カール・ベーム モーツァルト フィガロの結婚 K.492 その4

 カール・ベーム、モーツァルト、フィガロの結婚、第4幕。まず、バルバリーナがスザンナが伯爵に渡した偽手紙のピンを探している。「見つからない」、フォーゲルが見事に聴かせる。伯爵夫人、スザンナの計略も知らないフィガロは、スザンナに裏切られたとカンカン、マルツェリーナがなだめる。ジョンソンが、「山羊はむつまじい」で見事な歌を聴かせる。ベームがオーケストラをしっかりまとめる。

 あずまや。バルバリーナがお菓子・果物を抱えてくる。それを見たフィガロは怒りが収まらない。バルドロ、ドン・バジーリオがなだめる。ドン・バジーリオが、「若き時は」でフィガロを説得する。ヴォールファールトの歌唱も聴きごたえ十分である。策略も知らないフィガロは「しっかりと見よ」で怒りを爆発、プライが見事に聴かせていく。登場人物たちの性格付けも見事なモーツァルトの音楽がベームのもとで息づいている。

 そこへ、伯爵夫人に扮したスザンナ、スザンナに扮した伯爵夫人がマルツェリーナと共に現れる。スザンナがフィガロを待ちわびつつ、「早く、ここへ」と歌う。マティスがしみじみと聴かせる。ケルビーノが現れ、伯爵夫人が追い払う。

伯爵がご満悦な様子で現れる。スザンナに扮した伯爵夫人とは知らず、伯爵は得意げ。フィッシヤー=ディスカウ、ヤノヴィッツが素晴らしい。伯爵夫人に扮したスザンナを相手にふざけるフィガロ、プライとマティスも素晴らしい。スザンナが平手打ちを食わせると、フィガロもロマンスを見せる。

 そこへ伯爵がやって来て、伯爵夫人に扮したスザンナを見つけて、妻の裏切りを見たぞと大騒ぎ。スザンナに扮した伯爵夫人が許しを請う。この場面は聴かせどころである。フィッシャー=ディスカウ、ヤノヴィッツが味わい深い。一同がフィガロとスザンナ、バルドロとマルツェリーナの結婚披露宴へ行こうと喜びいっぱいの中にオペラを結んでいく。

 ベームのフィガロの結婚は、晩年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ジャン・ピエール・ポネル演出による映画版もある。プライ、フィッシャー=ディスカウを中心としたキャスティングで、これも素晴らしい。とはいえ、ベーム全盛期の名演であり、フィガロの結婚の名盤として、今後も長く聴かれるだろう。

カール・ベーム モーツァルト フィガロの結婚 K.492 その3

 カール・ベーム、モーツァルト、フィガロの結婚、第3幕。まず、フィッシャー=ディスカウの伯爵が今までのことを振り返り、どうなっているかと愚痴をこぼす。そこへ、伯爵夫人、スザンナがやってくる。伯爵はスザンナに言い寄るものの、スザンナがかわす。マティスが素晴らしい。フィガロが登場。しかし、伯爵は「溜息交じりに」で、思い知らせてやるぞ、思い通りにしてやるぞと息巻く。フィッシャー=ディスカウの見せ所である。

 さて、フィガロ、バルドロ、マルツェリーナとの裁判の場。伯爵は借金を理由に、フィガロにマルツェリーナとの結婚を迫る。ここで、フィガロが貴族出身、幼いころに誘拐され、親を探しているという。自分の腕のあざを見せると、フィガロがバルドロとマルツェリーナの子だとわかって、伯爵の企みは潰れた。それも知らずに、スザンナがやってくる。スザンナもバルドロとマルツェリーナが自分たちの両親だとわかって、大喜び。ここはモーツァルトの見せ所、プライ、マティス、ラッガー、ジョンソンが親子の名乗りを上げ、喜びに包まれたフィガロとスザンナ、バルドロとマルツェリーナの歓喜、フィッシヤー=ディスカウ、ヴァンティンの落胆ぶりを対比させている。ベームが見事に聴かせる。

 そこへケルビーノとバルバリーナがやってくる。セヴィリアへ行ったことになっている一方、伯爵の城の中にいる。伯爵夫人は、一人、夫の浮気を懲らしめるにも召使の力を借りざるを得ない無力さを嘆き、「幸せな日々は」で過ぎし日を懐かしむ。ヤノヴィッツが高雅でありながら、深い悲しみ・寂しさを秘めつつ、伯爵夫人の思いを伝える。

 一方、伯爵と庭師アントニオがケルビーノの服を手に取り、まだ、城の中にいることを知って、伯爵は激怒する。入れ替わりに、伯爵夫人とスザンナがやって来て、伯爵をおびき出す策略として、2重唱で「手紙」を書かせる。マティス、ヤノヴィッツが見事。

 いよいよ、結婚式。村娘たちが伯爵夫人へバラの花束を贈る。その中に村娘に姿を変えたケルビーノがいる。アントニオが見つけ、士官の帽子をかぶせる。伯爵は激怒、バルバリーナがケルビーノと結婚させてほしいという。フィガロとスザンナ、バルドロとマルツェリーナが入ってくる。まず、花娘たち、合唱が加わって、伯爵を称える。クリスタ・ドル、マルガレーテ・ギーゼが聴かせる。ファンダンゴ、スザンナ・伯爵夫人による偽手紙にご満悦の伯爵、それを見つめるフィガロのやり取り、プライ、フィッシャー=ディスカウのスリリングな共演が聴きものである。再び合唱、結婚式の締めくくりとなる。ベームの素晴らしいモーツァルトの世界が私たちをひきつける。

カール・ベーム モーツァルト フィガロの結婚 K.492 その2

 カール・ベーム、モーツァルト、フィガロの結婚、K.492、第2幕。グンドゥラ・ヤノヴィッツの伯爵夫人登場。夫の伯爵が侍女、スザンナに浮気していることを知って、愛の神に慈悲を願いつつ歌う「愛の神よ」が切実に響く。スザンナ、フィガロが登場。フィガロが偽手紙で伯爵をおびき出す作戦を披露。スザンナは、マルツェリーナ、伯爵が妨害するだろうと不安がる。フィガロが「殿様、踊りたいなら」を歌い、やるぞと息巻く。伯爵夫人、スザンナは心配。そこへケルビーノがやってくる。

 「恋はどんなもの」、トロヤノスがしみじみと歌い上げていく。ベームの歌手起用が成功している。ケルビーノにスザンナの服を着せて、伯爵を懲らしめてやろうと企むスザンナ、伯爵夫人。そこへ、狩りから帰った伯爵がやって来て、危機一髪。フィガロの偽手紙に気づき、夫人を問い詰める。ケルビーノが化粧室に隠れている。伯爵と夫人とのやり取り。フィッシャー=ディスカウ、ヤノヴィッツとのやり取りが見事にはまっている。スザンナはケルビーノを逃がし、とりあえず一安心、スザンナが化粧室に隠れる。ケルビーノと思いきや、スザンナだったから、危機を脱したかに見える。

 フィガロが結婚式を挙げるよう、伯爵に申し出ると、偽手紙を問い詰められるも、うまく逃げてしまう。伯爵は、マルツェリーナに出てきてもらい、フィガロとスザンナの結婚を壊してしまおうと企んでいる。そこへ、庭師アントーニオが壊れた植木鉢を抱えて登場、ケルビーノのことがわかっては大変、フィガロが嘘をついて取り繕う。一息ついたかと思うと、伯爵の思惑通り、バルドロとマルツェリーナが登場、フィガロの借金について訴え出る。伯爵はしてやったり、得意満面。フィッシャー=ディスカウが得意げに歌い上げていく。ラッガー、ジョンソンも見事。ヤノヴィッツ、プライ、マティスの絶望ぶりとの対比もくっきりと表れている。

 ベームの歌手起用が見事なフィガロの名盤を生み出したといえよう。

カール・ベーム モーツァルト フィガロの結婚 K.492 その1

 カール・ベームがベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱団を指揮したモーツァルト、フィガロの結婚、K.492。ちなみに、ベームの初来日が日生劇場こけら落とし記念、ベルリン・ドイツ・オペラ公演だった。この時もフィガロの結婚があり、ライヴも残っている。

 序曲からモーツァルトの音楽がみなぎる。これはオットマール・スウィトナーも同じ。どちらもモーツァルトを得意としていた。フィガロ、ヘルマン・プライ。スザンナ、エディット・マティス。アルマヴィーヴァ伯爵、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ。伯爵夫人、グンドゥラ・ヤノヴィッツ。バルドロ、ペーター・ラッガー。マルツェリーナ、パトリシア・ジョンソン。ケルビーノ、タティアーナ・トロヤノス。ドン・バジーリオ、エルヴィーン・ヴォールファールト。ドン・クルツィオ、マーティン・ヴァンティン。アントニオ、クラウス・ヒルテ。バルバリーナ、バーバラ・フォーゲル。

 第1幕。フィガロとスザンナの新婚の部屋。フィガロがフィガロがプライの当たり役、憎々しいばかりである。マティスの素晴らしいスザンナが聴きもの。ラッガーのバルドロがフィガロへの復讐を誓う。マルツェリーナのジョンソンも一癖あり。しかし、この2人がフィガロの両親だとわかる。マルツェリーナとスザンナのやり取り。ここではマティス、ジョンソンが互角に渡り合う。スザンナがマルツェリーナを打ち負かしてしまう。ケルビーノが登場、伯爵に追われ、追放になると告げる。思春期の少年ならではの恋の芽生えを歌う。いよいよ、フィッシャー=ディスカウのアルマヴィーヴァ伯爵登場。理知的、かつ威厳ある一方、好色でスザンナに目がない。モーツァルトのオペラでは、フィッシャー=ディスカウの当たり役は少ない。その一つがアルマヴィーヴァ伯爵である。役にピッタリはまっている。ヴォールファールトのバジーリオも見事。フィガロが村人たちと共に、伯爵の徳を称え、結婚式へと急き立てる。プライ、フィッシャー=ディスカウのスリリングな共演がオペラを盛り立てている。「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は絶品。名唱である。

オットマール・スウィトナー モーツァルト フィガロの結婚 K.492(ドイツ語版) その3

 オットマール・スウィトナー、モーツァルト、フィガロの結婚も大詰めの第3幕、第4幕となる。伯爵は一体どういうことかと狐につままれた様な思いである。プライが見事に演ずる。そこへ、スザンナが入ってくる。伯爵が誘惑しようにもあしらわれる。ローテンベルガーの見事な駆け引きである。伯爵のアリア「溜息の間に」、プライが自分の権威は渡さぬ、フィガロたちのいいようにはさせまいと決意も新たに歌い上げている。カール・ベームでは、フィッシャー=ディスカウが心憎いほどに歌う。ベームでは、ドイツを代表する2人の名バリトンの協演となっている。スウィトナーでは、ベリーとプライの協演となっている。

 フィガロがマルチェリーナ、バルドロの子とわかり、伯爵の目論見は崩れた。スザンナがこの事実を知り、和解と喜びの時となった。ベリー、ローテンベルガー、ブルマイスター、オレンドルフが見事なアンサンブルを繰り広げ、喜びの雰囲気がみなぎっていく。伯爵夫人は「楽しい日々は」で、幸せだった日々を振り返る。ギューデンの格調高い歌唱が見事に響く。伯爵夫人とスザンナは、伯爵を懲らしめてやろうと手紙でおびき出すことにする。「手紙の歌」で、手紙を綴っていく。村娘たちが摘み立ての花を伯爵夫人へ献上するためにやってくる。そこに、女装したケルビーノがいる。ケルビーノとわかっても、フィガロとスザンナ、バルドロとマルチェリーナの結婚式となる。花娘たちが結婚式の始まりを告げる。合唱も加わる。ファンダンゴとなって、結婚式。オーケストラが見事に支えていく。祝福の合唱が高らかに響く中、結婚式が無事に終わる。

 第4幕。バルバリーナが、伯爵夫人とスザンナが伯爵に渡した手紙に着いていたピンを探す。レーニッシュが困ったような面持ちで歌い上げる。フィガロがやって来て、スザンナに裏切られたと怒りをあらわにする。マルツェリーナがやってなだめる。この盤ではマルツェリーナ、ドン・バジーリオのアリアが割愛され、フィガロが「目を開け」と怒りを爆発させる。ベリーの名人芸が見事である。伯爵夫人に扮したスザンナ、スザンナに扮した伯爵夫人がやって来る。「早く来て」と歌うスザンナ、ローテンペルガーがじっくり聴かせる。伯爵夫人に扮したスザンナとフィガロがふざけているうちに、スザンナとわかってロマンスを演ずる。そこへ、伯爵が、

「裏切り者。」

と叫び、浮気を捕まえたと勝ち誇る。やがて、スザンナに扮した伯爵夫人が許しを請う。伯爵も許せとなって、結婚披露宴に行こうと喜びのうちに終わる。

 ドイツ語であっても、モーツァルトのオペラの本質は変わらない。モーツァルトは、ドイツ語でこのオペラを書こうとしていたようにも思える。イタリア語になったことが、このオペラを名作にしたことも頷ける。それでも、スウィトナーの素晴らしいオーケストラがモーツァルトを引き立てている。名盤の一つとして推薦したい。

オットマール・スウィトナー モーツァルト フィガロの結婚 K.492(ドイツ語版) その2 

 オットマール・スウィトナー、モーツァルト「フィガロの結婚」K.492、ドイツ語版も第2幕となった。伯爵夫人が夫、伯爵の浮気心に悩む姿を描く「愛の神よ」で始まる。ギューデンの格調高い歌唱が聴きもの。ドイツ語のディクションも見事である。スザンナ、フィガロを交え、マルツェリーナたちの策略も交え、伯爵を懲らしめようと計略を巡らす。そこにケルビーノが「恋の悩みを知る人は」で、自分の思いを伝える。マティスの歌唱も見事。ケルビーノにスザンナの服を着せ、一泡吹かせようとする。「こっちを向いて」では、ローテンベルガーが機知にとんだ歌を聴かせる。

 そこへ伯爵が帰ってくる。伯爵夫人、スザンナが大慌て、プライ、ギューデン、ローテンベルガーの駆け引きが見事である。ケルビーノがいるなと感づいた伯爵が伯爵夫人の部屋の化粧室の鍵を壊そうとする。スザンナは急いでケルビーノを逃がす。マティス、ローテンベルガーの掛け合いが緊迫感に満ちている。緊迫感溢れるプライ、ギューデンのやり取りから、ローテンベルガーの落ち着いた雰囲気となる。フィガロが入ってくると、フィガロの策略が明らかになるとはいえ、伯爵夫人、スザンナの機転で助かる。庭師アントニオが壊れた鉢を抱え、若者が飛び降りて鉢を壊したと訴える。フォーゲルが巧みに演じる。ケルビーノとわかれば一大事、そこはフィガロがごまかす。ベリーの名人芸が聴きもの。

 マルツェリーナ、バルドロ、ドン・バジーリオがフィガロの借金のことを伯爵に訴え出て、伯爵がほくそ笑む。フィガロがマルチェリーナと結婚すれば、スザンナはわがもの。伯爵の高笑いが聴こえそうである。ブルマイスター、オレンドルフ、シュライヤーの聴かせ所になっている。

 スウィトナーがドイツ語とはいえ、素晴らしいオーケストラで支えている。「愛の神よ」でのオーケストラの響きが絶品だった。第3幕、第4幕も楽しみとなった。

オットマール・スウィトナー モーツァルト フィガロの結婚(ドイツ語版) K.492 その1

 モーツァルトを得意とし、NHK交響楽団名誉指揮者であったオットマール・スウィトナー、フィガロの結婚(ドイツ語版)は、ドレースデン・シュターツカペレを指揮したもので、キャストが当時のドイツの名歌手たちによっている。フィガロ、ヴァルター・ベリー、スザンナ、アンネリーゼ・ローテンベルガー、アルマヴィーヴァ伯爵、ヘルマン・プライ、伯爵夫人、ヒルデ・ギューデン、ケルビーノ、エディット・マティス、バルドロ、フリッツ・オーレンドルフ、マルチェリーナ、アンネリーズ・ブルマイスター、ドン・バジーリオ、ペーター・シュライヤー、ドン・クルツィオ、ユルゲン・フェルスター、バルバリーナ、ローズマリー・レーニッシュ、アントニオ、ジークフリート・フォーゲル。

 序曲のきびきびした中に、ドラマを予見させるものを感じる。この序曲がコンサートで演奏されても、オペラが始まるぞという、うきうきした気分が伝わる。スウィトナーの心頂骨である。第1幕。ベリー、ローテンベルガーの2重唱がドイツ語でもしっかりドラマが伝わっている。伯爵がスザンナに手を出そうとしていることを知ったフィガロが、伯爵を懲らしめてやろうと歌うアリア「踊りたければ」を聴くと、今に見ろという思いが伝わる。バルドロ、マルツェリーナがフィガロの結婚を邪魔しようと企む。しかし、この2人がフィガロの両親だったことがわかる。バルドロがフィガロに一泡吹かせるぞと歌う「仕返しだ」も見事。フェルスターの歌唱が光る。スザンナ、マルツェリーナのやり取りもローデンベルガー、ブルマイスターが素晴らしい。思春期の小姓、ケルビーノは「なぜかわからない」を歌い、恋に身をやつす心情を歌う。マティスがしっかりと聴かせる。スザンナに執心の伯爵。プライが見事に演ずる。そこへドン・バジーリオがやって来て、伯爵につくように勧める。シュライヤーが名人芸を聴かせる。ドレースデン国立歌劇場合唱団も素晴らしい。締めくくりとなる「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は、ベリーの独断場だろう。

 後に、プライがフィガロを歌うようになると、プライならではの見事なフィガロを聴かせる。これは、カール・ベームの名盤になる。スウィトナーのもとでの伯爵も名演だろう。

クリストファー・ホグウッド ヘンデル リナルド その3

 

 クリストファー・ホグウッドによる、ヘンデル、リナルド、第3幕。いよいよ大詰めとなる。効果音もオペラ全体を引き立てている。

 ゴッフレード、エウスターツィオが魔法使いの助けをえて、リナルド、アルミレーナを救わんと、アルミーダの城へと進みゆく。メータの素晴らしい歌唱も聴きものである。アルミーダはアルミレーナを殺さんとするものの、リナルドが押し留める。しかし、ゴッフレード、エウスターツィオが魔法を解き、城は消え失せる。そして、4人が再会、決戦となる。リナルドも戦へ赴く。

 アルガンテ、アルミーダも決戦に備える。こちらはトルコ風行進曲となり、イスラム軍も闘いに備える。フィンレー、オルゴナソーヴァの2重唱も見事。ゴッフレード、エウスターツィオ、リナルドも決戦の時。アルミレーナの喜び、エウスターツィオの賞賛。キリスト教側の荘重な行進曲が響く。戦いに赴くリナルドの思い。バルトリ、ダニエルズが素晴らしい。

 戦いは十字軍の勝利。アルガンテ、アルミーダはキリスト教に改宗。リナルドとアルミレーナ、アルガンテとアルミーダが結ばれ、オペラが幕を閉じる。登場人物全員によるアンサンブルで締めくくりとなる。

 ホグウッドの名演の一つになるだろう。

 

 

クリストファー・ホグウッド ヘンデル リナルド その2

 

 クリストファー・ホグウッド、ヘンデル「リナルド」第2幕。聖地エルサレムへと向かうゴッフレード、エウスターツィオ、リナルド。そこへシレーナたちが現れ、リナルドを誘惑する。ゴッフレード、エウスターツィオが押し留める。しかし、リナルドはアルミレーナを思う一心で誘惑に乗ってしまう。

 場面は変わり、アルミーダの魔法の城。捉われのアルミレーナに惹かれるアルガンテ。アルミーダもリナルドに惹かれる。ここはモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」を思わせるかのような展開になる。こちらは、互いの恋人たちに浮気を仕掛けるものの、元のさやに納まる。しかし、アルガンテ、アルミーダは言い争いになる。

 テイラーの味わい深い歌いぶり、ボット・リンコンが妖艶さを見せて、聴かせる。フィンクも堂々とした歌を聴かせていく。バルトリの素晴らしい歌唱から、アルミレーナの純愛ぶりがうかがえる。ダニエルズの堂々とした英雄ぶりを思わせる歌唱、オルゴナソーヴァがリナルドを前にして、リナルドに惹かれて行く心の乱れを見事に表現している。フィンレーも同様、アルミレーナに惹かれるアルガンテの心の動きを見事に捉えている。

 バロック・オペラの舞台では、本物の鳥を放ったり、海の場面では水を入れたり、嵐・戦争・火事の場面をリアルに再現していった上、音響装置もそろっていた。ホグウッドは時代背景を踏まえ、見事に表現している。

 

 

クリストファー・ホグウッド ヘンデル リナルド その1

 

 クリストファー・ホグウッドによるヘンデル「リナルド」。トルクァード・タッソ「エルサレムの解放」を基にした3幕のオペラ・セリアで、ジャコモ・ロッシの台本による。ホグウッドは1711年初演版によっている。

 ゴッフレードはベルナルダ・フィンク、アルミレーナがチェチーリア・バルトリ、リナルドがディヴィッド・ダニエルズ、エウスターツィオがダニエル・テイラー、アルガンテがジェラルド・フィンレー、アルミーダがルーバ・オルゴナソーヴァ、ファーゴ・クリスティアーノがへジャン・メータ、シレーナがアナ=マリア・リンゴン、キャスリーン・ボット、伝令がマーク・パドモアである。

 バロック・オペラ上演に相応しいキャスティングによるレコーディングと言えよう。フィンクによる堂々たる歌唱、バルトリの様式感たっぷりの歌唱ぶりは素晴らしい。ダニエルズ、テイラーの歌唱も聴き応え十分。当時、カストラートが演じていた役柄はカウンター・テノールが相応しいだろう。ゴッフレードもカウンター・テノールが演じてもよいことになる。フィンレーの威厳あるアルガンテも聴きどころだろう。オルゴナゾーヴァも傑出した歌手である。

 史実の十字軍はどうだったか。東ローマ帝国では、十字軍兵士たちの言動は芳しくなかった。イスラム教徒からすれば、キリスト教徒による侵略にすぎなかった。キリスト教徒たちがエルサレム王国を建国した際、ユダヤ人、イスラム教徒たちへの虐殺が続いた。そうした面を見ると、十字軍の残虐さもしっかり見据えるべきだろう。また、ヨーロッパにイスラム思想・文化が伝わり、新たな発展の礎にもなった。十字軍はヨーロッパ諸国には一大転機となった。

 ホグウッド率いるエンシェント室内管弦楽団は、ヘンデルの音楽をしっかり捉え、見事な演奏ぶりを示している。

 

 

若杉弘 団伊玖磨 夕鶴

 団伊玖磨(1924-2001)の代表作、かつ日本オペラの名作「夕鶴」全曲盤。若杉弘の名盤の一つだろう。伊藤京子、丹羽勝海、栗林義信、平野忠彦といった20世紀の日本オペラ界を代表する歌手たちによる唯一のレコーディングだろう。国立音楽大学、東京芸術大学、東京音楽大学で後進を育成、多くの人材を送り出した、これらの歌手たちの中には21世紀の日本オペラ界を代表する歌手たちが活躍している。

 若杉が読売日本交響楽団を指揮、ビクター少年合唱隊・杉並児童合唱団の子どもたちの合唱は今の時代でも新鮮である。オーケストラも見事で、団伊玖磨の世界が広がる。伊藤、丹羽、栗林、平野の日本語の歌唱も明確で、今日の歌手たちへの模範となっている。栗林、平野が惣どの腹黒さ、気の弱い小心者の運ずの性格描写を見事に表現している。都見物にかこつけて与ひょうを唆す。伊藤が歌うつうのアリア「私の大切な与ひょう」は、今聴いても迫真の歌唱である。惣ど、運ずに騙されて、金儲けに首を突っ込む与ひょうへの嘆き、幸せに慎ましく暮らしたい思いが溢れている。金儲けより慎ましい、幸せな暮らしを願う気持ち。それが私たちの心に伝わる。丹羽は腹黒い惣ど、運ずに騙され、金儲けに走ったものの、つうの機屋を覗いてしまい、つうを失った与ひょうの愚かさ、悲しみを演じている。

 この全曲盤は長く残っても、新しい世代の日本オペラ界を代表する歌手たちによる全曲盤が出てもよい時期ではなかろうか。それを切望したい。

音楽 オペラ

ヴォルフガング・サヴァリッシュ   リヒャルト・シュトラウス「影のない女」その3

 第3幕。まず、バラク夫妻。妻が呼びかけ、自らの過ちを詫びる。バラクが応じ、2重唱となり、上からの声によって動き出す。場面は霊界の王宮の門へと変わり、皇后と乳母がやって来る。従者、使者がこれと認め、使者は乳母が皇后を逃がそうとしていることを悟る。乳母は逃げるよう、皇后を説得するものの、皇后は真摯に立ち向かっていく。自分たちゆえにバラク夫妻を苦しめた以上、その意思は堅い。そこにバラク夫妻の声が聴こえる。乳母は2人が近寄れないようにする。使者は乳母を船に乗せ、人間の世界へと追い払う。霊界の神殿に立つ皇后。父カイコバートに人間として生きて行かんとする思いを伝える。

そこには黄金の水が現れる。

 神殿の護衛官が黄金の水を飲むよう、皇后に勧める。猿翁演出では、護衛官が水を意味する布を左右にふるっていく。しかし、愛の力に目覚めた皇后は拒否する。そこにバラク夫妻の声。その決意は強くなる。「飲みません」、この一言が皇帝を救い、人間の姿となった。この重さ、愛の力。バラク夫妻も再び結ばれた。そして、これから生まれんとする子どもたちの声が聞える中、皇帝、皇后が金の布を垂らしていく。

 サヴァリッシュは愛の力を伝えんとして、歌舞伎の手法を取り入れた。それを実現した猿翁の素晴らしい解釈力もこのオペラの主題「愛」を私たちのもとに届けた。とはいえ、2013年のサヴァリッシュの死とともにこの舞台が失われようとしている。また、猿翁も体調を崩し、歌舞伎の舞台から遠ざかった。このオペラの名演出、名舞台の一つとして長く記念すべきものとして残していけないだろうか。西洋のオペラと日本の歌舞伎との見事な調和が生んだ以上、切に望みたい。

 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ   リヒャルト・シュトラウス「影のない女」その2

 第2幕。バラクの家。猿翁の演出は日本風になっている。乳母は、バラクの妻に若い男の姿を見せ、夫婦の中を裂こうと画策する。若い男の誘惑に乗りそうになるバラクの妻。そこへバラクが兄弟たち、子どもたちと共に帰って来る。バラクは妻にご馳走を持ってきても不機嫌で取り合わない。変わって、皇帝の鷹狩の館。ここでも猿翁の演出は日本風である。皇后と乳母が戻って来る場面では宙乗りを用いている。鷹を独立した登場人物にしたため、皇帝の心のうちがはっきりしてくる。

 サヴァリッシュは皇帝と皇后、バラク夫妻の心の動きを明らかにすることによって、このオペラの主題「愛」を鮮明にし、音楽に深みを与えていくためにも、歌舞伎の手法による猿翁演出の舞台で描きだしたと見てよいだろう。それが皇帝と皇后、バラク夫妻の心の葛藤を浮き彫りにしたともいえようか。

 乳母はバラクの妻を誘惑せんとする。妻の良心がうずき、バラクに救いを求める。バラクが現れると、悪態をつく。そうした心の葛藤がにじみ出ている。鷹狩の館。皇后の寝室。眠っていた時、夢でバラクの姿、石になった皇帝の姿を見ると、良心の呵責にさいなまれる。ここが皇帝、バラク夫妻を救うカギとなる。

 バラクの妻は、不貞を働いたため子どもを産めないと言う。影がなくなり、乳母は皇后に影を奪うように促しても皇后は応じない。妻を成敗せんとするバラクの姿を見て、妻はバラクへの愛に目覚め、全て嘘だったと告げると、地が割れてバラク夫妻をのみ込んでいく。猿翁はこの場面で波子の効果による、素早い舞台転換を行う。舞台が空になって幕となる。

 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ リヒャルト・シュトラウス「影のない女」その1

 ヴォルフガング・サヴァリッシュが1992年、バイエルン国立歌劇場の総監督として最後の来日となった折、「影のない女」を市川猿翁演出で上演して話題になった。日本の伝統とヨーロッパ西洋音楽の粋を集め、オペラと歌舞伎が調和した素晴らしい舞台だった。このCDでは来日公演時のキャストとは異なっている。

 第1幕。王宮のテラス。皇后の乳母、霊界の使者との会話。霊界の王カイコバートの娘がカモシカに姿を変え、鷹狩に来た皇帝につかまり、美しい女の姿になって結婚、皇后となる。子どもが生まれない。使者が去ると皇帝が現れ、鷹狩の鷹を探すため、3日間王宮を留守にするという。乳母に留守を託し、出発。皇后が現れ、皇帝との出会いを振り返る時、鷹が現れ、皇后には影がないから、皇帝は石になると告げる。そこで、皇后は乳母と共に人間の社会に降りていく。

 猿翁の演出では鷹を独立した登場人物とした。動物は神仏の使いとして、人間に寄り添う。それゆえ、鷹が皇帝の運命を告げることにより、皇后が人間の世界に降り立って行く決意を固めることになる。その意味でも大きい。人間の世界に降り立って行く際、宙乗りを用いた。

 皇后と乳母が降り立った所は染物師バラクの家の前。家では、体の不自由な兄弟たちがいる。バラクの妻はこの兄弟たちを追い出したいと考える。バラクは子どもがほしいとはいえ、妻はそれには応じない。バラクが去った後、皇后と乳母が貧しい姿で現れ、女中として雇ってほしいとやって来る。乳母はバラクの妻が子どもを生もうとしない様子から、影を奪うことができると見た。魔法で庭園、侍女たち、宝石を出し、影を売ってほしいという。鏡のある王宮の一室を出し、バラクの妻に宝石、豪華な衣装を着せ、侍女たちを出す手法は見事だった。一瞬のうちの変化。それが素晴らしかった。

 乳母は魔法で5匹の魚を出して料理、バラク夫妻のベッドも2つに引き裂く。魚から生まれてこなかった子どもたちの声がすると、バラクの妻は良心の呵責にさいなまれる。バラクが帰って来て、そのままベッドに入っていく。

 サヴァリッシュは猿翁の力を借り、歌舞伎とオペラの融合によって、このオペラの本質を伝えんとした。しかし、この演出が見られなくなることは残念なことである。

 

ピエール・ブーレーズ ベルク「ルル」3幕版 その3

 ピエール・ブーレーズ、アルバン・ベルク「ルル」3幕版、第3幕。パリに逃れたルル、アルヴァがサロンを開く。ルルの誕生日祝いのため、大勢の客たちが集っている。ベルクはコンツェルト・コラール・ヴァリエーションを用い、パーティーの華やかさ、ルルの素性を知ってか、娼婦に売り飛ばそうとするカスティ・ピアーニ公爵、金目当てのロドリーゴを巧みに描いている。その上、ルル、アルヴァはスイスのユングフラウ株を購入、これを基にして生活している。株の暴落とともに、カスティ・ピアーニ公爵はルルのことを警察に密告、ルル、アルヴァは危うく難を逃れる。

 次いで、ロンドンの落ちぶれた屋根裏部屋。街の女になったルルが大学教授、王族を相手にする。かつて、ルルのとりこになった男たちを再現している。これを見たアルヴァは、王族に殺され、哀れな最期を遂げる。そこへゲシュヴィッツ嬢がやって来て、ルルの肖像画を壁にかける。ルル、ゲシュヴィッツ嬢にも悲惨な最期が待っていた。ルルと共にやってきた切り裂きジャック。ルルが殺したシェーンの分身で、ルル、ゲシュヴィッツ嬢を殺し、去っていく。

 シェーンはルルを弄び、ルルと結婚、殺される。しかし、切り裂きジャックとなってルル、ゲシュヴィッツ嬢を殺し、全てが終わる。カスティ・ピアーニ公爵、ロドリーゴもルルに金をせびり、陥れようとする。そうした男の陰険さを含め、ルルに夢中になり、わがものとした男たちは何を得ただろうか。破滅だった。フランク・ヴェーデキント、エミール・ゾラは、男たちを翻弄する女によって、世紀末市民社会の病巣を描きだそうとしたといえようか。それが「ルル」を一層、リアリティ豊かなオペラにしている。しかし、ベルクは最後までこのオペラを仕上げることなく亡くなった。そこには、妻ヘレーネと恋人だったハンナ・フックス・ロベルティンとの板挟みになっていた姿があったかもしれない。ベルクは、ヘレーネと別れ、新しい生活を始めようとしていただろうか。

 この全曲盤は、ピエール・ブーレーズの代表作として、長く残っていくだろう。ブーレーズもこうしたベルクの思いをとらえていただろう。

 

ピエール・ブーレーズ ベルク「ルル」3幕版 その2

 ピエール・ブーレーズのアルバン・ベルク「ルル」3幕版、第2幕を聴く。自ら墓穴を掘り、ルルと結婚したシェーンは、ルルと共に女性芸術家舞踏会への出席を確認するためにやってきたフォン・ゲシュヴィッツ嬢を迎える。しかし、シェーンは不機嫌、貴族の令嬢と結婚、新聞社社長として幸せな生活を夢見ていたとはいえ、自ら弄んだルルと結婚、その周りにはシゴルヒ、ロドリーゴ、ギムナジウムの学生がたむろしているためか、余計面白くない。さらに、息子アルヴァに言い寄るルルを見て、シェーンはルルを殺害しようとする。それが仇となって、シェーンはルルに殺されてしまう。第387小節以降、緊迫した場面になる。第551小節でルルはシェーンを射殺する。

 ある意味では、ルルを弄んだシェーンは墓穴を掘ったとも言えようか。ルルを他の男たちに押しつけ、自分は貴族の令嬢と結婚して上流社会に仲間入りしようと考えたものの、全てを見破ったルルと結婚、息子に言い寄られるにつれ、ルルの復讐を受けたと見ることもできる。シェーンも自らの策に溺れて命を落とした。

 ルルがシェーン殺害で刑に服したとはいえ、ゲシュヴィッツ嬢などの助けで脱獄、アルヴァとともにフランスへと旅立つ。そこにかつての取り巻きたちが現れ、ルルはアルヴァの出迎えを受け、見詰め合う一方、シェーンが息を引き取った長椅子を見つめる。アルヴァは忘れるように言う。アルヴァはルルのとりこになっていく。

 ブーレーズは、ルルにエミール・ゾラ「ナナ」を見ているような気がする。どちらも男たちを破滅させる女を描いていること、19世紀末から20世紀初頭の近代市民社会を舞台にしていること。この2点は共通している。そうした面も読み取り、近代市民社会の病巣を抉り出している。

ピエール・ブーレーズ ベルク「ルル」3幕版 その1

 1月6日、ドイツ、バーデンバーデンでフランスの作曲家・指揮者、ピエール・ブーレーズが90歳の生涯を閉じた。ブーレーズが残したアルバン・ベルク「ルル」3幕版、全曲のCDを買ったものの、長いこと聴いていなかったため、ブーレーズ追悼として聴いてみることにした。

 プロローグ。サーカスの猛獣使いが現れ、前口上を述べ、地球上の様々な動物の名を語り、蛇を連れて来いと命じるとルルが現れる。幕が開く。

 第1幕。画家シュヴァルツのアトリエ。医事顧問ゴル博士の妻となったルルがピエロ姿で、羊飼いの杖を持った姿で絵のモデルになっている。シュヴァルツは既に、ルルのとりこになっている。夫がいることを知りながら、ルルへの思いをあらわにするシュヴァルツ。ルルに激しく言い寄る。その場にやってきたゴル博士は急死する。シュヴァルツと再婚したルルのもとに実父シゴルヒ、ルルを弄ぶ一方、貴族の娘との結婚で名士にのし上がろうとするシェーン博士、それが命取りとなって、ルルと結婚する羽目になる。

 フル・スコアを見ると、ベルクは全体をカノン、カンツォネッタなどと区分けして音楽としてのまとまりを重視し、あくまでも伝統の中で12音技法を用い、全体の構成を緊密にしている。ブーレーズはベルクの音楽の性格を見事にとらえ、19世紀末から20世紀初頭のドイツ・オーストリアの市民社会の欺瞞を描き出したといえようか。