カルロス・クライバー ベートーヴェン 交響曲第7番 Op.92

 カルロス・クライバーがバイエルン国立管弦楽団と共に来日した1986年、ベート―ヴェン 交響曲第7番、Op.92。東京文化会館で聴いた時の凄みは忘れられない。出てくる前から、「ブラボー」が凄かった。これは、昭和女子大学 人見記念講堂での演奏である。人見記念講堂は一頃、コンサート会場としても利用されたものの、最近はない。サントリーホール、オーチャードホール、東京芸術劇場、すみだトリフォニーホール、東京オペラシティコンサートホールなどがオープンしたこともある。

 第1楽章の序奏から主部、凄まじい勢いが感じられる。ベートーヴェンが描いたデュオニュソスの祭りが目に見える。コーダのオスティナートの迫力も見事である。第2楽章の暗い響き、それが少しずつ盛り上がり、大きな世界を作り出す。中間部の安らぎに満ちた響きも聴きものである。歌心たっぷりである。主部の再現、フルートがたっぷり歌い上げると同時に、フーガが始まり、盛り上がっていく。中間部の再現。クラリネットがたっぷり歌う。主部が締めくくる。第3楽章の迫力。中間部に聴こえるオーストリアの巡礼歌との対比がくっきりする。第4楽章。デュオニュソス祭のクライマックスとなる。オーケストラからベートーヴェンの音楽を見事に引き出している。コーダの盛り上がりが凄まじいし、迫力も素晴らしい。名演である。

 ライヴCDは、1982年、カール・ベーム追悼コンサートのものがある。これも見事である。東京での演奏も凄まじかったし、帰路に就いた時、クライバーの素晴らしさに夢中だったことを思い出した。

ヨーゼフ・クリップス シューマン 交響曲第1番 Op.38「春」

 ヨーゼフ・クリップスが1957年5月、ロンドン交響楽団を指揮したシューマン 交響曲第1番 Op.38「春」。この録音では、第1楽章の序奏を聴くと、シューマンの原典に従っている。

 第1楽章の序奏について、初演の際、メンデルスゾーンから冒頭部分を3度上げた方がいいと忠告された。多くの演奏では3度上げて演奏している。シューマンは、クラーラと結婚する前の1839年、ヴィーンに拠点を移そうとしたものの、失敗した。それでも、シューベルトの交響曲第8番 D.944「グレート」の自筆草稿をシューベルトの兄、フェルディナントから受け取り、ライプツィッヒでの初演にこぎつけた。シューマンの頭に「グレート」の序奏が残り、第1楽章の序奏にシューベルトへのオマージュとして冒頭部分に取り入れた。主部は春の喜びに満ちている。第2楽章。シューマンの歌の世界が広がっていく。たっぷりした歌心、抒情性に満ちている。第3楽章。春の戯れ。このスケルツォは、当初、トリオは1つだった。もう1つ、トリオを加え、2つとしたためか、活気に満ちている。コーダは余韻だろうか。第4楽章。春爛漫と言ったところか。そこに、暗い影麗が差す。クライスレリアーナ Op.16 第8曲の引用である。それを打ち消すような明るさがさす。展開部は第2主題中心となる。再現部への移行でのフルート・ソロ、春を告げるかのような鳥の鳴き声が聴こえる。第2主題の後に第1主題を挿入する手法は注目すべきだろう。コーダの盛り上がりも素晴らしい。

 クリップスは、シューマンの原典も活かしつつ、ドイツ・ロマン主義の息吹に満ちた演奏を利かせている。この演奏ももっと注目されてしかるべきだろう。

アンドレス・オロスコ・エストラーダ ベートーヴェン 交響曲第2番 Op.36

 アンドレス・オロスコ・エストラーダ、hr交響楽団によるベート―ヴェン、交響曲第2番、Op.36。2016年5月のライヴである。

 第1楽章。序奏の荘重さ。主部での明快、かつダイナミッくな推進力。聴きごたえ十分。中期への過渡期に差し掛かるベートーヴェンは、交響曲の書法も緻密なものになっていく。コーダの盛り上がりも素晴らしい。第2楽章。豊かな歌心が聴きものである。オーケストラをしっかりまとめている。第3楽章。ベートーヴェンのスケルツォになっている。力強さと推進力が光る。トリオでの歌も聴きものだった。第4楽章。スケールの大きさを感じさせる。歌心も豊かで、抒情性も併せ持っている。

 ダイナミックな推進力と歌心、抒情性も豊かな演奏である。全曲をじっくり聴きたい。

ヘルベルト・ブロムシュテット シューベルト 交響曲第3番 D.200

 ヘルベルト・ブロムシュテット、シューベルト、交響曲第3番、D.200。ドレースデン・シュターツカペレとの演奏。サヴァリッシュ、デイヴィスと聴き、ブロムシュテットの演奏を聴く。

 第1楽章。序奏をじっくり聴かせた後、主部に入ると、活気溢れる演奏になる。若きシューベルトの才気、古典的な闊達さが融合している。第2楽章。しっとり歌い上げている。音楽が自然に流れている。第3楽章。メヌエットと言うより、レントラー舞曲である。レントラー舞曲の要素が、ブルックナーの交響曲に受け継がれている。ここでも、自然な音楽が息づいている。トリオも主部と同じテンポで演奏している。ここが、サヴァリッシュ、デイヴィスとは違う。第4楽章。推進力、迫力が素晴らしい。シューベルトの才気が光る。イタリア風の明るさとドイツの重厚さが見事に調和している。

 ブロムシュテットは今年96歳、いまだに現役として活躍している。最近、椅子に座って指揮するようになったとはいえ、音楽家としての活力は衰えていない。いつまで、現役として続くだろうか。

ヴォルフガング・サヴァリッシュ シューベルト 交響曲第3番 D.200

 ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ドレースデン・シュターツカペレのシューベルト、交響曲第3番、D.200を聴く。29日、NHK「音楽の泉」でサー・コリン・デイヴィス、ドレースデン・シュターツカペレの演奏を取り上げたこともあってか、この演奏も取り上げた。サヴァリッシュの録音は1967年、旧東ドイツ時代で、今でも聴くと新鮮である。

 第1楽章の溌剌とした演奏は素晴らしい。若きシューベルトの新鮮な楽想の湧き上がりを感じる。歌心も十分である。第2楽章は新鮮な歌が満ち溢れている。無邪気さの中にもたっぷりした歌心が感じられる。第3楽章はメヌエットより、スケルツォと言うべきだろう。レントラーの香りがする。トリオはゆったり目で、ここにもレントラーの香りがする。歌心に満ち溢れている。第4楽章は青春を謳歌するシューベルトの姿が目に浮かぶ。気の合った仲間たちと音楽を楽しみ、談笑するシューベルトがいる。

 サヴァリッシュは、NHK交響楽団名誉指揮者となり、日本の音楽ファンにも親しまれた。また、バイエルン国立歌劇場音楽監督を務め、1992年、その任務の最後には、市川猿翁演出によるリヒャルト・シュトラウス「影のない女」の名舞台を披露した。この演出がお蔵入りしたことは返す返すも残念である。オペラと歌舞伎が調和し、素晴らしい人間ドラマを描いただけに、ぜひ、この演出を再現してほしい。

アンドレス・オロスコ・エストラーダ ベートーヴェン 交響曲第8番 Op.93

 コロンビアの指揮者、アンドレス・オロスコ・エストラーダ、hr交響楽団によるベート―ヴェン、交響曲第8番、Op.93。2016年、フランクフルト・アム・マイン、アルテ・オーパーでのライヴ。

 最近、ラテン・アメリカ諸国から優れた指揮者が輩出している。ベネズエラのグスターヴォ・ドゥダメルはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートの指揮台に立った。オロスコ・エストラーダの活躍も目覚ましい。

フランクフルト・アム・マインの名門、hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)、ヴィーン交響楽団、ヒューストン交響楽団常任を務めている。

 第1楽章のさっそうとした音楽作りの素晴らしさには脱帽する。畳みかける迫力が見事で、一気に駆け抜ける。第2楽章でのユーモアたっぷりな表情が聴きごたえ十分。第3楽章ではたっぷりした歌を聴かせるメヌエット、ヴィーンに学び、ベートーヴェンの音楽の本質をとらえている。トリオでは、ホルンの伸びやかな歌が見事。第4楽章は一気に駆け抜けていく。第2主題の自然な歌が自然である。ユーモアたっぷりな楽章の性格を捉え、見事にまとめている。

 オロスコ・エストラーダがドゥダメルと共に、世界の楽壇をリードする存在となって、どのような活躍を見せるかが楽しみである。

パーヴォ・ヤルヴィ ベートーヴェン 交響曲 第5番 Op.67

 エストニアの指揮者、パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを指揮したベートーヴェン、交響曲、第5番、Op.67。朝、NHKラジオ「音楽の泉」では2006年のCD録音を取り上げた。これは、6年後の2012年、ブレーメンでのライヴ。

 第1楽章の迫力、推進力が素晴らしい。これは聴きものである。第2楽章はテンポが速め。余裕がないように思える。20世紀を代表するヴィルヘルム・フルトヴェングラー、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤン、オットマール・スウィトナー、クルト・マズア、ヘルベルト・ブロムシュテットなどはじっくり、ゆとりをもって歌う。ヤルヴィの演奏もだんだん聴き進めていくと、じっくり歌うようになっていく。ベートーヴェン研究が進んだ今、ヤルヴィの解釈も一理あるだろう。第3楽章、迫力、推進力、歌心が調和している。元来、この楽章の形式はA-B-A-B-Aだったことが分かった。しかし、ヤルヴィは従来のA-B-Aを取っている。この辺は課題だろう。第4楽章、歓喜のフィナーレ。堂々とした、自信あふれる演奏である。

 このヤルヴィの演奏を聴くと、オリジナル楽器の奏法研究も進み、ベートーヴェン時代の演奏形態の研究が進んだこと、ベートーヴェン生誕250年に際し、ヘンレ、ベーレンライターなどの新全集版が普及したことも相まって、かえってベートーヴェンの本質に迫る演奏が可能となったこともあるだろう。その意味でも貴重な演奏として評価したい。

 

カルロス・クライバー ベートーヴェン 交響曲第7番 Op.92

 カルロス・クライバーがバイエルン国立管弦楽団を指揮したベートーヴェン、交響曲第7番、Op.92。1986年、バイエル国立管弦楽団との公演も思い出す。クライバーが出て来ると、「待ってました、大統領」という勢いで、

「おー、クライバー。」

と興奮するほどの熱狂だった。

 ベートーヴェンは既に、「英雄」、第5番(「運命」と言うべきか)、「田園」を含む6曲の交響曲を生み出した。この第7番は、ヴァーグナーが「舞踏の聖化」というほど、古代ギリシアの舞踏、演劇の神デュオニュソスを意識している。

 クライバー自身、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのレコーディングも残している。これは1982年5月3日、オーストリアの名匠、カール・ベーム追悼コンサートでのライヴ録音である。1981年8月14日、86歳でこの世を去った名匠への思いを込めたコンサート。カルロス渾身の演奏が生まれた。

 第1楽章の重厚感ある推進力。第2楽章の深い音色と歌。カルロスは偉大な父、エーリッヒ・クライバーの影に苦しんだかもしれない。また、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンも尊敬していた。ベームはどうだったか。とはいえ、このコンサートでの演奏が答えだろうか。曲が進むにつれ、フーガ風部分での盛り上げ方、声部処理の見事さは素晴らしい。第3楽章のスケルツォ主部の推進力、生気に満ちている。中間部の歌との対比もは聴きものである。第4楽章。この交響曲のクライマックスと言うべき楽章で、聴く者を圧倒する力がさく裂する。人間の喜びの根源たる舞踏の精神が全体を覆い、素晴らしい推進力で一気に流れる。カルロス・クライバーを聴いていると、人間そのものではないだろうか。コーダになると心が高揚する。

 精神力・感覚が一体化した音楽。これこそ、カルロス・クライバーが目指したものではなかっただろうか。カルロス・クライバーほど、ライヴで真価を発揮した指揮者はいないだろう。それは、ピアニスト、マルタ・アルゲリッチにもつながる面がある。アルゲリッチの本領もライヴではなかろうか。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベートーヴェン 交響曲第5番 Op.67

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ベートーヴェン交響曲全集も第5番に進んだ。日本では「運命」のタイトルで有名とはいえ、ドイツをはじめ、西洋ではタイトルもない。日本人ほどタイトルをつけたがる傾向がある。外国ではタイトルがあっても、例外だろうか。

 第1楽章。「運命のモティーフ」が高らかに鳴り響き、楽章全体に流れていく。その迫力が凄まじい。フルトヴェングラーほど凄まじい演奏もない。だから、再現部のオーボエ・ソロが活きる。ただ、最近の演奏には、古楽のからの影響、ピリオド奏法が近代オーケストラにも入っている。それでも、フルトヴェングラーが凄まじさを感じさせる要素は何か。ベートーヴェンへの深い理解だろう。

 第2楽章。ヴィオラ・チェロの深い歌が聴きもの。木管楽器もじっくり、かつ深々とした歌を響かせる。全体にどっしりしたものを感じる一方、歌心も失っていない。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の長所も活かした、素晴らしい演奏になっている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団での全集を作っていたらどうだったか。

 第3楽章。最近、この楽章はA-B-A-B-A形式での演奏が増えた。それでも、A-B-Aによる演奏もあったりする。フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンまではA-B-Aが中心となっている。不気味な主題、運命の動機がからみ、緊迫感溢れるスケルツォとなっている。トリオのカノンも素晴らしい。これが第4楽章に連なり、勝利の行進となっていく。緊迫感と高揚感が見事である。

 第4楽章。勝利の行進。第1主題がゆったり目の足取りで始まる。凱旋行進曲のような響きになる。第2主題は運命に打ち勝った者の凱歌の如く響く。展開部で第3楽章が回想された後に再現部に続く手法もベートーヴェンならではだろう。それも活かし、勝利の凱歌を響かせる。

 フルトヴェングラーがカラヤンを目の敵にしていたことは有名である。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団もカラヤンの手に渡り、カラヤン王国に仕立て上げたことは周知のこと。そのカラヤンもザビーネ・マイヤー事件がもとで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団としっくりいかなくなって退任後にあっけなく世を去った。フルトヴェングラーとカラヤンの音作りの基本がヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団にあったとは意外である。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベート―ヴェン 交響曲第4番 Op.60

 

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのベートーヴェン、交響曲も第4番となった。シューマンが「可憐なギリシアの乙女」と評している。第3番「英雄」、第5番との間にはさまれた作品とはいえ、古典性・ロマン性が見事に融合した名作である。

 第1楽章のほの暗い序奏から、光に満ちた主部に入る。フルトヴェングラーは重々しさの中にもしっかりとした足取りで進めて行く。全体に遅めのテンポとはいえ、じっくりと音楽を作り上げている。歌も十分。展開部から再現部への移行が素晴らしい。盛り上がりが重厚である。コーダも堂々としている。第2楽章も遅めのテンポながら、じっくりと歌い上げて行く。ベートーヴェンのロマン性が満ち溢れた楽章で、愛の歌だろうか。第3楽章のスケルツォはロンド風、この形式がシューマンに受け継がれていく。ロマン、歌が一体化している。第4楽章は遅めとはいえ、歌を大切にしている。無窮動風とはいえ、歌に溢れた楽章。推進力も見事。フルトヴェングラーは古典性・ロマン性の融合を見事に成し遂げている。

 フルトヴェングラー、カラヤンはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を理想としていたという。カラヤンの方がほっそりしているとはいえ、どちらも同じだったというエーベルハルト・フィンケの指摘は一考すべきだろう。カラヤンがヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェンの交響曲全集を作ろうとしたことも一理あるだろう。

 

 

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベート―ヴェン 交響曲第3番 Op.55「英雄」

 

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのベートーヴェン、交響曲も第3番「英雄」へと差し掛かってきた。フランス革命

とともに現れたナポレオン・ボナパルトの姿を描いたとはいえ、ナポレオンの皇帝即位に抗して、表紙を破り捨てたという話は有名なものの、最近、その説は否定されつつある。

 これは2007年9月30日、仙台、宮城学院での日本音楽学会第58回全国大会で、桐朋学園大学教授だった大崎滋生氏が新説を発表したことによる。これは、2008年の研究紀要で見ることが出来る。ただ、中川右介「モーツァルトとベートーヴェン」でこの説を出しても、雑多な文献からの寄せ集めである。大崎氏の場合、厳密な資料研究に基づいている。

 ベート―ヴェンは晩年、イギリス行きを計画したものの実現しなかった。「英雄」の成立には、ベートーヴェンがパリ移住計画を立てていたことがはっきりした。ボン時代の幼馴染、アントン・ライヒャ(1770-1836)にしきりにパリの音楽事情について尋ねていた手紙を残していた。その間、ヨーロッパ諸国とフランスの関係が悪化、オーストリアとて同様だった。ベートーヴェンの後援者の一人、ロプコヴィッツ侯爵は、ベートーヴェンのパリ移住を押し留めた。

 第1楽章は新時代の英雄の登場を告げるべく、スケールの大きな演奏である。第2楽章「葬送行進曲」は、戦に倒れた者たちへの哀歌で、フランス革命時の市民集会では、戦死した兵士たちへの追悼として演奏されていた。これは、ピアノ・ソナタ第12番、Op.26「葬送」の成立にも関わってくる。この頃から、ベートーヴェンはパリ移住を考えていたふしがある。ナポレオンをはじめ、フランスの音楽愛好家たちに自作を披露したかったと見ていいだろう。この楽章は単なる哀歌以上の深みを有している。フルトヴェングラーはそれを感じ取っている。第3楽章はどっしりした演奏、スケルツォを越えている。第4楽章。ベートーヴェンは変奏、主題展開を極限まで推し進め、変奏の本質を露わにしている。フルトヴェングラーのスケールの大きい、深い名演だろう。

 ベートーヴェンがパリ移住を考えた際、ピアノ・ソナタ第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、ヴァイオリン・ソナタ第9番、Op.47「クロイツェル」もパリで披露することも考えていたようである。ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重協奏曲、Op.56はパリのサンフォニー・コンセルタント様式を踏まえた作品だったことを考えると、それなりに合点がいく。アントン・フェリックス・シンドラーの英雄神話としてのベートーヴェンは崩れつつある。ベートーヴェンのパリ移住計画は、晩年のイギリス旅行計画を考える上でも重要ではなかろうか。

 

 

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベートーヴェン 交響曲第2番 Op.36

 

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのベートーヴェン、交響曲第2番。一頃、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるものがあったとされた。しかし、これがエーリッヒ・クライバーのものだとわかり、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのものが見つかった。1948年、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音である。

 ライヴということもあってか、緊張感に満ちた演奏となっている。1802年、ベートーヴェンはハイリゲンシュタットの遺書を残したものの、音楽家としての創作意欲を取戻し、中期への橋渡しとなる作品を残していく。第1楽章は力強い序奏から、精力的な主部、推進力、主題展開も充実している。一気に押し流していく。第2楽章の歌に溢れた演奏。深々とした呼吸から、たっぷりした歌が流れて行く。第3楽章は完全なスケルツォ。堂々たる主部から、ベートーヴェン自身の姿が浮んで来る。トリオには、後の第9番を思わせる旋律が出て来る。それでも、伸びやかさに満ちている。第4楽章はスケールの大きな演奏。推進力・歌心も十分。自由さの中に、緻密な書法も見られ、全体を引き締めている。これが第3番「エロイカ」以降のベートーヴェンに繋がっていく。

 録音からしても、聴きづらさがあるとはいえ、致し方ないだろう。フルトヴェングラーのベートーヴェン演奏では、この第2番の録音は少ないようである。しかし、どこかに残っているかもしれない。フルトヴェングラーの録音がどしどし掘り出されている今、話題が増えつつある。他にも第2番の演奏が残っていたら、これも大変な話題になるだろう。

 

 

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベートーヴェン 交響曲第1番 Op.21

 

 没後60年以上経つとはいえ、多くの人々を魅了してきたヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のベート―ヴェン交響曲全集はヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団、バイロイト祝祭管弦楽団を指揮したものになっている。なぜか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のものはない。

 第1番は、ベートーヴェンの交響曲の出発点。第1楽章、衝撃の序奏から主部への移行は見事。古典的でありながら、新しい息吹に満ちている。推進力も聴きもの。第2楽章、フガート風な始まりの主部には、ベートーヴェンならではの深い歌が聴こえて来る。第3楽章はメヌエットというものの、スケルツォになっている。ピアノソナタ第1番、Op.2-1、第3楽章も同様である。古典の衣を着つつも、新しい表現を求めるベートーヴェンの姿を映し出している。第4楽章、いささかハイドン風に聴こえるとはいえ、ベートーヴェンの特性も顔を出す。

 今でも、フルトヴェングラーの崇拝者の多いことには頭が下がるとはいえ、人間としてのフルトヴェングラーを見ると、ナチスとの対決など神話になったものの、果して真実だったか。怪しいものと言わざるを得ない。自己中心的で、策謀家だったとも言われる。今後、真実のフルトヴェングラーが出て来るかもしれない。

 

 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ シューマン 交響曲第2番 Op.61

 

 ヴォルフガング・サヴァリッシュがドレースデン・シュターツカペレを指揮したシューマン、交響曲第2番。これはサヴァリッシュの貴重な遺産の一つである。

 第1楽章の序奏をじっくり聴かせ、主部へと入っていく。そこには、病と闘うシューマンがいる。主部は病との闘いを描く。早めのきびきびしたテンポで進む。展開部は病を克服すべく闘いのエネルギーが爆発する。再現部に至ると、病を克服したシューマンの喜び、コーダはその爆発として響き渡る。序奏の響きが聴こえ、力強く締めくくるあたり、サヴァリッシュの腕の見せ所がある。

 第2楽章。スケルツォも見事なまとまりを見せ、一気に聴かせる。ロンド形式を取り、第1トリオでの木管と弦の対話が見事。第2トリオでは第4楽章の旋律が聴こえてくる。ここも木管、弦との対話となっている。大変な聴きものとなっている。序奏のファンファーレが聴こえ、一気に締めくくる。

 第3楽章のシューマンならではの素晴らしい歌心。サヴァリッシュはドレースデン・シュターツカペレの音色を活かしつつ、じっくりと歌い上げている。ピアニストとしてフィッシャー=ディスカウと共演、素晴らしいドイツ・リートの世界を伝えただけあって、シューマンの音楽を知り尽くしている。

 第4楽章。病癒えたシューマンの喜びを爆発させていく。そこには、第3楽章の旋律が加わった後、再び喜びの叫びとなる。サヴァリッシュが見事にまとめ上げている。その後、第3楽章の旋律がもの悲しく、かつ情熱的に加わり、小休止となる。そこから、感謝と祈りの旋律となる。ベートーヴェン「遥かな恋人に」Op.98からのもので、シューマンの主要作品に現れて来る。それが発展して、感謝・勝利のコーダとなって全曲を締めくくる。サヴァリッシュは、病癒えたシューマンの喜びの凱歌を歌い上げ、締めくくる。

 クリスティアン・ティーレマンのシューマン・ツィクルスを聴きながら、サヴァリッシュの名演を聴くと、素晴らしい遺産の一つに数えられる名演であることを改めて感じた。ティーレマンのものはいつ出るか。大いに期待したい。

 

 

オットマール・スウィトナー シューマン 交響曲第2番 Op.61

 

 オットマール・スウィトナーがベルリン・シュターツカペレを指揮したシューマン、交響曲全集。第2番は、シューマンがクラーラと共に向かったロシア旅行で健康を害し、1844年、住み慣れたライプツィッヒからエルベのフィレンツェ、ドレースデンへ移っていく。1845年秋に着手したこの作品は、シューマンの病の克服の過程が現れている。

 第1楽章。主部の早めのテンポ、それがかえってシューマンの病との闘いを浮き彫りにしている。展開部はこの時期のシューマンの心境を見事に表現したもので、スウィトナーもそれをしっかり読み取っている。再現部は病を克服したシューマンの喜びが現れている。コーダの凱歌が素晴らしい。

 第2楽章。スケルツォ主部の迫力、トリオ1のロマン性、トリオ2の病の克服への感謝、コーダでは第1楽章の序奏音型が現れ、堂々と締めくくる。

 第3楽章。素晴らしい歌が聴こえ、当時のシューマンの心境を物語る。スウィトナーの素晴らしい歌いぶりに満ちた演奏が聴きものである。

 第4楽章。病を克服したシューマンの喜びに満ちた第1主題の力強さ、そこに第3楽章の旋律の断片が絡んでくる。そこには、第3楽章の旋律の断片、序奏の断片も絡んでくる。病の暗い思い出か。第2主題は病を克服したシューマンの希望、感謝がこもっている。これは、ベートーヴェン「はるかな恋人に」第6曲からの引用で、シューマンの主要作品に必ず現れる。病を克服したシューマンの感謝の気持ち、凱歌が歌われ、第1主題序奏の旋律が現れ、力強く締めくくる。

 スウィトナーの演奏も長く聴き継がれてほしい名演の一つである。ご一聴していただきたい。

 

 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ シューマン 交響曲第1番 Op.38「春」 

 

 ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)がドレースデン・シュターツカペレを指揮したシューマン、交響曲第1番「春」を聴く。こちらは最終稿となっている。この作品はアドルフ・ベットガーの詩に基づくとされる。

 第1楽章、序奏を聴くと、シューマンが待ち望んでいた「春」が伝わって来る。手稿に基づいたオットマール・スウィトナーの演奏から、シューベルト、交響曲第8番、D.944、第1楽章の序奏の残照が響いていたことがはっきりする。サヴァリッシュは最終稿に基づき、シューマンのロマン性を見事に引き出している。再現部で序奏のファンファーレが響くと、春の到来を告げるかのようである。コーダでの畳みかけるような迫力とロマンの調和が素晴らしい。

 第2楽章。シューマンの音楽の本質たる歌がたっぷり歌われ、春の夕べの情景が広がっていく。そこから、第3楽章へとつながっていく。

 第3楽章。スケルツォ主部のきびきびとした表情は見事。2つのトリオがあり、第1トリオは闊達。生き生きした表情が伝わっていく。オーケストラの表情が素晴らしい。第2トリオの闊達さも聴きもの。コーダの抒情性豊かな締めくくりは印象に残る。

 第4楽章。喜びとほのかにさす暗い影。しかし、春の喜びに満ち溢れている。展開部も暗い影がさす。それも束の間、フルート・ソロに導かれ、春の光、喜びが戻って来る。コーダでは春の喜びが高まって来る。

 サヴァリッシュもNHK交響楽団の名誉指揮者である。バイエルン国立歌劇場音楽監督も務め、1992年、在任最後のオペラ公演でリヒャルト・シュトラウス「影のない女」では、市川猿翁による歌舞伎の手法を取り入れた舞台・演出を披露し、日本の聴衆への大きな土産となった。しかし、この演出もお蔵入りしたことは残念である。

 クリスティアン・ティーレマンによるシューマンツィクルスが素晴らしかっただけに、サヴァリッシュの演奏を聴き直してみると、これも名演として長く聴き継がれるだろう。

 

 

ギル・ローズ フォス 交響曲第2番「コラーレス」

 

 1955年~58年作曲。フォスはロス・アンジェルスでカナダの奇才ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)と運命的な出会いをする。パーティーへ向かう途上、フォスは車内のカーラジオから流れてきた、グールド奏するバッハ「ゴールドベルク変奏曲」に耳を傾け、すっかり虜となった。そのため、パーティーに遅れてしまった。そして、オーケストラのリハーサル中、グールドが目の前に現れる。

 後にグールドと不倫関係になったコーネリア夫人は、この時の光景を次のように語った。

「帽子とスカーフの塊のようなものが現れて、

『グレン・グールドです。世界最高のピアニストを聴きに来ました。』

と挨拶した。」

こう語った夫人がグールドとの不倫関係に陥るとは誰が知るだろうか。

 バッハのコラール第90番「わがなし給いしことを助け給え」、第77,78番「我過てり」、第139番「すべての森は静まりて」、第133番「全て神に感謝せり」を用い、半音階的な響きの中に活かしている。フィナーレには神への感謝を表現している。

 グールドとの運命的な出会いがバッハのコラールによる交響曲を生み出したといえようか。

 

 

マルクス・シュテンツ マーラー 交響曲第1番「巨人」

 

 ドイツの中堅指揮者、マルクス・シュテンツによるマーラー、交響曲第1番「巨人」を聴く。シュテンツはフォルカー・ヴァンゲンハイム、小澤征爾、レナード・バーンスタインに師事、ケルン・ギュルツェニッヒ交響楽団、ヒルデスハイム放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めている。

 これはOEHMSレーベルによるマーラー交響曲全集からの一つで、OEHMSはドイツ、オーストリアでは注目すべき演奏家たちによる全集ものをリリースしている。中にはロシアなどの注目株もいる。

 全体はもともと5楽章形式で、第1楽章は「終わりなき春」、第2楽章として「花の章」、第3楽章、スケルツォは「全霊を込めて」「コメディア・フマーナ」による2部構成、第4楽章は「カロの手法による葬送行進曲」、第5楽章は「地獄から天国へ」という構成だった。現在の4楽章構成とし、標題をそぎ落としたことがかえって、マーラーの出世作としての交響曲に相応しいものとなった。

 第1楽章を聴くと、青春の喜びにあふれている。第2楽章はレントラー風のスケルツォ、生気に満ちている。トリオはゆったりしたテンポで、じっくり歌い上げて行く。スケルツォに戻り、華々しく閉じて行く。第3楽章は「さすらう若者の歌」で用いた旋律に基づく葬送行進曲。陰鬱な気分に満ちている。第4楽章は英雄の闘い、勝利を描く。勝利のファンファーレが響き、壮麗なフィナーレとなる。

 この交響曲ではE.T.A.ホフマンの影響があるとされる。マーラーもホフマンに影響されただろうか。

 

 

パーヴォ・ベルグルント ニールセン 交響曲第6番「素朴な交響曲」

 

 ベルグルントによるニールセン、交響曲第6番「素朴な交響曲」は作品番号がない。1925年、60歳の作品。ニールセンは1920年代から心臓病の症状が現れるようになり、体調を崩すようになっていく。

 第1楽章のシンプルな旋律から、無駄のない構成観・様式感が現れて来る。しかし、どこかアイロニカルな雰囲気が漂い、老いの境地が滲み出ている。やがて、音楽は暗転。静かな終結となる。第2楽章、フモレスケ。ここにもアイロニカルな雰囲気、自由な境地が滲み出ている。12音全体を用いている。第3楽章、プロポスタ・セリア。ニールセンの遺言状だろうか。歌心に溢れていても、いずれ自らに死が訪れることを悟っている。第4楽章、変奏曲。ニールセンの交響曲の総決算であり、この時期にアルバン・ベルク「ヴォツェック」と同時に作曲されたことを思うと、ニールセンは12音音楽に対するアンチテーゼとして変奏曲にまとめ、20世紀音楽の未来を予言していただろうかと思わせる。

 ベルグルントはニールセンに取り組む中で、なぜ、シベリウスの創作活動が止まったかを見つめただろう。その意味で、ニールセンは66歳でこの世を去ったことを考えつつ、シベリウスを見つめた直しただろう。それがこの交響曲の演奏に反映している。

 

 

パーヴォ・ベルグルント ニールセン 交響曲第5番 Op.50

 

 パーヴォ・ベルグルントのニールセン、交響曲第5番、Op.50を聴く。2楽章構成を取り、第2楽章を見ると、アレグロ-プレスト-アンダンテ・ウン・ポコ・トランクィロ-アレグロという4つの部分による。この楽章では交響曲の楽曲構成をひとまとめにしたとも言えよう。

 海の洋々とした風景を描きだすかのような第1楽章。調性はF-C-Gへと動く。テンポ・ジュスト-アダージョ・ノン・トロッポとなっている。もう、ソナタ形式云々ではない。完全に自由な構成になっている。休みなしに第2楽章に入り、第1楽章の主題を展開していく。

 ここまで聴くと、楽章間が休みなく続くことによって、一つの集合体となっていることが明白である。ベートーヴェン後期のチェロソナタ第4番、Op.102-1も2楽章構成をとり、自由な構成になっている。ニールセンは、ベートーヴェンの作品を知っていたような気がする。ニールセンがこの作品に取り掛かった際、ベートーヴェンを意識していたか。

 ベルグルントにとって、ニールセンもシベリウスと共に重要なレパートリーだったことを伺わせる。その意味でも貴重な遺産であろう。

 

 

オットマール・スウィトナー シューマン 交響曲第1番 Op.38「春」

 

 オットマール・スウィトナー(1922-2009)はドレースデン、ベルリン国立歌劇場の常任指揮者をはじめ、NHK交響楽団名誉指揮者となり、日本の音楽ファンにも親しまれた。NHK交響楽団の楽員たちは「我らがおやじ」と慕っていた。

 モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスの交響曲のレコーディングは貴重な遺産で、モーツァルトはライヴも残っている。シューマン、交響曲第1番、Op.38「春」は1841年の自筆譜に基づく演奏で、この作品本来の姿を伝えた名演である。

 第1楽章の序奏を聴くと、シューマンが書きたかったものが伝わる。メンデルスゾーンの忠告は当時の楽器の性能を見計らってのことだっただろう。シューマンの意図が滲み出ている。シューマンが加筆訂正した上で出版社に手渡したと見ていいだろう。

 第2楽章は出版に際して、オクターヴによる分奏となっている。自筆草稿では下の音のみで、しっとりとした美しさが見事である。シューマンは標題に捉われない、純粋な音楽としてこの交響曲を書き上げたと見たい。

 第3楽章、スケルツォのトリオは1つで、2つ目は出版の際に加筆している。そのため、かえってすっきりしたものとなっている。シューマンはこのままにしたかったかもしれない。

 第4楽章の序奏にフルート・ソロが入っている。春たけなわの雰囲気を表現したかっただろうか。提示部コデッタは第1楽章コデッタとの関連付けが見られる。全曲の統一性も意図していたことが窺える。「純粋な音楽」として書き上げたことの裏付けにもなる。再現部前のアンダンテの部分はトランペット・ソロ、フルート・ソロなどが聴こえる。出版に際して、フルート・ソロをこの部分に持ってきて、バランスを図っただろう。

 この演奏は本来の姿を伝えた名演で、長く残しておきたい。

 

 

カール・ベーム ベートーヴェン 交響曲第9番 Op.125「合唱」

 

 ベームがバイロイト祝祭管弦楽団、合唱団を指揮、ソリストにグンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)、グレース・バンブリー(アルト)、ジェス・トーマス(テノール)、ジョージ・ロンドン(バリトン)を迎えた演奏は1963年、ヴァーグナー生誕150年記念としてのライヴ盤である。

 バイロイトの第9と言えば、1951年のフルトヴェングラーだろう。ベームの演奏も負け劣らずの名演で、当時69歳のベームの気迫が素晴らしい。この年、日生劇場のこけら落としとして、ベルリン・ドイツ・オペラとともに初来日、モーツァルト「フィガロの結婚」、ベートーヴェン「フィデリオ」、第9の名演を聴かせ、今でも語り草になっている。

 第1楽章の凄まじい気迫から第2楽章、スケルツォもずっしりとした重さを感じさせる主部、第4楽章の歓喜の主題が聴こえるトリオの推進力も見事である。第3楽章の格調さの中に内面性たっぷりの歌心が満ちている。変奏に入り、ベートーヴェンがこの楽章に込めた思いが伝わって来る。コーダでの警告のような部分が入って来ると、第4楽章を予言するかの如く響く。第4楽章冒頭、怒涛のような部分、第1楽章から第3楽章までの回想、シラー「歓喜に寄す」の主題が現れる。再び怒涛のような部分、ジョージ・ロンドンの独唱は気迫に満ち、合唱を先導していく。ジェス・トーマスも然り。グンドゥラ・ヤノヴィッツ、グレース・バンブリーも自信に満ちている。

 ベームは、バイロイトでは「さまよえるオランダ人」、「トリスタンとイゾルデ」、4部作「ニーベルンゲンの指環」、「ニュールンベルクのマイスタージンガー」といった名演を残している。「さまよえるオランダ人」、「トリスタンとイゾルデ」、4部作「ニーベルンゲンの指環」は正規のライヴ・レコーディングとなったものの、「ニュールンベルクのマイスタージンガー」は正規盤での発売がなかったことは残念である。これが実現していたら、カラヤン、ヨッフムに匹敵する名演として残っただろう。

 この第9もベームがバイロイトに残した貴重な遺産として、フルトヴェングラーとともに残っていくだろう。

 

 

 

カール・ベーム ベートーヴェン 交響曲第5番 Op.67

 カール・ベームがヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したベートーヴェン交響曲全集は、ベームの残した素晴らしい遺産の一つである。ベームはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団と1975年、1977年に来日した際、交響曲第2番、Op.36、第3番、Op.55「英雄」、第4番、Op.60、第6番、Op.68「田園」、第7番、Op.92を取り上げている。第5番はむろんのことである。第4番から第7番まではライヴ録音もある。

 ベームの音楽作りは無駄がない。それがかえって音楽の核心を明らかにする。このレコーティングは1970年5月、ベートーヴェン生誕200年ということもあり、意気込みが伝わる。

 それこそ、ベームの真頂骨である。第1楽章の厳格さが際立つし、第2楽章もたっぷり歌いながらもしっかりした線が通っている。第3楽章の不気味さ、力強さ、トリオとの対比が聴きどころである。さて、元来この楽章はABABAのロンド風形式だったが、ABAで演奏されることが通例となっている。ベートーヴェンは、運命に苦しむ人間の姿をじっくり伝えたかっただろう。第4楽章へとなだれ込んでいくと、勝利の凱歌となる。しかし、再現部前に第3楽章の旋律が現れる部分は回想だろう。凱歌は響き渡る。

 この作品は「運命」の名で有名になり、「運命」「未完成」の組み合わせはレコード、CDでは売上の定番となっている。しかし、この名に関するアントン・フェリックス・シンドラーのベートーヴェン伝での伝聞は全くのウソである。シンドラーはベートーヴェンの英雄神話化を推し進め、捏造・歪曲も多い。日本でも「運命」の名を記すことはなくなりつつあっても、まだ残っている。交響曲、ベートーヴェンと言えば、この作品が代名詞になったことも、また事実だろう。その意味でも、この人気は衰えないだろう。

 

パーヴォ・ベルグルンド ニールセン 交響曲第4番 Op.29「不滅」

 ニールセンの交響曲中、尤も有名なもので、独立した楽章構成から切れ目なく移行する形を取るようになっている。これはベートーヴェン、ピアノソナタ第13番、Op.27-1に始まり、メンデルスゾーン、シューマンに受け継がれ、シベリウスでは4つの楽章が一つの融合体となっている。

 タイトル「不滅」はこの作品に着手した1914年、第1次世界大戦が勃発、戦争へのプロテストを歌いあげたことによる。デンマークは中立国であった。ニールセンは人間性、魂の歌として、この作品を生み出した。

 また、調性の表示もないとはいえ、決して無調音楽ではない。第1部、第4部の「不滅」のテーマの間にのどかな田園風景、峻厳な祈りが挟まれる。第4部では人間性の肯定を高らかに歌い上げる。

 ベルグルントは、ニールセンの人間賛歌というべき作品の本質を見事に描き出している。北欧の自然、人間性への熱い信頼が全曲を貫いている。

カール・ベーム シューベルト 交響曲第7番 D.759「未完成」

 カール・ベームの重要な遺産の一つはシューベルト交響曲全集である。1963年~1971年の8年間をかけ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したもので、優れた演奏である。もっとも、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは1975年の来日公演のものがあり、ドレースデン・シュターツカペレとのライヴもある。

 この「未完成」は全集の一つである。1823年、シューベルトはシュタイヤ―マルク音楽協会名誉会員に選ばれた折、創作中の交響曲を送ることとなり、友人ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーに2楽章まで出来上がったこの作品を送った。シューベルトは4楽章構成を考えたものの、第3楽章は僅か8小節のスコア、スケッチしか残っていない。こうした事情からすると、シューベルトは最初の2楽章だけで十分と感じて筆を止めた可能性が高い。

 第1楽章の暗い序奏、第1主題の悲しみに満ちた歌、第2主題の心に染み入る歌、序奏を中心とした展開部のドラマトゥルギー。ベームはシューベルトのロマン主義を正面から受け止め、じっくりと歌いあげている。1975年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏もヴィーンの響きの中にシューベルトの音楽をしっかりと歌いあげていた。

 第2楽章。じっくりと歌いあげる第1主題。悲しみに満ちながらも、しみじみと情感たっぷりに歌う第2主題。その後には激しい悲しみ。それを慰めるかのような旋律が現れ、第1主題、第2主題、激しい部分からコーダで静かに終わっていく。ここでもベームはじっくり、心から歌いあげている。1975年の演奏も素晴らしい。

 ベームは1975年、1977年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日して、当時の日本の聴衆を沸かせた。1980年、ヴィーン国立歌劇場との来日が最後となって、1981年、87歳の誕生日を迎える2週間前にこの世を去った時、感慨深いものがある。素晴らしい「未完成」を耳にしたことは今でも忘れずに残っている。

 

ヴァレリー・ゲルギエフ ショスタコーヴィチ 交響曲第7番 Op.60「レニングラード」

 20世紀ロシアを代表する作曲家ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が第2次世界大戦のドイツ軍によるレニングラード(現サンクト・ペテルブルク)包囲の最中、生まれ育ったこの地の人々への励ましとして作曲した交響曲で、全曲演奏するだけで1時間20分あまりを要する大作である。ショスタコーヴィチはソヴィエトの体制、とりわけスターリン、ブレジネフと対峙しつつ、創作活動を進めていった。

 ヴァレリー・ゲルギエフは21世紀ロシアを代表する、尤も勢いのある指揮者である。最近、ロンドン交響楽団などを掛け持ちしているようだが、ロシア、マリインスキー劇場に腰を落ち着けてほしい。このCDはマリインスキー劇場管弦楽団とのレコーディングで、ロシア音楽の魂が宿っている。

 第1楽章。ドイツ軍のロシア侵攻を告げるかのような不安をはらんでいる。ヒトラーはロシア侵攻を日本、イタリアに隠していた。ことに、日本には用心深く、重要機密にしていた。サンクト・ペテルブルク包囲戦は3年近く続く。その間、ドイツ軍はロシアの冬に阻まれ、モスクワ攻撃に失敗、スターリングラード(現ボルゴグラード)でロシア軍が勝利を収め、サンクト・ペテルブルクも解放された。その後、怒涛のような進撃ぶりでポーランドを解放、アウシュヴィッツ収容所をはじめとしたユダヤ人たちの救出、東からドイツに進撃、勝利を収めた。最後は静か、かつ消え入るように終わっていく。

 第2楽章。静かなスケルツォ。ドイツ軍に包囲された中、極限状態の中に生きる人々の思いを描きだしている。絶望感、飢えと厳しい冬。それでも闘わんとする意志が伝わって来る。

再び、暗い絶望感、飢えと厳しい冬の光景に戻っていく。

 第3楽章。コラール風の主部。勝利と解放への祈りが聴こえる。歌心たっぷりにじっくり歌いあげられていく。テンポが速まって、戦争の光景を描きだす。また、コラール風の主部に戻り、祈りと希望が強まっていく。静かな祈りの中、第4楽章へと続く。

 第4楽章は闘いに始まる。勝利と解放の足音が聴こえ、人々の希望が増していく。絶望感も現れたりする。しかし、勝利と解放への足音は確固となり、歓びに溢れたものとなる。勝利の歌が高らかに歌われ、全曲を閉じる。

 今、ロシアの楽壇はサンクト・ペテルブルクの勢いが止まらない。しかし、モスクワはボリショイ劇場が勢いを取り戻しつつある。モスクワの動向も楽しみである。

 

カルロス・クライバー ベートーヴェン 交響曲第4番 Op.60

 カルロス・クライバー(1930-2004)。名指揮者エーリッヒ・クライバー(1890-1956)を父にベルリンに生まれた。20世紀後半のドイツ・オーストリアの指揮者では奇才と謳われ、レコーディングはライヴを含め、少ないとはいえ、どれもが名演ぞろいである。

 ベートーヴェンではこの第4番をはじめ、第5番、Op.67、第6番、Op.68「田園」、第7番、Op.92をライヴを含め、残っている。1986年5月10日、東京文化会館でのバイエルン国立管弦楽団とのコンサートは第4番、第7番、アンコールはヨハン・シュトラウス、ポルカ「雷鳴と電光」を取り上げた。開演、クライバー入場と共に「ブラヴォー」が飛び交うほどで、演奏を心待ちにしている聴衆の様子が窺えた。

 これは1982年5月3日、ミュンヒェンでのカール・ベーム(1894-1981)追悼演奏会のライヴである。第1楽章は序奏の暗さ、主部の勢いの対比が明確で、ベートーヴェンの音楽の高貴さが際立つ。第2楽章は優雅な歌心に満ちている。その一方、甘さのない、芯の通った音楽が全体を貫いている。第3楽章のスケルツォ主部とトリオの対比、ロンド風構成がかえって際立っている。第4楽章の勢いも素晴らしい。

 1986年の演奏はこれよりも凄みのある内容で、歌心・ベートーヴェンの音楽の高貴さをしっかり伝えていた。指揮棒を振り回し、オーケストラを引っ張っていく指揮ぶりには音楽の凄みが伝わって来る。今でも忘れがたい。

 

パーヴォ・ベルグルント ニールセン 交響曲第3番 Op.27「おおらかな交響曲」

 ニールセンの交響曲も音楽語法、個性も充実、鮮明になりつつある時期の作品でソプラノ、バリトン独唱が加わる。また、コペンバーゲンでの初演後、オランダ、アムステルダム、ドイツ、北欧でも演奏されるようになった。

 第1楽章では調性がはっきりせず、主題展開中心となる。主調ニ短調が確立していない。コーダになって、初めて主調ニ短調が出てきても、長調で終わる。第2楽章は牧歌風で、独唱がヴォカリーズで加わる。どこか暗さが漂う中、ヴォカリーズが加わると、ある種の安らぎを覚える。ここには生の息吹が伝わる。ここには声楽を取り入れたマーラーの影響が感じられる。第3楽章も牧歌風で、ほの暗さも漂う一方、生気溢れる表現も聴かれる。ここでも調性がはっきりしない。第4楽章は悦ばしい雰囲気が全体の中心となる。ニールセン自ら、

「労働や日々の生活における健康的な喜びの賛歌。」

と語るように、日々の生活への感謝に満ちた楽章であるといっても過言ではないだろう。

 ニールセンは第1番から第3番まで調性を記しても、調性感がはっきりしていない。第4番以降、調性を明記しなくなったことは、もはや調性は無意味だと考えるようになっただろう。ベルグルントはニールセンの様式面での変化も見事に捉えた演奏を聴かせている。

レナード・バーンスタイン マーラー 交響曲第10番 アダージョ

 マーラーの死によって未完成となった交響曲第10番、アダージョは身勝手な愛情で妻、アルマを「かごの中の鳥」にした挙句精神的にも追い詰め、アルマは鬱状態、アルコール中毒寸前になり、多くの男性遍歴を重ね、ヴァルター・グロピウスとの恋愛に走った。これを知ったマーラーは精神科医フロイトの診察を受け、アルマとの関係修復に動き出し、わかり合える夫婦にならんとした矢先、連鎖球菌感染症にかかり、高熱をおしてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団演奏会の指揮台に立ったことが命取りとなった。

 このアダージョを聴くと、身勝手な愛情でアルマを縛り付けたマーラーが、アルマとグロピウスの恋愛を知り、わかり合える夫婦となるまでの苦悩、悟りが伝わる。バーンスタインはエルヴィン・ラッツの全集版に基づき、マーラーの苦悩、悟りを見事に描いている。わかり合える夫婦にならんとした時に襲った病でこの世を去ったマーラーの救いを求めんとした苦悩、悟り。スケッチとして残った構想には、マーラーの悟りの境地がにじみ出ていたかもしれない。バーンスタインもそれを感じ取っていただろうか。

 

レナード・バーンスタイン マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」

 マーラーを得意としたレナード・バーンスタイン(1918-1990)がヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した交響曲第8番「千人の交響曲」はマーガレット・プライス、ジュディス・ブレゲン、ゲルティ・ツォィマー、トゥルデリーゼ・シュミット、アグネス・バルツァ、ケネス・リーデル、ヘルマン・プライ、ホセ・ヴァン・ダム、ヴィーン国立歌劇場合唱団、ヴィーン楽友協会合唱団、ヴィーン少年合唱団といったソリスト、合唱、オルガンのルドルフ・ショルツによる壮麗、かつ深遠な演奏である。

 バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した全集もある。こちらはヨーロッパに広く客演していった時期のもので、円熟味が加わっている。もっとも、バーンスタイン自身、ロシア系ユダヤ人の移民の家に生まれたこともあって、マーラーには親近感があった。マーラー自身、交響曲9曲を完成、第10番を未完のままこの世を去っている。また、マーラーがニューヨーク・フィルハーモニーの常任指揮者も務めたこともあり、マーラー演奏への自負があっただろう。

 マーラーがこの作品に取り組んでいた時期、妻アルマが建築家ヴァルター・グロピウスと恋愛関係に陥り、結婚生活最大の危機となっていた。もっとも、アルマが才能ある作曲家だったことがマーラーにとってかえって不都合だったためか、作曲活動を禁じた。マーラーはアルマを「篭の中の鳥」にして、自己の演奏・創作活動にのめり込んだためか、かえってアルマを精神的に追い詰め、精神障害に追いやることともなった。そのため、アルマがかえって男性遍歴に走り、グロピウスとの恋愛に至った時、自らの罪を悟ることとなる。結婚生活も円滑なものではなかった。2人の娘が生まれても、長女を失っている。ようやく、自らの非を悟ったマーラーとアルマがわかり合える夫婦となろうとした矢先、マーラーは病に倒れることとなった。

 第1部は「創造主なる御霊よ」をテクストとして、ローマ・カトリック信者としてのマーラーの信仰告白となっている。ショルツのオルガンも全体を引き立てている。

 第2部はゲーテ「ファウスト」第2部、終幕の場、悪魔メフィストフェレスから救われたファウストの魂が神父、天使、子どもたち、サマリアの女、エジプトの女、罪の女、グレートヒェン、聖母マリアにより浄化されていく。ここの部分は、シューマン「ファウストからの情景」第3部で取り上げている。山峡の情景の描写、神父たち、ファウストの救いを歌う天使たち、浄化されたファウスト、女たちが救われた喜びを歌う。

 マーラーは浄化されたファウスト、神父たち、天使たち、女たちの救いの喜びを壮大、かつ壮麗に描きだす。シューマンは神秘的な雰囲気を漂わせつつ、抒情的に描きだす。両者の「ファウスト」の比較研究が出てきてもいいだろう。

 

ギル・ローズ フォス 交響曲第1番 ト調

 アメリカを代表する作曲家で、指揮・ピアノにも優れ、レナード・バーンスタインとともに才人として人気を集め、バーンスタインの親友だったルーカス・フォス(1922-2009)は4曲の交響曲を残した。

 交響曲第1番は1944年の作品で、新古典主義に基づいたとはいえ、アメリカの大地を思わせる雄大な第1楽章に始まる。第2楽章、第3楽章、第4楽章もアメリカの雄大さ、生命力に満ち溢れている。

 ドイツ生まれのフォスがナチスを逃れて、フランスから新天地アメリカに渡ってから、満を期して交響曲に取り組んだ自信作である。初演は1945年、フリッツ・ライナー指揮ビッツバーグ交響楽団が行った。フォスはバーンスタインとともに指揮を師事している。

 指揮のギル・ローズはピッツバーグ出身、シンシナティ大学、カメギー・メロン大学に学び、学位・ディプロマを取得、ボストン・モダン・オーケストラ・プロジェクトを創設、オデュッセイ・オペラ、ボストン・オペラの芸術監督を務めている。

 

パーヴォ・ベルグルント ニールセン 交響曲第2番 Op.16「4つの気質」

 ベルグルントによるニールセン、交響曲第2番、Op.16。これはロ短調で始まるものの、第2楽章はト長調、第3楽章は変ホ短調、第4楽章がニ長調、締めくくりがイ長調となっている。人間の気質、胆汁質、粘液質、憂鬱質、多血質を表現した作品でヴィルトゥオーソ・ピアニスト、作曲家フェッルッチョ・ブゾーニに献呈した。

 第1楽章は胆汁質、ロ短調という調性感が曖昧となっている。第2楽章は粘液質、楽しげなワルツとなっている。こちらも調性が曖昧である。第3楽章は憂鬱質、人間の憂鬱さ、苦悩を描き、変ホ長調で諦念となっていく。この楽章では調性感が安定している。第4楽章は多血質、明るくはしゃぎまわるような音楽となっている。調性感が曖昧となっている。

 第1番、第2番と古典的な定型を踏みつつも調性感が曖昧、しかも第2番では第4楽章がロ短調の平行調、ニ長調となり、イ長調で締めくくることからしても、ニールセンが形式的な束縛から自由にならんとしていることが見て取れる。それが第3番を経て第4番以降に結実することとなる。

パーヴォ・ベルグルント ニールセン 交響曲第1番 Op.7

 フィンランドの指揮者パーヴォ・ベルグルントがデンマーク王立管弦楽団を指揮したカール・ニールセン、交響曲第1番、Op.7、ト短調を聴く。1894年、29歳の時の作品で古典主義色が強いとはいえ、第1、第4楽章は自由な調性感が色濃く表れている。

 第1楽章、ト短調とは思えないほど自由な調性感で、はっきりしない。再現部でようやく本来のト短調が確立するようになっている。コーダはト短調で堂々と締めくくる。

 第2楽章、北欧の荒涼とした大地を思わせるくすんだ響きが特徴的である。長い冬の後にやって来る春の息吹が伝わってくるような演奏である。

 第3楽章、スケルツォでデンマークの農村風景が伝わっていく。畑仕事にいそしむ農民たち、のどかな風景が広がるさまが目に見えるようである。

 第4楽章、こちらも自由な調性感が強い。ただ、主調のト短調が明確になっている。楽章が進むにつれ、自由な調性感が全体を支配するようになり、最後はハ長調で締めくくる。

 最初の作品ゆえか古典主義色が強いものの、自由な調性感によっている。それが後の作品に至ると自由な形式、構成へと進んでいく。その上で、この作品の自由な調性感の重要性が窺われる。