エサ・ペッカ・サロネン バッハ=マーラー 管弦楽組曲 第2番 BWV1067

 マーラー編曲によるバッハ、管弦楽組曲、第2番、BWV1067。NHKラジオ「音楽の泉」、フィンランドのエサ・ペッカ・サロネンがロス・アンジェルスフィルハーモニー管弦楽団を指揮したものを取り上げていた。

 「音楽の泉」は堀内敬三、村田武雄、皆川達夫といった日本を代表する音楽評論家たちの司会で、クラシックの名曲などを取り上げて来た。現在の奥田佳道は4代目、昨年から聴くと、新しい録音によるものが目立つ。今回取り上げたマーラー編曲によるバッハは、資料的にも貴重である。

 マーラーの長大、かつ難解な交響曲の創作過程では、ベートーヴェン、シューマンの交響曲の編曲の他にも、ベートーヴェン、弦楽4重奏曲、第10番、Op.95「セリオーソ」などの編曲もあり、こうした編曲も創作過程でも注目すべきではないか。バッハの編曲を聴きながら、マーラーもフーガ書法を学ぶためにもバッハの作品に取り組むことは重要だったかもしれないと感じた。

 序曲、バディネリー、管弦楽組曲、第3番からアリア、ガヴォットを加えた編曲で、バッハのダイジェストと言うべき編曲と言えようか。当時の聴衆はこれをどう受け止めただろうか。バッハの音楽への関心を高めただろうか。新聞などの演奏会評が残っていたら目を通してみたい。

 サロネンの演奏にはこれ見よがしのものがなく、自然にバッハの音楽を伝えていた。分厚いオーケストションとはいえ、無理なく聴かせていた。

ヘルベルト・フォン・カラヤン ヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 

 ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共に初来日を果たした1957年、旧NHKホールでの演奏を聴くと、当時の颯爽としたカラヤンが一際目立つ。

 ヴァーグナーの大作の一つ、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲。勇壮さ、ドイツ的な響きが素晴らしい。カラヤンの指揮ぶりも颯爽、生き生きしたものだったことがわかる。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のドイツ的な響きと相まってか、大変な名演奏だろう。

 当時のカラヤンはヴィーン国立歌劇場総監督も兼ね、登り竜のような勢いだった。その2年後、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日、当時の記者から、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団のどちらが好きかという質問が出た際、

「イスラム教徒の如く、等しく愛情を注いでいる。」

と答えた。しかし、1964年、ヴィーン国立歌劇場を去り、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に専念する。

 1973年、今のNHKホールこけら落としの際、聴きに行き、「天下のカラヤン」を肌身で感じ取った。1974年以降のカラヤンは、病気がちになり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との間に隙間風が吹き、1981年、女性クラリネット奏者、ザビーネ・マイヤーの入団問題がきっかけで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との間に溝ができてしまった。その頃から、カラヤンはヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団との関係を深めたものの、1989年、大賀典夫氏の前で息を引き取った。1990年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演が予定されても幻となった。

 1957年のカラヤンを収めたNHKテレビの映像が残っていたことを思うと、これは素晴らしい記録として後世に残したい一つだと感じている。

吉田裕史 マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲

 イタリア、ボローニャで活躍する吉田裕史がボローニャ歌劇場フィルハーモニーとのコンサートでピエトロ・マスカーニ(1862-1945)のオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。マスカーニがルッジェーロ・レオンカヴァッロ(1857-1919)「道化師」と共に、イタリアでのヴァグネリズムへのアンチテーゼとして打ち出したヴェリズモ・オペラ(超現実主義)の名作である。

 村の若者トリッドゥが軍隊から戻ると、かつての恋人ローラは馬車屋アルフィオと結婚、村娘サントッツァを新しい恋人として迎えた。それでも、ローラを忘れられず、アルフィオとの決闘で命を落とす。復活祭の静けさと喜びの中、悲劇が潜むオペラの間奏曲として、重みがある。

 吉田は復活祭の喜び・静けさに潜む悲劇の影を打ち出している。サントッツァのアリア「ママも知る通り」とは対照的とはいえ、悲劇の影も差す。そんな重みを見事に引き出した演奏として評価したい。

 

佐藤俊介 マルティン・ロート オランダ・バッハ協会管弦楽団 バッハ 管弦楽組曲 第2番 BWV1067

 佐藤俊介、オランダ・バッハ協会管弦楽団によるバッハ、管弦楽組曲、第2番、BWV1067。これはフルート独奏付きの組曲で、フルート協奏曲と言えよう。マルティン・ロートのフルート・トラヴェルソが素晴らしい。

 序曲の荘重さ、厳格さ。ロンドのしっとりした歌。サラバンドでの深い歌。ブーレの闊達な主部と歌心に満ちた中間部との対比。ポロネーズは優雅さの中に力強さを秘めている。ドゥブル(変奏)でのフルートの歌の自然さが聴きもの。メヌエットの歌心も素晴らしい。バディネリでの推進力。全体の締めくくりに相応しい。

 オランダ・バッハ協会の演奏は高水準の演奏が聴ける。バッハを聴くなら、一聴すべきである。

 

佐藤俊介 オランダ・バッハ協会管弦楽団 バッハ 管弦楽組曲 第1番 BWV1066

 佐藤俊介がオランダ・バッハ協会管弦楽団を指揮したバッハ、管弦楽組曲、第1番を聴く。序曲のはつらつさ、どっしりした重厚感。クーラントの軽快さと歌心の調和。ガヴォット主部1での軽やかさ。歌も十分である。トリオに当たる2も歌が溢れている。フォルラーヌの軽やかさには歌心が調和する。メヌエット1での軽やかさと典雅さ、気品、歌が一体化している。2では静かにじっくりと歌う。ブーレ1の推進力と歌の調和。2は短調になるものの、歌が素晴らしい。それが1に戻ると、コントラストが際立つ。バスピエ1も典雅さと歌が素晴らしい。2も典雅さと歌を引き継いでいる。

 佐藤はヴァイオリン、指揮も兼ね、全体をしっかりとまとめている。日本での活躍も期待する。

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 1987

 

 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、1987年はヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮台に上った。この2年後の1989年7月16日、カラヤンはザルツブルク郊外の自宅に大賀典夫の訪問を受けた際、大賀の目の前で81歳を閉じることになる。これはカラヤン晩年の貴重なライヴとしても価値は大きい。

 ヨハン・シュトラウス2世、オペレッタ「こうもり」序曲を聴くとカラヤンならではの音楽作りが窺える。故国オーストリアに帰ってきた安堵感か。長年常任を務めたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との軋轢を忘れたかのようである。ヨーゼフ・シュトラウス、ワルツ「天体の音楽」、Op.235には晩年のカラヤンの到達点が感じられる。ヨハン・シュトラウス1世「アンネン・ポルカ」、Op.137の洒落た味わいにも見られる。このコンサート一番の聴きものは、キャスリーン・バトル独唱によるワルツ「春の声」Op.410だろう。カラヤンの好サポートが光る。

 カラヤンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ともシュトラウス・ファミリーの音楽をレコーディングしている。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのニューイヤーコンサートで、ようやくシュトラウス・ファミリーの音楽に到達したと言えようか。

 カラヤンの余命あと2年という中、素晴らしい記録としても残るだろう。

 

 

カール・リヒター ミュンヒェン・バッハ管弦楽団 バッハ 管弦楽組曲 第3番 BWV1068 第4番 BWV1069

 

 カール・リヒター、ミュンヒェン・バッハ管弦楽団による管弦楽組曲第3番、BWV1068、第4番、BWV1069は共にニ長調、壮麗さが際立つ作品である。宮廷の祝祭で演奏された可能性がある。

 第3番。序曲の壮麗さ、重厚さは聴きもの。主部中間部では独奏ヴァイオリンが活躍、協奏曲風な部分の後、壮麗さの中、全体を締めくくり、アリアへ進む。「G線上のアリア」として有名とはいえ、厳格さの中に内面から溢れゆく歌心が素晴らしい。ガヴォットも有名で、しっかりした大地の上に立つ宮殿を思わせる。トリオも同様。ブーレも宮殿を思わせる壮麗さ、重厚さが際立つ。ジーグはこの組曲の締めくくりに相応しい重厚さ、壮麗さが素晴らしい。

 第4番。序曲。ゲーテは、

「この威風堂々たる華やかさを聴くと、美しく着飾った人々の行列が広い階段を下りてくる姿が目に浮かぶようだ。」

と評している。少年時代のメンデルスゾーンはよく、ゲーテ家に出入りして、バッハの作品を演奏していた。1829年、メンデルスゾーンは「マタイ受難曲」を上演して、バッハ復興を果たした。ゲーテもバッハの管弦楽組曲の演奏に接した可能性がある。ゲーテの名言が息づくかのようである。ブーレ。華やかな主部、暗いトリオの歌のコントラストが見事である。

ガヴォットは荘重さに満ち、歌心も十分。メヌエットは生気に満ちつつも歌心に溢れ、トリオも同様である。歓び。全体の締めくくりに相応しい壮麗さに満ちている。

 バッハ演奏がピリオド楽器主体となっても、リヒターのバッハは今でも色あせていない。それは、人間の喜怒哀楽をありのままに、バッハの音楽の中に表現したからである。1981年、リヒターは日本公演を控えている中、ミュンヒェンのホテルで54歳の生涯を閉じた。あまりにも速すぎる死を惜しむ声は多い。それでも、リヒターが日本に与えた影響は大きく、樋口隆一、鈴木雅明といった、日本を代表するバッハ演奏家を産んだ原動力となった。

 

 

カール・リヒター ミュンヒェン・バッハ管弦楽団 バッハ 管弦楽組曲第1番 BWV1066 第2番 BWV1067

 

 バッハ演奏に一大記念碑を築いたカール・リヒターの貴重な遺産の一つ、管弦楽組曲第1番、BWV1066、第2番、BWV1067を聴く。タイトルは「序曲」となっている。とはいえ、序曲の後には舞曲が続く。

 第1番は荘重な響きのクーラント、きびきびしたガヴォット、悦ばし気なフォルラーヌに続き、いきいきとしたメヌエット、トリオは歌に満ち溢れている。ブーレも生気に満ち、トリオはハ短調となって暗くなる。パスピエは荘重さの中に締めくくりの役割を示す。トリオの歌も素晴らしい。歌と生気に満ちた音楽が繰り広げられていく。

 第2番はフルートにオーレル・ニコレを迎え、序曲の荘重さは聴きものである。全体にフランス趣味が溢れ、フルートが活躍、協奏曲風である。ニコレの歌心溢れるフルートが全体を引き締めていく。ロンドはガヴォットを融合したもので、生気に満ちている。サラバントでは深々としたフルートの歌が聴こえ、オーケストラと絶妙な調和を描く。ブーレの闊達さも素晴らしい。トリオでのフルートも味わい深い。有名なポロネーズではフルートの響き、歌が調和する。ドゥーブル(変奏)はフルートの聴かせどころででも歌が流れている。メヌエットはしっかりした足取りの中、じっくり歌い上げていく。最後のバティネリーも歌に満ち、この組曲を閉じていく。ニコレの名人芸と音楽性が息づいている。

 この組曲を聴くと、舞曲構成が自由になり、近代組曲、交響曲へと通ずる要素がある。単なるフランス趣味から、新しい時代の音楽への道を開いた面にも目を向けるべきだろう。

 

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 1979

 

 新春恒例のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、1979年はヴィリー・ボスコフスキー最後のコンサートとなった。また、このコンサート・ライヴ録音が原盤となったデッカ最初のデジタル録音だったから、二重の意味で記念碑的なレコーディングとなった。

 これ以降カラヤン、マゼール、カルロス・クライバー、アバード、ムーティ、バレンボイム、マリス・ヤンソンス、プレートル、アーノンクール、ヴェルザー=メスト、ドゥダメル、小澤征爾といった巨匠たちが登場する。

 ボスコフスキーのヴィンナ・ワルツ、ポルカは、ヴィーンの香りが漂う。また、自らヴァイオリンを弾きつつ指揮を執るさまは、ヨハン・シュトラウス2世そのものだろう。

 曲目を見ると、ヨハン1世のワルツ「ローレライーラインの調べ」Op.154、ヨハン2世のポルカ「お気に召すまま」Op.372、チック・タック・ポルカ、Op.365、ポルカ「狩り」Op.373、ポルカ「浮気心」Op.319、ワルツ「酒・女・歌」Op.333、「我が家で」Op.361、ヨーゼフのポルカ「モダンな女」Op.282、「風車」Op.57、「ルドルフスハイムの人々」Op.152、ヨハン、ヨーゼフ「ピツィカート・ポルカ」、エドゥアルトのポルカ「ブレーキかけずに」Op.238、ツィーラー、ワルツ「ヘラインシュパツィール」Op.518、スッペ、喜歌劇「美しいガラテア」序曲、最後はヨハン2世、ワルツ「美しき青きドナウ」Op.314、ヨハン1世「ラデツキー行進曲」Op.228で締めくくる。

 ツィーラーは1843年生まれ、1922年に世を去っている。シュトラウス一族の伝統を引き継ぎ、落日のオーストリアを彩った作品を残している。「ヘラインシュパツィール」はその一つだろう。ヴィンナ・ワルツの定型を踏まえつつ、素晴らしい音楽を生み出している。スッペもヴィンナ・オペレッタの雰囲気を伝えている。シュトラウス一族はツボを捉え、じっくり聴かせる。いくつかの作品では、カルロス・クライバーと比較してみたい。ヨハン2世のポルカ「狩り」Op.373がアンコールされ、会場を沸かせた光景も伝わって来る。

 「美しき青きドナウ」の前には新年の挨拶がある。ボスコフスキーの手にかかると、ヴィーンの香りが引き立って来るから不思議である。「ラデツキー行進曲」では会場の拍手で盛り上がり、「また会おう」、「よい1年になるように」とさまざまだろう。ヴィーンが匂うニューイヤーコンサートはもはや聴けない。それがボスコフスキーの最後のコンサートである。

 

 

ベルリン古楽アカデミー ヘンデル 水上の音楽 HWV.348-50

 ベルリン古楽アカデミーは1982年、旧東ドイツ、東ベルリン時代の様々なオーケストラの若手奏者たちが設立した古楽オーケストラで1984年、ベルリン、コンツェルト・ハウスでの連続コンサート以来、1986年、ヘルネ音楽祭に出演、以来ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア諸国でコンサート活動を行っている。

 このオーケストラによるヘンデル「水上の音楽」HWV.348-50全曲は、2004年に当時の様子を記した文書、その文書に基づく筆写譜が発見され、1962年に確定した新ヘンデル全集による3つの組曲、全21曲(第1組曲 10曲 ヘ長調、第2組曲 5曲 ニ長調、第3組曲 7曲 ト長調/ト短調)ではなく、全22曲(第1組曲 10曲 ヘ長調、第2組曲 ニ長調、ト長調 12曲)であることが判明、6月26日、バッハ・コレギウム・ジャパンがこの新版によるコンサートを行って話題となった。

 ヘンデルがハノーファー選帝侯国宮廷楽長となり、オペラ上演のためロンドンに渡ったことには、スチュアート朝最後の女王となったアン女王亡き後、イギリス国王に即位することが決まっていたため、ロンドンをはじめとするイギリスの情勢を伝えるためだった。即ち、諜報部員という任務を帯びていたことになる。

 ハノーファー選帝侯ゲオルクがイギリス国王、ジョージ1世としてイギリスに移住、ヘンデルは1717年、テムズ川での舟遊びの際の音楽として作曲した。ロンドン中心部からチェルシーに上陸して軽食と休憩、ロンドンに戻る行程で、3度も演奏された。

 ベルリン古楽アカデミーの演奏はヘンデルの音楽の魅力を伝えてくる。力強さ、壮麗さ、また荘重さ、歌心も十分。第20曲ジーグでは第1ジーグの後に第2ジーグ、第1ジーグに戻る。この演奏では第2ジーグで終わっている。バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートでは第1ジーグに戻っていた。いずれ、CDが出た際、じっくり聴いてから論じたい。