ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターを見ると、イタリア人のシャイー、ラトヴィア人のネルソンスといった外国人指揮者を迎えている。そろそろ、ドイツ人指揮者がカペルマイスターとなってもいい頃ではないか。それを痛感した。ドレースデン・シュターツカペレ、ドレースデン・フィルハーモニーがドイツのオーケストラと言うべき存在になっている。ゲヴァントハウス管弦楽団もドイツのオーケストラの姿に立ち戻るべきではなかろうか。

 

 

伊藤恵 ピアノリサイタル 春を運ぶコンサート ふたたび

 

 シューマン、シューベルトを中心としたリサイタルシリーズを行って来た伊藤恵が、ベートーヴェンを中心としたリサイタルシリーズ、第2回はベートーヴェン、ソナタ第30番、Op.109、ソナタ第32番、Op.111を中心にブラームス、3つの間奏曲、Op.117、シューマン「森の情景」Op.82より第7曲「予言の鳥」、細川俊夫、エチュードⅥ ピアノのための―歌、リートを取り上げた。(29日 紀尾井ホール)

 ブラームスではたっぷりした歌の中に、晩年の諦念の姿を垣間見る思いだった。シューマンの後に細川作品を置いたプログラミングは絶妙であった。「予言の鳥」はペダルの巧妙な効果の中に20世紀音楽を暗示することを踏まえ、その後に細川作品を置いたことは音楽面での繋がりを重視した配分だった。

 ベート―ヴェン、第30番では自由さの中に晩年の境地が感じられた。第3楽章でのたっぷりした歌心から、素晴らしい変奏曲が展開、主題の回想では深みある音楽を生み出した。第32番はソナタ全体の締めくくりと言うべき作品、円熟した味わいに満ちていた。第2楽章のたっぷりした歌からベートーヴェンが到達した境地を描きだしていた。

 次回も楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第132回定期演奏会 マタイ受難曲 BWV244

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2019年度定期演奏会は、マタイ受難曲、BWV244で幕を開けた。今年度は聖金曜日、イースターの2回にわたる上演となった。(19日 東京オペラシティ コンサートホール)

 今回、コラール声部はソプラノ2人の担当で、しっかりした線が聴き取れた。櫻田亮のエヴァンゲリストが充実していた。イムラーのイエスも素晴らしい。カウンターテノールはダミアン・ギヨン、クリント・ファン・デア・リンデの競演が聴きどころであった。ソプラノのキャサリン・サンプソン、松井亜希が好演。バスでは加耒徹の堂々たる歌唱が光る。「金閣寺」での素晴らしさが今でも印象に残っている。

 鈴木雅明が円熟した味わいを見せていた。オーケストラの統率力も素晴らしい。キリスト受難がひしひしと伝わってきた。残念なこともある。拍手が早く入ったことが余韻を損ねてしまった。ともあれ、キリスト受難の聖金曜日に相応しいものとなった。

 

渡邉康雄 ベート―ヴェンピアノ協奏曲の世界

 渡邉康雄がオーケストラ・アンサンブル金沢との弾き振りで、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲2曲、第1番、Op.15、第5番、Op.73「皇帝」を取り上げた。(紀尾井ホール)

 指揮者、渡辺暁雄の長男として作曲を学び、アメリカ留学でピアノに転向、長年にわたってくらしき作陽大学で後進の育成に当たってきたせいか、東京でのコンサート活動から遠ざかっていた。今、70歳にならんとしてベート―ヴェンのピアノ協奏曲弾き振りに挑戦する意欲は素晴らしい。

 第1番では若きベートーヴェンの覇気が伝わり、じっくりと聴かせる演奏だった。第1楽章のはつらつさ、第2楽章の歌心は聴きものだった。第3楽章でもベート―ヴェンの機知にとんだユーモアをたっぷりと味わうことができた。

 第5番「皇帝」は円熟味あふれる演奏で、ベートーヴェンがピアノとオーケストラを対等に扱い、交響曲的な深い内容の作品へと到達したことを示していた。第1楽章、第3楽章の豪快さはむろんのこと、第2楽章の深い味わいに満ちた歌は素晴らしい。

 アンコールはサン=サーンス、ピアノ協奏曲第5番、Op.105「エジプト風」第3楽章。これも内容豊かなであった。今後、ベートーヴェンでは第2番、第3番、第4番を取り上げるだろう。楽しみである。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 8

 

 カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ・オデッセイ、第8回はトッカータ全7曲、BWV911,BWV916,BWV910,BWV914,BWV913,BWV915,BWV912、半音階的幻想曲とフーガ、BWV903であった。(13日 紀尾井ホール)

 若きバッハの野心、名技性溢れるトッカータであっても、音楽的な深さが要求される。ディートリッヒ・ブクステフーデ(1637-1707)の演奏を聴かんとしてリューベックへ赴き、その音楽の深さに圧倒されたとはいえ、バッハの音楽作りに大きな成果をもたらした。それゆえ、アルンシュタットではバッハの音楽への戸惑いもあった。リューベック滞在が長引いたこともあってか、ミュールハウゼンに移ることとなった。

 ヒューイットの演奏から、若きバッハの姿を聴き取ることができた。音楽的な深さも忘れていない。素晴らしい一時だった。

 半音階的幻想曲とフーガは、ケーテン時代に着手したとはいえ、ライプツィッヒで今の姿になった。名技性と音楽性が調和した名作で、大聖堂の壮大さが目に見えてくる。ヒューイットも壮大さ、深さを併せ持ったものを聴かせた。

 アンコールはカプリツィオ「最愛の兄の旅たちに」BWV992からを演奏、深い余韻を残した。10月のイギリス組曲が楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第131回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第131回定期公演は「祈り」をテーマとした教会カンタータ3曲によるプログラムだった。(3日 東京オペラシティ コンサートホール)

 まず、鈴木優人によるオルガン・コラール「ただ愛する神の力に委ねる者は」BWV690,691,647,642が演奏され、カンタータの世界へといざなわれて行く。音楽家としての成長ぶりを伺わせるものがあった。

 BWV150「御身を、主よ、われは切に慕い求む」ではこじんまりとした楽器編成の中に、イエス・キリストへの信仰を切に歌い上げて行く。ブラームスが交響曲第4番に用いた終曲が印象深かった。BWV12「泣き、嘆き、憂い、怯え」はイエス受難前の心境を歌ったもので、こちらはリストがピアノ変奏曲の主題に用いている。後に「ミサ ロ短調」の「クルツィフィヌス」の原型となった第2曲をはじめ、じっくりと聴かせた。

 BWV21「わが心に数多の思い煩い満ちたり」はヴァイマールのヨハン・エルンスト公子の別れの曲としても知られる。悲しみから希望へ。その思いがじっくり歌い上げられた。

 ソプラノ、ハナ・ブラシコヴァ、バス、加耒徹が傑出していた。加耒は2月24日、東京二期会、黛敏郎「金閣寺」以来とはいえ、素晴らしい歌唱ぶりだった。金閣寺の好演も忘れ難い。カウンター・テノール、ロビン・ブレイズ、テノール、ユリウス・プファイファーもよかった。

 2019年度、「マタイ受難曲」で幕が開く。来季も楽しみである。

 

東京二期会 黛敏郎 金閣寺

 

 東京二期会による、黛敏郎「金閣寺」はフランス国立ラン歌劇場での宮本亜門演出によるフランス初演に基づく上演である。(23日、24日 東京文化会館)

 巨大なシェルター。そこに主人公溝口の心象風景を表している。これは1991年の日本初演でのヴィンフリート・バウエンファイントの演出を思わせる。宮本の演出では溝口の分身を出したことで、このオペラの本質をかえって明らかにしたともいえようか。また、有為子・女役の歌手を交互に出演させたことも成功した。

 溝口は23日が与名城敬、24日は宮本益光。与名城はストレートな歌唱と演技、宮本はストイックさが際立った。2015年の神奈川県民ホールでの上演以来で、役作りが深化していた。鶴川は23日が高田智士、24日が加耒徹。どちらも光った。柏木は23日が山本耕平、24日が樋口達哉。悪魔的な面を見事に表現した。道誼は23日が畠山茂、24日が志村文彦。こちらも好演。富平安希子、嘉目真木子、林正子、腰越真美、星野淳、小林由樹も光る。

 ストラヴィンスキー「オイディプス王」を手本としたこともあってか、合唱が重要である。二期会合唱団が見事な先導役となった。指揮のマキシム・パスカルの見事な統率ぶりが東京交響楽団、二期会合唱団の力を十分に引き出し、素晴らしい成果を上げた。

 ただ、ダブルキャストとはいえ現代ものの上演が3回、しかもBキャストが1回のみでは何のためかがわからない。せめて4回、A,B各2回ずつの上演にすべきではないだろうか。今後、この点を考えてはいかがか。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン ベート―ヴェン 交響曲第9番 Op.125

 鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンがベートーヴェン、交響曲第9番に挑んだ。昨年のミサ・ソレムニスに次ぐ快挙だろう。(24日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 鈴木自身、ベートーヴェンでは東京シティ・フィルハーモニック交響楽団と第4番、調布国際音楽祭での第5番を指揮してこのコンサートに臨んだといえよう。

 第1楽章、第2楽章の壮大さ、すさまじさ。第3楽章の深く、味わいに満ちた歌心。ベートーヴェンの音楽の本質が伝わってきた。そして第4楽章。シラー「歓喜に寄す」の精神が息づいた名演だった。ニール・ディヴィス、アラン・クレイトンの見事な歌いぶり、アン=ヘレン・モーエン、マリアンネ・ベアーテ・キントも光った。

 バッハ・コレギウム・ジャパンがベート―ヴェン全交響曲に挑むとなれば、大きな話題となるだろう。さて、どうなるかが楽しみである。

 

2

第62回 NHKニューイヤ-・オペラコンサート

 クラシック・コンサートの聴き初めとして定着したNHKニューイヤー・オペラコンサートも第62回となった。日本のオペラ界が世代交代を迎えた今、その舞台に立つ歌手たちの活躍が楽しみである。(3日 NHKホール)

 オペラ指揮者として定評ある沼尻竜典を指揮台に迎え、東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部という布陣、アリア、重唱を中心にオペラの場面に合わせた設定がオペラを一段と身近なものにしたことを評価したい。

 ソプラノでは伊藤晴、安井陽子が初登場。共に素晴らしい歌唱で聴き手を魅了した。大村博美、森麻季、砂川涼子の歌唱ぶりも定評があり、それぞれの持ち味を出した歌いぶりはさすがだった。メゾ・ソプラノでは林美智子、藤村美穂子の成熟した歌唱が印象に残った。テノールでは名古屋出身の笛田博昭の素晴らしい歌唱が印象深いし、演技力も十分である。福井敬、村上敏明のヴェテランの味わいはいつ聴いても安定感がある。バリトンでは武蔵野音楽大学からアメリカに留学した大西宇宙がこれからの逸材として注目したい。大沼徹、黒田博、青山貴の安定感ある歌も味わい深い。バスの妻屋秀和の味わい深さ、聴きどころを抑えた音楽作りはさすがである。

 クラシック・ヴォーカル・グループ、イル・デーヴによる歌3曲が聴き応え十分、河原忠行のピアノ、青山の他に望月哲也、大槻孝志、山下浩司によるアンサンブルが見事だった。

 オープニング、フィナーレはヨハン・シュトラウス、オペレッタ「こうもり」から「夜会は招く」「ぶどう酒の燃える流れに」で新年に相応しかった。今年のオペラ界、どうなるだろうか。

 

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2019

 

 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、2019年はフランツ・ヴェルザー=メストと共にドイツ・オーストリアの実力者、クリスティアン・ティーレマンを迎えた。

 昨年、ドレースデン・シュターツカペレと共に来日、シューマン・ツィクルスを行ってシューマンの交響曲の真価を再認識させたことは記憶に新しい。そのティーレマンがシュトラウス・ファミリー、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーの作品を取り上げ、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団から素晴らしい音楽を引き出した。

 奇をてらわない正攻法でありながら、ヴィーン音楽の心髄たるシュトラウス・ファミリーの音楽を心からじっくり味わえる一時だった。ヴィーン・フィルハーモニーの音を活かしつつ、重々しさと軽やかさとのバランスを取りながらじっくりと聴き手の心をつかんでいく。それがかえって、ヴィーン音楽の本質を伝えたことが成功に繋がった。ヴィーン・フィルハーモニーを知り尽くしているからだろう。ドレースデン・シュターツカペレも同じだろう。

 2020年はボストン交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任となったアンドリス・ネルソンスが指揮台に登場する。どうなるか。

 

 

ゲルハルト・オピッツ シューマン、ブラームス連続演奏会 第4回

 

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツのシューマン、ブラームス連続演奏会、第4回はシューマンがパピヨン、Op.2、カーナヴァル、Op.9、ブラームスがシューマンの主題による変奏曲、Op.9、ソナタ第2番、Op.2であった。(14日 東京オペラシティ コンサートホール)

 シューマンではパピヨンでの若きシューマンのユーモア、ロマンが溢れ出ていた。カーナヴァルはスケールの大きな演奏で、ロマン溢れる名演。エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋愛、クラーラへの愛の芽生え、ロマン主義の旗手としてのシューマンの姿を描きだしていた。

 ブラームスでは、シューマンの主題による変奏曲はシューマンへのオマージュとしての性格を浮き彫りにした演奏であった。ソナタ第2番では、ラプソディックながらも構成感を大切にまとめた第1楽章、第2楽章の深い歌心、第3楽章スケルツォ主部の不気味さ、トリオのロマン性の対比が聴きもの。第4楽章のロマン性溢れる演奏は絶品だった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.116-4。心に染み入る演奏で、余韻を楽しみながらと言ったところに拍手は失礼である。これはいただけなかった。

 最近、オピッツが軽く見られるようになったことは残念である。21世紀のドイツ・ピアノ界ではレーゼルと並ぶ大御所がこのような扱いを受けていることはいただけない。さて、次はどんなシリーズになるだろう。

 

 

北とぴあ国際音楽祭 2018 モンテヴェルディ「ウリッセの帰郷」

 古楽と現代音楽中心の北とぴあ国際音楽祭。2018年はクラウディオ・モンテヴェルディ「ウリッセの帰郷」を取り上げた。

 モンデヴェルディのオペラは現存するものが「オルフェオ」「ウリッセの帰郷」「ポッペアの戴冠」の3作のみで、「オルフェオ」「ポッペアの戴冠」上演機会に恵まれているものの、「ウリッセの帰郷」は恵まれているとは言えず、作品の真価が問われているとは言い難い。これは控えめな楽器編成に一因があるだろう。

 寺神戸亮率いるレ・ボレアード、エミリアーノ・ゴンザレス=トロのウリッセ、湯川亜也子のペネーロペ、ケヴィン・スケルトンのテレーマコ、クリスティーナ・ファネッリのミネルヴァ/運命、フルヴィオ・ペッティーニのイーロ、櫻田亮のエウメーネ、マチルド・エティエンヌのメラント、眞弓創一のエウリーマコ、波多野睦美のエリクレーア、渡辺祐介のネットゥーノ/時、谷口洋介のジョ―ヴェ、安倍早紀子のジュノーネ、中嶋俊春のピザンドロ、福島康晴のアンティーノモ、小笠原美敏のアンティーノオ、上杉清仁の人間のもろさ、広瀬奈緒の愛といった優れた歌手陣を迎え、素晴らしい上演となった。

 湯川の強靭な役作り、ゴンザレス=トロ、スケルトンの素晴らしさ、ファネッリが全体をしっかりまとめた。ペッティーニのコミカルな演技と歌唱、福島・小笠原・中嶋によるペネーロペへの求婚者たちの性格描写、谷口・阿部・渡辺が見せた神々の威厳。これらが一体となって、このオペラを盛り上げた。櫻田、波多野の役作りも忘れ難い。

 2019年はヘンデル「リナルド」を取り上げるという。「ポッペアの戴冠」も見たい演目の一つである。今後に期待しよう、

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第130回定期公演 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第130回定期演奏会は、久々にバッハ、クリスマス・オラトリオ、BWV248によるコンサートとなった。11月25日、キリスト教歴ではクリスマスに向けての待降節となる。そうした時期に相応しいものとなった。

 ソリストはハナ・ブラシコヴァ(S)、クリント・ファン・リンデ(CT)、ザッカリー・ワイルダー(T)、クリスティアン・イムラー(B)を迎えた。ワイルダーは歌舞伎座7月公演、夜の部に出演して、話題となった。

 鈴木雅明が全体をしっかりまとめ、円熟の味わいに満ちた演奏を繰り広げた。第1部冒頭のティンパニの響きから、キリスト降誕から3博士来訪にわたるクリスマス物語の世界が広がった。降誕の喜びの中に受難ヘの予言を秘めていることも忘れてはならない。

 ワイルダーのエヴァンゲリストも聴き応え十分、アリアも素晴らしい。イムラーの堂々たる歌いぶり、リンデのしっとりした深みのある歌唱も印象に残る。ブラシコヴァの端正な歌いぶりも捨て難い。若松夏美、高田あずみのヴァイオリンが彩を添えている。三宮正満のオーボエ・ダモーレも味わい深い。

 器楽奏者たちも優れた人材揃いで、ソロなどでも活躍している。声楽陣では二期会会員が在籍、オペラ界で活躍する人材も輩出している。日本を代表する古楽演奏団体でありながら、優れた音楽家が活躍していることを思うと、貴重な存在だろう。

 

クリスティアン・ティーレマン ドレースデン・シュターツカペレ シューマンツィクルス

 

 クリスティアン・ティーレマンがドレースデン・シュターツカペレを率いて、シューマンツィクルスを行った。2晩でシューマンの交響曲の全4曲によるツィクルスは、日本では初めての試みである。ブラームスの交響曲全4曲はツィクルスの機会が多いものの、シューマンに至っては初めてである。(10月31日、11月1日 サントリーホール)

 シューマンの交響曲はシューベルト、メンデルスゾーン、ブルックナー、ブラームスほど取り上げられる機会はない。しかし、19世紀の交響曲史では重要な作品である。ティーレマンはこのコンサートシリーズで、シューマンの真価を問い直そうとしたと言えよう。

 第1番、Op.38「春」を聴くと、第1楽章再現部では序奏のファンファーレの後、第2主題に入るようになっている箇所では、春の喜びが高らかに響く。そこには交響曲を実現したというシューマンの喜びの声を聴き取った。第2楽章のたっぷりした歌は素晴らしかった。第3楽章の見事な構成力、第4楽章でもロマンあふれる演奏だった。

 第2番、Op.61では、ロシア旅行で健康を害した後、ドレースデンに移ったシューマンが病を克服するまでの過程を描いた作品である。第1楽章、第2楽章の闘い、第4楽章の勝利が見事に描かれていた。この楽章で、シューマンが病を克服した喜びを爆発させている。ティーレマンは、そんなシューマンの心境をしっかり捉えていた。それが、かえって第3楽章の内面性を引き出すことになった。

 第3番、Op.97「ライン」にはデュッセルドルフに移ったシューマンの喜び、意気込みの中に過去への思いと自らの運命への恐れが混じっている性格を見事に引き出した。ドレースデンからデュッセルドルフへ移るにも、デュッセルドルフに精神病院があることへの怯えがあったことは見逃せない。それが1854年の発狂、入院、1856年の死につながる。第1楽章の葛藤、第5楽章の希望に満ちた旋律からシューマンの感情が伝わった。

 第4番、Op.120は1841年、ライプツィッヒで「幻想曲」として初演したものの、評判が悪かったため、交響曲として改訂している。この方がシューマンの意図を出せたと言える。ティーレマンは全体が切れ目なく演奏されることによって、統一性強固な作品にしたかったことをかえって浮き彫りにした。ロマン性、構成感、響きが充実していた。

 ティーレマンによって、ドイツの重厚な音が響くようになったドレースデン・シュターツカペレによる充実したシューマンツィクルスをたっぷり味わった至高の一時だった。

 

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 第7回

 

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第7回は平均律クラヴィーア曲集、第2巻、BWV870-BWV893、終演時間が午後10時という長丁場だった。

 平均律クラヴィーア曲集、第2巻は1740年代、ライプツィッヒ、聖トーマス教会カントール時代に完成、バッハのクラヴィーア作品の総決算というべきだろう。全体を見ると、3-4声のフーガが中心で、第1巻のように2声、5声はない。プレリュードの性格が多様になり、性格付けも明確になっている。オルガン曲、トランペットのファンファーレ、カンタービレ風と多種多様になっている。フーガもガヴォット、パスピエ、ジーグといった舞曲、合唱曲など様々である。

 ヒューイットはプレリュード、フーガの性格を捉えつつ、この曲集の多様性、バッハ晩年の自由な境地を見事に表現していた。これだけの長丁場だったら、開演時間を早めた方がよかっただろう。午後6時30分開演なら、午後9時30分終演になっただろう。そういう面での配慮がほしかった。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第129回定期演奏会 モーツァルト レクイエム

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第129回定期演奏会はモーツァルトが死に際して未完のまま残したレクイエム、K.626を中心に交響曲第25番、K.183、コンサート・アリア「なぜ、あなたを忘れよう~心配しないで」K.503、アヴェ・ヴェルム・コルプス、K.618を取り上げた。今回は鈴木優人の首席指揮者就任記念ともなった。

 音楽家としての名を確立、マルチな才能の持ち主、鈴木優人が父、鈴木雅明と共に支えることとなったバッハ・コレギウム・ジャパンの第2の出発を記念したコンサートがモーツァルト・ブログラムというのは、いささか違和感があるかもしれない。モーツァルトが未完のまま残したレクイエムを取り上げたことに意義がある。

 前半の交響曲第25番では、若き天才の姿を生き生きとした姿で私たちの前に示し、コンサート・アリアではフォルテ・ピアノを演奏しつつ、オーケストラもまとめ上げた。レクイエムではジュースマイヤーの補筆も重視しつつも、鈴木優人自身の補筆が素晴らしい効果を上げた。アヴェ・ヴェルム・コルプスが華を添え、コンサートを締めくくった。

 11月23日は鈴木雅明がバッハ、クリスマス・オラトリオを取り上げる。こちらも楽しみである。

 

 

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェン・プラス 第5回

 

 横山幸雄によるベートーヴェン・プラスシリーズは第5回となった。今回はベートーヴェン中期の傑作「ヴァルトシュタイン」「熱情」を中心に6つの変奏曲、Op.34、エロイカの主題による変奏曲とフーガ、Op.35をはじめ、ショパン、ソナタ第3番、Op.58、ブラームス、パガニーニの主題による変奏曲、Op.35、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲(横山自身の編曲)」、ラヴェル「夜のギャスパール」を1日がかりで取り上げた。

 まず、6つの変奏曲とエロイカ変奏曲。どちらもベートーヴェンの変奏曲の傑作である。ベート―ヴェンの変奏曲の大部分は作品番号のないものがほとんどで、この2つの変奏曲の他に自作主題による変奏曲はOp.76、晩年の記念碑的なディァベッリ変奏曲はOp.120がついている。6つの変奏曲は調性を変えつつ、主題の性格を変えていくため、多様かつ深みがある。エロイカ変奏曲は、1804年作曲の交響曲第3番、Op.55のフィナーレでも同じ主題を用いているため、その名がある。ピアノによるものはその原型としても重要である。横山はその特徴を見事に表出していた。

 「ヴァルトシュタイン」、「熱情」は横山の円熟した姿を聴き取ることができた。その間のOp.54は奇妙な作品とはいえ、愛すべき面を引き出していた。

 ブラームスは、カール・タウジッヒのためとはいえ、ブラームスならではの深みも持ち合わせた作品で、ブラームスの深さ・渋さも表出していた。ショパンも歌心に満ちた名演であった。

 横山自身の編曲による「牧神の午後への前奏曲」は、ピアノの色彩感を見事に生かしていた。ラヴェルでは研ぎ澄まされたピアノの音色、スケールの大きさが光った。

 アンコールは横山自身の編曲によるバッハ=グノー「アヴェ・マリア」が見事にコンサートの余韻を残した。このシリーズもあと2回となった。どんな内容になるかが楽しみである。

 

 

2

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル イェルク・ヴィトマン フランス音楽回顧展 2

 

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバルの大詰めはテーマ作曲家イェルク・ヴィトマン(1973-)のオーケストラ作品、野平一郎によるフランス音楽回顧展、オーケストラ作品であった。(8月31日、9月1日 サントリーホール)

 クラリネット奏者、指揮者でもあるヴィトマンはまず、ヴェーバー、クラリネット協奏曲、第1番、Op.73の吹き振り、自作のクラリネットのための幻想曲でクラリネット奏者としての手腕を見せた。ヴィトマンの弟子、ヤン・エスラ・クール(1988-)「アゲイン」は聴き応えある内容。ヴィトマンによる演奏会序曲「コン・ブリオ」は、コン・ブリオの本質を見事に表現した。妹カトリンのために作曲したヴァイオリン協奏曲、第2番は現代のヴァイオリン協奏曲では注目すべき作品だろう。素晴らしい内容であった。

 20世紀から21世紀のフランス音楽史を辿った野平の企画は、ラヴェル「風景」、フィリップ・ユレル(1955-)「トゥール・ア・トゥールⅢ レ・レマナンス」、ピエール・ブーレーズ「プリ・スロン・プリ マラルメの肖像」を取り上げた。ラヴェルのものはブーレーズの編曲とは言え、あっという間の作品である。ユレルのものは神秘的な作品。ブーレーズは、ヴェルレーヌへの追悼を兼ねたマラルメの詩によるもので、浜田理恵の独唱も素晴らしい。指揮のピエール・アンドレ=ヴァラドもなかなかの手腕であった。

 2019年のサマーフェスティバルが楽しみである。

 

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 第28回 芥川作曲賞選考演奏会

 

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバル、第28回、芥川作曲賞選考演奏会は2016年に受賞した渡辺裕紀子「朝もやジャンクション」、芥川賞候補となった3人の作曲家たちの作品を取り上げた。(26日 サントリーホール)

 まず、高橋作品は朝もやの風景を取り上げた作品で、2016年のエジプト訪問がもとになったという。なかなかの力作だったといえよう。

 候補となった3人の作曲家の作品、まず、1981年生まれの中堅作曲家で愛知県立芸術大学卒業後、パリ、エコール・ノルマル音楽院、パリ高等音楽院で学んだ坂田直樹「組み合わされた風景」は音響が描く風景を表現した作品。入野賞、武満徹作曲賞、尾高賞などの受賞歴がある。2番目、1971年生まれの中堅作曲家で同志社大学法学部卒業後、パリ、エコール・ノルマル音楽院、リヨン音楽院で学んだ岸野未利加「シェーズ・オブ・ウォーカー」は自然の威力を表現した作品で、聴き応え十分だった。3番目、1992年生まれの若手作曲家で東京芸術大学大学院修了、日本音楽コンクールでの受賞歴がある久保哲朗「ピポ-ッ-チュ」は、バロック音楽のコンツェルト・グロッソの原理を生かした個性的な作品。ヴァイオリン、バス・クラリネット、テューバ、ピアノとオーケストラのための作品で、面白さも抜群だった。

 芥川作曲賞は坂田が受賞となった。今回はフランスに留学した作曲家が受賞したことはそれなりの意義がある。多くがドイツ留学だった。フランス留学の作曲家が受賞したことはその一石を投じたといえようか。

 

 

 

 

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル  野平一郎 オペラ「亡命」

 

 サントリー音楽財団サマーフェスティバル、2018年は野平一郎、オペラ「亡命」初演で幕を開けた。1956年のハンガリー動乱で亡命を果たし、西側へ脱出、世界的な作曲家になっていくべーラ・ベルケシュ、ハンガリーに残ったもののパリなどから招かれるようになったゾルダーン・カトナ。この2人の作曲家、妻たち、子どもたちを軸に物語が展開する。東ヨーロッパの社会主義国家の現実、真の自由を求め、西側に出たとはいえ、社会主義体制が崩壊した今、「亡命」とは何だったか。重い問いかけである。(23日 サントリーホール ブルーローズ)

 ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルート、クラリネット、ホルンによる器楽編成。ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バス・バリトンからなる5人の歌手による室内楽的な小オペラとはいえ、オペラとしての完成度も高かった。藤原亜美、川田知子、向山佳絵子、山根孝司、高木綾子、福川伸陽といった奏者たち、幸田浩子、小野美咲、須鈴木准、松平敬、山下浩二といった歌手陣が「亡命」という重いテーマを見事に描きだしたと言えよう。

 セミ・ステージ形式でも十分上演できる機能を備えた作品としても注目したい作品である。

 

 

菅野雅紀 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 第4回

 

 菅野雅紀のメンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ、第4回はメンデルスゾーンがソナタ第1番、Op.6、無言歌集第2巻、Op.30、シューマンがソナタ第2番、Op.22、4つの小品、Op.32を取り上げた。(8日 ルーテル市ヶ谷センター)

 今回は楽譜を見ながらとはいえ、メンデルスゾーン、シューマンの知られざる作品の真価を問うには十分であった。また、よく知られている作品もそれなりの説得力ある内容であった。

 シューマン、4つの小品はOp.1から続くシューマンのピアノ作品の創作活動では最後の作品で、1840年9月12日、クラーラとの結婚が実現すると交響曲、室内楽曲、オラトリオへと創作活動を広げていく。1844年、ドレースデンへ移住するまでピアノ作品の創作は中絶することとなる。バロック時代の組曲とロマン主義のキャラクター・ピースとの結合と言うべき作品で、聴き応え十分であった。メンデルスゾーン、ソナタ第1番はベートーヴェン、ヴェーバーの影響を見事に消化した、個性豊かな作品で、もっと演奏会で取り上げるべきである。この作品の再評価に繋がる、見事な演奏であった。

 無言歌集第2巻での豊かな歌心に満ちた演奏は心和む一時であった。シューマン、ソナタ第2番はロマン性、歌心に満ちた演奏であった。フィナーレは現行版による。ゲルハルト・オピッツが取り上げた、初稿のプレスト・パッショナートによる演奏も聴かれるようになっている。初稿版による演奏も聴きたい。

 アンコールは無言歌集第1巻、Op.19から第6曲「ヴェネツィアのゴンドラの歌」、クラーラ・シューマン、音楽の夜会、Op.6から「ノットゥルノ」で締めくくった。次回のリサイタルは東京文化会館小ホール、メンデルスゾーンは幻想曲「スコットランド・ソナタ」、Op.28、シューマンでは幻想曲、Op.17を取り上げるという。楽しみである。

 

 

調布国際音楽祭 モーツァルト「バスティアンとバステイエンヌ」「劇場支配人」

 

 6月24日から1週間にわたった調布国際音楽祭、フィナーレは鈴木優人、バッハ・コレギウム・ジャパンによるモーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」「劇場支配人」で締めくくりとなった。

 昨年、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」で音楽家としての名を確立した鈴木優人がモーツァルト少年期の名作「バスティアンとバスティエンヌ」、円熟期の往作「劇場支配人」に挑み、素晴らしい成果を収めた。

 「バスティアンとバスティエンヌ」は櫻田亮、ジョアン・ラン、加来徹が素晴らしい舞台を繰り広げた。加来のコミカルな中に恋人たちを元のさやに収めようとする節回し、歌唱が見事であった。ランはセリフ回しには苦労したものの、素晴らしい歌唱を聴かせた。それにもまして、櫻田の歌唱も全体を盛り上げた。ただ、楽譜を見ながらの歌唱、演技はいただけない。

 「劇場支配人」は鈴木優人、寺神戸亮も加わってドラマを盛り上げた。中江早希、森谷真理の自己顕示欲の強いプリマドンナに、2人をたしなめる歌手を櫻田亮が見事に演じた。そこに加来徹が全体の引き締め役として登場、全体を見事に締めくくった。

 今回の上演が、鈴木優人が本格的なオペラに挑戦するための飛躍の場となっていくだろう。二期会、藤原歌劇団、新国立劇場のオペラ公演に登場する日が来ることを切望する。

 

 

調布国際音楽祭 ヴェルサイユの光と影 フェスティバル・オーケストラ

 

 調布国際音楽祭、大詰めはたづくり くすのきホールでのヴェルサイユの光と影、グリーンホール、大ホールでのフェスティバル・オーケストラ、2つのコンサートが行われた。

 まず、鈴木優人、アンサンブル・ジェネンス、森下唯によるヴェルサイユの光と影ではクープラン、ラモーによるバロック期のフランス音楽、ドビュッシー、ラヴェルによる近代フランス音楽による聴き応え十分な内容だった。ラモー「クラヴサン・ドゥ・コンセール」第1番、第3番、クープラン「諸国の人々」よりスペイン人での素晴らしいアンサンブルからフランス趣味が溢れ出ていた。森下唯のドビュッシー「ベルガマスク組曲」、ラヴェル「クープランの墓」でもフランスのエスプリが滲み出ていた。

 フェスティバル・オーケストラは鈴木雅明の指揮、バッハ「管弦楽組曲」BWV1068ではコンサート・マスターが寺神戸亮、ストラヴィンスキー「プルチネッラ」、ベートーヴェン、交響曲第5番、Op.67ではコンサート・マスターが白井圭であった。バッハでは寺神戸、ストラヴィンスキー、ベートーヴェンでは白井の許、素晴らしいまとまりを見せた。バッハの後にストラヴィンスキー「プルチネッラ」を聴くと、第1次世界大戦直後、新古典主義の下でバロック、古典主義の作品受容による作品が多く生み出された背景をうかがい知ることができた。むしろ、ベートーヴェンはこれほど引き締まった、緊迫感溢れる演奏はないだろう。作品の本質を見事に抉り出したといえよう。

 明日はフィナーレ、モーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」、「劇場支配人」の上演が控えている。こちらも楽しみである。

 

 

田部京子 ピアノリサイタル シューベルトプラス 第4回

 

 桐朋学園大学院大学教授を務める田部京子が、シューベルトを中心としたリサイタルシリーズ、第4回を行った。(22日 浜離宮朝日ホール)シューベルト、4つの即興曲、D.935、メンデルスゾーン、夏の名残のバラによる幻想曲、Op.15、シューマン、カーナヴァル、Op.9によるプログラムであった。

 シューベルトではピアノの温かみある、深々とした音色が会場を満たし、歌心たっぷりの演奏であった。第1曲の堂々たる風格、第2曲のしっとりした美しさ、第3曲の変奏の性格付けは素晴らしい。第4曲のハンガリー風の旋律、情熱を帯びた響きも聴きもので、決してこれ見よがしではなかった。

 メンデルスゾーンはイギリス民謡「夏の名残のバラ」に基づく作品とはいえ、めったに演奏されない。そのような作品の美点を活かし、たっぷりした音色でじっくりと聴かせた。2009年の生誕200年以来、ようやくメンデルスゾーンの作品に日が当たり始めたことを実感した。

 シューマンはロマン主義の本質を捉えた名演であった。エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋愛が中心となっているものの、エルネスティーネがフリッケン男爵の婚外子であったことのみならず、貴族の令嬢にしては教養に欠けたこともシューマンはがっかりしたに違いない。貴族の場合、婚外子はよくあったようで、エルネスティーネもその一人だった。そういう事情もあって、教養のない子女も少なくなかった。

 アンコールはシューマン、交響練習曲、Op.13から遺作変奏5、こどもの情景、Op.15から「トロイメライ」。素晴らしい締めくくりだった。

 

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 5、6

 

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ オデッセイ 第5回、第6回は平均律クラヴィーア曲集 第1巻、ゴールドベルク変奏曲を取り上げた。(22日、24日 紀尾井ホール)

 平均律クラヴィーア曲集 第1巻ではケーテンからライプツィッヒへと移りゆくバッハの音楽世界をたっぷり味わうことができた。最近人気が上って来たイタリアの名器、ファツィオリを用い、2声から5声のフーガをはじめ、プレリュードの多様性を聴き手の前に示した。歌心、深みに溢れた演奏だった。

 ゴールドベルク変奏曲は2015年、王子ホールでのコンサートより表現に深みが増していた。この変奏曲における表現の多様性、深い歌心がホールを満たしていった。主題のアリアがたっぷり歌われ、第1変奏から第30変奏に至るまで、歌心とヴィルティオジティ、フランス風序曲のファンファーレ、深い嘆きのアリア、クォドリベットをへてアリアに戻る。ここは繰り返しなしで、「これでおしまい」と言うかの如くであった。全身全霊を傾けた名演と言えよう。

 9月の平均律クラヴィーア曲集 第2巻が楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第128回定期演奏会 祝祭のカンタータ

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第128回定期演奏会はペンテコステ(聖霊降誕)にちなんだ祝祭カンタータ3曲、ヤコブス・ガルス(1550-91)「アレルヤ、キリストよ、御身の復活に」、マルティン・ロート(ca.1580-1610)「主なる神にわれら絶え間なく喜び歌わん」によるプログラムだった。 (11日 東京オペラシティコンサートホール)

 まず、前奏として鈴木優人による前奏曲とフーガ、BWV531が演奏された。祝典気分を盛り上げ、カンタータ第182番「天の主よ、ようこそ」に入った。今回はソプラノ、ジョアン・ラン、アルト、ダミアン・ギヨン、テノールに櫻田亮、バスに加耒徹を迎えた。これが成功した。

 加耒の堂々たる歌唱が全体を引き締め、素晴らしい効果を上げた。櫻田の見事な歌唱も聴きものだった。ジョアン・ラン、ダミアン・ギヨンも光った。

 ガルス、ロートは低弦、オルガンによる簡素な編成がかえって、作品本来の良さを引き出した。カンタータ第31番「天は笑い、地は歓呼せん」、第172番「響け、歌よ、高らかに」に入り、聖霊降誕によりキリスト教会の始まりを告げた。第172番は5月6日、日本キリスト改革派、東京恩寵教会での講演会でも取り上げられた。この講演会は10月21日にも開催されるため、ぜひ足をお運びいただきたい。

 

 

 

 

ペーター・レーゼル ピアノリサイタル

 

 ゲルハルト・オピッツと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ペーター・レーゼルのリサイタルはモーツァルト、ソナタ第13番、K.333、ドビュッシー「版画」「子どもの領分」、フランク「コラール、プレリュードとフーガ」によるプログラムであった。(8日 紀尾井ホール)

 モーツァルトの風格、気品、歌心溢れる演奏からフランス印象主義、ドビュッシーに入ると、私たちがこれまで耳にしていたフランス音楽の演奏とは異なった、独自の味わい豊かな演奏であった。「版画」では色彩感を大切にしながら、一本の線を貫いていた上、「子どもの領分」でもユーモア、色彩感を大切にしながら独自の世界を築いていた。フランクも全体を貫く一本の線を重視した名演だった。

 アンコールはモーツァルト、ソナタ第11番から第3楽章「トルコ行進曲」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」より「月の光」で、「月の光」は深い余韻が残った。

 次回こそブラームス、ピアノ作品全曲演奏シリーズが実現してほしい。その折、ゲルハルト・オピッツとの共演による2台ピアノによるコンサートも聴きたい。

 

 

仲道郁代 ピアノリサイタル ベートーヴェンと極めるピアノ道 1

 

 仲道郁代のリサイタルシリーズ、ベートーヴェンと極めるピアノ道、第1回は「パッションと理性」としてモーツァルト、ソナタ第8番、K.310、ベートーヴェン、ソナタ第23番、Op.57「熱情」、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5の3曲を取り上げた。

 モーツァルトは流麗でありながら、暗い内面性をじっくりと描き出している。第2楽章の豊かな歌心がかえって第1、第3楽章とのコントラストを引き立てていた。ベートーヴェンは豊かなパッションと歌心が調和して深い内面性、ドラマトゥルギーの表出に成功した。

 ブラームスでは第2楽章、第4楽章の素晴らしい歌心が絶品だった。恋愛の高まり、失恋の思いを見事に描き出していた。それが第1、第3楽章のドラマトゥルギーを際立たせていた。第5楽章のコーダの追い込みから、ブラームスの青春の苦悩に打ち勝った喜びが伝わった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.118-2、エルガー「愛の挨拶」。ブラームスの味わいに満ちた歌が素晴らしい。

 伊藤恵、仲道郁代がベートーヴェン中心のリサイタルシリーズを始めたことは、2020年のベートーヴェン生誕250年、2027年の没後200年を見据え、ベートーヴェンの音楽への再認識を示すものとして意義深い。ベートーヴェン生誕250年で完結する横山幸雄のリサイタルシリーズ共々注目したい。

 

 

伊藤恵 ピアノリサイタル 春を運ぶコンサート ふたたび

 

 伊藤恵のリサイタルシリーズ、「春を運ぶコンサート ふたたび」はベートーヴェン中心のシリーズとして8年間続くこととなった。(紀尾井ホール)

 今回は中期の傑作、ソナタ第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、シューマン、アラベスク、Op.18、ショパン、12の練習曲、Op.25を取り上げた。

 ベートーヴェンの2曲ではテンポの差をつけたりしてゆとりある音楽作りが目立つ。円熟味あふれる音楽作りが素晴らしい。シューマン、ショパンが間を開けずにそのまま一気に弾き通したことを思うと、伊藤の思い入れの強さが伝わった。ここでも円熟味あふれる音楽が聴き取れた。

 アンコールはシューマン、こどもの情景、Op.15より「トロイメライ」を取り上げ、締めくくりとした。次回のプログラムに期待しよう。

 

 

2

清水和音 ピアノ主義 第9回

 

 2013年から続く清水和音のリサイタルシリーズ、ピアノ主義も大詰めを迎えた。これまで務めていた東京音楽大学教授を退き、演奏家としての道を歩んでいく。今回はショパン、スクリャービン、ラフマニノフといったスラヴ系音楽によるプログラムとなった。

 ショパンはバルカローレ、Op.60、子守歌、Op.57、4つのマズルカ、Op.24、ソナタ第2番、Op.35「葬送」を取り上げた。歌心、深々とした音色が円熟ぶりを伝えた。ソナタのテーマ「死」を捉え、一気に墓場の虚無感へと突き進む気迫が素晴らしい。

 スクリャービンは4つの前奏曲、Op.22、ラフマニノフは楽興の時、Op.16を取り上げた。たっぷりした音、歌心は作品の性格に相応しく、重厚さ、ロシアの暗さが調和した名演となった。

 アンコールはなかったものの、10月でこのシリーズも終了する。ベートーヴェン、ショパン、リストのソナタ3曲を取り上げ、締めくくりとなる。どんな演奏になるだろうか。

 

 

マリア・ジョアン・ピレシュ ピアノリサイタル 

 

 マリア・ジョアン・ピレシュ、日本最後のコンサート、モーツァルト、シューベルトアーベントとなった。どちらもピレシュ得意の作曲家である。モーツァルトのピアノソナタ全集で日本のレコード界にデビューして話題になった以上、当然だろう。シューベルトも同様だろう。 (17日 サントリーホール)

 ソナタ、K.332,K333にはモーツァルトの音楽が自由に息づき、素晴らしい躍動感、歌心に溢れていた。モーツァルトの音楽の本質が身についている。シューベルトは4つの即興曲、D.935が暖かみのある音色、深い歌心に支えられ、シューベルトの音楽の本質が伝わって来た。アンコールでは3つの即興曲、D.946-2を演奏、死に向かうシューベルトの心境が伝わった。

 これまで、テノールのルーファス・ミュラー、チェロのパヴェル・ゴムツィアコフをはじめ、日本のピアニストを含む若い演奏家たちとともにコンサートを開催して、将来性ある演奏家たちを育成したり、巨匠アントニオ・メネセスとの共演もあったりした。今年限りで引退する今、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトによるリサイタルで来し方を振り返りつつ、日本の音楽ファンたちへの感謝としたことは何者にも代えがたい贈り物である。

「ありがとう、ピレシュ」

 

 

2

マリア・ジョアン・ピレシュ ピアノリサイタル

 

 ポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュが今年限りで引退するとのこと、日本でのさよならリサイタルとして12日、ベートーヴェン・アーベントを行った。(サントリーホール)

 ベートーヴェン初期の傑作、ソナタ第8番、Op.13「悲愴」、初期から中期への名作、ソナタ第17番、Op.31-2「テンペスト」、最後のソナタとなった第32番、Op.111を取り上げた。ピレシュはベートーヴェンの創作過程を見据え、ベートーヴェンがピアノに何を託したかを問いかけて来た。

 「悲愴」ではベートーヴェンが一つの動機を元に全体をまとめ上げ、有機的な作品に仕立てていく過程、「テンペスト」では幻想性、抒情性の中に2つの主要動機が中心となって全体をまとめる手法、無窮動的な動きの中にも確固たる統一性で全体をまとめる手法、最後のソナタではあらゆる無駄を捨て、簡潔かつ高貴な世界を築いたことを示した。ベートーヴェンがソナタというものをいかにして築き、高みに至ったか。ピレシュは私たちにしっかりと示した。

 アンコールはベートーヴェン最後のピアノ作品となった6つのバガテル、Op.126-5。ベートーヴェンが至った至高の境地を描きだし、余韻を残した。

 1974年の初来日以来、40年あまりにわたってモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパンを中心に素晴らしい音楽を伝えて来たピレシュが引退を迎えるにあたり、これだけ充実したベート―ヴェン・アーベントを行ったことは語り草になるだろう。

「ありがとう、ピレシュ。」

そう言いたい。17日のモーツァルト、シューベルトはどんな演奏になるだろうか。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ マタイ受難曲 BWV244

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2018年度定期演奏会はキリスト受難、聖金曜日に相応しくマタイ受難曲、BWV244で幕を開けた。エヴァンゲリストに櫻田亮、イエスにシュテファン・フォック、ソプラノにレイチェル・ニコルズ、澤江衣里、カウンター・テノールはクリント・ファン・デア・リンデ、藤木大地、テノールに中嶋克彦、バスに加耒徹を迎えた。(30日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 鈴木雅明の音楽作りは重々しさが増し、冒頭の合唱ではキリスト受難の重々しい足取りが聴こえた。合唱のドラマトゥルギーも深みを増している。櫻田のエヴァンゲリストは正統的、かつ朗々と響く。アリアも自然な流れを尊重した、深みある音楽作りを評価したい。フォックのイエスも自然な流れの中で朗々と響き、感動的である。アリアも素晴らしい。加耒の深みある歌いぶり、中嶋、藤木の正統的な歌唱、リンデ、ニコルズの素晴らしい歌唱も光った。

 最後のイエスを悼む合唱も感動的だったとはいえ、終了後の余韻で拍手を入れた人が何人かいて、興ざめにな

ったことは惜しい。余韻を味わうことの大切さを感じた。

 

 

小林五月 シューマンツィクルス 10

 

 シューマン演奏では伊藤恵と共に定評ある小林五月のシューマン・ツィクルス、第10回目はペダルフリューゲルのための6つの練習曲、Op.56といった珍しい作品とともにノヴェレッテン、Op.21から第8曲、第3曲、ヴァイオリンの原田幸一朗、チェロの毛利伯郎を迎え、ピアノ三重奏曲第1番、Op.63という地味ながら聴き応えある内容であった。(6日、東京文化会館小ホール)

 ノヴェレッテン第8曲はクラーラとの結婚への最後の戦い、歓びを描くかのようで、最後の部分で勝利の歓喜が聴こえてくるような演奏だった。第3曲はユーモアの中にふと、何かにとらわれているかのようなシューマンの心境が聴き取れる演奏だった。

 原田、毛利を迎えたピアノ三重奏曲はドレースデン時代のシューマンの心境、希望への思いが滲み出た名演だった。第1楽章のスケールの大きさ、メランコリーたっぷりの歌は絶品。第2楽章も見事にまとまった。第3楽章から第4楽章への解放感、溢れんばかりの歓びの声が会場を包んだ。

 アンコールはペダルフリューゲルのための練習曲から第6曲。清澄な響きが余韻を残した。次回はどんな組み合わせになるだろうか。

 

 

藤村美穂子 リーダーアーベントⅤ

 

 日本を代表する歌手の一人で、バイロイト音楽祭でも歌うメゾ・ソプラノ、藤村美穂子によるリーダー・アーベントはシューベルト、ブラームスの作品各5曲、ヴァーグナー「マティルデ・ヴェーゼンドンクの5つの詩」、マーラー「フリードリッヒ・リュッケルトの詩による5つの詩」によるプログラム。ピアノはヴォルフラム・リーガー。

 ヴァーグナー、マーラーの5つの詩による歌曲集を取り上げることから、シューベルト、ブラームスも5曲ずつ配置するプログラム構成は素晴らしい。考え抜かれたプログラムといえよう。

 シューベルト、ブラームスでの多彩な作品の性格付けもさることながら、ヴァーグナーでは「トリスタンとイゾルデ」と同時期の作品を素晴らしい統一性、性格付けで際立たせた。マーラーにも言える。ことに、ヴァーグナーでは「トリスタン」の響きを聴き取ることができた。

 アンコールはマーラー「曙光」、リヒャルト・シュトラウス「あした」。素晴らしい一夜の締めくくりに相応しい。久々にドイツ・リートを聴いた。そう感じた。(2月28日 紀尾井ホール)

 

 

東京二期会 ヴァーグナー「ローエングリン」

 

 東京二期会、ヴァーグナー「ローエングリン」は福井敬がタイトルロール、エルザが林正子、フリードリッヒ・フォン・テルラムントには大沼徹、その妻オルトルートには中村真紀、国王ハインリッヒ一世が小鉄和弘、伝令が友清崇、ブラバントの貴族は吉田連、鹿野浩史、勝村大城、清水宏樹によるキャストであった。

 小鉄和弘、友清崇の重厚な歌唱、大沼徹、中村真紀の悪役ならではの性格描写の素晴らしさ。その上に福井敬、林正子の清純、かつ高貴な歌唱が光った。中村は古代ゲルマンの神々を捨てて、キリスト教に改宗したドイツ人たちを許せない心情が見事だった。

 何よりも準・メルクルが東京都交響楽団から素晴らしいヴァーグナーの音を作り出し、オペラ全体を盛り上げたことが大きい。また、冒頭にヴァーグナーのよき後援者、ルートヴィッヒ2世の言葉「すべては謎」、その肖像画が出て来たことがオペラ全体のライトモティーフとなった。

 

 1849年、ヴァーグナーは革命に加わって亡命、「ニーベルンゲンの指環」の筆を進める。

「トリスタンとイゾルデ」、「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を経て全4部作を完成、「パルジファル」で締めくくった。その意味でも重要な作品たる意味づけは大きいだろう。

 

 

菅野雅紀 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 3

 

 メンデルスゾーン・シューマン全曲演奏シリーズを続けるピアニスト、菅野雅紀のリサイタル、第3回はシューマン、アラベスク、Op.18、子どもの情景、Op.15、メンデルスゾーン、アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート、シューマン、ノヴェレッテン、Op.21であった。(14日 すみだトリフォニー小ホール)

 アラベスク、子どもの情景はシューマンの詩情あふれる世界が広がっていく。メンデルスゾーンは歌心、スケールの大きさが調和して、素晴らしい世界を形成していた。

 ノヴェレッテン、全8曲を演奏することは大変なことである。一つの一つの性格付け、シューマンの心の揺れをどう表現するかにかかっている。菅野はそれを見事に成し遂げたといっていいだろう。

 アンコールはシューマン、花の曲、Op.19、クラーラ・シューマン、6つの性格的小品からノットゥルノ。余韻たっぷりだった。第4回目はどんな組み合わせになるか。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ ヨハネ受難曲 BWV245

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2017年度定期演奏会シリーズは鈴木優人によるヨハネ受難曲、BWV245、エヴァンゲリストにハンス・イェルク・マンメル、イエスは加耒徹、ソプラノは松井亜希、カウンター・テナーはロビン・ブレイズ、テノールはザッカリー・ワイルダー、バスはドミニク・ヴェルナーであった。(東京オペラシティ・コンサートホール)

 2017年11月、「ポッペアの戴冠」で音楽家としての名を確立した鈴木優人が「ヨハネ受難曲」に挑み、父鈴木雅明と肩を並べる、素晴らしい名演を聴かせた。もっとも、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでも「マタイ受難曲」を演奏、こちらも同様の成果を上げた。自立した、一人前の音楽家としての歩みを進めている姿は、バロックから現代に至る幅広い音楽活動からもうかがえる。テレビ朝日「題名のない音楽会」への出演もその一つだろう。

 マンメルのエヴァンゲリストは朗々とした中に、歌心も併せ持っていた。イエスを歌った加耒も堂々とした歌いぶりが素晴らしい。松井、ワイルダーの清澄な歌唱、ヴェルナーの真のある歌唱が全体を彩り、キリスト受難の物語のリアリティを伝えていた。

 2018年度の定期演奏会シリーズでは、モーツァルト「レクイエム」を中心としたプログラムを取り上げる予定である。

今後の活躍ぶりも注目したい。

 

 

マティアス・キルシュネライト ピアノリサイタル

 

 マティアス・キルシュネライトは巨匠の域に入ったドイツのピアニストで、ロストック音楽大学教授、「ゲッァィテン音楽祭」監督を務めている。CDもベルリン・クラシックスなどから出ている。今回は東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団との共演者としての来日とはいえ、上野学園大学・島村楽器共催によるリサイタルが実現した。

 メンデルスゾーン、無言歌、Op.67-3「巡礼の歌」、シューマン、こどもの情景、Op.15での豊かな詩情溢れる演奏をはじめ、メンデルスゾーン、厳格なる変奏曲、Op.54、ショパン、スケルツォ第2番、Op.31、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5でのスケールの大きさと詩情とのバランスの見事さ、どれをとっても聴き応えたっぷりであった。ことに、ブラームス、第2楽章の濃厚な歌は聴きものであった。

 アンコールはシューベルト、ハンガリーのメロディ、D.817、ラフマニノフ、前奏曲、Op.32-5、ドビュッシー、映像第2集から「運動」、ブラームス、ワルツ、Op.39-15で、素晴らしい締めくくりだった。

 楽器店がコンサートの企画、開催を進めることは、演奏家の育成・支援には重要である。外来演奏家の場合、来日してほしい演奏家を積極的に取り上げてほしい。おなじみの演奏家のみならず、「これは」という演奏家のコンサートもプロデュースして、音楽ファンの声に応えてほしい。

 

 

第61回 NHKニューイヤー・オペラコンサート

 

 新春恒例のNHKニューイヤー・オペラコンサートは第61回目を迎え、時代を代表する歌手たちがオペラの名アリア、場面を披露して、オペラ界の1年を占うコンサートとして定着してきた。今回はモーツァルトのオペラのアリア、重唱を構成したモーツァルト・ファンタジー、没後150年を迎えたイタリアの大作曲家ジョアッキーノ・ロッシーニ、ヴェルディ「椿姫」、「ドン・カルロ」、「イル・トロヴァトーレ」、プッチーニ「ラ・ボエーム」、「トスカ」、ヴァーグナー「ニュールンベルクのマイスタージンガー」からのアリア、場面を取り上げ、冒頭にヴァーグナー「タンホイザー」の「歌の殿堂を讃えん」、締めくくりにヨハン・シュトラウス2世「こうもり」のフィナーレとした構成による内容であった。(3日

NHKホール)

 モーツァルト・ファンタジーは「イドメネオ」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「皇帝ティトゥスの慈悲」のアリア、重唱、合唱を組み合わせたもので、聴き応えあるものとなった。砂川涼子、嘉目真木子、林美智子、櫻田亮、黒田博の見事な歌いぶりが光る。

 ロッシーニでは「猫の二重唱」での市原愛、小林沙羅、「フィレンチェの花売り娘」での幸田浩子、「踊り」の村上敏明「タンクレーディ」の藤木大地の見事な歌いぶりから、ロッシーニの本質は歌にあることを改めて示した。

 ヴェルディ「椿姫」の「乾杯の歌」の華やかさ、「さらば、過ぎし日よ」での中村恵理の迫真に満ちた歌とのコントラストが素晴らしい。「ドン・カルロ」では清水華澄と合唱が見事に調和していた。「ああ、わが恋人」、「見よ、恐ろしい火」での笛田博昭の素晴らしい歌唱が華を添えた。

 プッチーニ「ラ・ボエーム」では村上敏明、上江隼人のやり取り、「トスカ」での大村博美の見事な歌唱はトスカそのものだった。

 ヴァーグナー「ニュールンベルクのマイスタージンガー」は、福井敬の「朝はバラ色に輝き」での絶品の歌いぶり、妻屋秀和の堂々たる歌唱は見事で、ぜひ、このキャストで「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を上演してほしいと切望する。

 「こうもり」のフィナーレは日本語訳での歌唱とはいえ、コンサートの締めくくりに相応しかった。

 2018年のオペラ界、どんなオペラが話題となり、歌手たちの活躍も楽しみである。

 

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2018

 

 新春恒例のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートは、ヴィーンからの生中継という、NHKとしては大胆な試みを行った。狙いとしては成功した。その前には、ニューイヤーコンサートにちなんだ番組もあり、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の魅力、ナチズムとの関係など、暗い歴史を取り上げた。(NHK Eテレ 18:00~18:55,

19:00~22:00)

 従来、NHKは東京のスタジオにゲストを招き、ゲストのトークを交えて番組を進めた。今回は、アナウンサー自らヴィーンに赴き、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員、べベーデンボルク和樹、直樹兄弟、ヴィーン国立歌劇場バレエのダンサー、橋下清香と共にコンサートを聴く形を取った。

 指揮はイタリアの巨匠、リッカルド・ムーティ。イタリアゆかりの作品が中心で、没後150年となったジョアッキーノ・ロッシーニ、歌劇「ウィリアム・テル」序曲を加えたプログラムであった。イタリアとヴィーンが融合した素晴らしいひと時だった。放送につきもののバレエは、ワルツ「南国のバラ」、Op.338で、シュヴァルツアウ城が舞台となった。また、第1次世界大戦終結、ハプスブルク帝国終焉100年もあってか、オーストリアの歴史にちなんだ映像も目立った。

 NHKがコンサート直前に関連番組を放送したり、ヴィーンでの完全中継といった大胆な試みを行ったことを高く評価したい。2019年のニューイヤーコンサートには、ドレースデン・シュターツカペレ常任を務め、フランツ・ヴェルザー=メストと共にドイツ・オーストリアの実力者の一人、クリスティアン・ティーレマンが登場する。楽しみである。

 

 

ゲルハルト・オピッツ シューマン ブラームス連続演奏会 第3回

 

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツのシューマン、ブラームス連続演奏会、第3回はシューマン、クライスレリアーナ、Op.16、ソナタ第2番、Op.22(初稿版)、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5であった。(15日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 クライスレリアーナでの見事な統一感、歌心、E.T.A.ホフマンが描いた楽長クライスラーとシューマンとが重なりあっていた。最後はクライスラー、シューマンの死を暗示したかのようであった。ソナタ第2番はプレスト・パッショナートをフィナーレとした初稿版による演奏で、この方がシューマンの意図に叶ったと言えよう。現行のフィナーレも素晴らしいまとまりのある作品とはいえ、クラーラの忠告によっている。こちらの方がかえって困難ではないだろうか。

 ブラームスでの素晴らしい円熟味ある演奏が素晴らしい。第1楽章のスケールの大きさ、第2、第4楽章の詩情あふれる歌、第3楽章のコントラスト、第5楽章の見事なまとまり。どれをとっても絶品だった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.116-4。余韻たっぷりであった。

 

 

北とぴあ国際音楽祭 2017 グルック「オルフェオとエウリディーチェ」

 

 北とぴあ国際音楽祭のメイン、寺神戸亮、レ・ボレアードによるオペラは、クリストフ・ヴィリバルド・グルック「オルフェオとエウリディーチェ」を取り上げた。(8日 北とぴあ さくらホール)

 グルックがイタリアの詩人、カルツァビージと共に音楽・ドラマ中心のオペラ改革に着手した作品、日本のオペラ上演史では重要な作品である。1903年、三浦環が初めてオペラの舞台に立ち、日本でのオペラ公演の始まりとなった。

 18世紀前半のオペラはカストラートによる声のアクロバットと化し、音楽・ドラマは二の次となった。ニコラ・ポルポラ、トマーゾ・ヨンメッリが音楽・ドラマ中心のオペラ創作を進め、グルックへと受け継がれた。それがモーツァルトにつながり、素晴らしい傑作オペラを残すこととなった。

 寺神戸はパリ版を用い、ギリシア神話に基づく「オルフェウス」の世界を見事に表現していた。ラ・ダンス・コントラステのバレエはドラマに忠実に、オペラの世界を描きだした。

オルフェオのマティアス・ヴィダル、エウリディーチェのストゥキン・エルベルスの素晴らしい歌唱、演技が観客の心に深い感動をもたらした。むしろ、鈴木美紀子のアムールが全体を引き締め、オペラの要となったことを評価したい。合唱も見事な歌唱力で、オペラ全体を主導した功績は大きい。

 来年はモンテヴェルディ晩年の名作「ウリッセの帰郷」を取り上げる。どんな舞台になるかが楽しみである。

 

ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル

 

 フランスの中堅、ピエール=ロラン・エマールがオリヴィエ・メシアンの大作「幼子イエススにそそぐ20のまなざし」に取り組んだ。この作品によるリサイタルは、2000年、ミシェル・ベロフが東京オペラシティ・コンサートホールで行って以来、16年ぶりになるためか、多くの聴衆を集めた。(6日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 メシアンがローマ・カトリック信仰に基づく作品には、ドイツでの捕虜生活中に作曲した「世の終わりのための四重奏曲」(1941年)がある。この作品はパリ解放の年、1944年に完成している。フランスがドイツの占領下から解放されたことを神に感謝したという意味でも大きいだろう。

 マリアのイエス・キリスト受胎、イエス・キリスト誕生、エピファニー、イエスの布教の始まり、受難、復活、教会の形成をさまざまな角度で描き、ピアニスティックな技法も用いつつも音楽の深みも忘れていない。メシアンの信仰告白である。エマールは、メシアンの信仰告白の本質に迫る、素晴らしい名演を聴かせたと言えよう。

 因みに、エマールもメシアン夫人、イヴォンヌ・ロリオに師事している。また、マリア・クルツィオにも師事し、1973年、16歳でメシアン・コンクールに優勝以来、ピアニストとしてのキャリアを重ねて来た。現代音楽にも優れ、初演も多い。メシアンの大作に取り組んだリサイタルはその真頂骨と言えよう。

 

 

2017/11/26

NHK交響楽団 第96回オーチャード定期演奏会

 NHK交響楽団のオーチャードホール定期演奏会も96回目となった。今回はシンガポールの若手指揮者ダレル・アン、ピアノはペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツを迎え、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5番、Op.73「皇帝」、ムソルグスキー=ラヴェル「展覧会の絵」を取り上げた。

 今回の演奏会はオピッツの出演と相まって、ほぼ完売、立見席も出た。それだけに期待の大きなコンサートだった。ちなみに、2016年の定期にはレーゼルが第3番を演奏している。このシリーズにドイツ・ピアノ界の大御所2人が出演した意義も重い。

 「皇帝」でのオピッツの円熟した、素晴らしい演奏には安定感が増し、確固としたものが感じられた。豪放さ、抒情性が一体化した大きな世界が広がった。「展覧会の絵」はアンの卓越した指揮ぶり、音楽作りが作品の性格を浮き彫りにした。アンコールではラヴェル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」が余韻たっぷりであった。

 プログラムについて1か所指摘したい箇所がある。オピッツはヴィルヘルム・ケンプの許で学んでいるとあるのに、ヴィルヘルム・バックハウスに師事したと記している。全くの誤りである。こんな誤りを記すとはオピッツにも失礼だろう。

 12月15日、東京オペラシティ・コンサートホールでのオピッツのシューマン、ブラームスシリース第3回が楽しみである。2018年は5月にレーゼル、11月~12月にオピッツがやって来る。ドイツ・ピアノ界の両大御所によるドイツ・ピアノ音楽の心髄を心ゆくまで味わえる一時は、多くのファンを集めるだろう。

 

 

2017/11/23 

鈴木優人 バッハ・コレギウム・ジャパン モンテヴェルディ ポッペアの戴冠

 モンテヴェルディ生誕450年記念として、鈴木優人が晩年の傑作「ポッペアの戴冠」に取り組み、素晴らしい成果を上げた。

 暴君ネロと将軍オットーネの妻ポッペアの恋愛。皇后オッターヴィアの知る処となった。そんなオッターヴィアを慰め、力づける哲学者セネカ。しかし、ポッペアはセネカを亡き者にせんとする。オットーネはポッペアへの思いを断ち切れない。そんなオットーネの前に女官ドゥルシッラが現れ、慰める。オッターヴィアはポッペアを殺すよう、オットーネに迫る。ポッペアは愛の神アモーレのおかげで難を逃れる。ネロはオッターヴィアと離婚、ローマから追放した後、ポッペアを皇后に迎えた。

 森麻季のポッペア、レイチェル・ニコルズのネロをはじめ、ディングル・ヤングルのセネカでの威厳ある歌唱が全体を引き締めた。波多野睦美がオッターヴィアで見せた皇后の高貴で威厳ある歌唱も見事だった。藤木大地のアルナルタもコミカルな面を浮き彫りにした歌唱が光る。オットーネのクリント・ファン・デア・リンデも素晴らしい。加秉徹がメルクーリオで聴かせた歌唱も威厳ある神を浮き彫りにした。

 史実では、ポッペアが皇后となった後、皇女を産んだものの僅か数か月で亡くなった。再び妊娠したものの、ネロとの夫婦喧嘩がもとで亡くなった。キリスト教迫害にはポッペアの存在があったとされる。ただ、この時期、ユダヤ人とギリシア人との対立が激化、ポッペアはユダヤ人側に着いたという。ネロがギリシア人に有利な裁定を出したため、66年~70年に至るユダヤ戦争をはじめとした内乱が起った。ネロはその最中に自殺、ヴェスパシアヌスが皇帝となってローマ帝国を立て直すこととなった。

 セミ・ステージ形式による上演形式が素晴らしい効果を上げ、このオペラの性格付けを明確にしたといえよう。音楽家鈴木優人の名を確立した上演としても大きいだろう。

 

2017/11/23

北とぴあ国際音楽祭 ベートーヴェン、シューマン、ショパンが愛したピアノたち

 1995年から始まった北とぴあ国際音楽祭は、東京都北区と公益財団法人、北区文化振興財団が中心となって秋から冬の時期に開催されてきた。その間、北区の財政難から中断、記念事業として継続した時期もあった。2005年から再開となり、今日に至る。(22日 北とぴあ さくらホール)

 今回の「ベートーヴェン、シューマン、ショパンが愛したピアノたち」は、フォルテピアノの第一人者、小倉貴久子がドイツ系イギリス人テノール、ルーファス・ミュラーの共演も得て、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパンのピアノ作品、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの歌曲を交えたコンサートを行った。

 使用したピアノはモーツァルト、ベートーヴェンがアントン・ヴァルターのレプリカ、歌曲、シューマンがシュトライヒャー、ショパンがプレイエルであった。

 モーツァルト、「ああ、お母様聞いてちょうだい(きらきら星変奏曲)による12の変奏曲」K.265、ベートーヴェン、ピアノソナタ第14番、Op.27-2「月光」ではモーツァルトならではの高貴な響き、ベートーヴェンの革新性が際立っていた。

 ミュラーとの歌曲では、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン本来の味わい深さが伝わってきた。ミュラーの歌唱も素晴らしい。

 シューマン、パピヨン、Op.2ではジャン・パウル「生意気盛り」の場面を彷彿とさせた。第12曲の終り近くになると、物語の結末が目に見えて来るかのようだった。ショパン、ピアノソナタ第2番、Op.35「葬送」では第3楽章のトリオでの即興が入っていたことから、ショパンがパッセージ、装飾を自由に挿入していたことを伺わせるものだった。ショパンが何故、パッセージなどを加えた自筆を残したかも明らかになった。その上でも大いに参考になった。

 アンコールではミュラーと共にボーリーヌ・ヴィアルドーがショパンのマズルカを編曲した歌曲「愛の嘆き」、グノー「アヴェ・マリア」を演奏、コンサートの締めくくりとした。

 歌曲のコンサートでは1曲ごとに拍手が入っていたことは残念である。プログラム全体が終わってから拍手した方がよかっただろう。その点では惜しまれる。

 

2017/11/14 

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ヴィーン楽友協会合唱団 ブラームス ドイツ・レクイエム Op.45

 ヘルベルト・ブロムシュテット、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートは13日、会場をNHKホールに移し、ブラームス、ドイツ・レクイエム、Op.45を取り上げた。これはNHK音楽祭の一環としてのコンサートで、ヴィーン楽友協会合唱団、ソプラノ、ハンナ・モリソン、バリトン、ミヒャエル・ナジによる。(13日 NHKホール)

 ブラームス畢竟の大作、ドイツ・レクイエムは旧約聖書から詩編、イザヤ書、続編から知恵の書、シラ書、新約聖書からマタイによる福音書、ヨハネによる福音書、コリントの信徒への手紙 1、ヘブライ人への手紙、ペトロの第1の手紙、ヤコブの手紙、ヨハネの黙示録をテキストに用い、ドイツ・プロテスタント教会音楽の新しいジャンルを開いた作品で、死者への追悼と共に人生の希望へ思いがある。ブラームスは聖書、フラウィウス・ヨセフス「ユダヤ古代史」、「ユダヤ戦記」を傍らにおきつつ、マルティン・ルターの著作も熱心に読んていただろう。

 第1曲「貧しい人は幸いである」が静かに歌われる中、人生の希望が伝わる。世の無常と希望、常にイエス・キリストの救いを待ち望む人々の思いを歌い上げている。ミヒャエル・ナジ、ハンナ・モリソンの素晴らしい歌唱がこの作品を一段と引き立てた。ヴィーン楽友協会創立は1812年、最初の名誉会員がベートーヴェン、シューベルトも理事を務めた。ブラームスも楽友協会の指揮者となった。ブラームスゆかりの合唱団が素晴らしい演奏を聴かせた。何といっても、オーケストラによるブラームス特有のいぶし銀の味わいが伝わった。

 ブラームスがドイツ・レクイエムに取り組んでいた時、ヴァーグナーは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に取り組んでいた。この2人がヴィーンで出会い、親交を温めたことは大きい。ブラームスの音楽の中にはヴァーグナーが忍び込んでいる。それなら、なぜ、党派抗争に至ったか。今後の課題だろう。

 ゲヴァントハウス管弦楽団の常任だったクルト・マズア、ヘルベルト・ブロムシュテットが1927年生まれということは興味深い。20年以上常任となり、1989年の東欧革命の折のマズアの行動は語り草となっているし、来日した時のベートーヴェン・ツィクルスではその息吹が伝わっていた。マズアは2015年、88歳でこの世を去っている。その後を継いだブロムシュテットが90歳の今、現役で活動、ゲヴァントハウス管弦楽団と来日した。この来日公演では久々にドイツ音楽を堪能できた充実感を味わうことができたといえようか。

2017/11/12 

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 ヘルベルト・ブロムシュテット、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、Op.64、ブルックナー、交響曲第7番を取り上げた。

 メンデルスゾーンはレオニダス・カヴァコスのヴァイオリン、オーケストラが見事に調和し、素晴らしい音楽作りを見せた。メンデルスゾーンはヴァイオリンの技巧のみならず、音楽でも充実したものに仕上げた。全曲続けて演奏される中で、オーケストラとのバランスも考えた名曲である。メンデルスゾーンはこの作品を基に、ピアノ協奏曲を作曲たものの、未完におわったため、補筆した完成版もある。ご一聴をお勧めしたい。

 ブルックナーは素晴らしい名演。第1楽章は森の神秘を伝えるの如き演奏。ヴァーグナーの訃報に接した悲しみを表現した第2楽章をはじめ、不気味なスケルツォ、フィナーレの勝利のファンファーレは絶品。全曲が終わった後の余韻を味わった後、盛大な拍手が起こった時の充実感はすがすがしい。

 明日はNHKホールでのブラームス、ドイツ・レクイエム、Op.45、楽しみである。

 

2017/11/11

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 1743年創立、世界最古のオーケストラとして275年の伝統を誇るライプツィッヒ・ゲヴアントハウス管弦楽団が、90歳のヘルベルト・ブロムシュテットと共に来日した。ドイツのオーケストラの響き、音楽を十分に堪能した。(サントリーホール)

 ブラームス、ヴァイオリン協奏曲、Op.77はレオニダス・カヴァコスのヴァイオリンが素晴らしい。深い音楽性、歌心が調和し、オーケストラの響きとも調和していた。初めてのイタリア旅行実現後、ペルチャッハで着手。風光明媚なこの地の情景が活きた名作の息吹が伝わった。

 シューベルト、交響曲第8番、D.944「グレート」は第1楽章から気迫のこもった音楽が展開する。序奏。この曲を発見したシューマンが、このメロディーを交響曲第1番、Op.38「春」に用いたことでも有名である。第3楽章のトリオでのヴィーン情緒、第4楽章の素晴らしいクライマックスも聴きものだった。

 リッカルド・シャイーの時の来日公演でドヴォルジャーク、ショスタコーヴィチを取り上げたことは、ドイツのオーケストラの来日公演には相応しくない。エストニア出身のアンドリス・ネルソンスが常任となるとはいえ、ドイツのオーケストラの来日公演に相応しいプログラムを心がけてほしい。名誉指揮者ブロムシュテットとの来日で、ドイツのオーケストラとしての魅力を味わうことができたことは喜ばしい。

 

2017/11/5 

ペルゴレーシ オリンピーアデ

 2015年10月に日本初演となったペルゴレーシ「オリンピーアデ」の再演は、キャスティングは初演時のままであった。(紀尾井ホール)

 18世紀の宮廷オペラの一環として発展したオペラ・セリアは、ギリシア神話、古代の貴人を題材とし、ハッピーエンド、封建君主の美徳を中心に国家への尊敬、倫理、道徳心を教え込むことで絶対王政の威光を誇示するために一役買った。宮廷の祝典も担っていた。モーツァルトですら「アルバのアスカーニオ」、「シピオーネの夢」、「皇帝ティトゥスの慈悲」を作曲している。

 しかし、この種の宮廷オペラは啓蒙主義が広まるとオペラ・ブッファ、自国語によるオペラ作品に押され、市民革命と共に終わりを告げる。こうしたオペラ台本作者として名を馳せた存在が、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)であり、1729年から50年あまりに渡り、オーストリア帝国宮廷詩人として君臨した。これに対して、音楽とドラマの一体化を図ったラニエージ・カルツァビージが出現、グルックのオペラ改革につながった。

 このオペラを原曲通り上演すると5,6時間ほどになるため、いくつかカットしている。また、今回は前回カットしたものを上演、ドラマとしても見ごたえ十分であった。

 アルカンドロを演じた弥勒忠史、アミンタを演じた望月哲也、クリステーネを演じた吉田浩之の手堅い演技、歌唱は素晴らしい。メガークレを演じた向野由美子、リーチダを演じた澤畑由美、アリステーアを演じた幸田浩子、アルジェーネを演じた林美智子が前回より深化した歌唱、演技を見せた。

 紀尾井ホールによる、この種の試みが続くことを切望したい。

2017/10/22 

マティアス・ゲルネ マルクス・ヒンターホイザー シューベルト 冬の旅

 マティアス・ゲルネがクリストフ・エッシェンバッハとともに予定していたシューベルト「冬の旅」が、エッシェンバッハの手の故障でマルクス・ヒンターホイザーに代わったとはいえ、名演であった。(サントリーホール)

 2007年、東京オペラシティ コンサートホール、2014年、紀尾井ホールで3大歌曲集としてコンサートを行ったゲルネが、CD12枚のシューベルト・エディションで共演、指揮者に転向したエッシェンバッハのピアノも聴けるコンサートなら期待が大きかっただろう。代わったヒンターホイザーも素晴らしいパートナーとして、ゲルネを盛り立てていったことは評価したい。

 ゲルネが全24曲で、恋に破れた若者として演技性溢れる歌唱を披露、リアリティに満ちた「冬の旅」を聴かせたこと。これが大きい。オペラでの経験を活かしつつ、この作品に挑んだ姿勢は見事だった。最後の「辻音楽師」の余韻溢れる歌が絶品だった。

 ただ、曲が終わったとたんに拍手が入ったことは残念だった。作品全体の余韻を感じてから拍手すべきではなかろうか。いささか興ざめだったことは指摘したい。

2017/10/21 

清水和音 ピアノ主義 第8回

 清水和音の2014年から2018年の5年間にわたるリサイタルシリーズ、ピアノ主義も第8回を数える。今回はシューマン、こどもの情景、Op.15、ベートーヴェン、ソナタ第30番、Op.109、ショパン、スケルツォ全4曲(第1番 Op.20、第2番 Op.31、第3番 Op.39、第4番 Op.54)を取り上げた。

 シューマン、こどもの情景は詩情溢れる演奏、ベートーヴェン、ソナタは最近の清水の円熟ぶりが感じられた。ショパンにしても安定した出来で、ドラマトゥルギー、抒情性、歌心が調和した名演であった。アンコールのドビュッシー、夢もコンサートの余韻が伝わった。

 2018年、このシリーズも大詰めを迎える。東京音楽大学で後進の育成にあたる清水がどんな演奏を聴かせるか。楽しみになって来た。ベートーヴェン・ツィクルスの再演を望む。

 

2017/10/18 

福田直樹 ピアノリサイタル

 桐朋学園大学からシュツットガルト、ヴィーンに留学、作曲家としても活躍、福祉施設、病院、養護施設、ホスピス、少年院などでもコンサートを開き、社会活動にも力を入れる福田直樹が紀尾井ホールでデコビュー30周年記念リサイタルを開いた。

 バッハ、平均律クラヴィーア曲集第1巻から、第1番、BWV846、第2番、BWV847、第15番、BWV860、第16番、BWV861、第23番、BWV868、第24番、BWV869、シューマン、クライスレリアーナ、Op.16によるドイツ音楽中心のすっきりした構成であった。

 バッハでは地味ながら、心から湧き上がる歌心、ポリフォニーの厳格さが調和した音楽作りは見事。真摯な姿勢が伝わった。シューマンでは作品の本質を捉えた、素晴らしい演奏で、楽長クライスラーとシューマンとが一体化していた。尤も、シューマンはクライスラーの中に自分の運命を見て取っていたと言えよう。そこまでしっかり見抜いていた。

 アンコールはシューマン、子どもの情景、Op.15から第7曲「トロイメライ」、ショパン、英雄ポロネーズ、Op.53、ドビュッシー、ベルガマスク組曲から第3曲「月の光」を演奏、締めくくりとした。

 

2017/10/17

メナヘム・プレスラー ピアノリサイタル    

 

 

     1923年、ドイツ、マグデブルク出身、ユダヤ系だったためにナチスの迫害を逃れ、イスラエルを経てアメリカに亡命したピアニスト、現在93歳のメナヘム・プレスラーのリサイタルは、ヘンデル、シャコンヌ、HMV.435、モーツァルト、幻想曲、K.475、ソナタ第14番、K.457、ドビュッシー、前奏曲集第1巻より「デルフィの舞姫」、「帆」、「亜麻色の髪の乙女」、「沈める寺」、「ミンストレル」、レントより遅く、夢、ショパン、マズルカ第25番、Op.33-4、第38番、Op.59-3、第45番、Op.67-4、バラード第3番、Op.47を取り上げた。(16日 サントリーホール)

 介添えに支えられ、杖を突き、楽譜を見ながらの演奏とはいえ、ヘンデル、モーツァルトでの豊かな表現力、若々しさ、みずみずしさ、深い歌心は素晴らしい。ドビュッシーの素晴らしい音色、ショパンの歌心溢れる演奏は多くの人々の感動を誘った。アンコールでのショパン、ノクターン、遺作、ドビュッシー、ベルガマスク組曲から「月の光」は素晴らしい音の芸術で、ため息を誘った。ホール全体のスタンディング・オベーションに送られ、ステージを後にした。

 1955年にボザール・トリオを結成、多くの室内楽作品をレコーディングした後、2008年にソロに転じたとはいえ、93歳の今日、現役ピアニストとして活動する姿には恐れ入る。ショパン、バラード第3番では弾きづらさも感じられたとはいえ、音楽の核心を捉えた演奏は深い感動を呼ぶ。長寿を祈りたい。

2017/10/15

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル

       ヴァレリー・アファナシエフのピアノリサイタル、会場紀尾井ホールに移して、ベートーヴェン、ソナタ第7番、Op.10-3、第17番、Op.31-2「テンペスト」、ショパン、ノクターン第1番、Op.9-1、第7番、Op.27-1、第8番、Op.27-2、第9番、Op.32-1、第19番、遺作、Op.72-1であった。

 リサイタル全体がアファナシエフの世界であった。一見奇異に見えても、音楽の本質を捉えた演奏で、聴き手の心をしっかり掴んでいる。ベートーヴェンでは、「テンペスト」第1楽章、再現部のレチタティーヴォでは奇をてらったかのように見えても、絶望の淵からの叫び声のような強烈な印象を残していく。かえって音楽の本質が見えてくる。

 ショパンはじっくり歌い込みつつ、ノクターンの本質に迫っている。音色も素晴らしい。全体に遅めのテンポを取っていた。アンコールでのマズルカ、Op.67-4、Op.68-2もテンポは遅めとはいえ、じっくりといつくしむかのような演奏で、聴き応え十分だった。

 来年は佐渡裕とブラームス、ピアノ協奏曲第2番、Op.83を共演するという。どんな演奏になるだろうか。

2017/10/10 

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル

 ロシア生まれの鬼才、ヴァレリー・アファナシエフの来日リサイタル、浜離宮朝日ホール(10日)のプログラムはシューベルト、即興曲、D.899-1,3,4、アゼルバイジャンの作曲家、アレクサンドル・ラヴィノヴィチ「悲しみの音楽、時に悲劇的な」、ブラームス、4つのバラード、Op.10、2つのラプソディー、Op.79によるプログラムだった。

 シューベルトではD.899中、第2番を取り上げず、第1,3,4の3曲で構成したことには、ラヴィノヴィチの作品がD.899-4、トリオを基にした作品だったことを思うと頷けた。シューベルトの歌心と寂しさ、悲しさが伝わり、音色も素晴らしかった。

 ブラームス。バラード第1曲「エドワード」のドラマトゥルギー、第2曲の荒涼とした原野、第3曲のロマンティシズム、第4曲の悲しみ。全体が一つの物語として構成された統一性を示し、ブラームスがひとつの「ドラマ」として構成したことを改めて感じた。2つのラプソディー、Op.79。スケールの大きさ、歌心、情熱、諦念を見事に描き出していた。

 アンコールはブラームス、幻想曲集、Op.116から第5曲、第6曲。まさに、アファナシエフの世界だった。15日は紀尾井ホールでベートーヴェン、ショパンを取り上げる。こちらも楽しみである。

 

2017/10/9

明治学院バッハ・アカデミー ベートーヴェン ミサ・ソレムニス Op.123

 日本を代表する音楽学者の一人、樋口隆一率いるバッハ・アカデミーがベートーヴェン晩年の傑作ミサ・ソレムニス、Op.123を取り上げた。2月3日のバッハ・コレギウム・ジャパン以来、2度目になる。(サントリーホール)

 このコンサートで樋口が使用した版は2010年出版、エルンスト・ヘルトリッヒ校訂によるカールス原典版。プログラムによると、2006年、明治学院大学招聘教授として来日した際、ご夫妻でバッハ・アカデミー合唱団に出演したという。このコンサートもヘルトリッヒとの友情から生まれた。

 全体をキリエ、グローリアの後に休憩20分、クレード、サンクトゥス、アニュス・デイにわけて演奏する形式を取った。ベートーヴェンとなれば、かなりのエネルギーを要するためか、上演形態としては一つの型だろう。バッハ・コレギウム・ジャパンは休憩を入れず、全曲を通した。一長一短だろう。

 オーケストラを見ると、バッハ・コレギウム・ジャパンからの参加もある。合唱団も明治学院関係者、首都圏のバッハ愛好家からなり、カール・リヒターが率いたミュンヒェン・バッハ管弦楽団、合唱団を思わせる。それで、樋口の指揮の下、素晴らしいまとまりを見せていた。

 ソリストではテノール、ジョン・エルヴィスをはじめ、鷲尾麻衣、寺谷千枝子、河野克典が素晴らしい歌唱ぶりを見せた。また、コンサート・マスター、桐山健史のヴァイオリン・ソロも絶品だった。

 2018年はバッハ、カンタータ、ブランデンブルク協奏曲第5番によるプログラムで、樋口自身、「新バッハ全集」での校訂に当たったもの取り上げるという。楽しみである。

 

ギロック生誕100年記念 トーク・コンサート

 アメリカの作曲家、ウィリアム・ギロック(1917-1993)生誕100年を記念して、ギロック作品のCDをリリースした熊本マリ、小原孝、三舩優子によるトーク・コンサートが銀座、山野楽器主催で行われた。(27日 銀座山野楽器 7階 イベント・スペース)

 ギロックは多くのピアノ教育用の作品を残した。日本では「日本ギロック協会」が設立され、ピアノ指導者たちが中心となって、ギロックの作品普及に努めた。しかし、ギロックの作品が子どものみならず、大人をはじめ、全ての人々に訴えかける暖かさが注目されるようになった今、音楽作品としてのギロックを広める動きが始まった。そこで、ギロック作品を多くレコーディングしている小原孝、ギロックの暖かさに触れた熊本マリ、アメリカ生活を体験、かつ留学していた三舩優子がギロックの作品によるCDをリリースしたため、このコンサートとなった。

 長井進之介の司会が素晴らしい。会場の雰囲気を盛り上げ、素晴らしいコンサート作りを心がけ、素晴らしい時間を過ごせた。三人三様の解釈、演奏が聴きもので、トークも見事だった。ただ、小原が楽譜の誤りについて、自身のCD解説で言及したことには注意が必要である。ギロックの作品は1996年以降、全音楽譜出版社から次々に出版され、急速に広まった。そのため、その頃から出回ったものは注意する必要がある。

 1969年、「抒情小曲集」の出版で初めてギロックの作品が日本に紹介されてから48年経った今、ギロックが音楽作品として広まろうとしている。今回の試みはその第1歩だろう。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り

 ルネッサンスとバロックの橋渡し役を果たしたイタリアの作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディ(1547-1643)生誕450年記念として、バッハ・コレギウム・ジャパンがモンデヴェルディの傑作一つ「聖母マリアの夕べの祈り」を取り上げた。これは1993年、モンテヴェルディ没後350年記念の際、上野の石橋メモリアルホールでの上演以来、24年ぶりの再演となる。

 鈴木雅明の解釈が深みを増し、素晴らしい音楽となった。今回のコンサートマスターは北とぴあ国際音楽祭でのバロック・オペラ上演で定評ある寺神戸亮である。若松夏美をはじめとした名手たちが見事なまとまりを見せ、コンツェルト・パラディーノの好演も華を添えた。

 ソリストではテノールの桜田亮、谷口洋介が傑出していた。ソプラノのソフィ・ユンカー、松井亜希も好演だった。カウンター・テノールの青木洋也、バスの加未徹、その他何人か印象に残った歌手たちもいる。

 モンテヴェルディはルネッサンスのマドリガーレから出発、これをバロック様式へと発展、バロックが生んだジャンル、オペラを確立した。「聖母マリアの夕べの祈り」はバロックの宗教音楽におけるコンツェルタンテ様式を確立した。従来の楽曲様式から新しいものを生み出し、新しいジャンルを確立した背景には、保守派の理論家アルトゥージとの論争もある。旧来の様式から新しい様式を生み出す。そこにモンテヴェルディの偉大さがある。

 いよいよ、11月には鈴木優人によるオペラ「ポッペアの戴冠」(セミ・オペラ形式)が控えている。どんなポッペアを見せるだろうか、大いに期待したい。

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェン・プラス 第4回

 今や日本を代表するピアニストとなった横山幸雄が、2013年から2020年のベートーヴェン生誕250年に至るコンサート・シリーズ、ベートーヴェン・プラスも第4回となった。昨年はデビュー25周年を記念して、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を取り上げた。今年はリサイタルに戻り、ピアノ・ソナタ創作では実験期に当たる第13番から第18番の6曲を中心に、「幻想」をテーマとして、バッハ、モーツァルト、ショパン、シューマンの作品を取り上げた。

 第13番、Op.27-1「幻想風」、第14番、Op.27-2「月光」第15番、Op.28「田園」は集中力と抒情性、スケールの大きさ、歌心が調和した演奏だった。7つのバガテル、Op.33は抒情性、ユーモアに溢れ、全ての調整による2つの前奏曲、Op.39はめったに聴かれないとはいえ、なかなかの聴きものであった。

 第16番、Op.31-1はユーモアと歌心に満ち、第17番、Op.31-2「テンペスト」はドラマトゥルギーの表出、スケールの大きさ、抒情性が調和していた。第18番、Op.31-3もスケールの大きさ、ユーモアと抒情性十分であった。

 バッハ、半音階的幻想曲とフーガ、BWV903は整然とした中にもスケールの大きさが感じられた。モーツァルト、幻想曲、K.397はロマン的な性格を捉えていた。ショパン、幻想曲、Op.49はリストがこの作品をヒントにして、ソナタを作曲した可能性が感じられた。幻想即興曲、Op.66も聴きものだった。幻想ポロネーズ、Op.61はジョルジュ・サンドとの関係が破綻に向かう中でのショパンの心境を描きだしていた。シューマン、幻想曲、Op.17はボン、ベートーヴェン記念碑建立のためのソナタとして構想したとはいえ、クラーラへの思いを秘めていることを掴み、見事に表現していた。

 アンコールは横山自身が編曲したバッハ=グノー「アヴェ・マリア」。素晴らしい編曲だった。上野学園大学の経営問題で苦しい立場にあるとはいえ、精力的な活動を行っている姿を見ると、心から励ましの言葉を贈りたい。

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 4

 アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第4回はパルティータ第3番、BWV827、第5番、BWV829、パルティ、BWV832、第6番、BWV830を取り上げた。

 ヒューイットのヒューマンで暖かいバッハは、バッハの音楽の本質をしっかり捉え、聴く人たちに深い感銘を与える。この点では、グレン・グールドとは根本的に異なる。第3番のファンタジー豊かな歌心、第5番の喜びに漲る歌、それらが内面からほとばしり出て、素晴らしい世界を作り出している。パルティでも素晴らしい歌心に満ちた演奏であった。第6番はバッハの内面と真摯に向き合い、じっくり、かつ壮大な音楽にまとめ上げ、じっくり歌い上げていた。

 パルティータ全曲を聴き、バロック組曲が古典主義のソナタ、キャラクターピースを集めた近代組曲へと変貌を遂げていく過程が見える。第3番ではブルレスケ、スケルツォを置いたり、第5番はテンポ・ディ・メヌエット、第6番はテンポ・ディ・ガヴォットとしてキャラクター・ピース化している。バッハは自由な発想により、バロック組曲から近代組曲へと変貌させていったと言えよう。

 アンコールは平均律クラヴィーア曲集第2巻から第9番のフーガ。このコンサートの締めくくりに相応しかった。

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 3

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ全曲演奏シリーズ、バッハ・オデッセイ第3回はパルティータ第1番、BWV825、第2番、BWV826、ソナタ、BWV964、パルティータ第4番、BWV828を取り上げた。(紀尾井ホール)

 ヒューイットのバッハは人間的な温かみたっぷりで、バッハの音楽と一体化している。第1番での歌心たっぷりな演奏、第2番の峻厳さと新しさ、ソナタの厳格さ、第4番の喜びにあふれた演奏。どれを聴いても、バッハの音楽そのものである。パルティータはバロック組曲解体への道を示している。第2番の締めくくりをカプリツィオとしたのは、近代ソナタへの道を示したともいえる。第4番のアリアの自由な曲想からも窺える。

 ソナタはバッハ自身による無伴奏ヴァイオリン・ソナタの編曲で、クラヴィーアによるバロック・ソナタである。峻厳さと歌心たっぷりの演奏で、聴き応え十分だった。

 アンコールは平均律クラヴィーア曲集第1巻から第5番のフーガ。喜びに満ちた締めくくりであった。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦中日本のリアリズム アジア主義・日本主義・機械主義

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバル、ザ・プロデューサー・シリーズは戦中日本のリアリズム、アジア主義・日本主義・機械主義というテーマで尾高尚忠、山田一雄、伊福部昭、諸井三郎のオーケストラ作品によるコンサートで締めくくった。

 尾高尚忠、交響的幻想曲「草原」Op.19はアジアの広大な草原風景を描いた、雄大な作品である。尾高作品では、ピアノのためのソナチネがよく知られている。この作品に接して、これだけの作品を残した尾高の作曲家としての才能を再認識した。山田一雄、おほむたから(大みたから)、Op.20は1945年元日に放送初演されたもので、戦意高揚のためとはいえ、もう、日本の敗色が濃厚で空襲、沖縄戦、原爆投下、ロシア参戦、8月15日の敗戦となる。しかし、この作品には「葬送行進曲」の性格があった。そうした性格が打ち出されていた。

 伊福部昭、ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲は、円熟期の小山実稚恵の素晴らしいピアノが聴きもので、モダニズム、モートリッシュな性格、北国の孤独も描きだしていた。この作品は、日本人作曲家のピアノ協奏曲のレパートリーとしても定着してほしい1曲である。

 諸井三郎、交響曲第3番、Op.25は戦時中の日本の作曲家たちの思いが聴こえた。戦局が厳しさを増す1943年、音楽家、音楽学生も学徒出陣で戦場へ送られた。そんな中で、全てを注ぎ込んだ作品を残そうとした諸井の思いが伝わった。

3楽章形式で、終楽章が穏やかなハ長調で終わっていく。そこには、ショスタコーヴィチの第8番に共通するものが見られた。この楽章も穏やかに終わる。戦争の後の静けさ、安堵感の中に悲しみも秘めている。

 何より、下野竜也、東京フィルハーモニー交響楽団の素晴らしい演奏は特筆すべきだろう。下野は新日本フィルハーモニー管弦楽団と共に三善晃、矢代昭雄、黛敏郎の作品を取り上げたコンサートも行っている。今回のコンサートも下野の偉業の一つになろう。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 細川俊夫監修 国際作曲家委嘱シリーズ ゲオルク・フリードリッヒ・ハース

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場を大ホールに移し、細川俊夫監修による国際作曲家委嘱シリーズ、第40回としてオーストリアの作曲家、ゲオルク・フリードリッヒ・ハースの作品を中心としたオーケストラ作品によるコンサートとなった。(7日 サントリーホール)

 1953年、グラーツ生まれのハースはグラーツ音楽院ではドリス・ヴォルフ、ゲスタ・ノイヴィルト、ヴィーン音楽大学大学院ではフリードリッヒ・ツェルハに師事、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加、フランス国立音響研究所ではコンピューター音楽を学んだ。ドナウエッシンゲン、ヴィッテン現代音楽祭、ヴィーン・モデルン音楽祭などでの作品演奏、ノーノ、ブーレーズ、ハーバ、ヴィシネグラツキといった作曲家たちの研究など多岐にわたる活動を続けている。

 まず、ハースの師ツェルハ「夜」は、夜の神秘性を描いた作品。ロマン主義における夜は幻想、神秘、恐怖、憧れだろう。現代は神秘性の中に音の神秘を秘めている。そうした世界を描いた、注目すべき作品の一つだろう。ハースのヴァイオリン協奏曲、第2番はサントリーホール、シュツットガルト州立歌劇場、カーサ・ダ・ムジカの共同委嘱作品で今回が世界初演。ヴァイオリンはミランダ・クックソン、素晴らしい名手である。現代の技法、中世・ルネッサンス、バロックが見事に調和している。9つの部分からなり、最後の「アリア」にはバッハ、管弦楽組曲第3番の影が感じられた。

 後半は1991年生まれのアメリカの作曲家、現在コロンビア大学でハースの教えを受けているキャサリン・ボールチ「リーフ・ファブリック」が聴きものだった。植物の神秘を音楽で表現しようとした作品で、これも神秘性の強い音楽だった。最後は、ハースが2009年のメンデルスゾーン生誕200年記念として作曲した「夏の夜に於ける夢」で、メンデルスゾーンの音楽と現代の響きが見事に調和している。劇音楽「真夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、「静かな海と楽しい航海」からの引用が現代の響きにこだましている。

 イスラエルの指揮者、イラン・ヴォルコフ、東京交響楽団の見事な演奏も特筆すべきである。これらの作品が再演されることを願いたい。

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦後日本のアジア主義 はやたつ芥川 まろかる松村

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場を小ホール、ブルーローズに移し、戦後日本のアジア主義として芥川也寸志、松村貞三の室内楽作品、ピアノ作品を取り上げた。(6日 サントリーホール 小ホール ブルーローズ)

 泊真美子による芥川「ラ・ダンス」は、モダニズムの中にフランス的なエスプリを感じさせる作品で、音楽コンクールでも取り上げるべき、優れた作品である。松村「ギリシャに寄せる2つの子守歌」は、桐朋学園音楽教室「こどものための現代ピアノ曲集」の委嘱作品とはいえ、コンサート・プログラムになり得る作品である。こうした作品を取り上げるピアニストが出てほしい。松村「弦楽四重奏とピアノのための音楽」も往作である。

 松村「肖像」はサントリー会長、佐治敬三氏へのオマージュで、堤剛と土田英介の素晴らしいデュオが絶品だった。「弦楽のための音楽 第1番」、「弦楽のためのプネウマ」の神秘性も聴きものであった。芥川「弦楽のための3章(トリプティーク)」はアメリカ、ロシアで演奏され、ロシアで楽譜出版も実現、芥川の国際的な評価を決定づけた。これもコンサートでどんどん取り上げてほしい。

 4日、6日と会場を小ホール、ブルーローズに移し、武満と黛の雅楽、芥川と松村の室内楽作品、ピアノ作品を取り上げて来た。10日は大ホールで尾高尚忠、山田一雄、伊福部昭、諸井三郎のオーケストラ作品で締めくくりとなる。この種の試みをどんどん続けて、日本の作曲家の作品をどんどん紹介してほしい。

 

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦後日本と雅楽 みやびな武満 あらぶる黛

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場をブルーローズに移して「戦後日本と雅楽 みやびな武満 あらぶる黛」のタイトルで、戦後日本を代表する作曲家の雅楽、武満徹「秋庭歌一具」、黛敏郎「昭和天平楽」を取り上げた。

 遠く飛鳥・奈良時代、平安時代の貴族社会の音楽であった雅楽は、武家社会となった鎌倉時代、室町時代には衰退していった。しかし、明治の近代日本では洋楽と共に共存、現代に至る。武満、黛が日本の伝統音楽、雅楽で重要な作品を残したことは大きいだろう。

 武満はあくまでも雅楽の伝統を重視して、新しいものを築いていった。世界に大きな衝撃を与えた「ノーヴェンバー・ステップス」を深化させ、無駄のない音楽に仕上げた。武満の音楽は尤も雅楽の本質に行きついた作品と見ることが出来るだろう。

 これに対し、黛はパリに留学しながら、「西洋に学ぶものはない」として半年で帰国、ミュジック・コンクレート、電子音楽に取り組む。パリ留学中、三島由紀夫と出会ったことは、黛の後半生を決定的にした。「昭和天平楽」を作曲した1970年11月25日、三島が自衛隊に乱入、割腹自殺した「三島事件」以降、黛の政治発言が本格化、創作活動はオペラ「金閣寺」、「古事記」、バレエ「ザ・カブキ」と少なくなった。この作品は黛が雅楽に新しい感覚、廃れた林巴楽を復活させんとして取り組んだもので、黛ならではの意気込みが感じられた。

 今回出演の怜楽舎、指揮の伊佐治直の素晴らしい演奏は、武満、黛の雅楽の本質を伝えた。「みやびな武満 あらぶる黛」に相応しい。

サントリー芸術財団 サマーフェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 片山杜秀がひらく日本再発見 忘れられた作曲家 大澤寿人

 サントリー芸術財団、サマーフェスティバル、ザ・プロデューサー・シリーズは平尾貴四男(1907-1953)と同じく46歳で早世した作曲家、大澤寿人の作品3曲によるコンサートからスタートした。大澤は戦前日本のモダニストとしてアメリカではコンヴァースに学び、アメリカに亡命直後のシェーンベルクにも学んだ。フランスではデュカス、ナディア・ブーランジェに学び、作品発表会も開き、オネゲル、イベールの賞賛を受け、1936年に帰国した。東京、大阪で自作を披露しても、大澤のモダニズムは当時の日本には先鋭過ぎたため、評価を得られなかった。また、1931年から1945年の15年間にわたる戦争の影もあっただろう。今回は世界初演となったコントラバス協奏曲、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」の3曲を取り上げた。

 指揮山田和樹、日本フィルハーモニー交響楽団、コントラバス独奏が佐野央子、ピアノが福間洸太郎。山田が素晴らしい統率力で日本フィルハーモニー交響楽団から素晴らしい響き、音楽を引き出した。佐野のコントラバスは好演だった。福間のピアノの素晴らしさが際立った。まさに神風だろう。交響曲は編成、楽曲規模では戦前の日本洋楽史では最大だった。それだけの響き、音楽が伝わった。

 戦後の大澤は神戸女学院での後進の育成、放送、宝塚歌劇団での活躍で多忙だった。1953年に急逝。アメリカ行きを考えていたものの、実現しなかった。今回のコンサートが本格的な大澤再評価への第1歩となって、その全体像解明にもつながることを期待したい。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 第27回芥川作曲賞選考演奏会

 サントリー芸術財団、サマーフェスティバルは例年は8月下旬開催である。2017年はサントリーホール大改修のため、9月上旬となり、オープニングとして第27回芥川作曲賞選考演奏会となった。今回は茂木宏文「不思議な言葉でお話しましょ!」、中村ありす「ネイカース」、向井航「極彩色――Prinsessgade,1440」の3曲が候補となった。

 最初に2015年の受賞者、坂東祐大「花火 ピアノとオーケストラのための協奏曲」が演奏された。永野英樹のピアノが見事だった。

 茂木、中村は2016年度武満徹作曲賞を受賞したものとはいえ、聴いていて、作曲家としてのメッセージ性が薄いように感じた。向井はピアノとオーケストラのための作品で、こちらの方にはメッセージ性が感じられた。結果として、茂木が芥川作曲賞を受賞したことには不満がある。言葉の根源を問いかけた作品であると、茂木自ら述べたにせよ、どのような世界を描きたかったかがわからなかった。これは中村にも言える。真珠を構成する真珠層をヴィブラフォン中心のオーケストラで描いたといっても、何を伝えたかったかわからない。このような作品が作曲賞を受賞することもわからない。

 昨年の芥川作曲賞が心に訴えかける作品がなかったことが残念だっただけに、今年こそそれだけの作品に出会えると思った。期待外れだったような気がする。

読売日本交響楽団 第604回名曲シリーズ

 読売日本交響楽団、第604回名曲シリーズはポーランドの巨匠ヤツェク・カスプシク、ヴァイオリンのギドン・クレーメル、チェロのギードレ・ディルヴァナウスカイテを迎え、ヴァインベルク、ポーランドのメロディ、Op.47-2、フィリップ・グラス、ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲、ムソルグスキー=ラヴェル「展覧会の絵」を取り上げた。(東京芸術劇場)

 まず、ボーランドの作曲家ヴァインベルクの作品は、ポーランドの馨りが漂う中、ユダヤ系だったためロシアに亡命後、スターリン治世の下、弾圧を受けていた時期の苦しみが伝わった。グラスは日本初演で、クレーメル、ディルヴァナウスカイデの息の合った演奏、オーケストラとの対比が興味深かった。ラヴェル編曲による「展覧会の絵」は、原曲のピアノ曲として聴くと、かえってムソルグスキーの思いが伝わってくるだろう。オーケストラ版でも、ラヴェルの素晴らしいオーケストレーションの色彩感で華を添えている。それなりに聴かせる演奏だった。

 カスプシクは2018年、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日、ショパン、ドヴォルジャークを取り上げるという。今回のコンサートを聴く限り、しっかりした実力の持ち主であることを示した。

 

Liu Weiサロン 成城コンサート ヴィーンの香り 第31回 FINAL

 中国出身の女性ヴァイオリニスト、劉薇がヴィーン在住のピアニスト、森谷真理子を迎えて、成城の自宅サロンでのコンサートシリーズ「ヴィーンの馨り」を行った。(6日 Liu Weiサロン)

 劉薇自ら、今の自宅を手放し、新しい家に移ることを考えていること、しかし、ヴァイオリンが弾ける環境がないため難しいと語った。現在の成城の自宅は周囲の自然が豊かで、静かな環境のため、いささか惜しい気がする。娘さんが自立したこともあって、これからの自分に相応しい家でサロンコンサートを再開しようという。

 プログラムはモーツァルト、ヴァイオリンソナタ、K.304、クライスラーのヴァイオリン曲集から「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」、「愛の悲しみ」、「グルックによるメロディー」、「真夜中の鐘」、「ユーモレスク」、「アルベニスのタンゴ」、アンコールには「美しいロスマリン」、ジージンスキー「ヴィーン、わが夢の町」を演奏した。

 モーツァルトは当時、パリで母親を亡くしている。ソナタにはそうした感情が満ち溢れている。そんなモーツァルトの感情を見事に描き出した。クライスラーでは、森谷が音楽におけるヴィーンを語りかけた。劉薇のヴィーンでの体験も交え、楽しい一時となった。ヴィーンそのものだった。

 コンサート終了後、聴衆に手作りのデザート、お茶が振舞われ、一時、夏の暑さを忘れることが出来た。

 

ピーター・ゼルキン ピアノリサイタル

 アメリカを代表するピアニスト、ピーター・ゼルキンがモーツァルト、バッハによるリサイタルを行った。(1日 すみだトリフォニーホール)

 前半はモーツァルト、アダージョ、K.540、ピアノソナタ、K.570、後半はバッハ、ゴールドベルク変奏曲、BWV.988。メインはゴールドベルク変奏曲である。

 モーツァルトは、アダージョの暗く、心を打つ音楽が心に響いて来た。ソナタ、K.570は澄み渡ったモーツァルトの世界を描きだし、歌心に満ちていた。

 バッハ、ゴールドベルク変奏曲は繰り返しを入れたり、ストレートで演奏したりと変化に富んでいた。繰り返しを入れた際、装飾音を変化させたりして、創意工夫に満ちていた。第25変奏はこの世のものとは思われない、大変美しい変奏で、繰り返しを入れると5分かかってしまう。ピーターはストレートで通し、かえって感銘深い演奏になった。第30変奏、クォドリベットでは、この部分に組み込まれた歌をくっきりと浮び上がらせた演奏は注目すべきだろう。多くの演奏ではかえって聴き取れない。チェンバロの演奏でも同様である。そうした面に光を当てたことは高く評価したい。全曲が終わった後の余韻が心地よかった。

 ピーターは1965年にデビュー盤としてレコ―ディングした後、1986年、1994年と3度録音している。4度目のレコーディングも済ませたという。尤も、父ルドルフ・ゼルキンは1921年、ベルリンのリサイタルでアンコールとして、この変奏曲を演奏した。しかし、レコーディングはしなかった。ゴールドベルク変奏曲をデビュー盤としたのがグレン・グールド、マルティン・シュタットフェルトなどがいる。

 ピーターが偉大な父ルドルフを超える存在になるには、様々な形で自分探しを続けた。ピアニストとしてのキャリアを中断、一家で世界中を放浪した上で、ピアニストとしての自分を再確認、武満徹をはじめ、現代音楽の作曲家たちと交流して、己の道を確立したことは大きいだろう。そして、古典に立ち返って父を超える存在になった。ゴールドベルク変奏曲への取り組みも成長過程の一つだろう。

 父ルドルフがラジオ番組でグールドの談話を聞いた時は腹立たしかったとはいえ、演奏を聴くと良しとしたという。仮に、ピーターがグールドの放送番組を聴いていたらどう感じたか。ゴールドベルク変奏曲を聴き、ふと考えてしまった。

 

 

東京二期会 リヒャルト・シュトラウス ばらの騎士

 東京二期会、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」は二期会創立65周年、財団設立40周年記念公演として、イギリス、グラインドボーン音楽祭との提携公演との上演となった。2003年、二期会創立50周年記念上演の際は、ケルン歌劇場との提携公演だった。ケルンの演出が現代的な部分を取り入れていたのに対し、グラインドボーンの演出は古典色を活かしつつ、現代的な面とを見事に調和させた演出だった。(東京文化会館)

 グラインドボーン音楽祭は1934年、資産家ジョン・クリスティがオペラ歌手だった夫人のために創設した音楽祭でモーツァルト、ヘンデル、ビゼー、ヴァーグナー、ヤナーチェクのオペラをはじめ、ガーシュウィン「ポーギーとベス」も上演している。観客はロンドン市民がほとんどで、グラインドボーンへの専用列車もあるという。

 今回はベルリン生まれで、最近注目されつつあるドイツの中堅指揮者、セバスティアン・ヴァイグレ、読売日本交響楽団との上演で、ヴァイグレはリヒャルト・シュトラウスの響き、音楽を読売日本交響楽団から見事に引き出し、素晴らしい成果を上げた。

 時は18世紀、マリア・テレジア時代のオーストリア、ヴィーン。若い貴族との戯れの恋に生きる元帥夫人。そこへ親族のオックス男爵が新興貴族、ファーニナル家の娘ゾフィーと結婚するため、婚約の使者「ばらの騎士」を推薦するよう依頼するためにやって来る。そんなオックス男爵を懲らしめようとする夫人、また、自分の若き日を思い出し、老いに向かう姿を思うと憂鬱になる。戯れの恋の相手、オクタヴィアンが「ばらの騎士」としてファーニナル家を訪れ、ゾフィーに一目惚れ、未熟ぶりに気づく。オックス男爵の粗野な言動に嫌気がさしたゾフィーを救うべく立ち上がる。ゾフィーもオクタヴィアンに惹かれ、救いを求める。若い2人が大人へと成長する過程、戯れの恋に終止符を打つ元帥夫人の葛藤。古き良き貴族社会を舞台に繰り広げられるオペラとはいえ、20世紀初頭のドイツ・オーストリアは、貴族社会も終わりに近づいていた。1918年、第1次世界大戦終結と共に貴族社会は崩壊する。ここには「過去への郷愁」が漂う。

 オクタヴィアンを演じた小林由佳は、大人の貴族へ成長する男の姿を見事に演じた。林正子も戯れの恋から成熟した女性に至る姿、妻屋秀和は好色な田舎貴族のオックス男爵、ゾフィーを演じた幸田浩子も大人の女性に成長する姿を見せた。このオペラのキーロール、陰謀屋ヴァルツァッキ、アンニーナを演じた大野光彦、石井藍の素晴らしい演技は大きい。加賀清孝のファーニナルも見事だった。

 

 

野平一郎 ピアノリサイタル

 ピアニスト、作曲家として幅広い活動を行っている野平一郎が、日本を代表する作曲家の一人、黛敏郎(1929-1997)の作品によるリサイタルをおこなった。(21日 東京オペラシティ リサイタルホール)

 プレ・コンサートとして、共演のトリプティーク弦楽四重奏団が「弦楽四重奏のためのプレリュード」(1961)を演奏、野平のリサイタルとなった。前半がバレエ「かぐや姫」から「金の枝の踊り」(1950)、12の前奏曲(1945-1946)、オール・デウーブル(1947)、

後半がプリペアード・ピアノと弦楽のための小品(1957)、映画「天地創造」より9曲(1966)、マルチ・ピアノのためのカンパノロジー(1966-1967)である。

 12の前奏曲は東京音楽学校入学時からの作品で、24の調性による前奏曲、ショパン、24の前奏曲への憧れがあっただろう。黛のモダニズムが明白な作品で、12曲で中絶したことは残念とはいえ、黛として十分だっただろうか。オール・デウーブルは1993年、日本音楽コンクールで優勝したピアニスト、秋山未佳が蘇演している。コンクール前、秋山が武蔵野市民文化会館小ホールで行ったリサイタルでこの作品を取り上げた。リサイタルを聴きに行くことをためらっていた時、日本音楽舞踊会議機関誌「音楽の世界」編集長だった助川敏弥先生から叱責された思い出がある。秋山はコンクールでも演奏、優勝を勝ち取った。金の枝の踊りと共に、黛のモダニズムの頂点だろう。

 1951年、黛はパリに留学したものの、「西洋から学ぶものはない」と言って半年で帰国した一方、三島由紀夫との出会いがあった。帰国後の作品、プリペアード・ピアノと弦楽のための小品はジョン・ケージの影響を受けた作品で、前衛音楽への挑戦の記録だろう。旧約聖書「創世記」によるアメリカ・イタリア合作の映画「天地創造」(1966)の音楽は、当初ストラヴィンスキーに依頼したものの、ストラヴィンスキーが断り、黛に白羽の矢が立った。

外国映画で日本の作曲家が音楽を手掛けたものとしては初めてだろう。この音楽から9曲をピアノ組曲版とした。オリジナルのスコアは未発見である。これも原曲のエッセンスをみごとに生かしている。マルチ・ピアノのためのカンパノロジーは、涅槃交響曲の延長線上にあるとみてよいだろう。黛の前衛性が窺い知れた。

 アンコールはモーツァルト、ピアノ・ソナタ第11番、K.331、第3楽章「トルコ行進曲」で野平が黛の子息、りんたろうと親友だった折、良く弾いていたという。黛はうるさがっていたとはいえ、野平が自分の作品によるリサイタルを開くとは思いもよらなかっただろう。

 黛の数少ないピアノ作品中、オール・デウーブルが秋山未佳が蘇演、コンクールで演奏して優勝した事例がある以上、12の前奏曲を取り上げて、リサイタル、コンクールでも取り上げてはいかがだろうか。1970年代~1997年の死に至る黛は保守派の論客となったことが災いして、作曲家として正当な評価が薄らいだことは残念である。そうした面も含め、今こそ黛敏郎を再評価することが必要ではなかろうか。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 世俗カンタータシリーズ 9

 バッハ・コレギウム・ジャパン、世俗カンタータシリーズは今回で完結となる。前半が管弦楽組曲第3番、BWV1068、カンタータBWV204「我満ち足れり」、後半がカンタータBWV30a「たのしきヴィータ―アウよ」であった。

 管弦楽組曲第3番はコンサートの始まりに相応しい壮麗さが聴きものだった。「我満ち足れり」ではキャサリン・サンプソンの見事な歌唱が聴きものだった。宗教性、道徳性、哲学性を併せ持った内容で、バッハはレチタティーヴォ-アリア-アリオーソ-アリア形式でまとめ上げた名品であり、もっと演奏されてしかるべきだろう。

 「たのしきヴィーターアウよ」はサンプソン、ロビン・ブレイズ、櫻田亮、ドミニク・ヴェルナーが見事な歌唱を聴かせた。その上、若松夏美、菅きよみ、三宮政満といったバッハ・コレギウム・ジャパンを支える名手たちが華を添えた。

市民階級から貴族となったヨハン・クリスティアン・フォン・ヘニッケがヴィーターアウの領主となったことへの祝典音楽としての壮麗さが見事だった。

 後半のシーズンはマルティン・ルターの宗教改革を記念して、10月31日のルター・プロジェクトに始まり、2018年2月12日の鈴木優人によるヨハネ受難曲で締めくくりとなる。楽しみになって来た。

田部京子 ピアノリサイタル シューベルト・プラス 第2回

 ドイツ・オーストリア音楽中心にリサイタルを行い、現在桐朋学園大学院大学教授を務める田部京子がシューベルト・プラスによるリサイタル・シリーズ、第2回を行った。(14日 浜離宮朝日ホール)

 前半はベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第31番、Op.110、シューベルト、4つの即興曲、D.899、後半はシューベルト、ピアノ・ソナタ第19番、D.958の全3曲。

 ベートーヴェンは第1楽章の素晴らしいカンタービレ、第2楽章の過酷のドラマトゥルギー、第3楽章の悲嘆に溢れたレチタティ―ヴォとアリオーソ・ドレンテの深さと歌、フーガとの見事な対比、構成観、美しい音色が絶品だった。シューベルト、4つの即興曲での性格付け、深みのある歌心に溢れた音色も聴きものだった。

 後半のシューベルト、ピアノ・ソナタは第1楽章のドラマと歌が見事に調和した大きな世界を描きだしていた。第2楽章の深い歌心、第3楽章の悲しみに満ちたメヌエットとトリオとの対比が素晴らしい。第4楽章のスケールの大きさ、歌が見事に調和して、シューベルトが到達した境地を見事に表現した。

 アンコールはベートーヴェン、6つのバガテル、Op.126の第3曲、シューベルト、即興曲、D.935-2。たっぷりした、美しい音色、歌心が締めくくりに相応しかった。

 真嶋雄大によるプログラム解説を見ると、ベートーヴェン、Op.110の献呈はアントーニア・ブレンターノの娘マクシミリアーネとなっている。これは無献呈でベルリンのシュレジンガー社から出版された。ロンドン版での献呈はアントーニア・ブレンターノである。Op.109はマクシミリアーネへの献呈となっている。Op.110、Op.111はアントーニアへの献呈としたかったものの、Op.111はルードルフ大公への献呈となったことによる。これは誤りである。こうした誤りがないよう、チェックしていただきたい。

 

読売日本交響楽団 第570回定期演奏会

 読売日本交響楽団、第570回定期演奏会(12日 東京芸術劇場コンサートホール)は鈴木雅明の弟、鈴木秀美を指揮台に迎え、ハイドン、ベートーヴェンといった古典主義の名作を堪能することができた。

 バロック・チェロの名手、自らオーケストラ・リベラ・クラシカを設立、兄雅明のバッハ・コレギウム・ジャパンでも素晴らしいチェロを聴かせてきた。この2月、兄が東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団でベートーヴェン、第4番を演奏、バッハ・コレギウム・ジャパンでもミサ・ソレムニスも取り上げている。今回は弟が「リズムの権化」第7番を取り上げるならば、どんな演奏になるか期待が高まっただろう。

 前半、ハイドン、ホルン協奏曲第1番、トランペット協奏曲はホルン・トランペットで活躍中のフランスの名手、ダヴィッド・ゲリエをソリストに迎えた。ゲリエは文字通り、ホルン・トランペットで見事な演奏を披露した。アンコールではトランペット協奏曲、第2楽章を演奏した。オペラ「真の貞節」序曲、オラトリオ「トビアの帰還」も聴きどころ十分の演奏だった。

 交響曲第7番、Op.92は殆ど間を入れずに一気に演奏、かえってベートーヴェンの音楽の本質を浮かび上がらせた点では成功した。殊に、第4楽章の凄まじい推進力は「リズムの権化」に相応しいといえよう。

 8月には鈴木雅明の子息で素晴らしい才能の持ち主、鈴木優人がコンサートシリーズ「3大交響曲をきく」に登場する。ベートーヴェン、交響曲第5番、Op.67、シューベルト、交響曲第8番、D.759「未完成」、ドヴォルジャーク、交響曲第9番、Op.95「新世界より」でどんな演奏を聴かせるか。楽しみである。

 

シュテファン・ザンデルリンク ハンブルク交響楽団

 20世紀ドイツの名匠クルト・ザンデルリンクの次男、シュテファンがハンブルク交響楽団と共に来日、ブラームスの交響曲第4番、Op.98、第1番、Op.68によるブラームスプログラムを取り上げた。(4日 武蔵野市文化会館)

 第4番は晩年のブラームスの寂しさ、侘しさ、皮肉さ、バロックへの思いが調和、渋みも伝わった。たっぷりと情感豊かに歌われると、かえってブラームスの思いが心に響いて来た。

第1番は成立まで21年かかったブラームスの思いがどっしりとした響きで圧倒した。第2楽章のロマン、歌心は見事だった。第4楽章で序奏の最後に現れるホルンの響きは、ブラームスがクラーラ・シューマンへ送った手紙のように冴えわたっていた。金管のコラールも聴きものだった。

 アンコールはモーツァルト、オペラ「フィガロの結婚」K.429、序曲。締めくくりに相応しかった。武蔵野市の文化事業財団主催とはいえ、これだけ素晴らしいコンサートを企画、実行していることは北とぴあ国際音楽祭を行っている北区とともに、その実績は素晴らしい。5日がピアニスト、イングリット・フジ子・ヘミングとの共演のみでは気の毒だろう。その意味で、武蔵野市の企画は大きく評価したい。

菅野雅紀 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 2

 4回にわたるブラームス全曲シリーズ、セミナーに取り組んだ菅野将紀が、昨年からメンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズに取り組んでいる。今回はメンデルスゾーンが3つの前奏曲、Op.104-1、シューマンがクライスレリアーナ、Op.16、花の曲、Op.19、他にクラーラ・シューマンが「音楽の夜会」Op.6より第2曲、夜想曲、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル、夜想曲、シューマン=リスト「献呈」を取り上げた。

 クラーラ・シューマンはローベルトの妻、ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルはフェリックスの姉で作曲家として再評価が進んでいる。リストはシューマンの歌曲集「ミルテの花」Op.25の第1曲「献呈」をピアノ曲に編曲している。今回はメンデルスゾーン、シューマンゆかりの人物の作品を加え、19世紀ロマン主義音楽の本質を明らかにした。

 「クライスレリアーナ」は惜しい傷があったとはいえ、シューマンの音楽の本質を伝えた演奏であった。「花の曲」の歌心、抒情性が見事だった。3つの前奏曲ではメンデルスゾーンのヴィルトゥオジティをしっかり表出していた。クラーラ、ファニーの作品では内面的で、じっくり語り掛ける音楽であった。

 アンコールはショパン、ワルツ、Op.69-1、ゲーセの作品、シューマン「こどもの情景」Op.15から「トロイメライ」を演奏、締めくくりとした。次回はどのような作品を取り上げるだろうか。

松本和将 ベートーヴェンツィクルス 第8回

 松本和将がセミナーを交えて行って来たベートーヴェンツィクルスが今回で完了した。最後の3つのソナタ、第30番、Op.109、第31番、Op.110、第32番、Op.111。この3つのソナタは、ベートーヴェンがマクシミリアーネ、アントーニア・フォン・ブレンターノ母娘に献呈せんとして作曲したため、青木やよひは「ブレンターノ・ソナタ」と呼んでいる。Op.109はマクシミリアーネに献呈したものの、Op.110は無献呈、Op.111はルドルフ大公への献呈となった。ベートーヴェンはこの3つのソナタをロンドンで出版した際Op.110,Op.111をアントーニアへ献呈できた。

 Op.109は第1楽章の深い味わい、第2楽章のドラマトゥルギー、第3楽章の深遠な世界が聴きものだった。Op.110は第1楽章の素晴らしい歌、第2楽章の過酷さ、第3楽章の悲しみとフーガの荘厳な世界を浮き彫りにした。Op.111は第1楽章のドラマトゥルギーと諦念、第2楽章の天上の世界を描き、ベートーヴェンの到達点を示した。

 コンサートを締めくくるにあたり、松本自ら、ベートーヴェンの後期の世界には至っていないとはいえ、生涯ベートーヴェンを弾き続けたいと語った。松本が再び、ベートーヴェンに取り組むなら、もう一度聴いてみたい。その時、より深遠な世界を表現できるようなったら、ベートーヴェンの本当の姿に到達できるだろう。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 1、2

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットが4年12回にわたり、バッハの全クラヴィーア作品を取り上げるリサイタル・シリーズ、バッハ・オデッセイ第1回はインヴェンションとシンフォニア、BWV772-801を中心としたプログラム、第2回はフランス組曲全曲、BWV812-817を取り上げた。(29日、30日 紀尾井ホール)

 第1回では、ピアノを学ぶ人々必修のインヴェンションとシンフォニアがヒューイットのような名手の手にかかると、魅力的な小品として聴き手を惹き付けていくことを示した。イタリア風のアリアと変奏、BWV989は後の大作、ゴールドベルク変奏曲への雛型で味わい深い演奏だった。幻想曲、BWV906はバッハが後のソナタ形式を予見していたことを示し、インスピレーション豊かだった。カプリッツィオ、最愛の兄の旅立ちに寄せて、BWV992は情感たっぷりで聴きものだった。ヨハン・クリストフ・バッハを讃えて、BWV993も捨てがたい味わいに満ちていた。幻想曲とフーガ、BWV904も秀演だった。アンコールはゴールドベルク変奏曲、アリアだった。

 第2回はフランス組曲全曲。前半が第1番、第2番、第4番。後半が第6番、第3番、第5番。この組曲全曲の新たな魅力を再発見できた。ヒューイットは繰りかえしの際、装飾音などを即興的に加えたり、音高を変えたり、第5番のサラバンドでは初稿、異稿を取り換えて素晴らしい世界を作り出していた。第4番では第2ガヴォットを含めて演奏していた。最近、ドイツのヘンレ社からフランス組曲新版が出て、いくつかの異稿が含まれていることからしても妥当である。音色の明晰、かつ美しい響きはバッハに相応しい。アンコールはラモー、タンブランであった。

 9月はパルティータ全6曲を取り上げる。楽しみなシリーズである。

 

 

赤松林太郎 ピアノリサイタル

 神戸大学、パリ、エコールノルマル音楽院出身、国内の主要コンクール優勝、2000年、デュッセルドルフでのクラーラ・シューマン国際コンクール3位をはじめ、国際コンクール受賞歴も豊富な赤松林太郎の帰国10年記念リサイタルはシューマン、ユーゲント・アルバム、Op.68から「春の歌」、ベートーヴェン、ソナタ第17番、Op.31-2「テンペスト」、ヴァーグナー、「ヴァルキューレ」より「ジークムントの春と愛の歌」(タウジッヒ編曲)、「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」(リスト編曲)、シューマン=リスト「献呈」、シューマン、クライスレリアーナ、Op.16を取り上げた。(24日 ヤマハホール)

 「春の歌」での素晴らしい歌に続き、ベートーヴェンのドラマトゥルギー、ロマン性の表出の見事さ、息を尽かせないほどの演奏だった。ヴァーグナーのオペラからの2曲はタウジッヒのものは原曲に忠実、リストのものも忠実さと自由さを併せ持っている。リストによる「イゾルデの愛の死」の方が優れた編曲で、昨年二期会での上演が話題を呼んだこともあってか、素晴らしい出来栄えだった。

 リスト編曲によるシューマン「献呈」は、クラーラへの結婚祝いとして贈った歌曲集「ミルテの花」Op.25の第1曲で、シューマンの原曲を活かした名編曲である。シューマンの心を捉え、最後は静かに締めくくった。クライスレリアーナは名演。E.T.A.ホフマン「雌猫ムルの人生観」に登場する楽長ヨハネス・クライスラーの生涯を描いた名作で、第8曲は、ホフマンはクライスラーが狂死するように設定たためか、クライスラーの狂気と死というべきもので、シューマン自身狂死に至ったことを考えると、クライスラーの運命に中に自らの運命を読み取った上で、最後の弱音はクライスラーの死を暗示している。そこも見事に捉えていた。

 アンコールはシューマン、ユーゲント・アルバムから「愛しい5月がやってきた」、無題、子どもの情景、Op.15から「トロイメライ」でリサイタルの締めくくりとした。12月にも銀座、王子ホールでのリサイタルがあるという。楽しみである。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン ルター500プロジェクト 4

 バッハ・コレギウム・ジャパン、教会カンタータシリーズ第72回は今年、生誕500年を迎えた宗教改革者、マルティン・ルターにちなんだルター500プロジェクト、4回目である。

 まず、鈴木優人のオルガンで「来ませ、聖霊、主なる神」BWV651、「目覚めよと、我らに呼ばわる声は」BWV645、「装いせよ、おお愛する魂よ」BWV654が演奏された。演奏家としての成長が窺われた。

 パッヘルベル、バッハ、BWV100「神 なし給うは恵みの業なり」は、パッヘルベルは小編成、バッハは大編成。パッヘルベルはコラール・カンタータの礎と言うべき作品で、味わい深い演奏であった。バッハはティンパニも加わった大編成のオーケストラ、合唱、ソリストによる。コラール主題を自由、かつ大胆に展開したもので、壮麗な響きの中にゆるぎない信仰を歌いあげていく。なかなかの聴きものであった。「装いせよ、おお愛する魂よ」BWV180、こちらも強い信仰心を歌いあげていた。「目覚めよと、われらに呼ばわる声は」BWV140は、魂とキリストとの対話、コラールが中心で、信仰の核心に迫る演奏であった。

 このシリーズは、ルターがローマ・カトリック教会のあり方を糺した95箇条の提言を出して、宗教改革を始めた10月31日で完結する。こちらも宗教改革にちなんだ名曲が並ぶ。大いに期待しよう。

 

深澤亮子 ピアノリサイタル

 今や巨匠と言うべき深澤亮子のリサイタルは、前半に助川敏弥の作品、後半に夭折の名ピアニストで作曲かでもあったディヌ・リパッティ、モーツァルト、メンデルスゾーンによるプログラムであった。(浜離宮朝日ホール)

 まず、助川作品。「ちいさな四季」からの小品は、ピアノの明晰な音色から四季折々の風景が伝わった。

「花の舞」、「松雪草」の絶妙な音色、「山水図」の幽玄な世界は素晴らしい。

 リパッティ「夜想曲」Op.6は、作曲家としても素晴らしい才能の持ち主だったことを伺わせた。2017年で生誕100年を迎えたとはいえ、白血病のため33歳で亡くなったことは惜しまれる。聴き応え十分な作品であった。モーツァルト、ソナタ、K.330は深澤にとって自家薬籠中のレパートリーとはいえ、乱れがあったことは残念だった。メンデルスゾーン、厳格な変奏曲、Op.54は名演で、一つ一つの変奏の性格を自らのものにしていた。

 アンコールは助川作品から連弾のための「風の踊り」、メンデルスゾーン、無言歌、Op.62-1「5月のそよ風」、Op.62-6「春の歌」、どちらもメメンデルスゾーンよる連弾用の編曲で、東浦明子が第2ピアノパートを担当、聴きものだった。独奏で、「ちいさな四季」から「糸かけ糸かけ 糸かがり」であった。

 来年80歳を迎える深澤のソロ・リサイタルは、今後どうなるか。日本のピアノ界を支えた巨匠ピアニストの活躍を祈りたい。

 

 

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン ラヴェル ベートーヴェン ショパン

 ゴールデンウィーク恒例のラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン最終日、東京国際フォーラムAホールでラヴェル、ピアノ協奏曲、ボレロ、ベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、Op.61、ショパン、ピアノ協奏曲第1番、Op.11、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、Op.22を聴いた。

 まず、ラヴェル。萩原麻未をソリストに迎えたピアノ協奏曲はラヴェルの研ぎ澄まされた音楽の心髄を伝えた。ジュネーヴ国際コンクールで優勝、ショパンコンクールでは入賞まであと一歩だったとはいえ、素晴らしい音楽を聴かせた。パスカル・ロフェもフランスを代表する優れた指揮者で、国立ロワール管弦楽団も一級のオーケストラである。ボレロではフランスの香りを漂わせた。アンコールではコーダを演奏、手拍子も加わり、楽しいひと時だった。

 ベートーヴェン。カナダの女性指揮者ディナ・ジルベール、シンフォニア・ヴァルヴィゾ、オリヴィエ・シャルリエのヴァイオリンが一体となって、聴き応え万点の演奏だった。ジルベールの統率力は見事で、今後注目されるべき存在となるだろう。

 ショパン。ロシアのウラル・フィルハーモニー管弦楽団、ドミトリー・リスの指揮、今では巨匠の風格と言うべき存在になった小山実稚恵が素晴らしいショパンを聴かせた。アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズは、ピアノとオーケストラによる原曲版で、一聴の価値があった。小山がアンコールで、ショパン、ワルツ,Op.64

-1、「小犬」を演奏した。ショパンにはこの種の作品としてクラコヴィアク、Op.13、ポーランド民謡による大幻想曲、Op.14がある。ショパンがパリに移住した当初、こうした作品を作曲した背景には、パリの聴衆への配慮があったといえようか。

 親子連れなど、様々な客層が見受けられ、CD・書籍販売もあった。この音楽祭が定着し、クラシック音楽の魅力が伝わったかとはいえ、楽章の間に拍手が入ったり、終わらないかのうちに入ったりは困る。こうした点を改善してほしい。

 

アンヌ・ケフェレック ピアノリサイタル

 フランスの名花、アンヌ・ケフェレックがバッハ、パルティータ第2番、BWV830、ヘンデル、組曲第13番より「サラバンド」、HWV432、組曲第9番より、ヴィルヘルム・ケンプ編曲による「メヌエット」、HWV434、組曲第5番、HWV430、スカルラッティ、ソナタ、K.531、K.87、K.145、K.32「アリア」、K.103、シューベルト、ソナタ第21番、D.960によるプログラムでリサイタルを行った。(25日 王子ホール)

 1685年生まれのバッハ、ヘンデル、スカルラッティでバロック音楽の香りを堪能した。スカルラッティでの敏捷性、豊かな歌心が聴きものだった。ヘンデルの組曲第5番はアリアと変奏が「調子のよい鍛冶屋」として有名である。全曲を通して聞いてみると、改めてバロックの味わい深い銘品であると感じた。

 シューベルトは滋味に溢れ、深みと味わいの境地にある名演だった。第1楽章、第2楽章の深み、第3楽章の軽妙な中にも深い味わい、第4楽章のスケールの大きさ。シューベルトが達した境地を見事に描き出していた。

 アンコールはバッハのコラール。次回はフランス音楽の心髄を聴かせてほしい。

清水和音 ピアノ主義 第7回

 円熟の境地にある清水和音のリサイタルシリーズ、ピアノ主義、第7回はチャイコフスキー、主題と変奏、Op.19-6、ベートーヴェン、ソナタ第23番、Op.57「熱情」、リスト「愛の夢 3つのノクターン」、プロコフィエフ、バレエ「シンデレラ」から6つの小品、Op.102を取り上げた。

 チャイコフスキーは魅力ある、聴き応え十分の作品で、もっとコンサートで取り上げてほしい作品である。主題のたっぷりした歌、変奏の性格付けが見事だった。ベートーヴェンはスケールたっぷりで、素晴らしい演奏だった。リスト「愛の夢」は愛の本質をとらえた作品で、第3番のみがあまりにも有名である。3曲全体を聴くと、リストがヴィルトゥオーソから音楽家として成長する過程が伺えた。後、リストはローマ・カトリックの神父となることを考えても頷けよう。プロコフィエフは「シンデレラ」の他に、「ロミオとジュリエット」、オペラ「戦争と平和」から、いくつかピアノ小品集としてまとめている。バレエ音楽の舞台が伝わって来た。

 アンコールはショパン、ノクターン、Op.15-2。余韻たっぷりであった。このシリーズも2018年で完結する。いよいよ楽しみになって来た。

バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ マタイ受難曲 BWV.244

 2017年のキリスト受難の金曜日に合わせたバッハ・コレギウム・ジャパン、バッハ「マタイ受難曲」BWV.244は、ほぼ満員の聴衆を集めた。(14日 東京オペラシティコンサートホール)

 ここ最近、鈴木雅明のテンポがゆったりしている。アリアでのテンポはきびきびしているものの、合唱部分がゆったり聴かせることによって、かえって感銘深いものを与えている。

 ベンヤミン・ブルンズのエヴァンゲリスト、クリスティアンー・イムラーのイエスの素晴らしさはむろんのこと、ハンナ・モリソン、ロビン・ブレイズの感銘的な歌唱が聴きものだった。松井亜希、櫻田亮、加未徹、青木洋也も素晴らしい歌唱を聴かせた。コラールを歌うソプラノ・リピエーノでは青木、モリソンが担当、しっかりした歌唱で支えた。

 オーケストラでは若松夏美、高田あずみ、菅きよみ、前田りり子、三宮正満といった名手たちがソロをはじめ、しっかり見せ場を作った。

 2018年2月11日、「ヨハネ受難曲」では鈴木優人がどんな演奏を聴かせるだろうか。楽しみである。

伊藤恵 ピアノリサイタル

 1999年~2006年はシューマン、2008年~2015年はシューベルトを中心としたコンサートシリーズを行ってきた伊藤恵が24日、ヤマハホールで久々のリサイタルを行った。

 シューマン、幻想小曲集、Op.12、ベートーヴェン、ソナタ第30番、Op.109、シューベルト、ソナタ第20番、D.959によるプログラムで、シューマン、ベートーヴェンは1982年、日本ショパン協会で行ったデビューリサイタルでも取り上げている。その時はショパン、24の前奏曲、Op.28で締めくくった。今回はシューベルトとなり、ドイツ・オーストリア音楽の真髄を伝えるものとなった。

 シューマン、シューベルトは伊藤が得意とする作曲家で、どちらもロマン主義の本質が伝わった。ベートーヴェンは円熟した味わいに満ちていた。アンコールはシューマン=リスト「献呈」で、リストのピアニズムとシューマンのロマン主義が見事に融合していた。

 そろそろ、伊藤がベートーヴェン、ブラームスに取り組んでもよい時期が来ているようにも思える。ベートーヴェン、ブラームスを中心としたコンサートにも大いに期待したい。

 

国際音楽学会 コンサート 20世紀、21世紀の音楽、バロックの夕べ「モメント・モリ」

 国際音楽学会コンサート、第2日目は20世紀、21世紀の音楽、第3日目はバロック音楽のプログラムによる内容だった。(20日、21日 東京芸術大学奏楽堂)

 20世紀、21世紀の音楽ではピエール・ブーレーズ「デリーヴⅠ」、酒井健司「b.1977」、レジス・カンポ「ポップ・アート」、ヴォルフガング・リーム「b.1952」、ジェラール・グリゼー「タレア」の5曲を取り上げ、現代音楽の縮図というべきものだった。

 バロックの夕べでは「死を忘れるな」をテーマに、ドレスラー、フローベルガー、シュッツ、シュトゥルツェル、トゥンダー、ローゼンミュラー、バッハに至るドイツ・バロック音楽によるもので、キリスト教信仰における死の意味を考えさせるものだった。

 どちらも聴き応えある内容で、東京芸術大学教官たちの演奏も素晴らしい内容だった。

 

国際音楽学会 オープニングコンサート 雅楽

 19日から23日まで東京芸術大学で開催される国際音楽学会、東京大会オープニングコンサートとして、雅楽を取り上げた。古典の定番、越天楽、石井眞木「紫響」、舞楽「蘭陵王」を取り上げ、英語による解説付きで行った。

 石井の作品は現代ものであっても、古典の響きを重んじた、格調高い作品であった。「蘭陵王」は華やかさの中に厳粛さを秘めた、素晴らしい舞台だった。

 演奏は東京楽部により、大変厳粛、かつ格調高いものであった。

日本リヒャルト・シュトラウス協会 第170回例会 小森輝彦バリトン・リサイタル

 二期会オペラ公演では欠かせない存在となったバリトン、小森輝彦が日本リヒャルト・シュトラウス協会例会でブラームス「美しきマゲローネのロマンス」Op.33を取り上げ、リヒャルト・シュトラウスの歌曲5曲で締めくくった。(13日

OAGホール)

 小森自ら、ブラームス、マゲローネの思い入れが深く、自ら語りを吹き込み、流しながら歌う方式を取った。もっとも、語りを立てて歌うことが本来の姿だろう。語りを入れず、歌のみで通す方式が多いようである。原作となったティーク「プロヴァンスのペーター伯爵とナポリの美しき王女マゲローネのロマンス」は14世紀から語り継がれたロマンスで、ナポリ国王主催の騎馬試合に参加したペーター伯が王女マゲローネと恋に落ち、駆け落ちするもののペーター伯はアラビアのスルタンの許に送られ、マゲローネは羊飼いのもとに身を寄せる。やがて、ペーター伯はスルタンの王女ズリーマと駆け落ちしようとしたもの、マゲローネを思い出し、ようやく2人が再会して結ばれる。

 共演の井出徳彦のピアノが小森の歌唱に寄りそいつつ、ある時は雄弁に、また恋人たちの思い、離れ離れになった恋人たち、ズリーマの無邪気さを描きだした。小森の共感豊かな歌唱は、ブラームスが描きだした世界を私たちの前にしっかり提示した。円熟の極にある歌い手の姿であった。

 リヒャルト・シュトラウスの歌曲5曲も素晴らしい内容で、ブラームスと共に聴くと、リヒャルト・シュトラウスの歌曲はブラームスの歌曲の延長線上にあることを感じた。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン ルター500プロジェクト 3

 バッハ・コレギウム・ジャパン、教会カンタータシリーズは2017年がマルティン・ルターによる宗教改革500年となるため、ルター・プロジェクト、第3回目としてルターゆかりのカンタータ3曲、オルガンのためのプレリュードとフーガ、BWV544、「わが心の切なる願い」BWV727、「苦しみの中にあれど」BWV641、コラール「安らぎ、喜びに満ちて逝かん」によるヴァルター、プレトリウス、シュッツの作品を取り上げた。

 オルガン作品は鈴木優人が心に染み入る、素晴らしい演奏を見せた。ヴァルター、プレトリウス、シュッツによる「安らぎ、喜びに満ちて我逝かん」はドイツ、バロック期のコラール合唱曲の変遷を伺い知ることができた。その上で、ばっは「安らぎと喜びに満ちて逝かん」BWV125へとつなぎ、死を前にした信仰心を心から歌いあげた。

 「主イエス・キリストのみにて」BWV33も苦しみの中から救いを求める信仰を見事に歌いあげていた。「暁の星は麗しき」BWV1は、天使ガブリエルがイエス・キリスト受胎を告げる受胎告知に相応しい、悦ばしい雰囲気が伝わった。

 ソリストではドミニク・ヴェルナーの安定感ある歌唱をはじめ、松井亜希、櫻田亮、ダミアン・ギヨンが素晴らしい歌唱を聴かせた。いよいよ4月14日、マタイ受難曲が楽しみである。

 

藤井恵 ピアノリサイタル

 桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学からドイツ、ベルリン芸術大学、ニュルンベルク音楽大学に留学、菅谷駒子、渡辺光子、藤井晶子、徳丸聡子、高橋多佳子、下田幸二、ライナー・ベッカー、ヴォルフガング・マンツをはじめ、アンジェイ・ヤシンスキ、セルジュ・ペルティカローリ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー、クラウス・ヘルヴイッヒ、ベルント・ゲツケ、アンドラーシュ・シフにも学んだ藤井恵が、「ローベルト・シューマンとその仲間たち」というタイトルで、ローベルト、クラーラ・シューマン夫妻、ショパン、ブラームスの作品によるリサイタルを行った。

 まず、シューマン「こどもの情景」Op.15から「見知らぬ国と人々」を演奏、藤井自身のトークを交え、ブラームス、6つの小品、Op.118、ショパン、幻想ポロネーズ、Op.61、クラーラ・シューマン「3つのロマンス」Op.11、ローベルト・シューマン「謝肉祭」Op.9で締めくくった。

 ブラームスは第3曲「バラード」中間部で崩れたことが惜しまれるが、ブラームスの音楽の本質を捉えた演奏だった。ショパンは、サンドの関係がサンドの2人の子どもたちを原因に崩れていく中で次第に孤立するショパンの姿が浮き彫りになった演奏だった。シューマン夫妻の作品、クラーラの作品では、クラーラの揺れ動く思いが伝わった。ローベルトの名作の一つ「謝肉祭」は、この作品の根底となるASCH(当時恋人だったエルネスティーネ・フォン・フリッケンの故郷)の音形を捉え、大きな世界を描きだした。

 アンコールはショパン、エチュード、Op.25から第1曲「エオリアンハープ」、シューマン「こどもの情景」Op.15から「トロイメライ」でコンサートの締めくくりとした。

 藤井自身のトークについて、人前で語る以上、もっと上手な話法を心がけてほしい。人前で語るには話法が下手で、聞苦しさも覚えた。もっと上手な話法を身につけてほしい。

 

野尻多佳子 ピアノリサイタル

 国立音楽大学在学中から演奏活動を続け、ヨーロッパでのマスタークラスで学んだ野尻多佳子のリサイタルは、シューベルト、シューマン、ショパン、リストとロマン主義の作品を取り上げた。(25日 紀尾井ホール)

 シューベルト、3つのピアノ曲、D.946-2では死期が近づくシューベルトの心境を描きだしていた。シューマン、子どもの情景、Op.15には子どもたちを見つめる大人のまなざしが感じられた。ショパン、ノクターン第20番、遺作、アンプロンプチュ第1番、Op.29、リスト、3つの演奏会用練習曲から「ためいき」、巡礼の年第3年から「エステ荘の噴水」にはピアノの歌心、音色の美しさが溢れ出ていた。

 後半はリストの大作、ソナタロ短調。楽譜(ヘンレ版)を見ながらの演奏となったものの、一つの楽章にソナタの全要素を盛り込んだ構成には、交響詩を創始したリストの面目躍如たるものがある一方、ソナタと言う楽曲の根源を問うものでもある。古典的ソナタ形式とはいえ、3楽章形式のソナタを融合したリストは、主題動機の展開の根源にも迫った問うべきか。ソナタの根源を問いただしたリストの意図を引き出していた。

 アンコールはフィンランドの作曲家、メラルティンの小品2曲。余韻たっぷりであった。

 

高橋悠司 ピアノリサイタル

 現代ものを得意とする高橋悠司が、「めぐる季節とちらし書き、子どもの音楽」をテーマにリサイタルを行った。前半はパーセル、ルイ・クープランの作品、ケージ、自作初演、後半はバルトーク、ブゾーニ、サティ、ストラヴィンスキーの子どものための作品を取り上げた。(24日 浜離宮朝日ホール)

 パーセル、組曲第7番はイギリスの品の良さ、ルイ・クープラン、シャコンヌ、パヴァーヌは香り高いフランス趣味が聴きとれた。ケージ「四季」はケージ自身によるピアノ版で、インド思想を打ち出した作品、神秘主義的な性格を浮き彫りにしていた。高橋の自作「ちらし書き」は、古今和歌集を自由な着想で描きだした作品、日本情緒が滲み出ていた。

 バルトーク「10の易しい曲」は、11曲として構想したものが10曲として出版したもの。最初の「献呈」が削られて今の形になった。東欧の匂いが伝わり、子どものための教材としても注目すべき作品である。ブゾーニ「子どものためのソナチィナ」は5楽章形式、ユニークな作品で取り上げる価値がある。サティ「コ・クォが子どもの頃」は1999年に発見された作品、ユーモア、エスプリに溢れていた。ストラヴィンスキー「5本の指」も子どものための教材として注目すべき存在であることを改めて裏付けた。

 アンコールはヴェーベルン「子どもの曲」、子どものためとはいえ、点描技法を用いたヴェーベルンの面目躍如であろうか。リサイタルごとにユニークなプログラムを組む高橋の存在は、日本のピアノ界で注目すべき存在だろう。

 

マーク・パドモア、ティル・フェルナー シューベルト「冬の旅」

 イギリスのテノール、マーク・パドモア、ヴィーン生れのピアニスト、ティル・フェルナーが昨年のシューマン・プログラムに続くリーダー・アーベントとして、シューベルト「冬の旅」D.911を取り上げた。(22日 浜離宮朝日ホール)

 恋に破れた若者が雪深い冬の夜、旅に出る。その中でよき思い出を回想しつつも、凍り付き、雪深い冬の地を彷徨い、死を求めつつも死にきれない。遂に、村はずれの辻音楽師に遭遇し、自分の歌に合わせてライアーを回してくれないかと呼びかける。ここには、1820年代、ヨーロッパを平和の名のもとに絶対主義の中、自由思想を弾圧し続けたメッテルニヒ体制への絶望感が漂っている。ベートーヴェンですら、晩年の大作「ミサ・ソレムニス」の中にメッテルニヒ体制への反旗をにじませていた。シューベルトの周囲を見ると、友人シュヴィント、ラッハナーがミュンヒェンに去り、成功をおさめていく。

 パドモアは若者の感情に潛む絶望感を、当時のメッテルニヒ体制への絶望感としても捉え、生々しく感情を伝えた。第15曲「からす」が迫真の響きで、聴くものに感銘を与え、「死にたくても死に切れぬ思い」を託していた。それが第24曲「辻音楽師」へと結実していく。フェルナーもパトモアの歌唱に応え、シューベルトが描きだした絶望感を見事に表出していた。

 パドモアとフェルナーによるリーダー・アーベント、次回はどんなプログラムで私たちを魅了するだろうか。楽しみになって来た。

東京二期会 プッチーニ トスカ

 ローマ歌劇場との提携公演となった東京二期会、プッチーニ「トスカ」最終日は大村博美を中心とするBキャストによる上演で、スカルピア役に予定されていた直野資が体調不良で出演できなくなり、木下美穂子を中心としたAキャストでスカルピアを演じた今井俊輔が出演した。直野は、二期会イタリア・オペラ公演に「この人あり」と言われる存在だけに残念であったものの、今井の素晴らしい歌唱、存在感が新しい時代の二期会イタリア・オペラを支える人材になるだろうと感じた。

 フランス革命期のイタリア、ローマを舞台にオーストリアとフランスの勢力が拮抗する中、ナポリ王国が警視総監に送り込み、革命派弾圧を勧めたスカルピア男爵、革命派の闘士アンジェロッティ、画家カヴァラドッシ、ソプラノ歌手トスカが繰り広げる愛と陰謀のドラマをイタリア・オペラの若手指揮者ダニエーレ・ルスティオーニが東京都交響楽団から素晴らしい音色を引き出し、見事に展開した。

 大村のトスカは激しい気性、スカルピアを刺し殺す大胆さ・残忍さ、カヴァラドッシとの純愛ぶりを見事に演じた。城博憲のカヴァラドッシも芸術家としての誇り高さ、革命の闘士としての気高さ、勇敢さが光った。山口邦明のアンジェロッティはようやく逃げ出した安堵感を表現していたし、峰茂樹の堂守はカヴァラドッシに文句を言いつつもやさしく見守るような暖かさがあった。今井のスカルピアは歌唱・存在感十分で、第1幕のテ・デウムでトスカをわがものに遷都する欲望を表出していた上、第2幕でトスカを威圧するかのような凄みが滲み出ていた。高梨英次郎のスポレッタも好演だった。

 今回の上演は成功だったとはいえ、二期会の歌手陣にも世代交代の波が迫っていることも実感した。今後、どのような人材が出るだろうか。楽しみである。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第304回定期演奏会

 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、第304回定期演奏会は日本を代表するバッハ演奏家であり、指揮者としての実績を上げつつある鈴木雅明がヴェーベルン、パッサカリア、Op.1、ベートーヴェン、交響曲第4番、Op.60、バルトーク、オーケストラのための協奏曲を取り上げた。

 ヴェーベルンは、弦のピツィカートによる主題からオーケストラ全体に至る壮大な作品を一気に聴かせていった。この作品には、ブラームス、交響曲第4番、第4楽章へのオマージュが感じられた。ベートーヴェンは、3日のミサ・ソレムニスの名演の余韻が残る中、この作品本来の姿を引き出した。シューマンが「可憐なギリシアの乙女」と評したことで有名でも、ベートーヴェンの音楽の推進力、統一性は見事である。ロマン的な色彩も豊かな作品である。歌心も豊かで、古典的造形力をくっきり引き出した。バルトークは、オーケストラの長所を見事に引き出した秀演で、高く評価したい。

 ヴェーベルン、バルトークは第2次世界大戦に翻弄され、1945年、戦争が終わった直後に世を去っている。ヴェーベルンはヨーロッパに留まったもののナチスの弾圧にあった後、アメリカ軍の誤射によって亡くなった。バルトークはアメリカに亡命したものの、思う様に活動できず、白血病によりこの世を去った。オーケストラのための協奏曲は、セルゲイ・クーゼヴィツキーの依頼による。この2人を取り上げたことは、ファシズム・戦争に翻弄された芸術家の悲劇を考える上でも大きいだろう。次回はどんなプログラムになるだろうか。

バッハ・コレギウム・ジャパン ベートーヴェン ミサ・ソレムニス Op.123

 バッハ・コレギウム・ジャパンがベートーヴェン晩年の大作、ミサ・ソレムニス、Op.123に挑んだ。ミサ・ソレムニス作曲中のベートーヴェンの肖像画(シュテーラー作)は「これぞベートーヴェン」というほど有名であっても、コンサートなどで聴く機会が少ない。その意味でこのコンサートは貴重だった。(3日 東京オペラシティ コンサートホール)

 ソプラノ、アン=ヘレン・モーエン、メゾ・ソプラノ ロクサーナ・コンスタンティネスク、テノール、ジェイムズ・ギルクイスト、バリトン、ベンジャミン・ベヴァンを迎え、「キリエ」の荘重な始まり、「グローリア」の闊達さ、「クレード」中の「クルツィフィヌス」はイエス受難が伝わって来た。「ベネディクトゥス」では寺神戸亮のソロが素晴らしい彩を添えていた。「アニュス・デイ」でのベヴァンの朗々としたソロは聴き応え十分、「ドナ・ノービス・パーチェム」では戦争の響きとの相克が見事だった。

 鈴木雅明の素晴らしい指揮、真摯さがこのコンサートを見事にまとめた。18日、東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団ではベートーヴェン、交響曲第4番を取り上げる。楽しみである。

高橋望 ゴールドベルク変奏曲 2017

 ゲルハルト・オピッツとともに21世紀ドイツを代表する大御所、ペーター・レーゼルに師事、園田高広ピアノコンクール第3位、イタリア、パルマでのG・ガンドルフィ国際ピアノコンクール第2位入賞、郷里の秩父市でリサイタルを開催してきた高橋望が2015年に引き続き、J.S.バッハの大作、ゴールドベルク変奏曲、BWV.988によるリサイタルを開催した。

 使用したピアノは2015年に引き続きヴィーンの名器、ベーゼンドルファーで、このピアノの長所を生かした演奏で歌心たっぷり、バッハの音楽の本質を組みつくした演奏で、味わい深かった。この作品によるリサイタルは、小林道夫が12月に行うチェンバロリサイタルも年末の風物詩として定着している。高橋も新春1月に行うことで、風物詩として定着させようとしているようである。高橋の場合、2013年からこの作品に取り組み、新たな発見を見出している。

 この作品は、ピアノではグレン・グールドのイメージが大きいだろう。高橋の場合、あくまでもドイツの伝統に根差した正攻法による演奏で、なんのてらいも感じさせない。それがかえって、この作品本来の味わいを生み出している。音色も豊かで、表現も多彩だった。2015年、四谷区民センターでのリサイタルを聴いているが、今回はさらに深みが加わっていた。

 今後、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスを取り上げたシリーズものも希望したい。2018年のゴールドベルク変奏曲リサイタルは1月20日、東京文化会館小ホールとなっている。次回はどうなるか。(ルーテル市ヶ谷センター)

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 第568回定期演奏会

 新日本フィルハーモニー交響楽団、第568回定期演奏会は2016年で没後20年となった武満徹の作品を指揮、井上道義が生涯を辿る形で主要作品を取り上げた。(26日 サントリーホール)

 まず、蓄音機でシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」を流し、武満徹の出発点としての意義を強調した。ベトナム戦争への抗議を表した「死んだ男の残したものは」を大竹しのぶの歌と弦楽合奏、木村かをりのピアノで「2つのレント」から1曲演奏した後、「リタニ― マイケル・ヴァイナーの追悼に」、「弦楽のためのレクイエム」を演奏、オーケストラ全体で「グリーン」を演奏した。

 井上は、武満が「ノ―ヴェンバー・ステップス」を好きではなかったことを語っている。日本の楽器を生かした代表作で、国際的な名声を博したとはいえ、この作品ばかりで自分を評価するような傾向に対する抗議があっただろう。

 後半は「カトレーン」、オーケストラとピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、チェロのための作品で、武満の代表作となった。これはピーター・ゼルキン、オリヴィエ・メシアンとの出会いから生まれた。メシアンから「世の終わりのための四重奏曲」のアナリーゼ・レッスンを受け、この作品が生まれた。「鳥は星形の庭へ降りる」は幻想的、かつ神秘主義的な作品であった。最後は弦楽オーケストラで、映画音楽から「訓練と休息の音楽」、「ワルツ」を演奏、このコンサートの締めくくりとなった。

 大竹しのぶをはじめ、木村かをり、チョイ・ムンス、重松希巳江、富岡廉太郎が素晴らしい演奏で、このコンサートを盛り立てたことを評価したい。武満を語りつつ、指揮者としてもしっかりまとめ上げた井上にも拍手を贈りたい。


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第303回定期演奏会

 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、第303回定期演奏会は指揮に高関健、チェロに宮田大を迎え、武満徹、チェロとオーケストラのための「オリオンとプレイアデス」、ベートーヴェン、交響曲第3番、Op.55「英雄」によるプログラムであった。

 1996年に没後20年となった武満作品は、1984年、パリで堤剛、東京フィルハーモニー交響楽団で初演、冬の星座オリオン座、牡羊座を構成するプレイアデス星団を描きだした作品で、宮田が聴き応えある演奏を見せた。アンコールではバッハ、無伴奏チェロ組曲第1番、BWV1007よりプレリュードを取り上げた。

 ベートーヴェンはナポレオンの皇帝即位に怒った挙句、献呈を取りやめたという通説に変り、ベートーヴェンはパリ移住を考え、この作品をはじめ、ヴァイオリンソナタ第9番、Op.47「クロイツェル」、ピアノソナタ第21番、Op53「ヴァルトシュタイン」などをパリで初演せんとした。その上、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重協奏曲、Op.56も作曲していた。しかし、オーストリアとフランスの関係が悪化したことにより、ベートーヴェンはヴィーンに留まることとなった。

 この時期のベートーヴェンの意気込みが伝わった演奏で、第2楽章「葬送行進曲」では戦死した兵士たちへの哀悼が聴こえてきた。第4楽章もスケールが大きく、迫力十分であった。

 次回は指揮に鈴木雅明を迎えヴェーベルン、バルトーク、ベートーヴェンを聴かせる。こちらも楽しみなプログラムになるだろう。

ユリアン・プレガルティエン 鈴木優人 シューベルト「冬の旅」 D.911

 ユリアン・プレガルティエン、鈴木優人。どちらもバッハ演奏家ミヒャエル・プレガルティエン、鈴木雅明を父にもったこの2人がシューベルト「冬の旅」D.911に挑む。

 今回はシューベルト時代のフォルテピアノを用い、その心髄を示した。第1曲「おやすみ」が切実なものに響く。愛する人との別れが聴くものの心を揺さぶる。若者の悲しみ、絶望感。かつての幸せを振り返るも遠い夢に過ぎない。第11曲「春の夢」はそんな思いを見事に歌いあげていく。

 第13曲「郵便馬車」での希望、絶望の交錯した感情、死を望みながらそれもかなわぬ若者の思いが歌いあげられ、第24曲「辻音楽師」では5度和音の響きがフォルテピアノでは一層切実な響きとなって、心に響く。それがこの歌曲集の締めくくりとなって、余韻を残していく。

 ユリアン・プレガルティエンの歌唱、鈴木優人のフォルテピアノが一つになり、シューベルトが描いた絶望感を切実に表現した。1820年代のドイツ・オーストリアにおけるメッテルニヒ体制はベートーヴェンをはじめ、シューベルトにも閉塞感をもたらした。フォルテピアノによる演奏が一層、それを伝えたような気がする。

 「美しき水車小屋の娘」、「白鳥の歌」によるリーダー・アーベントも期待したい。

(11日 紀尾井ホール)

 

第60回 NHKニューイヤー・オペラコンサート

 1958年に始まったNHKニューイヤー・オペラコンサートは、2017年で第60回を迎えた(3日)。第1回がラジオ放送で始まり、日本都市センターホール、共立講堂、東京厚生年金会館大ホールをへて、1974年からNHKホールとなった。この間、当時の日本オペラ界を代表する歌手たちが繰り広げるオペラの名曲によるコンサートは放送のみならず、ホールに集う聴衆たちにも親しまれる存在となった。

 歌手たちの顔ぶれを見ると砂原美智子、三宅春恵、川崎静子、伊藤京子、大谷洌子、藤原義江、五十嵐喜芳、柴田睦睦、栗林義信、立川澄人などの名歌手たちが登場した。今回は大村博美、砂川涼子、中島彰子、中村理恵、森麻季、森谷真理、池田香織、清水華澄、藤村美穂子、藤木大地、櫻田亮、西村悟、笛田博昭、福井敬、村上敏明、与儀巧、折江忠道、上江隼人、久保和範、黒田博、高田智弘、ジョン・ハオ、妻屋秀和が登場、指揮は広上淳一、鈴木雅明、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、バッハ・コレギウム・ジャパンであった。

 まず、レオンカヴァルロ「道化師」から「ほら!急げ」に始まり、ベッリ―ニ「ノルマ」、プッチーニ「トゥーランドット」、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」、モーツァルト「イドメネオ」、「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」、ヴェルディ「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「ファルスタッフ」、ヴァーグナー「ローエングリン」、「トリスタンとイゾルデ」、ヨハン・シュトラウス「こうもり」、「ヴェネツィアの一夜」、カールマーン「チャールダーシュの女王」、ジツィンスキー「ヴィーンわが夢の町」、マスネ「ヴェルテル」、チレーア「アドリアーナ・ルクヴルール」、ヴェルディ「ファルスタッフ」から「この世は全て冗談」で締めくくった。

 どの歌手たちも自分たちの持ち味を生かした歌唱、選曲だった。舞台もオペラに合わせ、場面を浮き彫りにした。「ドン・ジョヴァンニ」地獄落ちは迫真の演技、「ドン・カルロ」の2重唱は聴きものだったし、「アイーダ」の2重唱はエジプト王女アムネリス、将軍ラダメスとの迫真に満ちたやり取りが素晴らしかった。個々の歌手では砂川涼子がいま一歩の感がした。池田香織は昨年の二期会の舞台に引き続き、素晴らしい歌唱を見せた。村上敏明、福井敬、藤村美穂子は非の打ちどころがなかった。

 今年のオペラ界は1月、新国立劇場「カルメン」、2月は藤原歌劇団「カルメン」、二期会「トスカ」で本格的な幕開けとなる。4月は東京・春・音楽祭での「神々のたそがれ」など、話題の公演が出て来る。どんなオペラに出会えるかが楽しみである。


ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2017

 新春恒例となったヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、2017年はベネズエラの気鋭の指揮者グスダーヴォ・ドゥダメルを迎えた。(NHK Eテレ 19:00~21:50)

 ドゥダメルは、ベネズエラでは誰でも無料で音楽を学べる「エル・システマ」で若者たちの育成に当たり、グレン・グールド賞を受賞している。この取り組みは、子どもの貧困問題が深刻化している日本でも取り組むべきことではなかろうかと感じている。今、習い事をしようにもできない子どもたちがふえている今、無料音楽教室を開設して、音楽を通じてつながることは日本の音楽界にとっても重要な課題になりつつある。また、音楽人口を増やし、音楽界に優れた人材を送り出すことにもつながる。

 コンサートに戻ると、シュトラウス一族の作品はもとよりスッペ、レハール、ニコライの作品、さらにはワルトイフェルの「スケートをする人々(スケーターズ・ワルツ)」によるプログラムで、ヴィーン国立歌劇場バレエ団のバレエ、スペイン乗馬学校、ヴィーン時計博物館を取り上げた。ワルトトイフェルはヨーゼフ・シュトラウスのポルカと関連付けたような感がした。ヨハン2世によるポルカでは、ドゥダメルがうぐいす笛を吹き、華を添えた。ニコライはオペラ「ウィンサーの陽気な女房たち」から夜の音楽を取り上げ、ヴィーン楽友協会合唱団が素晴らしい合唱を聴かせた。

 ヨハン2世「美しき青きドナウ」はこの作品が生れてから150年を記念してか、今までのバレエを集めた映像が素晴らしかった。最後は聴衆の手拍子と共にヨハン1世「ラデツキー行進曲」で締めくくった。

 2018年はリッカルド・ムーティを迎えることになる。現代ドイツ・オーストリアの指揮者ではクリスティアン・ティーレマン、フランツ・ヴェルザー=メストをはじめ、何人か指揮台に登ってほしいものの、いかがだろうか。そちらの面でも人選を進めてほしい。

松本和将 ベートーヴェンツィクルス 第7回

 松本和将がカワイ表参道で行っているベートーヴェンセミナー、ベートーヴェンツィクルスも第7回となった。(19日 カワイ表参道 パウゼ)今回は第27番、Op.90、第28番、Op.101、第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」であった。

 第27番、Op.90にはこの時期のベートーヴェンの心境、抒情性が一体化していた。歌心たっぷりである。第28番、Op.101はアントーニエ・ブレンターノ夫人への思いを回想しながら、新しい世界に踏み出さんとするベートーヴェンの心境を表出していた。

 第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」は気迫十分の第1楽章、第2楽章スケルツォの推進力、第3楽章の深遠、かつ内面的な世界、第4楽章の確信に満ちたフーガの堂々たる演奏は名演だった。

 このシリーズも2017年4月、5月、6月で第30番、Op.109、第31番、Op.110、第32番、Op.111で完結する。どんな完結になるかが楽しみである。

ゲルハルト・オピッツ シューマン、ブラームスシリーズ 第2回

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツが2015年から始めたシューマン、ブラームスシリーズ第2回はシューマンが森の情景、Op.82、ソナタ第1番、Op.11、ブラームスが3つの間奏曲、Op.117、ソナタ第1番、Op.1であった。

 森の情景はドレースデン時代のシューマンのピアノ作品の名作。狩りの情景、寂し気に咲く花をはじめ、不気味な風景、夜の神秘さから森を離れ、町へ帰っていく旅人の思いが伝わって来た。ソナタはクラーラ・ヴィークに捧げたこともあり、当時のシューマンの思いのたけを表現した見事な演奏だった。ただ、最近、シューマンの結婚に関する文献も出て、クラーラとの結婚には父リードリッヒ・ヴィークが頑強に反対した事情が明らかになると、本当に幸せな結婚だったかを再検証する時期に来ている。

 ブラームス後期の名作、3つの間奏曲では晩年のブラームスの諦念が浮き彫りになっていた。ブラームスの記念すべき第1作となったソナタは若きブラームスの野心、ロマン性が調和した素晴らしい世界を描きだしていた。

 アンコールはブラームス、間奏曲Op.118-2。聴き手の心に沁みわたる演奏だった。

 

 

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル

 1980年のショパンコンクールでマルタ・アルゲリッチが審査員を辞退したほど物議を醸したピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチは中国でのコンサートを経て来日、今回はショパン、バラード第2番、Op.38、スケルツォ第3番、Op.39、シューマン、ヴィーンの謝肉祭の道化、Op.26、モーツァルト、幻想曲K.475、ラフマニノフ、ソナタ第2番、Op.36(1931年版)を演奏した。

 ショパン、ラフマニノフではいささかオーソドックスな感だった。シューマンは、もともとソナタとして構想した作品であったことを踏まえてか、ロンド風の第1楽章では主部、シューマンが当時、オーストリア帝国のメッテルニヒ体制への批判を忍ばせ、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を挿入した部分でのどっしりした音作り、短調によるシューマンの孤独を歌う部分、抒情的な部分との対比がくっきりしていた。第2楽章では切実な思いがつたわったし、第3楽章での遅めのテンポは個性的であった。第5楽章もどっしりした音作りが目立った。しかし、うるさすぎた感がある。

 モーツァルトも個性的な音楽づくりが顔をのぞかせていた。それでも、古典の枠をしっかり踏まえていた。もともと、この作品はソナタ、K.457と組み合わせて演奏されることが多く、単独でも演奏されることがある。その意味でも貴重だろう。

 アンコールはシベリウス「悲しいワルツ」、ポゴレリッチの個性的な音楽が光った。次回のリサイタルはどんな内容になるだろうか。

 

北とぴあ国際音楽祭 モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」 K.527

北とぴあ国際音楽祭のメインとなった寺神戸亮によるオペラ上演、今回はモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」をセミ・ステージ形式で上演した。(25日 北とぴあ さくらホール)

 舞台右端にピアノを置き、ランプ、長椅子などを配置する舞台作り。タキシード姿の伊達男としてドン・ジョヴァンニが登場、オーケストラと一緒にピアノを弾く真似をしたり、葉巻を吸ったりする。深紅のドレス姿のドンナ・アンナ、りりしいスーツ姿のドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラが女性チェリスト、シャツ姿のレポレロ、現代の若者たちといったツェルリーナとマゼット、燕尾服姿の威厳たっぷりの騎士長ドン・ペドロ。佐藤美晴の演出は現代的なセンスたっぷりである。

 与那城敬は伊達男たっぷりのドン・ジョヴァンニを見事に演じた。フルヴィオ・ベッティーニのレポレロもこれに劣らない出来だった。臼木あいも父を失った娘の健気さ、敵を討たんとする決意、ルーファス・ミュラーは恋人を支え、共に仇討に臨むドン・オッターヴィオを見事に演じた。ロベルタ・マメリはドン・ジョヴァンニへの未練、復讐のはざまで揺れ動く女性を見事に演じた。ベツァベ・アースのツェルリーナは無邪気さたっぷりに演じていた。パク・ドンイルは直情的、武骨な若者としてマゼットを演じた。畠山茂は威厳たっぷりの歌唱が光った。

 ドン・ジョヴァンニのセレナーデでは寺神戸自らマンドリンを弾き、上演に華を添えた。2017年はグルック「オルフォィス」上演となるが、どんな舞台になるだろうか。

 

 

パスカル・ロジェ ピアノリサイタル

 フランスを代表するピアニスト、パスカル・ロジェが「すみだ北斎美術館」開館記念として、ドビュッシーが見せられた葛飾北斎の絵とのコラボレーションによるドビュッシー、前奏曲集第1巻、第2巻全曲によるリサイタルを行った。

 ドビュッシーの前奏曲1曲ごとに北斎の絵が映し出されるという趣向を凝らしたもので、曲想に合った絵が映し出され、第1集では「西風の見たもの」にはドビュッシーが影響を受けた「賀奈川沖本杢之図」が映し出された時、これが交響詩「海」のインスピレーションのもとになったことを改めて感じた。「ミンストレル」では「百物語 笑いはんにや」が映し出されると、頷けるものがあった。第2集「変わり者のラヴィーヌ将軍」に「仮名手本忠臣蔵」討ち入りの場には恐れ入った。

 ロジェの演奏もフランスのエスプリ漂う名演だった。アンコールでは「ベルガマスク組曲」から「月の光」、サティ「3つのジムノペティ」第1番を演奏した時にもフランスのエスプリが豊かで、素晴らしい余韻を残した。

 「すみだ北斎美術館」開館記念とはいえ、素晴らしい趣向による好企画だったといえよう。

 

ユリアンナ・アヴデーエヴァ 協奏曲

すみだトリフォニーホールによるユリアンナ・アヴデーエヴァシリーズ、協奏曲はシンガポール出身の指揮者カチュン・ウォン、新日本フィルハーモニー交響楽団との共演で、ストラヴィンスキー、ピアノと管弦楽のためのカプリッツィオ、バレエ音楽「火の鳥」(1919年版)、チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番、Op.23、ロシア音楽の神髄を味わうプログラムであった。

 ストラヴィンスキーではカプリッツィオのユーモラスな味わい、モダニズムが感じられた。「火の鳥」は素晴らしさも特筆に値する。

 チャイコフスキーは定番とはいえ、ロシアの大地、風土が香る名演だった。10月15日、ヴァレリー・ゲルギエフ、マリインスキー劇場管弦楽団と共演した15歳のアレクサンドル・マロフェーエフも見事だったとはいえ、アヴデーエヴァには本格的な大人の味わいがあった。

 日曜の午後、チャイコフスキー、ストラヴィンスキーといったロシア音楽の神髄を味わうことができたひと時であった。いずれ、アヴデーエヴァがロシア音楽によるピアノ・リサイタルがあれば、どんなものになるか。それが楽しみである。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 バンベルク交響楽団

 今年89歳、ヘルベルト・ブロムシュテットがバンベルク交響楽団と共に来日、ドイツ音楽の素晴らしいプログラムを聴かせてくれた。1927年生まれ、同年代のクルト・マズアが昨年12月、この世を去った今、ブロムシュテットの健在ぶりを示した公演でもあった。(2日、3日 サントリーホール 4日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 2日はベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、Op.61、交響曲第5番、Op.67。諏訪内晶子のヴァイオリンが見事で円熟した音楽を示した。交響曲第5番はブライトコップの慣習版による演奏だったものの、ずっしりした音楽であった。

 3日はシューベルト、交響曲第7番、D.759「未完成」、ベートーヴェン、交響曲第6番、Op.68「田園」。シューベルトは最初の2楽章だけでも十分に通用する内容だということを如実に示した。シューベルトは作曲中、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番、Op.90を思い出し、作曲を止めたような気がした。「田園」はベートーヴェンがいかに自然を愛していたかを伝えていた。この両日、アンコールに4日演奏予定だったベートーヴェン、エグモント序曲、Op.84を演奏を取り上げた。

 4日は東京オペラシティ・コンサートホールに変え、モーツァルト、交響曲第34番、K.338、ブルックナー、交響曲第7番のプログラムとなった。これは正解だった。

 モーツァルトはザルツブルクでの祝典を思わせるような、壮麗な演奏で少人数編成を取っていた。ブルックナーは壮大、かつ素晴らしい名演で、ヴァーグナーへの思いも垣間見えた。

 なお、ブロムシュテットは2017年、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共に来日する。90歳でどのような演奏を聴かせるか、ゲヴァントハウス管弦楽団もドイツ音楽の魂を伝えるオーケストラとしてどんな演奏をするか。大いに期待したい。

 

 

マレイ・ペライア ピアノリサイタル

 今やアメリカを代表するピアニストとなったマレイ・ペライアは東京での2回のリサイタル、10月28日の浜離宮朝日ホール、10月31日のサントリーホールのみとなった。サントリーホールの方を聴いた。

 まず、ハイドン、アンダンテと変奏曲、Hob.ⅩⅤ.Ⅱ-6、ハイドン晩年の作で味わい深い小品をなんのてらいもなく、見事に表現した。モーツァルト、ソナタ第8番、K.310も見事な演奏だった。ブラームスではバラード、Op.118-3、インテルメッツォ、Op.119-3,Op.119-2,Op.118-2は晩年のブラームスの侘しさ、寂しさ、じっくり歌いあげた抒情性、激しさを描きだしていた。ベートーヴェン、ソナタ第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」は、ペライアがドイツ、ヘンレ社の新版編纂に取り組んでいることもあってか、ベートーヴェンの音楽を真摯に伝えんとした名演であった。

 アメリカでのベートーヴェン研究も盛んで、ピアニスト、ロバート・タウブがベートーヴェン、ソナタに関する著書を出し、全集のCDもある。ネブラスカ大学などでも研究が進んできている。ペライアの取り組みもこうした背景あってのことだと見ている。ペライアが取り組んでいるヘンレの新版がどんどん発売されることを望みたい。

 

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル

 モスクワ生まれ、ベルギー在住の鬼才、ヴァレリー・ファナシエフは22日、紀尾井ホールでベートーヴェンとショパンによるプログラム、この29日は浜離宮朝日ホールでモーツァルトとシューベルトによるプログラ

ムでリサイタルを行った。

 まず、モーツァルト。ソナタK.330、ハ長調、K.331、イ長調。全体の傾向として音が大きめで、オーケストラを意識した音作りだった。モーツァルトにしては音がうるさいと思った人もあっただろう。

 シューベルトは晩年の大作、ソナタD.959、イ長調。こちらの方がオーケストラを意識したことがかえって成功したといえよう。第2楽章の深遠な世界を浮き彫りにしたことで、緊迫感の強いものになった。ここでもアクシデントがあったようである。

 とはいえ、アファナシエフの世界が感じられ、アンコールでの幻想曲、K.397、ニ短調もそうであった。使用したピアノがベーゼンドルファーであったことも頷けよう。

 講談社が来日に合わせて出版した青澤隆明との対談「ピアニストは語る」は読み応え十分で、一気に読み通せる内容である。こちらもご一読をお薦めしたい。

 

ユリアンナ・アヴデーエヴァ ピアノリサイタル

 2010年、ショパンコンクールで優勝したロシアの女性ピアニスト、ユリアンナ・アヴデーエヴァのリサイタルはバッハ、イギリス組曲第2番、BWV807、イ短調、ショパン、バラード第2番、Op.38、ヘ長調、4つのマズルカ、Op.7(ポーランド・ナショナル版新全集)、ポロネーズ第6番、Op.53、変イ長調「英雄」、リスト「悲しみのゴンドラ」S.200-1、「凶星!」S.208、「リヒャルト・ヴァーグナーーヴェネツイア」S.201、ソナタロ短調、S.178であった。(28日 すみだトリフォニーホール)

 端正なバッハに始まり、ショパンではバラードのドラマトゥルギーが聴きものだった。マズルカもポーランドの香りが漂っていた。ポロネーズはスケールの大きさ、抒情性のバランスが素晴らしい、見事な演奏だった。

 リストは、晩年の3つの小品を並べ、ソナタを置く構成から、リストとヴァーグナー、シューマンとの関係を見据えていた。ヴァーグナーとは、長女コージマがヴァーグナー夫人となったため、親子関係にあった。リストはヴァーグナーに距離を置くようになったとはいえ、ヴァーグナーの死を心から悼んだ。その思いが伝わった。ソナタはシューマンから幻想曲ハ長調、Op.17を献呈された返礼だった。この頃、シューマンもリストと距離があった。それでも、リストは生涯、シューマン夫妻(ローベルト、クラーラ)を尊敬、ピアニストとしてのクラーラも評価していた。1楽章とはいえ、ソナタという楽曲の本質を問いただした作品であり、ロマン主義のソナタの名作でもあろう。ソナタの本質を私たちに垣間見せた演奏だった。

 アンコールはショパン、リストで、これも聴きものだった。11月6日、協奏曲ではストラヴィンスキー、チャイコフスキーの名作を演奏する。ピアノリサイタルでもロシア音楽によるプログラムを聴かせてほしい。

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団 特別演奏会「チャイコフスキー・プログラム」 マリインスキー・オぺラ チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」

 今、ロシアで最も勢いのある指揮者、ヴァレリー・ゲルギエフがマリインスキー劇場と共に来日、管弦楽団特別演奏会でのチャイコフスキー・プログラム、ロシア・オペラの名作の一つ、チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」でチャイコフスキーの世界を私たちにたっぷりと披露した。(15日、16日 東京文化会館)

 まず、特別演奏会。幻想序曲「ロメオとジュリエット」はシェークスピアの名作を基に、キャピュレット家、モンタギュー家の争い、双方の家の恋人たちの悲劇を描いたもので、チャイコフスキーがこの名作に抱いた思いを見事に表現していた。ピアノ協奏曲第1番、Op.23は15歳のピアニスト、アレクサンドル・マロフェーエフを迎え、見事な演奏を繰り広げた。マロフェーエフには答礼の際、あどけなさが感じられたとはいえ、自分の音楽を堂々と表現していた。交響曲第5番、Op.64はロシアに戻ったチャイコフスキーの自信が伝わった。1889年、チャイコフスキーがハンブルクで指揮を執った折、ブラームスが聴きに来て、この交響曲をめぐって歓談し、ブラームスも一定の評価を下していた。チャイコフスキーの円熟した音楽、その中に秘められたロシア人としてのチャイコフスキーの苦悩も伝わっていた。チャイコフスキーの音楽に秘められたロシア人としての苦悩、感情こそロシアの指揮者、オーケストラの真頂骨だろう。

 「エフゲニー・オネーギン」は貴族エフゲニー・オネーギン、親友の詩人レンスキー、地主貴族ラーリナ夫人と2人の娘タチャーナ、オリガをめぐるロシア・オペラの名作の一つである。ラーリナ夫人を演じたスヴェトラーナ・フォルコヴァ、乳母を演じたエレーナ・ヴィトマンがしっかりオペラを支えた。オネーギンを演じたロマン・ブルデンコが「エエカッコシイ男」のダンディズム、哀れさを見事に引き出した。レンスキーを演じたディミトリー・コルチャックは婚約者オリガへの思い、オネーギンとの決闘に臨む時、死を覚悟した決意を迫真の歌唱力で演じた。タチャーナを演じたエカテリーナ・ゴンチャローヴァはロマンティストでオネーギンへの思いを歌う乙女、グレーミン公爵夫人としての威厳、オネーギンとの別れを見事な歌唱、演技で演じた。オリガを演じたユリア・マトーチェキナも好演だった。グレーミン公爵を演じたエドワルド・ツァンガの見事な歌唱も聴きものだった。

 チャイコフスキーのオペラは「エフゲニー・オネーギン」、「スペードの女王」が名作としてよく上演されているかもの「マゼッパ」、「チェレヴィチキ」、「チャロディカ」のような往作もある。こうしたオペラが日本で上演される機会を増やしてほしい。「イオランタ」、「オルレアンの少女」が日本で上演されただけである。その他、まだ知られていないロシア・オペラの名作の日本上演を望みたい。

小管優 ピアノリサイタル

ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集を完成した小管優が

完成記念として、ベートーヴェンのピアノソナタ5曲によるリサイタルを行った。(14日 紀尾井ホール)

 まず前半、第1番、Op.2-1、ヘ短調。第1楽章左手の「運命の動機」がしっかり聞こえていた。ベートーヴェンの記念すべき第1作に相応しい演奏だった。第24番、Op.78、嬰ヘ長調「テレーゼ」は歌と自由奔放さが結びついた、味わい深い演奏だった。第17番、Op.31-2、ニ短調「テンペスト」はドラマトゥルギーの表出、抒情性が調和していた。

 後半。第21番、Op.53、ハ長調「ヴァルトシュタイン」はスケールの大きさ、抒情性が見事に調和していた。第32番、Op.111、ハ短調はベートーヴェン最後の作品ゆえの崇高さ、悟りの境地を見事に描き出していた。

 小菅が全集を出すにあたり、2010年~2015年にわたり、5年がかりで行ったベートーヴェン・ツィクルスと並行で行って来た。今回はその成果を示したリサイタルというようか。

 いずれ、小管ももう一度、ベートーヴェンに取り組む時期が来るだろう。その時、ベートーヴェン・ツィクルスがあれば、どんな演奏になるだろうか。

 

青木紀久子 室内楽の夕べ ヴィーンの響き

 東京芸術大学からドイツ、エッセン・フォルクヴァンク音楽大学に留学、帰国後東京ゾリステンとの共演、NHK・FMへの出演、日本ブラームス協会への出演などで活躍、現在は室内楽中心にコンサートを行っている青木紀久子の室内楽コンサートはモーツァルト、シューベルト中心でヴィーンの響きに相応しい内容で、クリストフ・エーレンフェルナー、ヘルベルト・ミュラー、富岡廉太郎を迎えた。(7日 王子ホール)

 まず、ミュラー、エーレンフェルナー、富岡によるシューベルト、弦楽三重奏曲、変ロ長調、D.471はシューベルト特有の温かみあふれる音楽が会場全体を満たした。ミュラー、エーレンフェルナーによるモーツァルト、ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番、K.423はヴィーンの典雅な響きに満ちた演奏だった。青木、ミュラー、冨坂によるモーツァルト、ピアノ三重奏曲、ハ長調は力強さ、典雅さが一体となり、素晴らしい世界を作り上げた。

 後半はヘンデル=ハルヴォルセン、パッサカリア、ト短調はヘンデルのクラヴィーア組曲からの編曲で、聴き応え十分の演奏であった。モーツァルト、ピアノ四重奏曲第1番、K.478、ト短調は素晴らしい演奏で、全ての奏者たちが熱のこもった演奏を繰り広げた。

 アンコールはバッハ、管弦楽組曲第3番、ニ長調からアリア。コンサートの余韻をじっくり味わうことができた。

バッハ・コレギウム・ジャパン 世俗カンタータ  8

 バッハ・コレギウム・ジャパンによる、バッハによる世俗カンタータ・シリーズ第8回(23日 東京オペラシティ コンサートホール)は、「鳴りかわす弦の競いつつ相和する響きよ」BWV207のパロディー、「さあ、晴れやかなトランペットの響きよ」BWV207a、「急げ、渦巻く風よ フェーブスとパンの争い」BWV201であった。

 「さあ、晴れやかなトランペットの音よ」では、オーケストラによる祝典行進曲にのって、合唱が入場する形をとった。これはザクセン選帝侯でポーランド国王を兼任していたアウグスト3世の聖名祝日に合わせ、原曲「鳴りかわす弦の競いつつ相和する響きよ」の詞を選帝侯を称える歌詞に書き換えたもので、領主への祝意が伝わり、ドレースデンの宮廷を彷彿とさせる演奏だった。

 「急げ、渦巻く風よ」はギリシア神話でのアポロンとパンの音楽比べに基づき、音楽がいかに優れた芸術であるかを示さんとする、バッハの思いが伝わった。パンの笛を称えたミダス王の耳をロバの耳にした際、ミダスにロバの耳をかぶせていたことは頷けよう。バッハはオペラも見ていたものの、オペラ創作には手を染めなかった。むしろ、カンタータの形式を用いて、音楽劇と称してオペラを作曲していたと考えてもよいだろう。

 11月にはロ短調ミサが控えている。大いに期待したい。

横山幸雄 ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲演奏会

 横山幸雄は5月にショパン全曲演奏会、9月にはベートーヴェンを中心としたコンサートを1日がかりで行っている。今年はベート―ヴェンのピアノ協奏曲全5曲を1日がかりで行った。

 共演したトリトン晴れた海のオーケストラは第一生命ホールを拠点とする室内オーケストラで、認定NPO法人トリトン・アーツ・ネットワークが2015年6月に設立した。これは紀尾井ホールを拠点とする紀尾井シンフォニエッタと並ぶ室内オーケストラとして注目すべき存在だろう。さらに指揮者を置かず、オーケストラにより自発的で研ぎ澄まされたアンサンブルも素晴らしい。

 第1番での意気軒高としたベートーヴェンの姿、第2番での品格ある響き、第3番での重厚、かつ充実した内容、第4番での古代ギリシアを思わせる高貴な響き、第5番の威厳、重厚さと堂々とした風格。横山はその性格付けを行いながら、見事にまとめた。何よりも、トリトン晴れた海のオーケストラが矢部達哉のもと、しっかりとまとまり、横山のピアノを支え、リードしながら、素晴らしいまとまりを見せた。

 このシリーズはベートーヴェン生誕250年の2020年まで続く。次回はどのようなプログラムになるだろうか。楽しみである。

東京二期会 ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」

 日本を代表するオペラ団二期会が、ヴァーグナーの傑作で20世紀音楽などに大きな影響をもたらした「トリスタンとイゾルデ」(10日、11日 東京文化会館)を上演、大きな成果を収めた。今回の初上演はライプツィッヒ歌劇場との提携公演、ヴィリー・デッカー演出、指揮ヘスス・ロベス=コボス、読売日本交響楽団によるものである。

 日本人歌手・外国人歌手混成のAキャスト、日本人歌手のみのBキャストによるダブル・キャスト制をとり、トリスタンにアメリカのヴァーグナー歌手ブライアン・レジスター、日本を代表するヘルデン・テノール福井敬、イゾルデに横山恵子、メッツォ・ソプラノの池田香織、マルケ王に清水那由太、小鉄和弘、クルヴェナールに大沼徹、友清崇、ブランゲーネに加納悦子、山下牧子、メロートに今尾滋、村上公太というキャスティングであった。

 デッカーの演出ではボートと櫂が特徴的であった。第1幕ではボートに閉じこもり、いらだちを見せるイゾルデ、ブランゲーネが飲ませた愛の妙薬によりトリスタンと愛し合うようになっていく。第2幕ではトリスタンとイゾルデがボートで泉の中に漕ぎ出し、愛を高め合い、死を意識するようになる。第3幕では真っ二つに折れたボート、壊れた櫂により傷深きトリスタンがイゾルデを待ち、イゾルデの中で息を引き取り、イゾルデもトリスタンの後を追うように息を引き取り、2人が死をもって結ばれる。ボートと櫂でトリスタンとイゾルデの「遂げられぬ愛」を描きだした。

 レジスターのトリスタンは当日の体調が万全ではなかったにせよ、素晴らしい歌唱を聴かせた。福井も神奈川県民ホールでの「さまよえるオランダ人」エリックをしのぐ素晴らしい内容だった。イゾルデの横山恵子も2008年の「ヴァルキューレ」以来の出来で、ヴァーグナーへの自信が垣間見えた。ヴァーグナーを得意とする池田も万全の歌唱であった。マルケ王の清水、小鉄も王の風格たっぷりの歌唱だった。大沼、友清のクルヴェナール、加納、山下のブランゲーネもオペラ全体を引き締める内容だった。今尾、村上のメロートも存在感たっぷりの好演だった。

 二期会が目標としてきた日本人によるヴァーグナー、リヒャルト・シュトラウス上演が「トリスタンとイゾルデ」で完結したことは大きい。そこには藤原歌劇団を含め、日本オペラ界の人材育成が進んだことにある。とりわけ、二期会の歌手層の厚さは特筆すべきだろう。1997年に開場した新国立劇場も人材育成に励んできたことは特筆すべきだろう。

 今回の上演が大きな成果を上げたことにより、日本のオペラ界に新たな1ページを開いたことを祝福したい。

サントリー芸術財団サマー・フェスティバル ウツクシイ・音楽 カイヤ・サーリアホ

 サントリー芸術財団サマー・フェスティバルは板倉康明によるウツクシイ・音楽、今年のテーマ作曲家となったフィンランドの女性作曲家カイア・サーリアホの作品をメインとしたコンサートで、2016年を締めくくった。

 まず、ウツクシイ・音楽。板倉自身の指揮、東京都交響楽団による演奏であった。フランスの作曲家、ブルーノ・マントヴァーニ(1974ー)「衝突」はサントリー芸術財団委嘱作品で初演、これはさまざまな音のぶつかり合いからなり、現代を象徴する作品であった。フィンランドの作曲家、マグヌス・リントベルイ(1958-)ピアノ協奏曲第2番は小管優をソリストに迎えた。小管の凄まじいばかりの気迫のこもったピアノが圧巻で、ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集のCD、およびコンサートを終え、その充実した活躍ぶりを示した。オーストリアの作曲家、ゲオルク・フリードリッヒ・ハース(1953-)「ダーク・ドリームス」は神秘的な響きが特徴的だった。最後のドビュッシー、交響詩「海」は海の雄大さ、深さを描きだした名演であった。

 フィンランドの作曲家、カイア・サーリアホ(1952-)を中心としたコンサートはスペインの名匠エルネスト・マルティネス=イスキエルドの指揮、東京交響楽団による演奏であった。まず、フィンランドが生んだ大作曲家シベリウス、交響曲第7番、Op.105にに始まり、オーケストラとハープのための「トランス」は、ハープにグザヴィエ・ド・メストレを迎えた。メストレのハープ、オーケストラが神秘に満ちた作品の性格を見事に描き出した。カナダの女性作曲家、ゾーシャ・ディ・カストリ(1985-)「系譜」は、聴きごたえ十分な内容だった。「オリオン」はギリシア神話の狩人オリオンをテーマとした神秘に満ち、哲学的、かつ深遠な内容であった。

 今年のサマー・フェスティバルは佐藤紀雄、板倉康明のプロデュースによるコンサート、武満徹とタン・ドゥンによるコンサート、カイア・サーリアホをテーマとしたコンサートは充実していたとはいえ、第26回芥川作曲賞は残念な内容に終わった。来年2月から、サントリーホールの改修が始まり、9月開催となる。どんな内容になるだろうか。

(29日、30日 サントリーホール)

 

サントリー芸術財団サマー・フェスティバル めぐりあう響き 第26回 芥川作曲賞選考演奏会

 サントリー芸術財団サマー・フェスティバル、27日の佐藤紀雄がひらく「めぐりあう響き」、28日の第26回芥川作曲賞選考演奏会を聴く。

 まず、「めぐりあう響き」はクロード・ヴィヴィエ(1948ー1983)「ジパング」、マイケル・トーキー(1961-)「アジャスタブル・レンチ」、武満徹(1930-1996)「群島S:21人の奏者のため」、リュック・フェラーリ(1929-2005)「ソシエテⅡ-そしてもしピアノが女体だったら」であった。ヴィヴィエは自宅で19歳の青年に殺されたカナダの作曲家、トーキーはアメリカ出身のマルチ型作曲家、フェラーリはドイツで活躍したフランスの作曲家である。

 ヴィヴィエ「ジパング」は神秘的な作品、マルコ・ポーロが理想化した日本の雰囲気を伝えた。トーキー「アジャスタブル・レンチ」はアメリカ風のダイナミックな作品。武満はこの人ならではの神秘感が漂っていた。フェラーリ「ソシエテⅡ」はピアノ、打楽器がさく裂するかのようなダイナミズムを見せ、終わったと思えどまだ終わらないといった意外性が光った。アンコールは武満徹「波の盆」で静かに締めくくった。

 第26回芥川作曲賞選考演奏会は2014年に芥川作曲賞を受賞した鈴木純明「テューバと管弦楽のための《1920》」が演奏され、1920年代のヨーロッパの雰囲気が伝わった。今回候補に挙がった作品は、渡辺裕紀子(1983-)「折られた...」、大場陽子(1975-)「ミツバチの棲む森」、大西義明(1981-)「トラムスパースⅡ~2群による18人の奏者のための」の3作であった。

 今回は今までとは違い、作曲者のメッセージが感じられない作品ばかりだった。これまでの場合、聴いていて心に伝わってくるものが感じられる作品が受賞している。しかし、今回はどの作品も心に伝わるものがなかった。これが残念だった。結局、渡辺裕紀子が受賞した。

  今回の選考演奏会では、作曲者のメッセージがない、伝わらなかったためか、心に伝わる作品に出会えなかったことが残念である。来年は心に響く作品に出会えることを願う。

(27日、28日 サントリーホール)

サントリー芸術財団サマー・フェスティバル 国際作曲委嘱作品再演シリーズ 武満徹「ジュモー(双子座)」 タン・ドゥン~Takemitsuへのオマージュ(没後20年)

 現代音楽中心の音楽祭として定着してきたサントリー芸術財団サマー・フェスティバル(26日 サントリーホール)は、国際作曲委嘱再演シリーズとして、没後20年となる武満徹「ジュモー(双子座)」、「ウォーター・ドリーミング」、中国出身のタン・ドゥン「オーケストラル・シアターⅡ:Re」、「3つの音符の交響詩」を取り上げた。

 「ジュモー(双子座)」は2つのオーケストラ、オーボエ、トロンボーンのための作品で、2人の指揮者を要する作品で、武満は「音楽による恋愛劇」と位置づけ、オーボエとオーケストラ、トロンボーンとオーケストラの集合体が「愛」という形で合一する過程を描いている。三ツ橋敬子、タン・ドゥンの統率力、オーボエの荒川文吉、トロンボーンのヨルゲン・ファン・ライエンの好演が光った。後半の「ウォーター・ドリーミング」はフルートとオーケストラのための作品で、オーストラリア、アボリジニーの神話「ドリームタイム」による。神田勇哉が好演だった。

 タン・ドゥン「オーケストラル・シアターⅡ:Re」は聴衆も演奏に加わる、珍しい作品で、老荘思想に基づく。聴衆も演奏に加わる形態には、ジョン・ケージ「4分33秒」からの影響もある。むしろ、今までのコンサートのあり方への疑問、一つの試みもあるだろう。後半「3つの音符の交響詩」はA-B-C、ラ-シ-ドを中心にあらゆる要素が展開する作品で、ある種の面白さがあった。

 サントリー芸術財団による国際作曲委嘱シリーズが現代音楽普及にもたらした功績は大きい。今後、どのような作品が生まれ、再演によって広まっていくかが楽しみである。

 

 

松本和将 ベートーヴェン・ツィクルス 第6回

 松本和将のベートーヴェン・ツィクルス、第6回は前半が第24番、Op.78「テレーゼ」、第25番、Op.79「かっこう」、第26番、Op.81a「告別」、後半が第22番、Op.54、第23番、Op.57「熱情」というプログラム構成であった。(カワイ表参道 コンサートサロン「パウゼ」)

 前半。「テレーゼ」の味わい深い歌が素晴らしかった。ただ、前のめりになっていたようである。「かっこう」では明暗のコントラストが素晴らしい。第2楽章の歌が絶品だった。「告別」では、何かとベートーヴェンを支えてくれたルドルフ大公への思いが伝わってきた。

 後半。Op.54は気迫十分、何といってもOp.57「熱情」の凄まじさが聴きものだった。ピアノが崩れんばかりの名演で、第2楽章の明るさがかえって際立ち、第3楽章のコーダまで聴き手をしっかり引き付けていた。

 いよいよ、11月、12月のセミナー、コンサートでは後期の名作へと入っていく。こちらも楽しみである。

新日本フィルハーモニー管弦楽団 第560回定期演奏会

 2011年から5年間にわたる新日本フィル首席指揮者を務めたダニエル・ハーディングによるコンサート、最後はマーラー、交響曲第8番「千人の交響曲」を取り上げた。(4日 サントリーホール)

 この作品は賛歌「あらわれたまえ 創造の主よ 聖霊よ」(ラテン語)、ゲーテ「ファウスト」第2部、最終場面の2部分からなる。賛歌での壮麗さ、「ファウスト」の壮大さが聴きものだった。「ファウスト」の場合、シューマン「ファウストからの情景」第3部との比較研究が必要だろう。シューマンとマーラーの作曲上の視点、その共通点と相違点で研究が進んでいくことを期待したい。

 栗友会合唱団、東京少年少女合唱隊が素晴らしい。エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原愛、加納悦子、中島郁子、ミヒャエル・ナジ、シェンヤンの歌唱も聴きものだった。ハーディングが終演後、盛大な拍手の中、スマートフォンにこの光景を収めていたことが印象的だった。

新国立劇場 団伊玖磨「夕鶴」

 新国立劇場オペラ公演、2015年/2016年シーズン最後を飾る演目は、日本を代表する作曲家の一人、団伊玖磨(1924-2001)の名作「夕鶴」である。

 つうは澤畑恵美、与ひょうは小原啓楼、惣どは峰茂樹、運ずは谷友博。谷が藤原歌劇団、澤畑、小原、峰は二期会からの出演である。世田谷ジュニア合唱団、東京フィルハーモニー管弦楽団、指揮は大友直人であった。

 大友は団の音楽を自らのものとして手堅くまとめ、民話劇に基づく悲劇性を導き出した。世田谷ジュニア合唱団も好演で、村の子どもたちの素朴さを引き出した。

 罠にはまった鶴を助けた与ひょうは、その恩返しに鶴から人間の女性に身を変えたつうを妻として幸せな毎日を送る。しかし、つうが織った布で一儲けしようと企む惣ど、運ずに騙された挙句、最愛の妻となったつうと別れることになる。

 澤畑が見事なつうを演じ、惣ど、運ずに騙される与ひょうへの思い、与ひょうに機屋を見られて別れることとなった悲しみを表出していた。小原の与ひょうは純朴さ、惣ど、運ずたちに騙されていく心理描写が素晴らしい。つうと別れることになっても、一途に愛する心を表現していた。峰の惣どは悪賢さ、与ひょうへの罪悪感といった性格描写が巧みに描かれていた。谷の運ずは小心さを表出していた。

 栗山民也の演出は雪国の純朴さを描きだした舞台作りが見もので、ささやかな幸せがお金によって崩れてしまう悲劇を暗示していた。これが高校生のためのオペラ鑑賞教室としても上演される予定である。日本のオペラの名作が多くの高校生に感動をもたらすことを願いたい。

 また、日本のオペラ作品上演にも積極的に取り組んでほしい。団の作品のみならず、これはと思う作品をどしどし取り上げてほしい。

調布音楽祭 2016 バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ 管弦楽組曲 第3番 ヘンデル「水上の音楽」

 調布音楽祭 2016の締めくくりは鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハ、管弦楽組曲第3番、変テル「水上の音楽」全曲であった。

 バッハとヘンデル。共に1685年生まれでバロック音楽の締めくくりとなった大作曲家である。1719年、1729年、この2人が会おうにも会えなかったことは残念である。バッハは「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」「クリスマス・オラトリオ」、ロ短調ミサ、多くの教会カンタータをはじめとした教会音楽、室内楽曲、クラヴィーア、オルガンのための作品を残した。ヘンデルはイタリア・オペラ、英語によるオラトリオ、室内楽曲、クラヴィーア作品を残した。

 今回取り上げた「水上の音楽」全曲は、2004年発見の新しい資料によるヘンデル全集新版(2007年)によるもので、これまで21曲とされたものに新たに1曲が加わり、全体の流れを重視した内容で、変化に富む自由な作品の性格から国王ジョージ1世の舟遊びを再現するものとなった。ヘンデルがロンドンに渡ったことは、当時のハノーファー選帝侯国の諜報員としての任務だったという説が有力となっている。ハノーファー選帝侯、ジョージ1世はスチュアート朝最後のアン女王急逝後、イギリス国王となっている。その上、英語も話せなかったためイギリスにもなじめず、不人気だったため、舟遊びを催すことととなり、ヘンデルに作曲を依頼した。

 今回の新版による演奏は、テムズ川での舟遊びの光景を忠実に再現、自由でスケールの大きな構成による作品だったことを再認識させた。演奏も自由闊達、かつスケールの大きな内容だった。

 来年の調布音楽祭が楽しみである。

調布音楽祭 2016 モーツァルト・ガラ・コンサート

 調布音楽祭 2016、モーツァルト・ガラ・コンサートは1783年3月23日、ヴィーン、ブルク劇場でのコンサートを再現したもので、2002年11月15日、16日、北とぴあ国際音楽祭記念事業として行った「モーツァルティッシモ」に続くものとして評価したい。

 今回はフォルテピアノに小倉貴久子、森下唯、ソプラノ独唱に松井亜希、臼木あい、高橋維を迎え、鈴木優人指揮アンサンブル・ジェネンスのもと、素晴らしい成果を上げた。

 モーツァルトはオペラ「イドメネオ」K.366初演後、ザルツブルク大司教ヒエロニュムス・フォン・コロレド公爵からヴィーンに赴くよう命令を受け、大喧嘩の挙句、ヴィーンに住むこととなった。ヴィーンに移り住んでから2年後の1783年、ヴィーンで本格的なコンサートを開催、時の皇帝ヨーゼフ2世も臨席、1000人余りの観客の熱狂的な拍手の中、大成功を収めた。

 交響曲第35番、K.385「ハフナー」第1楽章-第3楽章の後、自作のオペラ「イドメネオ」、「ルーチョ・シッラ」K.135からのアリア、コンサート・アリア、K.369、K.416、ピアノ協奏曲第13番、K.415、第5番、K.175、コンサート・ロンド、K.382、即興演奏、パイシェッロのオペラ「哲学者気取り」の「めでたし、主よ」による変奏曲、K.398、グルックのオペラ「メッカへの巡礼」の「バカ者どもは考える」による変奏曲、K.455、「ハフナー」第4楽章で締めくくった。

当時、交響曲は全曲通して演奏することがあったかどうかは不明とはいえ、終楽章を演奏して締めくくりとしたことは確かだろう。アリア、協奏曲、即興演奏、変奏曲によりオペラ作曲家、ピアノの名手としてのモーツァルトの魅力を伝えるためにも十分だっただろう。

 とりわけ小倉貴久子、森下唯が好演で、日本におけるオリジナル楽器演奏家の層が厚くなったことを示した。また、松井亜希、臼木あい、高橋維の歌唱も聴きごたえ十分だった。

 モーツァルトがコンサートを開けなくなった背景として1787年-1791年、オーストリアとオスマン・トルコ帝国との戦争があったことが明らかになっている。この間、ヴィーンではコンサート開催が難しくなり、モーツァルトもコンサートを開けなくなった。モーツァルトの人気があっても。社会情勢が許さなかったからである。トルコとの戦争が終わった1791年、モーツァルトが35歳でこの世を去ったことを思うと、かつての華やかな時とのコントラストを感ずる。そういう意味でも大きな意義があった。

 

ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 演奏会

 テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の来日コンサート、最終日はニコライ・アンドレーヴィチ・リムスキー=コルサコフ(1844-1908)、交響組曲「シェエラザード」Op.35、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)、交響曲第6番、Op.74「悲愴」、ロシア音楽の名曲によるプログラムであった。

 前半のリムスキー=コルサコフはアラビアン・ナイトの世界を描きだした名演であった。女性不信の王の荒々しさが最後にはシェエラザードの前に崩れ、幸せな毎日を送る。ヴァイオリンで描かれるシェエラザードの主題がチェロでも描かれる。最後の第4曲で全体の主題が現れ、船が沈むところで王が女性の真の愛情に目覚めていく。シェエラザードの主題から静かに締めくくる。幸せの日々の始まりである。

 チャイコフスキーは最後の作品であり、己の運命に怯え、死と隣り合わせの心境が生々しく伝わってきた。チャイコフスキーは一時期、自殺を装って殺されたという説が話題となった。結局、コレラによる病死に落ち着いたとはいえ、まだ論争が生ずる可能性がある。今後、新たな発見があるだろう。

 リムスキー=コルサコフはチャイコフスキーとはよきライヴァルで、チャイコフスキーの死後、プロの作曲家として大成する。オペラも東洋を題材にしたものが目立ち、最後の作品となった「金鶏」はシベリアの怪僧ラスプーチンに翻弄される当時のロシア帝国を皮肉ったため、上演禁止となった直後にこの世を去った。その意味で「シェエラザード」は重要だろう。

 今、ロシア音楽で最も活気あふれるサンクトペテルブルクが今後、どのような発展を遂げるか見逃せない。首都モスクワはボリショイ劇場が立ち直りつつある。モスクワの音楽事情もどう変わるか。ロシア音楽界の今後に期待しよう。

ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 演奏会

 ロシアを代表する指揮者の一人、ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団、演奏会(2日 サントリーホール)は、20世紀ロシアを代表する作曲家ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)、交響曲第7番、Op.60「レニングラード」を取り上げた。

 このオーケストラではショスタコーヴィチの作品の多くを初演しているため、「ドミトリー・ショスタコーヴィチ記念」の名を加えている。

 今回取り上げた「レニングラード」は1941年、ドイツ軍がロシアに侵攻、レニングラードを包囲した折、ショスタコーヴィチはこの地に残り、市民を励ましつつ書き上げた作品である。全曲の演奏には1時間20分余りを要するとはいえオーケストラ、テミルカーノフの自信が伝わり、包囲下のレニングラードの有様が伝わって来る名演だった。

 1943年のスターリングラード(ヴォルゴグラード)でロシア軍がドイツ軍を破った後、ロシアの反撃が本格化、1944年にはレニングラードも解放、1945年にドイツへ進撃、降伏させる。しかし、ショスタコーヴィチはスターリン、後にはブレジネフへの批判も行い、ロシアを見つめ続けた。

 1991年、ソヴィエト連邦消滅、ロシアに戻ったとはいえ、ロシアの音楽家たちにはショスタコーヴィチへの熱い思いがある。それが今回の演奏にも強く表れていた。

 今、ロシアの音楽事情を見ると、サンクトペテルブルクが活気づいている。テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団、ヴァレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の活躍は素晴らしい。この秋、ロシアの指揮者では最も勢いある存在、ゲルギエフがマリインスキー劇場を率いて来日、楽しみである。

バッハ・コレギウム・ジャパン ルター500プロジェクト 2

 バッハ・コレギウム・ジャパン、教会カンタータシリーズでは2017年のマルティン・ルターによる宗教改革500周年記念に向けて、バッハの教会カンタータ3曲、オルガン作品2曲、ミヒャエル・プレトリウスの作品を取り上げた。

 まずオルガンによるマニフィカトによるフーガ「わが魂は主をあがめ」BWV.733、シュープラー・コラールより「わが魂は主をあがめ」BWV.648。鈴木優人の聴きごたえある、味わいに満ちた演奏だった。プレトリウス「シオンのムーサたち」より「わが魂は主をあがめ」は、初期バロックの往作をじっくり味わうことができた。

 カンタータ第10番「わが魂は主を崇め」BWV10、第94番「私はこの世に何を求めよう」BWV94、第78番「イエスよ、あなたはわが魂を」BWV78はコラールを基にしたコラール・カンタータで、バッハがライプツィッヒに着任して間もない作品で、当時の意気込みが感じられる。今回は日本人ソリストが中心で、櫻田亮、浦野智行の安定した歌唱が聴きものだった。

 終演後、出演者全員が熊本地震義援金集めのため、ロビーに勢ぞろいした。熊本の方々が早く日常生活を取り戻せるよう、心から祈りたい。

劉薇 ヴァイオリンリサイタル

 中国出身のヴァイオリニスト、劉薇が来日30周年を記念してリサイタルを行った。西安、唐王朝時代の首都長安出身といえば、日本との縁も深い。中国の作曲家で文化大革命で故国を追われた馬思聡(1912-1987) のヴァイオリン作品研究に取り組み、博士号を取得、作品普及、中国文化大革命期の音楽に関する講演も行ってきた。

 今回は馬思聡の小品3曲、助川敏弥「日傘をさした女」、スメタナ「わが故郷より」から2曲、ベートーヴェン、ソナタ第9番、Op.47「クロイツェル」を取り上げた。

 馬思聡「春天舞曲」、「牧歌」、「山歌」は中国の雄大な自然を思わせる名曲で、ヴァイオリンの抒情性豊かな作品であり、日本でも演奏されてもいい。助川作品は4月20日の追悼コンサートでも演奏しているが、今回の演奏が一層豊かな表現力溢れる演奏だった。

 ベートーヴェンは自ら腎臓病を患い、絶望の中、ベートーヴェンの音楽の力に癒されていった思いが伝わり今日、食事療法によって回復、多くの人々に食生活の大切さを説く原動力になったことが頷けた。

 アンコールはクライスラー「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」、ボルムベスク「望郷のバラード」で、じっくり余韻を味わうことができた。

 日本人にとって中国の音楽の実態は伝わってこない。その意味で劉薇の活動の意義は大きい。今後、日本人が中国、ひいてはアジア諸国の音楽に関する研究を行える環境づくりが整うことを望みたい。

 

新日本フィルハーモニー交響楽団 第559回定期演奏会

 新日本フィルハーモニー交響楽団、第559回定期演奏会は日本を代表する作曲家、三善晃(1933-2013)「管弦楽のための協奏曲」、矢代秋雄(1929-1976)ピアノ協奏曲」、黛敏郎( 1929-1997)「涅槃交響曲」によるプログラムであった。(27日 すみだトリフォニーホール)前半に三善、矢代作品、後半に黛作品を置くプログラム構成で、黛作品は1階の通路に金管、木管楽器奏者を配置する形態を取った。

 三善作品は静と動のコントラストが特徴で、ダイナミックな作品である。矢代作品は日本のピアノ協奏曲の傑作で、トーマス・ヘルのピアノも見事だった。黛作品はまさに、日本を代表する傑作だろう。

 黛、矢代、三善はフランスに学んだ。矢代は1956年まで留学し、「美しく仕上げる」ことを学んだ。生涯、主要作8作という寡作家だったことも頷ける。妥協を排し、真の美と音楽を追求したものの、46歳で急逝したことは惜しい。三善は近代との対峙から己を見つめた。黛は「西洋に学ぶものなし」といって1年で帰国、留学中に三島由紀夫と出会う。電子音楽、ミュジック・コンクレートを手掛け、芥川也寸志、団伊玖磨と「3人の会」を結成、戦後音楽界をリードする。また、テレビ番組「題名のない音楽会」で音楽の大衆化にも尽力した。ただ、1970年代以降、ナショナリストとしての発言が目立ち、楽壇から敬遠されるようになった「負の面」もある。黛も昨年、オペラ「金閣寺」が神奈川県民ホールで上演となり、復権も進んでいるとはいえ、「負の面」ゆえの難しさがある。

 このプログラムを組んだ下野竜也の心意気を買いたい。「負の面」を抱える黛であっても、黛再評価につながる。矢代、三善の功績も然り、日本の作曲家たちの作品がオーケストラ・レパートリーとして定着することを願いたい。

 

ペーター・レーゼル ピアノリサイタル

 ゲルハルト・オピッツとともに21世紀ドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ペーター・レーゼルのリサイタル(紀尾井ホール)は前半がバッハ、イタリア協奏曲、BWV971、パルティータ第4番、BWV828、モーツァルト、ソナタ第18番、K.576、幻想曲、K.475、ソナタ第14番、K.457であった。

 バッハはイタリア協奏曲での歌心、イタリア的な明るさ、パルティータでの重量感、歌心が見事だった。また、組曲の性格付けも見事だった。

 モーツァルトではK.576、第1楽章ではトランペットを思わせる輝かしさ、対位法との絡み合いが見事だった。第2楽章の陰り、第3楽章の明るさが最後のソナタに相応しかった。幻想曲、K.475、ソナタ、K.457は一続きで演奏され、統一感も素晴らしかった。歌心と峻厳さが調和した、聴きごたえ十分な演奏だった。

 アンコールはバッハ、フランス組曲第5番からガヴォット、「主よ、人の望みよ、喜びよ」が演奏され、余韻たっぷりだった。

 11月にはゲルハルト・オピッツのシューマン、ブラームスシリーズがある。こちらも大いに期待したい。

NHK交響楽団 第89回オーチャードホール 定期演奏会

 今回で89回目を数えるNHK交響楽団、オーチャードホール定期演奏会は指揮にイタリアの新鋭ロベルト・トレヴィーノ、ピアノにゲルハルト・オピッツとともに21世紀ドイツ・ピアノ界を代表するペーター・レーゼルを迎え、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第3番、Op.37、ブラームス、交響曲第2番、Op.73を取り上げた。

 まず、ベートーヴェン。レーゼルのピアノの素晴らしさはさることながら、第1楽章カデンツァはベートーヴェンのオリジナルではなく、モシェレス/ブラームスのカデンツァを用いていた。アンコールではブラームス、インテルメッツォ、Op.117-1を演奏、心にしみわたるような演奏だった。

 ブラームス、トレヴィーノの真摯な音楽づくりが光る。ブラームス壮年期の名作をじっくり、かつ素晴らしいまとまりをみせ、渋さも伝わってきた。アンコールはモーツァルト、オペラ「フィガロの結婚」序曲。こちらも聴きどころ十分な締めくくりだった。

 レーゼルは11日、紀尾井ホールでバッハ、モーツァルトによるリサイタルがあり、こちらも楽しみである。

清水和音 ピアノ主義 第5回

 2014年から2018年にわたる清水和音のリサイタルシリーズ、ピアノ主義、第5回目はショパン、バラード全4曲、Op.37からOp.62のノクターン8曲によるショパン・プログラムである。

 前半はバラード第1番、Op.23とノクターンOp.37の2曲、バラード第2番、Op.38とノクターン、Op.48の2曲。後半はバラード第3番、Op.47とノクターン、Op.55の2曲、バラード第4番とノクターン、Op.62の2曲。

 バラードは各々の特性をしっかり掴み、音楽としても充実したまとまりを作っていた。第1番の物語性、第2番の哀歓に満ちた締めくくり、第3番の華麗さ、第4番の重量感。印象的だった。

 ノクターンも作品の性格をつかみ、じっくりと味わい深い世界を作り上げていた。清水の円熟ぶりが伝わる、素晴らしい出来栄えだった。アンコールにスクリャービン前奏曲、Op.37-3。これも心に残る。

 第6回はモーツァルト、ベートーヴェン、トビュッシー、ラヴェルを取り上げるという。これも楽しみである。

 

助川敏弥 追悼コンサート

 日本を代表する作曲家の一人、日本音楽舞踊会議代表理事、機関誌「音楽の世界」編集長を務め、2015年9月26日、肺ガンのため85歳で亡くなった助川敏弥の作曲家としての業績をたどった追悼コンサートが行われた。(20日 すみだトリフォニー小ホール)

 まず、邦楽、筝曲2曲。3つの十七絃筝による作品「形象」。3つの筝が互いに調和しつつ、一つの世界を作り上げていく。砂崎知子、野口悦子、高畠一郎が素晴らしい合奏を見せた。「葛の葉」は澄み渡った境地が聴こえてきた。佐薙のり子が車いす姿で出てきたとはいえ、しみじみとした味わいを醸し出した。

 歌曲。江川きぬによる「土と草」、「みそはぎ」、「永遠のみどり」は聴くに堪えなかった。江川の声の衰えが顕著で、歌曲としての体をなしていなかった。中村貴代による「ゆりかご ゆれる」、「のんびり のんびり かたつむり」、「春だ 春だ 春だ」、「真珠のようにかがやいて」はしっかりと歌われ、素晴らしい情感が漂ってきた。笠原たかによる「草原」、「木」、「星とたんぽぽ」は金子みすずの詩の情感を伝えていた。佐藤光政による「ゆうやみに」、「ゆらゆらと」、「すずしさを」、「あかつきを」、「ひさびさに」は佐藤が詩を朗読後歌うという形を取った。歌の情感が伝わる名唱だった。

 ピアノ作品。北川暁子による「桜まじ」、「夜の歌」、「KOMORIUTA」は透徹した響きが聴きものだった。広瀬美紀子による「友禅」もピアノの響きを生かした名品である。戸引小夜子による「山水図」は助川作品の代表作で、音の響きの中に水墨画が浮かんでくるような演奏だった。深澤亮子によるソナチネ「青の詩」も代表作。この作品を初演した深澤の自信に溢れた演奏だった。

 ヴァイオリンでは劉薇による「日傘をさした女」もヴァイオリンの特性を生かした名品。聴きごたえ十分だった。深澤、恵藤久美子、安田謙一郎による「TORIO 2012」は優れた名品だった。この名手たちの特性が生きていた。

 最後に深澤、助川夫人陽子氏による挨拶でコンサートを締めくくった。

 

マウリツィオ・ポリーニ ピアノリサイタル

 マルタ・アルゲリッチと並ぶ現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが2012年以来、4年ぶりの来日となった。プログラムはこの1月に90歳で亡くなったピエール・ブーレーズ追悼としてシェーンベルク、6つのピアノ曲、Op.19、シューマン、アレグロ、Op.8、幻想曲、Op,17、ショパン、舟唄、Op.60、2つのノクターン、Op.55、子守歌、Op.57、ポロネーズ第6番「英雄」、Op.53であった。(16日 サントリーホール)

 シェーンベルクからはブーレーズへの思いが込められていた。シューマンは幻想曲、第2楽章で前のめりになった箇所があり、年齢面から来るものを感じた。しかし、アレグロ、幻想曲からシューマンの音楽の神髄が伝わってきた。

 ショパンは音色のみならず、音楽としても充実した内容で、舟唄には孤独なショパンの姿、子守歌の玄妙さ、ノクターンでの瞑想、ポロネーズもどっしりした内容だった。アンコールでも練習曲、Op.10-12「革命」、スケルツォ第3番、Op.39、ノクターン、Op,27-2を演奏、どれも音楽的に充実した内容だった。

 ポリーニも74歳。衰えも出てくるだろう。ショパンでの充実した内容から、円熟の境地に達したピアニストの至高の芸を聞きとることが出来よう。再び、至高の芸をじっくり味わいたい。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    祐子 (月曜日, 18 4月 2016 01:51)

    木曜日に聴きに行きます。とても楽しみです。

 

北村朋樹 ピアノリサイタル

 若手ピアニスト、北村朋樹のリサイタル(12日 トッパンホール)はベートーヴェン、6つのバガテル、Op.126、シェーンベルク、6つの小さなピアノ小品、Op.19、ブラームス、幻想曲集、Op.116、リスト「悲しみのゴンドラ」1、S200/1、ブラームス、ピアノ・ソナタ第3番、Op.5、ヘ短調であった。

 北村のリサイタル・プログラミングは見事の一言に尽きる。前半はベートーヴェン最後のピアノ作品となった6つのバガテルからシェーンベルク、間を置かずにブラームス、後半はリスト晩年の小品からブラームス、プログラムの最後をブラームスで締めくくった。このリサイタルではブラームスを中心に据え、ブラームスが範としたベートーヴェン、ブラームスの影響を受けて12音技法を確立したシェーンベルク、ブラームスを評価していたリストを置いたところに意義がある。音楽史におけるブラームスの意義を再評価せんとする試みである。

 ベートーヴェンは晩年に到達した軽みの世界を描きだしていたし、シェーンベルクも12音技法を確立した自信が伝わってきた。リストでは1883年に急逝したヴァーグナーを悼むかのような思いが伝わってきた。ブラームスは、ソナタでは若きブラームスの抒情性、ダイナミズム、ドラマトゥルギーが申し分なかった。幻想曲集では晩年のブラームスの諦念が伝わった。

 アンコールは2曲、こちらもリサイタルの余韻を味わうには申し分なかった。プログラム全体から音楽史におけるブラームスの位置を再評価する試みは成功したといえよう。今後、多くの聴き手を惹きつけるリサイタル・プログラミングで新たな境地を開いてほしい。

 

 

東京 春 音楽祭 安田謙一郎 ベートーヴェン チェロ・ソナタ 全曲演奏会 第2回

 安田謙一郎、津田裕也によるベートーヴェン、チェロ・ソナタ全曲演奏会、第2回(11日 石橋メモリアルホール)は第2番、Op.5-2、第3番、Op.69、モーツァルトのオペラ「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲、WoO.46、

「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲、Op.66を取り上げた。

 まず、Op.5-2。2楽章とはいえ、若きベートーヴェンの野心に満ちた姿をしっかり捉えていた。Op.69は円熟期のベートーヴェンの音楽の核心が伝わった。若き津田の好演も見逃せない。

 モーツァルトのオペラ「魔笛」の主題による2つの変奏曲も安田が若き津田を引き立てつつ、室内楽の楽しさを伝えていた。ベートーヴェンがモーツァルトのオペラで最も好み、評価していた作品への愛着も伝わってきた。アンコールはブラームス「野の寂しさ」を演奏、コンサートを締めくくった。

 チェリストたちにとってもベートーヴェンは試金石である。安田も今こそベートーヴェンに向き合い、津田裕也のような若き逸材を迎え、その成果を上げた。今後、どのような活躍を見せるだろうか。楽しみである。

バッハ・コレギウム・ジャパン マタイ受難曲

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2016年度最初の定期演奏会(25日 東京オペラシティ・コンサートホール)はイエス・キリスト受難の聖金曜日にちなみ、マタイ受難曲、BWV244で幕を開けた。

 今回は韓国のバッハ・ゾリステン・ソウルとの共演によるマタイ受難曲上演は、日韓の音楽家交流の記念すべき1ページとなった。また、福岡女学院高等学校音楽科の生徒たちも加わり、素晴らしい演奏となった。

 パク・スンヒョクの素晴らしいエウァンゲリスト、パク・スンヒの重量感あふれるイエスの歌いぶりが中心となった。ソプラノでは当初予定されていたハナ・ブラシコヴァが来日できなくなり、松井亜紀が見事な歌唱を見せた上、ソン・スンヨンも好演だった。アルトでは青木洋也、ジョン・ミンホがよかった。テノールの桜田亮、バスの浦野智行の円熟した歌唱は聴きものだった。

 何よりも鈴木雅明の指揮が全体をしっかりとまとめ、イエス・キリスト受難の物語をリアリティ豊かに表現していた。福岡女学院高等学校音楽科の生徒たちの合唱もしっかりとしたまとまりを見せた。

 11月の定期演奏会にはロ短調ミサが登場する。こちらも楽しみである。

 

東京・春・音楽祭 安田謙一郎 ベートーヴェン チェロ・ソナタ 全曲演奏会 第1回

 日本を代表するチェリスト、安田謙一郎が石橋メモリアルホールで若手ピアニスト、津田裕也を迎えてベートーヴェン、チェロ・ソナタ全曲演奏会、第1回を行った。

 使用楽譜はベーレンライター版で、第1番、Op.5-1、ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」から「見よ、勇者は帰る」による12の変奏曲、WoO.45、第4番、Op.102-1、第5番、Op.102-2であった。

 第1番での若きベートーヴェンが見せる野心、第4番、第5番では後期ベートーヴェンの自由さ、フーガを取り入れ、新たな音の世界を追求する姿勢。円熟味あふれる安田のチェロ、若々しさを見せながら、緻密な音楽づくりでサポートした津田の素晴らしいピアノが一体化して、ベートーヴェンの世界が広がっていった。変奏曲でも互いの長所を生かしつつ、素晴らしい音楽に仕上げていった。

 アンコールでメンデルスゾーンの作品を演奏、さわやかな締めくくりとなった。4月12日の第2回目が楽しみである。

 

神奈川県民ホール ヴァーグナー「さまよえるオランダ人」

 神奈川県民ホール、びわ湖ホール、iichiko総合文化センター、東京二期会による共同制作オペラシリーズ、ヴァーグナ

ー「さまよえるオランダ人」(20日 神奈川県民ホール)、この日はすべて日本人キャスト、オランダ人青山貴、ダーラント妻屋秀和、ゼンタ橋爪ゆか、エリック福井敬、マリー小山由美、舵手は清水徹太郎であった。

 青山貴の重量感あるオランダ人は、苦悩を背負いつつも救いを求める真摯さが伝わった。妻屋秀和の堂々とした威厳あるダーラント、小山由美によるしっかり者の乳母マリーが舞台を引き締めていた。一途さなゼンタを演じた橋爪ゆか、オランダ人からゼンタを取り戻そうとする福井敬のエリックが見事だった。

 何よりもヘニング・フォン・ギールケの舞台が素晴らしかった。ギールケは1992年、バイエルン国立歌劇場来日公演では演出も行った。この時の舞台、演出の意図がよかったとはいえ、会場の関係で物足りない結果になったことは惜しかった。今回の舞台では船の構造を生かした舞台作りが見事、海と空、オランダ人の船との対比が生きていた。その上、ミヒャエル・ハンペの演出も舞台と調和していた。

 沼尻竜典の指揮は舞台、演出全てをまとめ上げ、ヴァーグナーの音楽を余すところなく引き出し、素晴らしい内容のオペラを生み出した。2017年の演目がモーツァルト「魔笛」、勅使河原三郎の舞台・衣装・演出、指揮は川瀬賢太郎となっている。どんな舞台になるかが楽しみである。

 

ミシェル・ベロフ ピアノリサイタル

 21世紀、フランス・ピアノ界を代表するピアニストとなったミシェル・ベロフのリサイタルはフランク、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、メシアンといったフランス音楽の夕べ、フランスの香りを堪能した一時であった。

 フォーレ、ノクターン、第1番、Op.33-1、変ホ短調、第6番、Op.63、変ニ長調。フォーレの高雅な響きに満ちていた。ラヴェル、水の戯れ、亡き王女へのパヴァーヌ。精緻な音の世界、高雅な響きが素晴らしい。ドビュッシー、2つのアラベスク、子どもの領分。クリスタルガラスのような響きが聴きものだった。

 フランク、前奏曲とコラール、フーガ。サン・サーンスと共に近代フランス音楽の礎となったフランクの宗教性、精神性を余すところなく伝えていた。メシアン、幼子イエスにそそぐ20のまなざしから第19曲、第20曲。メシアンの精神性が伝わってくる名演であった。

 アンコールはドビュッシー、スケッチブックから、前奏曲集第1巻から「沈める寺」。フランスの香りを満喫した。再び、フランスの香りを満喫できるプログラムを聴きたい。

松本和将 ベートーヴェン・ツィクルス 第5回

 今回で5回目となった松本和将のベートーヴェン・ツィクルス(8日 カワイ表参道 コンサート・サロン パウゼ)は第12番、Op.26、変イ長調、第18番、Op.31-3、変ホ長調、第19番、Op.49-1、ト短調、第21番、Op.53、ハ長調「ヴァルトシュタイン」であった。

 Op.26では第1楽章、変奏曲の性格付け、第2楽章の推進力、第3楽章の葬送行進曲の荘重さ、第4楽章の素晴らしい締めくくりが光った。第3楽章の葬送行進曲について、後の交響曲第3番、Op.55、変ホ長調「エロイカ」との共通点がある。大崎滋生は、フランスでの戦争の凱旋式典の際、戦死者への哀悼として葬送行進曲を演奏したという習慣から挿入したと見ている。この場合もそうした傾向から考えることができるだろう。

 Op.31-3では楽章の性格付け、第2楽章、スケルツォ、第4楽章の推進力、迫力が傑出していた。第1楽章、第3楽章のメヌエットも聴きものだった。

 Op.49-1も聴きごたえ十分だった。Op.53 、「ヴァルトシュタイン」では中期ベートーヴェンの音楽語法、その頃フランスから送られたエラール・ピアノの新機構を生かしたダイナミズムが素晴らしかった。実際、ベートーヴェンはパリ移住を考え、パリにいたボン時代の親友、アントン・ライヒャにコンサートのプランを書き送っていたほどで、このソナタもパリで演奏しようと考えていた。パリへの思いも感じられた。

 アンコールに変わり、松本自身のトークで締めくくりとなった。次回が楽しみである。

 

 

ルドルフ・ブッフビンダー ピアノリサイタル

 ヴィーンの名匠、ルドルフ・ブッフビンダーのリサイタル(4日 すみだトリフォニーホール)は、バッハ、イギリス組曲第3番、BWV808、ト短調、ベートーヴェン、ソナタ第21番、Op.53、ハ長調「ヴァルトシュタイン」、シューベルト、ソナタ第21番、D.960、変ロ長調であった。

 全体を通してみると、一気呵成で強い集中力が感じられた。聴き手からすると、大変強い緊張感の中、バッハ、ベートーヴェン、シューベルトの音楽を聴きとおすこととなった。

 バッハでは前奏曲から、バロック音楽の世界を描きだしていた。ベートーヴェンでは重戦車のような第1楽章の推進力が見事だった。第2楽章の序奏の味わい、ロンドの素晴らしさ、息もつかせぬ演奏だった。

 後半のシューベルトで速めのテンポでもじっくりと歌った第1楽章、第2楽章の絶望感と救い、第3楽章のユーモア、第4楽章のスケールの大きさ、正に名演であった。

 アンコールではベートーヴェン、ソナタ第8番、Op,13、ハ短調「悲愴」第3楽章、バッハ、パルティ―タ第1番、BWV825、ジーグ、ヨハン・シュトラウス「こうもり」のワルツによるパラフレーズで、シュトラウスではヴィーンの香りが伝わってきた。次回が楽しみである。

小林五月 ピアノ・リサイタル シューマン・ツィクルス 9

 小林五月のシューマン・ツィクルス、今回はサン=サーンスとともに近代フランス音楽中興の祖とされるセザール・フランク(1822-1890)の前奏曲、コラールとフーガを加え、森の情景、Op.82、ヴィーンの謝肉祭の道化、Op.26を取り上げた。

 伊藤恵とともにシューマン弾きとして注目される小林は、2014年5月にこの2曲、ブラームスを加えた形でのリサイタルを予定していたものの体調不良のため延期となり、今回はフランクを加えてのリサイタル(1日 東京文化会館小ホール)となった。

 まず、森の情景。ゆったり目のテンポでじっくり、シューマンの音楽を紡いでいく。「呪われた場所」、「予言の鳥」ではかえって音楽の本質を描きだしていた。「別れ」もじっくり歌われ、余韻深かった。フランクの作品もゆったり目で、じっくり作品の本質を浮き彫りにした。

 ヴィーンの謝肉祭の道化。ゆったり目のテンポがかえって、この作品が単に謝肉祭の賑やかさだけではなく、当時のヴィーンの空気を浮き彫りにしていた。第1楽章でフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が出てくる場面では、メッテルニヒの保守反動政治の閉塞感を伝えることに成功していた。

 アンコールでは「別れ」が演奏され、このリサイタルの締めくくりとなった。次回、どんな作品を取り上げるかが楽しみである。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン J・S・バッハ、世俗カンタータシリーズ 7 

 鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパン、第116回定期演奏会(26日 東京オペラシティコンサートホール)はJ.S.バッハ、オルガン協奏曲、BWV592、ト長調、世俗カンタータ2曲「汝の果報を称えよ、祝福されしザクセンよ」BWV215、「静かに流れよ、たわむれる波よ」BWV206を取り上げた。

 今回取り上げた世俗カンタータ2曲はドレースデン、ザクセン選帝侯でポーランド国王となったフリードリッヒ・アウグスト3世(ポーランド国王としてはアウグスト3世)即位記念として作曲したものである。ポーランドはヤゲヴォ王朝断絶後、選挙王政を敷いていた。これがポーランドの命取りとなり、ドイツ人、ロシア人に国を乗っ取られる一因となった。また、ポーランドの有力貴族の中にヤゲヴォ王家を継ぐべき貴族が出なかったことが大きい。そんな中でスタニスラフ・レクチンスキーがフランスを後ろ盾にポーランド国王となったものの、ザクセン選帝侯が国王となった。その後、ポーランドの名門貴族チャルトルイスキ一族のスタニスラフ・ポニャトフスキーがポーランド王国の統一、近代化政策を取って、独立国へと動き出すとロシア、プロイセン、オーストリアがポーランドの有力貴族たちを自分たちの味方にしてポーランドを潰した。ザクセン選帝侯ヴェッティン家とオーストリア、ハプスブルク家が政略結婚でポーランドを支配した背景を知ると、オーストリアにとってザクセン選帝侯がポーランド国王である方が好都合だった。バッハは、ザクセン選帝侯がポーランド国王に即位した記念祝典のため、この2曲を作曲、1734年、選帝侯がライプツィッヒを訪問した際初演した。

 BWV216は2部合唱の壮麗さが光る。第1曲はロ短調ミサ、BWV232「オザンナ」の先駆となった合唱曲である。また、クリスマス・オラトリオ、BWV248で用いられたものもある。祝典音楽とはいえ、いくつかの部分が後の作品に転用される過程を知る上でも貴重だった。BWV206はエルベ川、ドナウ川、プライセ川、ヴィスワ(ヴァイクセル)川がザクセン選帝侯の徳を称える内容で、ポーランド継承戦争に勝利、王位を確実にした喜びを伝えていた。

 オルガン協奏曲はヴァイマール期に仕えたヨハン・エルンスト公の作品を編曲したものとはいえ、素晴らしいまとまりを見せている。これが後のイタリア協奏曲、BWV971、ヘ長調へとつながっていく。鈴木優人の演奏も見事だった。

 2016年度は3月25日、マタイ受難曲、BWV244で始まる。今回は韓国のバッハ・ゾリステン・ソウルとの合同公演で、日韓のバッハ演奏家によるマタイが楽しみである。

 

ティル・フェルナー シューマン・プロジェクト 2 リーダー・アーベント

 ティル・フェルナー、シューマン・プロジェクト、第2回(18日 トッパンホール)はロンドン生まれのテノール、マーク・パドモアとのリーダー・アーベントで5つの歌曲、Op.40、詩人の恋、Op.48の間にハンス・ツェンダー「ジャン・パウルの詩による2つの歌」、ベートーヴェン、はるかな恋人に、Op.98をはさんだプログラムである。パトモアとはシューベルト、3大歌曲集「美しき水車小屋の娘」、「冬の旅」、「白鳥の歌」を共演している。

 まず、アンデルセン、シャミッソーの詩による5つの歌曲集、Op.40。アンデルセンの詩による4つの作品では「母親の夢」、「兵士」、「楽師」での虚無感あふれる表現は素晴らしかった。ゆりがこの我が子を見つめる母親、外のカラスの鳴き声の不気味さ、親友の処刑に立ち会う兵士の心境、恋人の婚礼にヴァイオリンを弾く楽師の悲しみを歌いだしていた。ツェンターの作品は録音とピアノ伴奏が溶け合い、神秘的な雰囲気を醸し出す中、「生意気盛り」からのテクストを歌う。ロマン主義の雰囲気を見事に捉えていた。ベートーヴェンでは、遠くにいる恋人への思いを切々と表現していた。この最後の歌の旋律がシューマンの作品では様々な形を変えて現れていることにも注意したい。これが、シューマンの作品でどのような役割を果たしているかは今後の研究次第だろう。

 詩人の恋、Op.48。パドモアのドイツ語の発音には気にかかるところがあったとはいえ、ハイネの詩とシューマンの音楽が見事に調和した世界を描きだしていた。アンコールはアイヒェンドルフの詩によりリーダー・クライス、Op.39から「月の夜」、夜の情景を見事に描きだしていた。

 トッパンホールを始め、ホールの自主事業により素晴らしいコンサート・シリーズが開催され、多くの聴衆を集めるようになってきた。このシリーズもその一つである。今後、ホールの特色を生かした自主事業が更なる発展を遂げてほしい。

ティル・フェルナー シューマン・プロジェクト 1 リサイタル

 1972年、ヴィーンに生まれ、ヘレーネ・セド=シュタトラー、アルフレート・ブレンデル、マイラ・ファルカス、オレグ・マイセンベルク、クラウス=クリスティアン・シュスターなどに学んだオーストリアの中堅、ティル・フェルナーがトッパンホールで、2回にわたるシューマンの作品を中心としたコンサートシリーズ、シューマン・プロジェクトを行った。第1回、リサイタル(16日 トッパンホール)を聴く。

 ブログラムはシューマン、パピヨン、Op.2、幻想曲、Op.17の間にベリオ、5つの変奏曲、ベートーヴェン、ソナタ第13番、Op.27-1「幻想風」をはさんだ構成である。

 パピヨンはシューマンとジャン・パウル「生意気盛り」との関係が取りざたされても、シューマンが作曲家として正式にデビューする前の作品からの引用、改作も含まれている。また、シューマンは作品全体の構成などを考え、いくつかの小品を並べて曲集にまとめている。その際、採用しなかったものがOp.99、Op.124といった曲集となったことにも注意すべきだろう。フェルナーは全体のまとまりを考え、初々しいシューマンのロマン性を引き出していた。

 ベリオの変奏曲。師ルイジ・ダラピッコラに献呈した作品で、聴きごたえ十分な作品だった。変奏曲、12音技法とは無縁の新しいコンテクストに基づく作品としてユニークな存在であろう。

 ベートーヴェン。プログラム・ノートを見ると、緩-急-緩-急の4楽章構成となっている。変イ長調のアダージョ・コン・エスプレッショーネを独立した楽章とすれば、教会ソナタの構成だろう。しかし、アレグロ・ヴィヴァーチェの終曲をみるとコーダ前にアダージョが変ホ長調で再現、ブレストのコーダで結ばれることを考えると序奏部であり、3楽章構成となる。第3楽章とすると、楽章構成に教会ソナタの構成原理を持ち込んだものと見ることが可能である。ベートーヴェンの幻想ソナタの構成を考察すると、教会ソナタの構成原理を活用して、自由なファンタジーを生み出そうとしたと見てよい。ベートーヴェンの世界が広がっていた。

 幻想曲は、リストがボンにベートーヴェン記念像を建立しようと呼びかけ、ソナタを作曲して寄付金に当てようとした。ソナタとして着想したとはいえ、急-急-緩の3楽章構成となったことが従来のソナタを打ち破らんとしたこともあって、幻想曲となった。また、シューマンはクラーラ・ヴィークとの恋愛の末、結婚に至った。この作品を作曲した1836年は、2人の交際が禁じられていた。3曲のソナタ、カーナヴァル、ダヴィド同盟舞曲集、子どもの情景、クライスレリアーナなどの名作もクラーラなくしては生まれなかった作品といえよう。第1楽章の展開部、ハ短調の部分は互いの交際が禁じられていた時期を表現したもので、フェルナーはこうしたシューマンの心境、その他クラーラへの熱い思いを見事に表現していた。

 アンコールはカーナヴァル、Op.9からオイゼビウス。締めくくりに相応しかった。第2回目はテノール、マーク・パドモアとのリーダー・アーベントであり、楽しみである。

コメント: 0

 

仲道郁代 ピアノリサイタル

 サントリーホールでの仲道郁代ピアノリサイタルは、前半がバッハ、パルティ―タ第1番、BWV825、変ロ長調。シューマン、ソナタ第1番、Op.11

嬰ヘ短調。後半がショパン、ワルツ、Op,18-Op.64の8曲、ポロネーズ第6番、Op.53「英雄」。アンコールはショパン、ノクターン第20番、嬰ハ短調「遺作」、エルガー「愛の挨拶」。

 バッハ。プレリュードからジーグまで、たっぷりと歌われ、バッハの音楽を味わうことができた。シューマンはクラーラに献呈しただけあって、クラーラへの思いをたっぷり歌いあげていた。

 ショパン。ショパン存命中に出版されたワルツ8曲を取り上げ、音楽家としてのショパンの成長ぶりに伴うワルツの作風をとらえていた。ただ、一曲ごとに立ち上がって答礼するより、全体を通して演奏した方がかえってよかっただろう。ポロネーズもしっかりまとまり、聴きごたえ十分であった。

 アンコールでのノクターンは、美しい音色が素晴らしかった。エルガーは仲道のリサイタルではお開きというかたちで演奏されるが、マンネリ化しているようである。

 仲道の音楽家、ピアニストとしての円熟ぶりが伝わる一時だった。3月、秋のコンサートシリーズが楽しみである。

クリスティアン・ツィメルマン ピアノリサイタル

 13日、サントリーホールでのクリスティアン・ツィメルマン、ピアノリサイタルは、シューベルト、7つの軽快な変奏曲、Anh.Ⅰ-12、ト長調、ピアノ・ソナタ第20番、D.959、イ長調、第21番、D.960、変ロ長調、シューベルト・プログラムであった。

 シューベルト13歳のころに作曲されたとはいえ真作かどうか不明の変奏曲は、初々しさにあふれ、純真さが目立つ作品で、得難い聴きものだった。

 最後のピアノ・ソナタ2曲は、シューベルトが亡くなる1828年6月からスケッチ、9月26日に全3曲が完成したことになる。シューベルトは医師から転地を勧められたものの、経済的な事情で転地ができなかった。それより、これらのソナタをはじめ、弦楽五重奏曲、D.956、ハ長調、ミサ曲第6番、D.950、変ホ長調、歌曲集「白鳥の歌」、D.957といった傑作を生み出すことに集中していたようである。

 どちらのソナタもシューベルトが到達した境地を余すことなく表現していた。D.959、堂々とした第1楽章、第2楽章のおぞましさ、第3楽章の闊達さ、第4楽章の伸びやかな歌、D.960、第1楽章の深い歌、第2楽章の絶望と救い、第3楽章の深みに満ちた音色、第4楽章のスケールの大きさ、どれをとっても素晴らしい演奏だった。

 アンコールはシマノフスキ、プレリュード、Op.1-1。情感たっぷりの演奏で締めくくった。

 「すべての子どもに教育を」をモットーに、私財を投じて障害児教育のための学校「ねむの木学園」