小澤征爾 逝去

 「世界のオザワ」、小澤征爾が6日、心不全でこの世を去った。88歳。2002年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、最後となったヨハン・シュトラウス1世、ラデツキー行進曲、Op.228を上げておく。

 中国東北部、瀋陽生まれ。帰国後、ピアニストを志し、バッハ、ベートーヴェン演奏で定評があり、ベートーヴェン受容史でも大いに貢献した豊増昇に師事した。ラグビーで指を痛め、ピアニストの夢を断念しようとした小澤に、

「指揮者も立派な音楽家だよ。」

と豊増が諭した。桐朋学園で斎藤秀雄に指揮を学び、1959年2月1日、スクーター・ギターを供に、フランスに渡った。第9回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、カラヤン指揮者コンクールでも優勝、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事した。1960年、アメリカ、ボストン郊外で開催されたバークシャー(後の丹グルウッド)音楽祭でクーゼヴィッキー賞を受賞、シャルル・ミュンシユに師事した。1961年、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者となって、レナード・バーンスタインに師事した。

 1964年、カナダ、トロント交響楽団常任に就任、グレン・グールドの家に遊びに行ったという。サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団常任となった。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立つようになった。2002年、ヴィーン国立歌劇場音楽監督に就任、2010年まで務めた。

 2006年に白内障の手術を受けた後、次第に健康の衰えが目立った。ガンに見舞われたり、腰の痛みなども慢性化した。世界のオザワも年に勝てなくなった。それでも、小澤征爾音楽塾を立ち上げ、後進の育成に熱心に取り組み、斎藤秀雄顕彰のため、長野県松本市でサイトウ・キネン・フェスティバルも立ち上げ、音楽文化育成にも取り組んだ。

 日本が生んだ世界的マエストロとなった小澤は、カラヤン・ミュンシュ・バーンスタインといった、時代を代表する指揮者に師事、ドイツ・オーストリア音楽、フランス音楽、現代音楽の演奏を学び、自分のものにした。ピアニストを諦めようとした小澤に、指揮者の道を進めた豊増昇こそ、世界のオザワの生みの親である。あらゆる面で、後進の育成に努め、日本の音楽文化向上に尽くした。

 1972年に起こった日本フィルハーモニー問題では、昭和天皇に直訴したことも忘れてはならない。そこまでして、日本の音楽文化を守り、発展させた功績は、近代現代の日本音楽史に特筆すべき存在である。新日本フィルハーモニー交響楽団を創設、日本を代表するオーケストラに育てた。

 小澤征爾が日本楽壇に貢献した功績は計り知れない。文化勲章を受章したこともその表れである。日本の音楽界に貢献した音楽家が文化勲章を受章できるようになってほしい。武満徹・安川加寿子・園田高広・中村紘子など、受章に値する音楽家たちは少なくなかった。音楽家からも文化勲章を受章する人が増えてほしい。

ロシア音楽を歌ってよいものか 岸本力の苦悩

 ロシアのウクライナ侵攻が長期化する中、ロシア音楽普及に努めて来た二期会、バス、岸本力が今、ロシア歌曲を歌ってよいものかと苦悩している。

 岸本は、ロシアのウクライナ侵攻以来、ウクライナの無残な現状・ロシア軍の残虐さなどを見るにつけ、ロシア歌曲を歌い続けてよいかと苦悩しつつ、声楽家・音楽家として模索している。岸本がロシア音楽普及の功績により、ロシア政府から表彰された経緯があっても、戦争の現実に苦悩する姿を見ると、戦争と音楽との関係を改めて私たちに突きつけた。

 ロシア音楽では、グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー・ラフマニノフなどが優れた歌曲を残した。戦争がロシア歌曲の名作を否定することはあってはならないとはいえ、今の情勢を見ると、ロシア音楽・ロシア歌曲を歌えるか、聴きたくないと言えるか。オーケストラのコンサートでも、チャイコフスキーなどがプログラムに上がっている。音楽家たちもジレンマの中にある。

 第2次世界大戦中、ドイツ占領下のフランスで、レジスタンスたちがドイツ兵の合唱には耳を背けることができなかったという。ロシアのウクライナ侵攻が長期化する今、私たちは音楽と戦争をどう考えたらよいだろうか。岸本の苦悩は、私たちに音楽と戦争との関係を鋭く問いかけている。

 音楽と戦争。今こそ、私たちが真摯に考える時が来ている。

柳家小三治 逝去

 クラシック音楽愛好家だった落語家、柳家小三治が自宅で亡くなった。81歳だった。「音楽の友」では、新譜ずいそうに投稿した文章が面白かった。カラヤン、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団によるヴィヴァルディ、ヴァイオリン協奏曲「四季」、プレヴィン、ロンドン交響楽団によるベート―ヴェン、交響曲第5番の文章を読んだ時、落語家ならではの気風の良さ、軽妙洒脱な味わいが印象的だった。

「よくまあ、ここまで手が回りやがった。」

「どうもわからねえな、プレヴィンという人は。」

今でも覚えている文章である。落語を聞いているような思いだった。

 また、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団がベームと来日した際、寄席を休演して聴きにいったという。そこまでして、ベームを聴いた心意気は素晴らしい。上野、鈴本演芸場での独演会では、グランドピアノを入れ、15曲も歌ったという。オーディオ機器も高価なものを所有していた。

 最近、二代目林家三平が「音楽の友」に「古典音楽(クラシック) どうもすみません」を連載、これも落語を聞いているような面白さだった。落語家の中でもクラシック音楽を心から愛し、オーディオも本格的で、専門誌にも寄稿していたほどだったことを思うと、クラシック音楽を愛した落語家として名を留めるだろう。

ジェームズ・レヴァインの死に思う

 3月9日、アメリカを代表する指揮者、ジェームズ・レヴァインが77歳で亡くなった。レヴァインがアメリカの名門オペラ・ハウス、メトロポリタン歌劇場を追われた理由がセクハラだった。

 セクハラ、これはシャルル・デュトワ、プラシード・ドミンゴなどにも疑惑が上った。そのため、コンサートなどのキャンセルがあったりした。音楽の世界でもセクハラは許されない。それを象徴するかのような疑惑が少なくなかったことも一理あるだろう。

 音楽家にまつわる様々なエピソードにも、今でいえばセクハラではないかということも多々あったはずではないだろうか。それを単なる笑い話で済まそうとしても、今の世の中ては済まされなくなった。どの世界にも人権があることがはっきりした。権利意識が強くなったこともそれらを裏書きしている。

 音楽の世界、ことにクラシック音楽の世界でも人権意識が強くなったことは、本当の実力の世界を確立しようとすることにもつながるかもしれない。セクハラがらみで実力ある音楽家たちが台頭できなくなったとすれば、大問題だろう。そうした意味でもセクハラが問いかけることがあるはずだろう。

 レヴァインはメトロポリタン歌劇場と和解したとはいえ、パーキンソン病を患ったため、引退せざるを得なかった。残念だった。

ヤマハ音楽講師ユニオン結成

 ヤマハ音楽教室の女性ピアノ講師が全国の講師仲間に、

「ユニオンを作りませんか。」

とツィッターで呼びかけた。新型コロナウィルスでレッスン休講になったとはいえ、月収の2割ほどの「お見舞金」だけ、これはおかしいと思った女性ピアノ講師が、

「他の先生たちは、どう思っているんだろう。」

とツィッターで検索すると、様々な悩みのツィートが出て来た。LINEでグループを結成、思いを文字化する中、「レッスン外業務」の一つ、発表会では1日10~14時間拘束で謝礼が5000円、これではどうにもならない。発表会のための身だしなみも必要とはいえ、ピアノ講師をこれだけ見下すようなことでは誰も納得できない。ベテラン講師も、

「後に続く人のために、ダメなことはダメと言わないと。」

と考えるようになった。そこには、ピアノ講師は個人事業主とみていたヤマハの考えがあった。休業手当・最低賃金・労災もない。これでは委託に名を借りた搾取ではないか。仕事中のケガすら補償もない。個人事業主だからと言って見下していたヤマハは、講師たちの労働組合結成をどう見たか。

 2020年11月19日、ヤマハ音楽講師ユニオン結成となり、記者会見で次のような方針を打ち出した。

 

   1.レッスン外業務への適切な報酬の支払い。

   2.仕事が原因のケガ・病気への補償。

   3.コロナ下などでの事業者都合の休業などへの補償。

 

ヤマハのマニュアル通りなら労働者であり、個人事業主ではない。今まで、ヤマハをはじめ、音楽教室事業者たちは音楽講師を個人事業主として軽視、何の保証もなく使い続けてきた。新型コロナウィルスが音楽講師たちの権利を主張する機会になった。

 さらに、労働組合のオンライン化でかえって、労働組合への関心が増したという声もある。それでも、講師たちが労働組合結成の過程で意見の対立もあり、「抜けようか」と悩んだこともある。信頼醸成も難しかった。こうした葛藤を乗り越えた結成は大きいだろう。

 音楽教室の講師たちが新型コロナウィルスの中で、自分たちの権利を主張するようになったことは大きな前進である。ヤマハが川上ファミリーの支配下にあった時期だったらどうだったか。できなかっただろう。川上ファミリーの手を離れたヤマハだからこそできた。音楽教室の講師たちの生活が改善されることを望みたい。

 

岡村喬生氏逝去

 日本オペラ界の牽引車となった岡村喬生氏が89歳で亡くなった。早稲田大学グリークラブに所属したことから、オペラ歌手への道を進み、ローマ、サンタ・ツェツィーリア音楽院に留学、二期会の花形歌手として活躍した。また、大橋国一と共にドイツ、ケルン歌劇場専属歌手となり、ヨーロッパのオペラハウスで活躍、二期会のオペラ公演をはじめ、ベートーヴェン、交響曲第9番のソリストをはじめ、シューベルト、歌曲集「冬の旅」D.911に取り組んで来た。

 氏の著作では、代表作「ヒゲのオタマジャクシ 世界を泳ぐ」、「歌うオタマジャクシ 世界奮泳記」、「オペラの時代に」がある。とりわけ、「オペラの時代に 歴史と名作を楽しむ」ではオペラ歌手としてのキャリアを積む中で、バロックから20世紀のオペラに至るオペラの名作を開設しながら、悲喜こもごもの人間ドラマを刻みつつ、作品を解説していったオペラ入門書で、一読の価値がある。オペラ歌手による名解説書としてもすぐれた往作である。ぜひ再販してほしい一冊である。

 また、1973年、イスラエル、テルアビブの海岸で遊泳中に亡くなったハンガリーの名指揮者イシュトヴァーン・ケルテーシュのことにも触れた「ヒゲのオタマジャクシ 世界を泳ぐ」など、岡村の著作にはいろいろ教示されることが少なくない。その意味でも、音楽界の貴重な証言を集めた著作も後世に残してほしい。

皆川達夫氏逝去

 

 日本の中世・ルネッサンス音楽研究の第一人者、皆川達夫氏が93歳で逝去された。氏の著書「中世・ルネッサンスの音楽」「バロック音楽」をはじめ、「西洋音楽史 中世・ルネッサンス」など、優れた書物を残し、キリスト教伝来と西洋音楽受容史の研究に取り組み、「サカラメンタ提要」「オラショ」発見をはじめ、八橋検校「六段」と西洋音楽との接点を発見したことでも大きな功績を残した。

 特に、NHK-FM「バロック音楽の楽しみ」、NHKラジオ第一放送「音楽の泉」第3代解説者を務め、多くの音楽愛好家たちを惹き付けた。前者は1965年~1985年、後者は1988年~2020年3月までの30年余りにわたった。「音楽の泉」は戦後から続くNHKラジオ第一放送の看板番組で、堀内敬三・村田武夫と続き、現在は奥田佳通氏に代わっている。

 「音楽の泉」では、往年の名演奏家たちを積極的に紹介した上、中世・ルネッサンス音楽、バロック音楽も取り上げた。7月~8月にかけて、夏向きにモーツァルトをはじめ、バロックの音楽家たちの作品も取り上げ、気楽に楽しめるようにしたことは氏の大きな功績だろう。放送を中心に、中世・ルネッサンス音楽、バロック音楽普及に取り組んだ功績、中世音楽合唱団を結成して、コンサート活動を行った作品普及も大きいだろう。

 音楽研究では、多くの人材を育て上げ、何人かが活躍している。人材育成にも取り組んだ功績を含め、中世・ルネッサンス音楽、バロック音楽の本質を伝えた功績を改めて評価したい。

 

 

市民オペラの新しい動き

 

 本日の朝、NHK総合テレビ「くらし解説」で市民オペラを取り上げた。市民オペラは、市民によるオペラ公演・オペラ運動として定着、日本のオペラ界発展にも大きく貢献してきた。1973年創立の藤沢市民オペラをはじめ、いくつかの市民オペラが生まれた。

 東京23区を見ると、新宿区・文京区・大田区は区民オペラがあり、大田区はオーケストラ・合唱団を結成して、オペラ公演に当たっている。かつて、荒川区民オペラもあり、こちらは二期会・藤原歌劇団で活躍する歌手たちが舞台に上がった。

 番組では、各地の市民オペラ公演、裏方などの活躍が紹介された。インターネットを活用して、世界に発信していこうとする試みもある。

 ただ残念だったことがある。東京23区の大田区民オペラが上っていなかった。NHKにしてはこれはいただけなかった。もう少し、きめ細かい取材がほしかった。

 ともあれ、NHKが市民オペラを取り上げたことは評価したい。  

 

 

一柳慧に文化勲章、池辺晋一郎、戸倉俊一に文化功労者

 

 2018年、一柳慧をに文化勲章を贈ること、池辺晋一郎、都倉俊一を文化功労者として顕彰することとなった。

クラシック音楽界の文化勲章は山田耕筰、朝比奈隆、吉田秀和、小澤征爾に次いで5人目となった。とはいえ、文化勲章を贈るべき、優れた音楽家を見落としていたことは残念である。武満徹、園田高広、安川加寿子などを見落としていたことは残念とはいえ、今後、贈るべき音楽家には贈ってほしい。

 池辺晋一郎が文化功労者に選ばれたことは評価したい。信時潔、安川加寿子も文化功労者に名を連ねている。その中で、戸倉俊一が選ばれた意義は大きい。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長を務め、ヒットメーカーとしても名高い。大衆音楽・著作権の分野での顕彰は、音楽が様々なジャンルにわたる存在であることを認めたことにもなる。文化振興の分野での企業メセナで、資生堂名誉会長、福原義春の顕彰も忘れてはならない。文化を育てる環境づくりとしての企業メセナの存在は極めて大きいと言わざるを得ない。

 音楽がクラシック音楽一辺倒でなくなったこと、文化を育てる企業メセナの存在に光が当たったことは時代の大きな変化だろう。そうした流れを汲んだ顕彰を評価したい。

 

 

ヘルベルト・ブロムシュテット 旭日中綬章受章

 

 春の叙勲、ヘルベルト・ブロムシュテットが旭日旭中綬章を受賞した。90歳、現役最年長にしての叙勲は昨年の三枝成章以来である。昨年、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに来日、ドイツ音楽の心髄を聴かせたことは記憶に新しい。

 スウェーデン国籍でありながら、旧東ドイツでの指揮活動も大変だっただろうし、アメリカでの活躍、クルト・マズアの後を引き継ぎ、ゲヴァントハウス管弦楽団常任を務め、リッカルド・シャイーに引き渡した。NHK交響楽団名誉指揮者となり、4月の定期演奏会でもマリア・ジョアン・ピレシュとも共演している。その功績を讃えたものだろう。

 バンベルク交響楽団との来日、ゲヴァントハウス管弦楽団との来日でドイツの音楽の心髄を聴かせ、深い感銘を与え、なお現役を続ける姿には感服する。尤も、日本の現役指揮者でも素晴らしい人材が輩出している。そうした指揮者に文化勲章はもとより、勲章を与えることは必要ではなかろうか。優れた日本人指揮者にも勲章を出してほしい。

 

 

小澤征爾 倒れる

 

 日本が誇る世界のマエストロ、小澤征爾が大動脈弁狭窄(きょうさく)症で1か月入院という事態になり、小澤征爾音楽塾で取り上げるはずだったラヴェル「子どもと魔法」はデリック・イノウエが指揮することとなった。1月、82歳とはいえ、NHK「あさイチ」で元気な姿を見せた小澤がいここへ来て病魔に倒れるとは誰もが思わなかっただろう。この年齢だからこそ、いずれはと思ったに違いない。

 1935年、当時の満州(今の中国東北部)に生まれ、ピアニストを志したものの怪我で断念、その折、師の豊増昇から指揮者を目指せと進言、斎藤秀雄に学び、スクーターでヨーロッパへ渡り、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタイン、シャルル・ミュンシュといった本家本元のマエストロの許で修業を積み、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、一躍世界に躍り出て、世界のマエストロとなった。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートへの出演、ヴィーン国立歌劇場音楽監督にも就任、真のマエストロとなった。

 しかし、小澤も寄る年波には勝てない。様々な病魔と闘いつつ、常に指揮台に戻ってきた。今回はどうなるか。マルタ・アルゲリッチとの共演もあるという。それまでには回復するだろうか。

 

 

フジタ(藤田嗣治)のバレエ、舞台美術復活上演

 

 日本、フランスを代表する画家、藤田嗣治(レオナルド・フジタ、1886-1968)の手によるチャイコフスキー「白鳥の湖」、Op.20の舞台装置が72年ぶりに復活する。

 藤田嗣治。1913年、フランスに渡った後、エコール・ド・パリの画家として脚光を浴び、帰国。帰国後、壁画などを手掛けた。しかし、戦争画を描いたことで戦争責任を追及され、1949年、日本を離れる。1955年、フランス国籍を取り、レオナルド・フジタと改名、1968年、チューリッヒで世を去った。

 藤田が手掛けた舞台美術は設定を春とした。第1幕、第2幕、第4幕のみで、第3幕は資材不足で他の装置を転用したという。1946年8月から20日間にわたって上演、その後、上演はなかった。この時期、藤田は戦争責任を追及され、苦難の時代だった。そんな中で、誰もがわかりやすい構図で制作にあたったことは評価すべきだろう。

 また、藤田の舞台美術は少なくともパリ、ミラノ・スカラ座など9作に及ぶという。この分野での研究はまだ手付かずである。藤田が遺した舞台美術研究も今後の課題だろう。

 上演は指揮大野和史、東京交響楽団、東京シティ・バレエ団により、3月3日、4日、6日、東京文化会館となっている。ぜひ、ご覧いただきたい。

 

 

20世紀をリードした音楽評論家、音楽学者の訃報

 

 2017年11月28日に音楽評論家で武蔵野音楽大学教授を務めた岩井宏之、そして2018年2月22日に音楽学者、国立音楽大学招聘教授を務めた磯山雅の両氏が逝去した。どちらも20世紀の日本をリードした音楽評論家、音楽学者であった。

 岩井氏は「音楽の友」、「レコード芸術」などに執筆、2002年、神奈川文化賞を受賞した。武蔵野音楽大学では教職員組合を結成、大学の経営近代化を進めて来た。恩師の一人とはいえ、余りうまくいかなかった。それでも、どこかで見守ってくださったかもしれないと感じている。

 磯山氏はバッハ研究の第一人者で、国立音楽大学ではベートーヴェンなどの研究プロジェクトを進めてきた。日本音楽学会会長も務めている。日本音楽学会をはじめ、国立音楽大学図書館に来た際、挨拶を交わしたり、その暖かい、包容力のある人柄がにじみ出ていた。

 日本の音楽学、音楽評論界の世代交代を象徴する訃報である。

 

 

水戸芸術館 ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代へ

 

 正午のNHKニュースで、今日から水戸芸術館、現代美術ギャラリーで開催される「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代へ」について報じていた。この展覧会は、高度に発達した情報社会と人間との関係を考えるもので、インターネット社会となった今こそ、考えねばならない問題である。

 今や音楽もインターネット配信で聴ける時代となり、音楽のレッスンもインターネットに即応したものとなっている。

ここで情報社会のあり方、利点と弊害をじっくり考える時期に来ている。この展覧会は時期的にも、現代の重要な問題を提起している。

 デヴィッド・ブランディ、小林健太、サイモン・デニー、セシル・B・エヴァンズ、エキソニモ(赤岩やえ・千房けん輔)、レイチェル・マクリーン、ヒト・シュタイエル、谷口暁彦の映像・写真を通して、インターネット社会と人間、芸術のあり方を問いかけていく。また、2月10日~12日にかけてトーク・シリーズもある。そこで、インターネット社会と人間、芸術のあり方が問われていく。

 現代のテクノロジー社会と人間とのあり方。グレン・グールドは僅か50年の生涯から、音楽におけるテクノロジーを追求し続けた。その意味でもこれは素晴らしい好企画だろう。

 期間は2月10日~5月6日までである。

 

 

小澤征爾のいま

 

 NHK「あさイチ」に小澤征爾が出演、近況などを語ってくれた。今年で83歳、スクーターに乗って、フランス、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、世界の檜舞台に登り、トロント交響楽団、ボストン交響楽団、ヴィーン国立歌劇場音楽監督のポストを勝ち取った。さらに、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートにも登場、世界の注目を集めて来た。

 近年、寄る年波には勝てず、ガンなどを患ったりして、体調の衰えは隠せない。しかし、音楽への真摯なまなざし、若い音楽家たちの育成には力を入れている。そんな中で、孫たちに接する姿には暖かみが感じられる。サイトウ・キネン・フェスティバルにちなみ、近隣の学校に「ナマの音楽」を聴かせようとする姿勢には、音楽の力、若者たちを育てようとする心意気が窺える。

 また、作家村上和樹との対談は単行本の後、文庫版にもなっている。読みごたえ十分で、グレン・グールドの家にも遊びに行ったという。それについては、活字にしていないことが残念だが、事情あってのことだろう。

 ともあれ、朝の貴重な一時であった。

 

 

2017/11/3 

三枝成彰 旭日小綬章 受章

 秋の叙勲、作曲家、三枝成彰が旭日小綬章を受賞した。小山実稚恵の紫綬褒章受章に次ぐ快挙である。日本を代表する作曲家の一人で、放送音楽での業績が大きい。純音楽でもいくつかのオペラ、協奏曲、交響曲、管弦楽曲などがある。

 また、いくつかの著作も残している。ことに、「大作曲家の履歴書」(上下2巻)は古今の大作曲家たちの生涯を概観しつつも、しっかりした史観がある。ベートーヴェンが音楽を「芸術」に格上げして、人間性を高めんものとしたことがかえって、音楽を大衆から遠ざけてしまったことを指摘、シェーンベルクの無調音楽が人間の本能を否定したことを音楽の悲劇だと言及する。これを踏まえ、メロディー、和声を取り戻すことが大切であると説く。

 この音楽史観こそ、作曲家だからこそ出せたと言えよう。作曲家こそ、作曲の本性を知っている。それでも、今の音楽のあり方は三枝の指摘通りだろうか。その意味で一読をお勧めしたい。

 小山実稚恵の紫綬褒章、三枝成彰の叙勲。2017年秋の日本の楽壇にとって、大変めでたいことである。

 

2017/11/2 

小山実稚恵 紫綬褒章を受章

 中堅から巨匠の道を歩んでいるピアニスト、小山実稚恵が紫綬褒章を受章した。これは2005年~2017年までBUNKAMURA、オーチャードホールで続けて来たリサイタルシリーズが評価され、芸術選奨を受賞したことによる。

 チャイコフスキーコンクール3位、ショパンコンクール4位を受賞、日本人ピアニストとしてこの2つのコンクールに上位入賞、ピアニストとして国際的にも高い評価を得たことは素晴らしい。2017年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでのショパン演奏は円熟の味わいに満ちていた。

 小山の他には伊藤恵、清水和音、小林五月、仲道郁代などが控えている。伊藤はシューマン、シューベルトを中心としたリサイタルシリーズを行ってきた。清水のリサイタルシリーズも2018年で完結する。小林五月のシューマン・ツィクルスも見落とせない。伊藤と共に、シューマン演奏では双璧をなす存在だけに侮れない。仲道は新しいリサイタルシリーズを始めるという。中堅から巨匠へとさしかかっていくピアニストたちの活動ぶりから目が離せなくなってくる。

 ともあれ、今回の小山の受賞を心から祝したい。11月25日、最後となるリサイタルシリーズには多くの聴衆がやって来るだろう。期待したい。

三宅幸夫 逝去

 バッハ、ヴァーグナー、ブラームス、マーラーなどの研究で優れた著作を残し、日本ヴァーグナー協会理事長を務めた三宅幸夫氏が8月14日、71歳で亡くなった。

 山形大学、慶応義塾大学で後進の指導に当たり、日本音楽学会会員でもあった。著作を見るとバッハ、ヴァーグナーが中心である。新潮社から出版したブラームスの評伝は文庫本ながら、大変優れた内容で、ブラームスの音楽の本質を突いた見事な内容である。日本ではブラームスの評伝が門馬直美のみの頃、この評伝が出たことは大きな意義があった。その後、西原稔のものが出ただけである。訳書は本田侑によるジョゼ・ブリュイールのもの、大田黒元雄によるカール・ガイリンガーのものがあった。

 三宅のブラームス伝は、ヴァーグナーにも通じていたこともあり、この2人の大作曲家を知り抜いた人が到達した成果でもあろう。

 71歳といえば、まだ余力がある年齢だけに惜しまれる。

岡本侑也 エリザベート王妃国際コンクール・チェロ部門で2位

 世界3大コンクールの一つ、ベルギーの首都ブリュッセルでのエリザベート王妃国際コンクール・チェロ部門で、ミュンヒェン在住の岡本侑也が2位に入賞した。チェロ部門は2017年開催から加わったとはいえ、日本人が2位入賞の快挙を果たしたことは大きい。

 音楽家の両親のもとに生まれ、幼いころからドイツで暮らしていた。音楽学校のイヴェントでチェロの楽しさを知り、6歳から始めたという。日本に戻ると東京芸術大学に入学して間もなく、ミュンヒェン音楽演劇大学に留学した。この大学はリヒャルト・ヴァーグナーがバイエルン国王、ルートヴィッヒ2世に設置を提言、ハンス・フォン・ビューローを学長に迎え、今日に至っている。

 幼いころからドイツで生活し、ドイツの音楽文化の豊かさを体験した岡本はもとより、フランス音楽の巨匠安川加寿子もフランスで生活、パリ音楽院を卒業後、日本の楽壇をリードしてきた。他にも海外生活を体験し、日本の楽壇をリードする音楽家たちも少なくない。まして、コンクール入賞も当然の時代になって来た。ただ、日本の楽壇では海外生活が長いほど、日本では忘れられた存在になりやすく、コンサートを開催するにも小さなホールでのコンサートになりがちである。こうした音楽家たちが日本でも活動しやすい環境を整えていくことは大切ではないか。インターネットが発達した今日、海外生活が長い音楽家たちの情報収集を徹底すべき時期にある。

 大きなホールが外来演奏家中心から、海外生活が長い音楽家たち、中堅音楽家・巨匠クラスの音楽家のコンサートを開けるようにしては如何だろうか。そうすれば、社会が音楽家たちを育てていく起爆剤になるだろう。いくら、コンクール入賞でも小さなホールでは気の毒だろう。

 最後に、岡本の今後の活躍ぶりに期待したい。

 

上野学園大学の経営問題の深刻化

 本日夕方のNHK首都圏ネットワークで、上野学園大学の音楽学部長を務めた声楽家、村上曜子教授が「新しい上野学園を作る会」に関わったことから解雇となり、解雇の無効、慰謝料1000万円を支払うよう、東京地方裁判所に訴えを起こしたことを報じた。上野学園大学の経営問題ではこの3月、ピアニスト、横山幸雄が解雇となり、地位保全の訴えを起こしている。

 上野学園大学の経営問題は、創設者の石橋家が学部増設に失敗、深刻な財政難となった。その上、学園所蔵のバッハの自筆譜などを売却していたことも発覚した。石橋家がこれ以上、信用を悪化させるようなことを続けると、上野学園大学は廃校となるだろう。

 何より、大学レヴェルアップのために横山幸雄、田部京子、下野竜也といった有名演奏家たちを教授陣に迎え、充実を図ってきたとはいえ、石橋家がこれを潰すようなことをして、学園廃校という事態を招くようなことになった場合、深刻な影響を与える。学園所蔵の日本音楽関係の資料、創設に関わった兼常清佐関係の資料の散逸といった事態になった場合、音楽学の研究にも深刻な影響が出る。

 今後、上野学園大学の経営問題はどうなるだろうか。その推移を見守りたい。

ヴィーン・フィルハーモニーとナチズム

 NHKニュース9でヴィーン・フィルハーモニーとナチズムとの関係に関する資料が公開されたことを伝えたことを見ると、この名門オーケストラがナチズムに協力していた事実を明らかにした背景には、急増する難民・移民排斥への警鐘がある。

 これはオーストリア全体で、ナチスに協力したことを真摯に見つめ、反省することによって、最近ヨーロッパで急激に勢力を伸ばしている極右勢力を牽制することにある。日本でも極右団体「日本会議」、ヘイト・スピーチが政治・社会を左右するようになっている。こうした風潮に対する警鐘は必ず出る。

 強制収容所に送られ、殺害された楽員たちの生涯、オーケストラから追放となった楽員の生涯をたどると、ヴィーン・フィルハーモニー、音楽との深いかかわりが見える。その中、追放となってアメリカに渡り、アメリカで指揮者として活躍、第2次世界大戦終結後、オーケストラへの復帰を果たせずに世を去った楽員の生涯には、ナチズムと戦争が何をもたらしたかがわかる。楽員たちの中には、妻がユダヤ人だったため、離婚して楽員の地位を保つしかなかった人々も少なくなかった。

 これはドイツ、オーストリアのオーケストラ、オペラハウスの負の側面となった。しかし、日本はドイツと同盟を結んでも、決してナチズムのホロコーストにくみしなかった。リトアニア領事だった杉原千畝が多くのユダヤ人たちを救った話すらある。ドイツ、オーストリアでもユダヤ人をかくまった人々すらいる。良心から行動した人々も命がけだっただろう。

 ヴィーン・フィルハーモニーがこのような歴史を公表したことは、ベルリン・フィルハーモニーなどにも広がっていくだろう。何よりも「過去に盲目な者は未来に盲目である」こと、これは日本でも同じだろう。私たちも自分たちの歴史に真摯に向き合うことの大切さが求められている。

 

 

 

昼のコンサートが増えて来た

 平日の夜が当たり前となっていたコンサートが、昼でも開かれるようになっている。ジャパン・アーツ、浜離宮朝日ホールが昼のコンサートを行うようになると、オーケストラも昼のコンサートを行うようになって来た。

 オーケストラでは兵庫芸術文化センター管弦楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、大阪交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団が続々、昼のコンサートを行うようになっている。その背景には高齢化、働き方の多様化がある。「演奏会は夜」という習慣は通用しなくなったことが大きい。

 最も、子育て世代の女性たちが気兼ねなくコンサートに行けるだろう。夜ならば、子どもの世話などがあってなかなか出られない層だけに、子どもたちが学校、幼稚園などに行っている間に行きたいと思う人々も少なくないだろう。昼公演ならば、帰りを気にすることがない。それが高齢化、働き方の多様化も重なり、需要が増した。

 昼のコンサートの場合、京都市交響楽団のように著名人のトークを交えつつ、クラシック音楽の魅力再発見につなげたり、日本フィルハーモニー交響楽団はサントリーホールとの共催でバレエ、ミュージカル、歌舞伎とのコラボレーションによるコンサートも行っている。

 ただ、オーケストラの場合、高齢化で定期会員が減少している危機感もある。若い世代を呼び込めていない現状をどう解決するかも問われる。子どもをはじめとした若年層向けのコンサートの場合、昼のコンサートが大きいだろう。昼のコンサートを行うならば、子どもを中心とした若年層の開拓も一つの課題になるだろう。クラシック音楽が私たちの生活に根付くようにするならば、「恐れかしこみ拝聴する」という、日本人の先入観をどう克服するかも問われている。

上野学園大学の経営問題と横山幸雄の闘い

 首都圏に数多くある音楽大学の一つ、上野学園大学は創設者石橋家の不正経理問題で揺れている。横山幸雄、田部京子、下野竜也などを教授陣に迎え、大学のレヴェルアップを図ったものの、石橋家の不正経理問題が表面化すると、横山、下野が「新しい上野学園を作る会」を結成、経営健全化のために闘って来た。しかし、横山が教授解雇となって、地位保全申し立てをするという。大学図書館所蔵となっていたバッハの自筆草稿が売却されたことも明らかになっている。横山も大学人として厳しい闘いを強いられている。

 音楽大学の場合、過去には武蔵野音楽大学の経営近代化問題、東邦音楽大学のワンマン経営問題などが表面化した。上野学園大学の場合も例外ではない。Facebookページ「新しい上野学園を作る会」の報告を見ると、石橋家の専横ぶりを詳細に伝えている。上野の校舎は高校併設、15階建てで石橋メモリアルホールがある。これだけの大改築を行い、大学としてレヴェルアップして生き残りを図っても、少子高齢化の今、経営はどうか。洗足学園音楽大学、昭和音楽大学などもレヴェルアップを進める今、名門とたたえられた国立音楽大学、武蔵野音楽大学、桐朋学園大学も浮き足立ってはいられない。そんな中、上野学園大学の経営問題の深刻化、教授となった横山の闘いがある。

 今後、上野学園問題がどのように進展するか、横山の厳しい闘いを見守りたい。

 

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

逝去

 ウクライナ、ルヴォフ出身の名指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキが2月21日、93歳で亡くなった。読売日本交響楽団では常任指揮者、桂冠名誉指揮者となり、来日が予定されていたものの中止となった矢先の訃報である。

 スクロヴァチェフスキが注目されるようになったのは1980年代からで、ブルックナー演奏で定評があった。アルテ・ノーヴァから出たドイツ、ザールブリュッケン放送交響楽団を指揮したブルックナーのCDが注目されるようになり、NHK交響楽団、読売日本交響楽団を指揮するに至った。遅咲きの指揮者であろう。

 昨年11月、今年2月に脳梗塞を起し、療養中だったという。93歳とはいえ、いささか残念な気がする。こうした演奏家の存在が今の楽壇を支えていることを思うと、20世紀に君臨した巨匠と言うカリスマへの郷愁がある。古今東西、カリスマ的な演奏家を求める音楽愛好家の心境は同じだろうか。

内田光子、グラミー賞受賞

 アメリカ音楽界の祭典、第59回グラミー賞で日本を代表するピアニスト、内田光子が2011年、ソリストとして「モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 K.488、第24番 K.491」の受賞に続き、「最優秀クラシック・ヴォーカル・アルバム(ソロ)部門」でグラミー賞を受賞した。ソプラノ、ドロテーア・レシュマンとの「シューマン:リーダークライス Op.39、女の愛と生涯 Op.42 ベルク:初期の7つの歌」である。クラシックでは昨年、小澤征爾が「ラヴェル:オペラ『子供と魔法』」に次ぐ快挙である。

 オーストリア大使を務めた外交官の家に生まれ、ヴィーンをはじめとしたオーストリアで音楽の神髄に触れ、1970年にはショパンコンクール第2位、1973年にはリーズ国際コンクールで第3位、アメリカのレーヴェントリット・コンクールで素晴らしい実績を収めている。現在はイギリス国籍、ロンドン在住である。

 内田は、日本が二重国籍を認めていないため、日本国籍を抹消したという。最近、民進党の蓮舫代表が二重国籍だったことで物議を醸している。国際社会では二重国籍が当たり前で、未だ日本は単一国籍のままでは時代の趨勢から取り残される上、優れた人材が外国に流出している。これだけ優れた業績を残したピアニストが日本国籍を捨てたという現実は重い。そろそろ時代に合った国籍制度を考える時期に来ている。

 小澤、内田に続く快挙が出るか。楽しみである。

 

 

マルタ・アルゲリッチ、ドナルド・トランプに物申す

 28日、アメリカのドナルド・トランプ大統領が出した中東・アフリカ7か国の国民の入国を一時禁止するとした大統領令はアメリカ国内を始め、国際的な非難の的になっている。そんな中、26日、ナチスのホロコースト犠牲者追悼のための「国際ホロコースト記念日」を前に、パリのユネスコ本部でユネスコ親善大使のイブリー・ギトリス、マルタ・アルゲリッチがコンサートを開き、ベートーヴェン、ヴァイオリンソナタ第5番、Op.24「春」などを演奏した。

 コンサートの後、アルゲリッチは、

「広島(と長崎の原爆投下)とアウシュヴィッツは人類にとって、最大の悲劇。ともに記憶され続けなければならない。」

と語り、ドナルド・トランプ大統領について、

「人々を引き裂く考え方は容認できない。最も危険なことだ。」

と批判した。この言葉を読みながら、レナード・バーンスタインも同じだっただろうと感じた。

 バーンスタインは音楽による人種差別撤廃を始め、マッカーシズムへの抗議、ベトナム戦争に対してリチャード・ニクソン大統領にも抗議した。社会を見つめ、発言し続けた音楽家でもあった。バーンスタインもドナルド・トランプ大統領に対して抗議しただろう。しかし、トランプ大統領はツィッターで相手を容赦なく攻撃する。そんな大統領はいずれ、ホワイトハウスから去っていくだろう。

 それよりも、アルゲリッチがトランプ大統領に対して「人々を引き裂く」と批判したことは重い。音楽家であっても、社会・政治に対して発言する権利はむろんのこと、発言は大きな意義がある。日本の音楽家たちはドナルド・トランプ大統領の言動をどう捉えているか、発言できるか。アメリカ大統領でありながら、アメリカ憲法を踏みにじる言動への抗議は当然であり、超大国のリーダーに相応しくない言動は、音楽家としても発言すべきだろう。

 その意味でもアルゲリッチの発言は当然である。世界最高のピアニストがドナルド・トランプに物申した意義は大きいだろう。今後、音楽家たちがどのようにドナルド・トランプ大統領にどのような発言をするか見守りたい。

 

ジョルジュ・プレートル 逝去

 フランスの名指揮者、ジョルジュ・プレートルが1月4日、ナーヴで92歳の生涯を閉じた。パリ・オペラ座音楽監督などを歴任、1988年にはパリ・オペラ座管弦楽団とともに来日、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤー・コンサートに2008年、2010年に登場、円熟した素晴らしい名演を聴かせた。2010年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日している。

 ニューイヤー・コンサートではシュトラウス一族の音楽から典雅さ、品の良さを引き出し、コクのある演奏を聴かせてくれた。また、マリア・カラスとはビセー「カルメン」、プッチーニ「トスカ」全曲も残している。「カルメン」はカラスの素晴らしい歌唱が聴きものとはいえ、フランス・オペラとしての性格も引き出していた。

 プレートルの演奏ではどの程度、フランスものがあるか。残っている演奏がCDとして発売されると、プレートルの再評価にもつながるだろう。今後に期待する。

ゾルダン・コチシュ 逝去

 デジェー・ラーンキ、アンドラーシュ・シフと共にハンガリー・ピアノ界の三羽ガラスと言われたゾルダン・コチシュが6日、64歳で亡くなった。この10月、指揮者としてハンガリー・国立フィルハーモニー管弦楽団と共に来日予定だったものの、体調不良で来日が実現しなかった矢先だっただけに残念である。

 かつて、ラーンキとともにモーツァルト、ピアノ・ソナタ全集を出したことすらあり、話題になっていた。シフはピアニストとしてのキャリアを順調に重ねていったのに対し、ラーンキ、コチシュは忘れられた存在になっていた。ここ最近、ラーンキも来日して円熟した演奏を聴かせていた。コチシュはピアニストより、指揮者としての活動が中心となっていた。

 1983年、ブダペスト祝祭管弦楽団を設立したり、児童救済の社会活動にも熱心だったという。ピアニストとして再評価されることなく逝去したことも残念である。

 

マルタ・アルゲリッチ、旭日中綬章受章

 2016年秋の叙勲で現代最高のピアニスト、マルタ・アルゲリッチが旭日中綬章を受章した。1965年ショパン・コンクールで優勝、リサイタル、オーケストラとの共演をはじめ、数多くのレコーディングも行ってきた。最近は室内楽中心のコンサートをはじめ、大分県別府市で別府アルゲリッチ音楽祭を行い、若手演奏家の育成にも力を入れている。

 今回の受章はその功績あってのことだろう。旭日中綬章といえば、7月26日、72歳で亡くなった中村紘子にも送られたとはいえ、中村が生きているうちだったらどんなに喜んだだろうか。それを思うと、アルゲリッチが同じ勲章を受けるにしても一抹の虚しさを感じる。ちなみに、中村はその時のショパン・コンクールでは4位であった。それがアルゲリッチと共に贈られ、受け取っていたら喜びもひとしおだっただろう。残念である。

 ともあれ、アルゲリッチの叙勲を心からお祝いしたい。中村も天国で喜んでいるだろう。ただ、日本では国際的に活躍しているクラシックの音楽家への叙勲が少ないようにも思う。まして、文化勲章は山田耕筰、朝比奈隆、吉田秀和、小澤征爾しかいない。武満徹、安川加寿子、園田高広など文化勲章を贈るべき音楽家が少なくなかった。その上でも、クラシックの音楽家への叙勲、文化勲章授与をもっと考えてほしい。

 

韓国オペラの取り組み「世宗カメラータ」

 韓国で「世宗カメラータ」によるオペラ育成運動が起こっている。これは16世紀末、イタリア、フィレンツェで古代ギリシア劇復活を掲げて結成された「カメラータ」にちなみ、韓国におけるオペラ創作、上演を目指し、作曲家イ・ゴニョンを中心にキム・ジェヒョブらと共に2012年からこのプロジェクトを始めた。

 イ・ゴニョンはアメリカ、ニューヨークで創作ミュージカルの授業を受けた際、台本作家、作曲家、演出家が対等であることから、オペラに応用できると考え、互いに切磋琢磨し合ってよいものを作ること、演劇としてのオペラ、作家が作曲家にすべて任せることが大切という結論に達した。

 さて、翻って日本はどうか。団伊玖磨「夕鶴」が名作として上演されているとはいえ、日本オペラが確立しているか。そう問いかけると、確かに多くのオペラが作曲、上演されても初演の後、何回かの再演があっても定着していない。韓国の試みと比べても、日本はあまり進歩していない。こう見ると、韓国の試みが日本オペラ見直しにつながる可能性もあるだろう。オペラは再演が多くなるほど、オペラとして定着していく。日本オペラ見直しとしても注目すべきである。

 「世宗カメラータ」には日本円では年間2000万円~3000万円の予算がある。その7割がソウル市の援助である。日本のオペラ界を見ると、オペラ上演の援助があっても新作オペラ創作のための予算はどうか。オペラそのものへの国、地方自治体の援助は韓国ほどではない。日本も見習うべきではなかろうか。

 韓国「世宗カメラータ」の試みが日本オペラ、オペラ界に大きな問いを投げかけている。これが日本のオペラ界、オペラ創作・上演のあり方を見直す一つのきっかけになってほしい。

中村紘子 逝去

 日本を代表するピアニストの一人、中村紘子さんが大腸がんのため、72歳で亡くなった。経済高度成長期の日本、おけいこブームの火付け役となり、1959年、日本音楽コンクールで優勝、NHK交響楽団の海外演奏旅行に同行、桐朋女子高等学校音楽科を中退してニューヨーク、ジュリアード音楽院に留学、1965年、ショパンコンクールで4位となった。以来、日本はもとより、国際的な活躍を続けた。最近、大腸がんのため、コンサートを休演するようになった。

 留学中、今までの日本で中心だった指を上げる奏法から、国際的に通用する指を伸ばす奏法を学んだことから、指を上げる奏法への嫌悪感が強かった。昭和初期の日本ではブライトハウプトの重力奏法が紹介されたり、レオニード・クロイツァーも重力奏法を奨励している。現在、中村が指摘するほど指を上げる奏法が広まっていない。日本のピアノ教育のレヴェルはかなり向上している。

 一方、後進の育成にも力を入れ、チャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールの審査員、浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務め、国際的レヴェルに押し上げた。また、NHK「ピアノとともに」の講師で名教師ぶりを発揮した。

 ノンフィクション作家、エッセイストとして、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「チャイコフスキー・コンクール」、「ピアニストという蛮族がいる」、「アルゼンチンまでもぐりたい」、「どこか古典派」、「国際コンクールの光と影」(NHK趣味講座のテキストで、番組も出演、この際、内容に問題があったようである。後に「コンクールでお会いしましょう」のタイトルで出版)がある。

 ただ、「ピアニストという蛮族がいる」で久野久子を取り上げたものの、「作り話」に過ぎなかったことが判明した。昨年12月12日、日本音楽学会、東日本支部第34回定例研究会(慶應義塾大学 三田キャンパス)で行った「久野久子の留学と死 外交文書から明らかになった新事実」で、外務省外交史料館所蔵の久野の自殺に関する全文書を調査し、これまでの定説に代わる新説を打ち出した。久野の自殺は芸術家、音楽学校教授としての良心、留学前から悩みの種となっていた兄、久野弥太郎の飲酒が原因だったことが判明した。「奏法を酷評された」と理由づけた、中村の供述もこれで覆すこととなった。中村紘子の著作は「作り話」であり、日本を代表するピアニストがこのような類のものを残していたことは残念である。

 そうした傷があっても、中村紘子が日本のピアノ界を押し上げ、盛り上げたことは確かであり、自ら小川典子、樋口あゆ子といった逸材を育て上げたことは大に評価すべきだろう。

 

 

宇野功芳 逝去

 日本を代表する音楽評論家の一人、宇野功芳氏が老衰のため、86歳で亡くなった。音楽の本質、演奏の本質を捉えた評論は多くの音楽愛好家たちがレコード購入、コンサートへの一つの指針となった功績は大きい。また、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンへの厳しい批判は今でも重要だろう。

 ただ、2013年、河出書房新社から出た夢MOOKでのカラヤン評を見ると批判はむろんのこと、功績にも言及する。カラヤンが世界の帝王に躍り出た根底には、歴史の転換期における「世渡り」に長けたことを指摘、晩年のフルトヴェングラーが、聴衆がカラヤンへの賛辞を上げるにつれ、自分の時代の終わりを悟っていたことを見抜いた。その上で、カラヤンがLP、CD、映像を活用したこと、多くの若い才能を見出したことも評価する。

 一方、カラヤンが「若々しさ、カッコよさ」にこだわったとする指摘には全面的には同調できない。1980年代のベートーヴェン交響曲全集を聴くとザビーネ・マイヤー事件以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との関係がぎくしゃくしたこともあってかある種の緊張感が感じられ、晩年のカラヤンの心境も伝わってきた。ブラームス交響曲全集にも同じ傾向が見られる。

 ピアニストではリリー・クラウス、ヴィルヘルム・バックハウス、エリック・ハイドシェックへの評価が高かった。晩年、HJ・リムも評価した。リムのベートーヴェンには洞察力があってもアントン・シントラ―、ロマン・ロランによるベートーヴェン像が根強い。

 ともあれ、音楽評論に一時代を築いた音楽評論家の功績をたたえ、平安を祈りたい。

ヤニック・ネゼセガン メトロポリタン歌劇場音楽監督に就任

 アメリカの名門、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場の新しい音楽監督にカナダ、モントリオール出身のヤニック・ネゼセガンが就任することとなった。これまで40年間、音楽監督を務めてきたジェームズ・レヴァインが健康上の理由で退任することとなったことを受け、2017年から暫定的に就任する形を取り、2020年から正式に就任することとなる。

 ネゼセガンは、指揮者としてオペラ、オーケストラを振ることは子どもの頃からの夢だったという。今回、メトロポリタン歌劇場音楽監督就任として実現したことはうれしかったとはいえ、これからがネゼセガンの真価が問われる。オランダ、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督を歴任して、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場音楽監督となると、かなりの重責になるだろう。若手から中堅指揮者へと成長する過程で、名門歌劇場音楽監督就任となると、大成への一里塚だろう。

 ネゼセガンがメトロポリタン歌劇場音楽監督として、どのような形で成長していくか。これからの活躍ぶりを見守っていきたい。

富田勲 逝去

 日本を代表する作曲家の一人、富田勲氏が5日、慢性心不全のため84歳で亡くなった。シンセサイザー奏者としても知られ「月の光」、「展覧会の絵」、「火の鳥」、「惑星」を取り上げた。また、NHKの番組テーマ音楽を数多く手掛け、その中でも「新日本紀行」のテーマ音楽の評価が高い。また、山田洋次監督の映画音楽、手塚治虫「ジャングル大帝」主題歌も担当している。

 「新日本紀行」のテーマ音楽は今でも聴くと、日本の自然と人情への哀歓が感じられる。これだけ素晴らしいテーマ音楽はないだろう。また、「ジャングル大帝」主題歌は平野忠彦の声を生かした、優れた音楽だった。2012年、宮沢賢治に霊感を得た「イーハトーブ交響曲」を作曲し、創作意欲も衰えていなかったとはいえ、「つらい」と漏らすこともあったという。80歳を超えるとこういう言葉が出てきたことも頷ける。

 しかし、自らの戦争体験、1945年1月に起こった三河地震を経験したことも手伝い、音楽を通じて自然といのちの本質を伝えようとする使命感もあった。音楽家でも戦争を体験した世代が次々とこの世を去っていく。こうした人々の思いをいかに継承していくかも問われている。

 日本の作曲家たちも世代交代が進んでいるとはいえ、先人たちが体験した戦争体験をどのように受け継ぎ、伝えるか。これは大きな課題だろう。また、作曲家たちが自らの音楽をどう伝えるか。これは大きな問題だろう。

日本舞台芸術振興会、チャイコフスキー記念東京バレエ団代表 佐々木忠次氏逝去

 日本舞台芸術振興会、チャイコフスキー記念東京バレエ団代表で日本の舞台芸術水準の向上、ヨーロッパの名門歌劇場、バレエ団招聘に努めた佐々木忠次氏が心不全のため、83歳で亡くなった。

 氏は講談社から「オペラ・チケットの値段」、音楽之友社から「だからオペラは面白い」を出版、オペラの舞台裏、チケットの値段といった業界の本音、オペラの舞台裏を私たちのもとに伝えた。「だからオペラは面白い」ではマネージメント会社の役割、弊害に言及、高額出演料を要求するような態度への批判が見られる。その際、氏はチケットの値段を下げるためには一人で海外に行き、交渉する。安いホテルに泊まり、運転手付きの車は不要、コストダウンと交渉能力が必要だと説く。日本の音楽マネージメント業界にはこの種の能力が必要ではなかろうか。コンサートでも交渉力、コストダウン次第なら、チケット料金も安くなるはずである。そうしたノウハウがあれば、高額入場料は改善できる。これまでの日本の音楽マネージメント業界の弱さを改善するには、佐々木氏のような交渉力とコストダウンを身につけることが必要だろう。その上で、これからの日本の音楽マネージメント業界のあり方を身をもって示した一人だろう。

 また、昭和の終わりから平成にかけてのバブル期、電通、博報堂がらみの企業協賛金が広まった時、氏はそのあり方に対しても批判の目を向けた。そのような協賛金を拒否した態度は見事だった。時流への厳しい視点も兼ね備えていた。

 今、音楽大学で音楽マネージメントに関する学科ができ、マネージメント業界への人材育成も始まった。佐々木氏のようなしっかりした視点に立つ人材が輩出するかがカギだろう。音楽マネージメント業界のあり方に一石を投じた人だけに大きな存在だったといえよう。

KAJIMOTO会長 梶本尚康氏逝去

 日本を代表する音楽マネージメント会社、KAJIMOTO会長梶本尚康氏が老衰のため、95歳で亡くなった。1951年に梶本音楽事務所(KAJIMOTO)を設立、新芸術家協会、高柳音楽事務所、神原音楽事務所、ジャパンアーツと共に日本を代表する音楽マネージメント会社として君臨してきた。

 1981年に倒産した新芸術家協会からヘルベルト・フォン・カラヤン、マウリツィオ・ポリーニなどのマネージメントを引き継いだり、ヴラディミール・ホロヴィッツの招聘にもあたった。そんな中でKAJIMOTOを日本を代表するマネージメント会社として業界をリードする存在に育てた。

 21世紀に入ると高柳音楽事務所、神原音楽事務所が廃業、ヒラサ・オフィス、パシフィック・コンサート・マネージメントがこれらのマネージメント会社を引き継ぐ形で設立された。また、いくつかの音楽マネージメント会社も倒産、日本の音楽マネージメント業界は大きく変わった。そんな中でジャパンアーツとともに日本の音楽マネージメント業界のトップとして君臨してきた大きい。KAJIMOTOは長男眞秀氏が引き継ぎ、業界の中心となっている。

 KAJIMOTOも創業者から、次の世代に引き継がれていく。ただ、2万~3万もの高額入場料もそろそろ考えるべき時期に入ってきた。ここ最近、日本経済の低迷ぶりは深刻である。そろそろ、誰もが行きやすい価格にしていかないと、日本の音楽マネージメント業界も行き詰まるだろう。その意味でも、高額入場料を改めることは必須である。日本の音楽マネージメント業界は一つの岐路に立っている。

ジェームズ・レヴァイン メトロポリタン歌劇場音楽監督を退任

 レナード・バーンスタイン亡き後、アメリカ楽壇の牽引車となった指揮者、ジェームズ・レヴァインが健康上の事情でアメリカ・オペラ界の名門、メトロポリタン歌劇場音楽監督から退任することとなった。

 レヴァインはメトロポリタン歌劇場はもとより、バイロイト音楽祭にも招かれ、ヴァーグナーのオペラも得意とした。また、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立った。ミュンヒェン・フィルハーモニー管弦楽団、ボストン交響楽団の音楽監督も務め、アメリカを代表する指揮者として世界の楽壇をリードする存在となった。

 しかし、1994年以来患っていたパーキンソン病のため指揮活動が難しくなり、1976年以来、40年にわたって務めてきたメトロポリタン歌劇場音楽監督から退任することとなった。ボストン交響楽団の音楽監督時代から負傷、腰痛、坐骨神経痛、ガンなどに苦しみ、来日中止となったこともある。

 レヴァインのメトロポリタン歌劇場音楽監督からの退任は、アメリカ楽壇にも一つの時代の終わりを告げる象徴的な出来事になるだろう。

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    和仁 亮裕 (金曜日, 15 4月 2016 21:58)

    1980年代初頭に聞いた、パルジファルは素晴らしかったです。

 

 

小澤征爾 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉団員となる

 日本が生んだ世界的指揮者、小澤征爾がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ち、ベートーヴェン、エグモント序曲、Op.84、合唱幻想曲、Op.80を指揮した。2009年5月に指揮台に立って以来、7年ぶりとなった。

 小澤は体調を崩し、国内でも松本でのサイトウ・キネンフェスティバルの出演を減らしてきた。最近、国内で指揮台に立つようになり、今回のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立つことになった。それと合わせて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉楽員の称号を贈られた。

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と小澤との関係は1966年、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代にさかのぼる。カラヤンのもとで指揮者としての修業を積み、コンサート・オペラの基礎を学んだ。さらにレナード・バーンスタインのもとで現代もの、シャルル・ミュンシュのもとでフランス音楽の修業を積み、ボストン交響楽団、ヴィーン国立歌劇場の音楽監督を歴任、今日の地位を築いた。

 カラヤン時代からのつながりからベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉楽員に推された小澤の喜びはひとしおで、

「私たちは実に50年も友好関係で結ばれている。心よりうれしく思っている。」

と語った。

 現在81歳となった小澤の長寿と健康を祈ってやまない。

 

ニコラウス・アーノンクール逝去

 オリジナル楽器による演奏の草分け的存在であったニコラウス・アーノンクールが3月5日、86歳で亡くなった。バッハに始まり、モンテヴェルディなどバロック・オペラの名盤、最近ではシューベルトの交響曲全集が2015年、レコード・アカデミー賞、大賞を受賞して話題になった。

 また、2001年、2003年、ヴィーン・フィルハーモニー、ニューイヤー・コンサートにも出演、音楽史的要素を醸し出したプログラムでも話題になった。ラデツキー行進曲を最初に出したり、ブラームス、ヴェーバーを加えたりして、シュトラウス一族と19世紀のドイツ、オーストリア音楽への関心を高めたことは高く評価したい。NHKラジオ第1放送「音楽の泉」で取り上げたロシアのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルとの共演によるベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、第1楽章のカデンツァでの試みでは、この協奏曲がピアノ協奏曲に編曲された折、ピアノのカデンツァをヴァイオリンで再現していた。これも面白い試みだった。

 アーノンクールは2011年を最後に、日本への旅が辛くなったということで来日しなくなった。2013年、フランス・ブリュッヘンが18世紀オーケストラを率い、新日本フィルハーモニーとの指揮を最後に亡くなったことを思うと、日本への思いが強かったことがわかる。

 2015年12月にはクルト・マズア、2016年1月にはピエール・ブーレーズが相次いでこの世を去った。そして、アーノンクールの訃報を聞き、20世紀を代表する指揮者たちがまた一人、この世から去っていった。