ゲヴァントハウス弦楽四重奏団 シュテファン・アデルマン モーツァルト セレナーデ 第13番 アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク K.525

 ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者たちが集まった弦楽四重奏団、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団は1808年に結成、2008年には200周年を迎えた。現在のメンバーはフランク・ミヒャエル・エルベン、コンラート・ズスケ、フォルカー・メッツ、ユルンヤコブ・ティムである。モーツァルトでは、コントラバスのシュテファン・アデルマンが加わった演奏となっている。

 第1楽章からモーツァルトの世界が広がっていく。透明な音の世界。闊達さが光る。第2楽章の素晴らしい歌心。第3楽章の典雅さと歌。第4楽章の見事なまとまりと歌に満ちた世界。弦楽合奏では得られない響きが全体を満たしている。

 1789年、モーツァルトがライプツィッヒにやって来て、ゲヴァントハウスでコンサートを開いたものの、入りは良くなかった。オペラハウスでは、「フィガロの結婚」をドイツ語で上演していた。モーツァルトがこれを知って、オペラを指揮していたとすれば、センセーショナルな話題を巻き起こしただろう。他方、聖トーマス教会カントール、ヨハン・フリードリッヒ・ドーレスを訪ね、オルガンを演奏した際、バッハの再来と称賛された。モテットを聴き、感銘を受けた。ライプツィッヒでは、小さなジーグ K.574を作曲、バッハの名も織り込んだ。この後、ベルリンへ向かい、フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世に謁見、弦楽四重奏曲、ピアノソナタの作曲依頼を受けることとなった。

 モーツァルトがドレースデン、ライプツィッヒ、ベルリンへ旅行したものの、経済的な成果も殆ど得られなかったとはいえ、バッハとの出会いは貴重なものだっただろう。

チョ・ソンジン ザビーネ・マイヤー ソル・ガベッタ ベートーヴェン ピアノ三重奏曲 第4番 Op.11「町の歌」

 チョ・ソンジン、ザビーネ・マイヤー、ソル・ガベッタによるベート―ヴェン ピアノ三重奏曲 第4番 Op.11「町の歌」。ソルスベルク音楽祭、2020年のライヴ。

 第1楽章。チョのピアノの闊達さが光る。マイヤーの雄弁さ、ガベッタも好演。しっかり支えている。第2楽章。ガベッタのしっとりした、味わい深い歌心が素晴らしい。マイヤーも呼応して、深々と歌う。チョも呼応している。第3楽章。「町の歌」のタイトルとなった主題による変奏が繰り広げられる。チョ、マイヤー、ガベッタが対話を交わすように進んでいく。全体に、暖かみある雰囲気が感じられる。コーダは8分の6拍子に変わり、見事な締めくくりを見せる。

 暖かみある雰囲気、闊達さ、歌心が一つになった演奏である。マイヤーの円熟ぶりも感じられた。

チョ・ソンジン ザビーネ・マイヤー ソル・ガベッタ ベートーヴェン ピアノ三重奏曲 Op.38

 チョ・ソンジン、ザビーネ・マイヤー、ソル・ガベッタによるベート―ヴェン ピアノ三重奏曲 Op.38。七重奏曲 Op.20をピアノ、クラリネット、チェロの三重奏曲として編曲したものである。2020年、ソルスベルク音楽祭でのライヴである。

 ザビーネ・マイヤーは、1981年、カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との対立となった事件で名をはせたとはいえ、ここでは素晴らしい演奏を聴かせている。カラヤンは、マイヤーをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員として迎えたくても、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団側が納得しなかったことで、カラヤンとの間に溝ができ、8年後、カラヤンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任を去った後、その3か月後に亡くなった。

 それはさておき、マイヤーが素晴らしいソロを聴かせる一方、チョ・ソンジンも素晴らしい音色で盛り立て、ソル・ガベッタもしっかりと支えている。第1楽章の闊達さ、雄弁さが見事である。第2楽章の深い歌心が素晴らしい。第3楽章。メヌエット、後のピアノソナタ 第20番 Op.49-2、第2楽章のひな型になっている。歌心が調和して、味わい深い演奏である。第4楽章。主題と変奏。チョのピアノがユーモアたっぷりである。ピアノ中心とはいえ、ガベッタが見事に応じている。マイヤーも見事な味を添える。第5楽章。スケルツォ。ピアノ、クラリネット、チェロが一体化して、ユーモア溢れる音楽を繰り広げていく。トリオの伸びやかなチェロの歌が聴きものである。第6楽章。荘重な序奏、ピアノによるロンド主題から、クラリネット、チェロが加わって、大きな世界を作り上げる。チョのピアノが見事で、ピアノの音色が豊かで、美しい。ガベッタ、マイヤーをバックアップしながら、音楽を作り上げていく。

 マイヤーの見事さ、ガベッタのどっしりした歌心、チョの見事なピアノ。それらが調和した、素晴らしいひと時を味わうことができた。

アンドレアス・オッテンザマー ソル・ガべッタ デジャン・ラツィク ブラームス クラリネット三重奏曲 Op.114

 アンドレアス・オッテンザマー、ソル・ガベッタ、デジャン・ラツィクによるブラームス クラリネット三重奏曲 Op.114。スイス、バーゼル、オーバー・ライン音楽祭、2015年9月30日のライヴ。

 第1楽章。オッテンザマーが晩年のブラームスの心情を見事に描く。ガベッタの深いチェロの音色と歌、ラツィクが見事に全体を支えている。第2楽章。深々とした歌がクラリネットから流れていく。チェロも味わい深い歌を奏でていく。ピアノも深々とした音色で淡々と歌い上げる。ブラームスの孤独な心境が伝わっていく。第3楽章。スケルツォ。アンダンティーノ・グラツィオーソで、ここにもブラームスの孤独が現れている。ラツィクがしみじみと歌い、オッテンザマーもしみじみと歌う。第4楽章。激しい推進力。ラツィクが見事にまとめている。オッテンザマー、ガベッタもこれに応じている。

 親族、友人たちの訃報が伝わる中、ブラームスは、クラリネット奏者、ミヒャエル・ミュールフェルトと出会い、この作品をはじめ、クラリネット五重奏曲 Op.115、2つのクラリネット・ソナタ  Op.120(ヴィオラでも演奏される)を作曲した。ブラームスの悲しみ、諦念がにじみ出ている。人生の最後の時期を見つめながら、至高の境地に至っている。ピアノ小品集、Op.116-Op.119も深い境地に立っている。それでも、1893年、イタリアへと旅立った時、ブラームスはもう2度とイタリアには足を運べないかもしれないと悟っただろうか。

ジェローム・デュクロ アレーナ・プロゴスキナ ヴェロニカ・ハーゲン ミッシャ・マイヤー モーツァルト ピアノ四重奏曲 第1番 K.478

 ピアノのジェローム・デュクロ、ヴァイオリンのアレーナ・プロゴスキナ、ヴィオラのヴェロニカ・ハーゲン、チェロのミッシャ・マイヤーによるモーツァルト ピアノ四重奏曲 第1番 K.478。2016年、ソルズベルク音楽祭でのライヴである。

 第1楽章。デュクロのピアノが見事。プロゴスキナ、ハーゲン、マイヤーが素晴らしい演奏を聴かせている。歌心も忘れていない。第2楽章。デュクロの歌心たっぷりのピアノがプロゴスキナ、ハーゲン、マイヤーを引き立てていく。プロゴスキナの歌心溢れるヴァイオリンが絶品。ハーゲンもたっぷり歌う。第3楽章。ト長調に変わり、喜びに満ちたロンドとなっている。闊達さ、歌心が調和している。ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがのびのびとした気分を醸し出し、フィナーレに相応しい。

 ソルズベルク音楽祭は、チェリスト、ソル・ガベッタが主宰、スイス、バーゼル、ホッホライン音楽祭が事務局となっている室内楽中心の音楽祭である。詳細は次の通りである。関心のある方は、ご参照いただきたい。

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ネルソン・ゲルナー 樫本大進 ジラード・カルニ ソル・ガベッタ シューマン ピアノ四重奏曲 Op.47

 ネルソン・ゲルナー、樫本大進、ジラード・カルニ、ソル・ガベッタによるシューマン ピアノ四重奏曲 Op.47。樫本大進がジラード・カルニ、ソル・ガベッタ、ネルソン・ゲルナーとの共演で、素晴らしいシューマンの世界を描き出していく。

 第1楽章。序奏、弦の素晴らしい絡み合い。ゲルナーのピアノが見事。歌心、ロマン、抒情性を大切にしつつ、シューマンの音楽を展開する。第2楽章。スケルツォで、ピアノと弦の絡み合い、歌心も十分である。第3楽章。シューマンの歌が広がる。ガベッタがじっくり歌い上げていく。樫本もたっぷりと歌う。ゲルナーの歌心溢れるピアノが、全てを引き立てている。カルニの歌心も素晴らしい。シューマンの歌が会場に響き渡っている。第4楽章。シューマンの歌、ロマン、抒情性が大きな世界を作り出す。ゲルナー、樫本、カルニ、ガベッタが一丸となって、大きな世界を生み出している。

 樫本が優れた室内楽奏者であることを示した演奏で、ゲルナーというよきピアニスト、ヴィオラのカルニ、チェロのガベッタというよき仲間との出会いが、素晴らしいシューマンの世界を生み出した。見事と言うしかないだろう。

メナヘム・プレスラー エマーソン弦楽四重奏団 シューマン ピアノ五重奏曲 Op.44

 メナヘム・プレスラー、エマーソン弦楽四重奏団によるシューマン ピアノ五重奏曲 Op.44。ボザール・トリオを結成、2008年に解散後、ソリストとして活動が始まった。日本にもやって来て、リサイタルを開いた際、聴いている。その演奏には、90歳を超えたピアニストとは思えないほどの素晴らしさがあった。

 シューマンの室内楽の傑作、ピアノ五重奏曲。ピアノと弦楽四重奏がシンフォニックに動き、調和している。エマーソン弦楽四重奏団もプレスラーのピアノと共に、シューマンの音楽の世界を作り出している。

 第1楽章のきびきびした中にも、ロマンあふれる世界が広がっていく。歌心も深い。第2楽章の深さも見事である。プレスラーの若々しさも光る。弦の歌心も素晴らしい。ロマン溢れる世界である。第3楽章。主部の流れが聴きもの。第1トリオの歌心には、ロマンの香りがする。第2トリオの激しい流れは一気に駆け抜ける。第4楽章もロマン溢れる歌、流麗さが一体化している。

 プレスラーは、1923年、ドイツ、マグデブルク生まれ、ユダヤ系だったため、ヒトラーが政権を握ると、アメリカに亡命した。ユダヤ系の音楽家たちは、ヒトラーが政権を握ると、続々亡命していった。シェーンベルク、ツェムリンスキー、フォス、ヴァルター、クレンペラー、スタインバーグ、セル、シュナーベル、ゼルキンなどがいる。プレスラーもその一人である。アメリカは、ナチスを逃れて亡命したユダヤ系音楽家たちのおかげで、一躍、音楽の先進国となった。その反対、ドイツ、オーストリアの音楽は衰退せざるを得なかった。しかし、ドイツ、オーストリアの音楽は、1989年、ベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ再統一で、かつての勢いを取り戻しつつある。

 もう一度、歴史を学び、ユダヤ人迫害・戦争について学ぶ時が来たようである。

マルタ・アルゲリッチ ダニエル・バレンボイム モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ K.448

 アルゼンチン出身のマルタ・アルゲリッチ、ダニエル・バレンボイムによるモーツァルト、2台のピアノのためのソナタ、K.448。世界最高の音楽家の共演によるモーツァルトのひと時。

 第1楽章から円熟した音楽家の味わいが聴き取れる。歌心も十分。これ見よがしではないモーツァルトの音楽が流れていく。アルゲリッチがバレンボイムに寄り添っている。

 第2楽章。モーツァルトの素晴らしい歌の世界が広がってゆく。円熟した音楽家のゆったりした、味わい深い、音楽の本質に迫っていく姿勢が素晴らしい。

 第3楽章。アルゲリッチ、バレンボイムのピアノの音色が温かさ、まろやかさを帯び、モーツァルトの歌心、ユーモアを自然な味わいで描き出す。

 バレンボイムは音楽による中東和平の道を模索している。アルゲリッチは別府でアルゲリッチ音楽祭を開催、若い、有能な音楽家たちを育成している。それぞれが音楽家として、社会との接点を見出している。そんな2人の共演が多くの人々に深い感動を与えている。

ルーカス、アルトゥール・ユッセン モーツァルト 2台のピアノのためのソナタ K.448

 ルーカス、アルトゥール・ユッセン兄弟によるモーツァルト、2台のピアノのためのソナタ、K.448。ドルトムントでのライヴ録音。

 ドイツでのピアニスト兄弟では、アロイス、アルアォンス・コンタルスキー兄弟が有名だった。コンタルスキー兄弟は現代ものでも定評があった。ユッセン兄弟はそれぞれのソロによるアルバムも出している。ユッセン兄弟もコンタルスキー兄弟に次ぐ存在だろう。

 第1楽章は闊達さ、ユーモア、軽快さ、歌心が調和していた。第2楽章はじっくりと歌う歌心が素晴らしい。第3楽章での闊達さ、歌心、軽快さはもとより、モーツァルトに欠かせないユーモアにも溢れている。音色も透明でよく響く。今後の活躍に期待しよう。

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第8番 WoO.39 第9番 WoO.38 第10番 Op.44「創作主題による14の変奏曲」 第11番 Op.121a「カカドゥ変奏曲」

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲全集も終わりに近づいてきた。作品番号なしの2曲、変奏曲2曲である。

 第8番、WoO.39は単楽章とはいえ、味わい深い1曲。当時、真剣に結婚を考えたことがあるアントーニエ・フォン・ブレンターノ男爵夫人の娘、マクシミリアーネのために作曲したもので、ベートーヴェン自身による指使いもある。ケンプ、シェリング、フルニエの親密な会話が伝わる。

 第9番、WoO.38はベートーヴェンがヴィーンに移る前、ボン時代最後の時期に当たる。楽譜はアントン・フェリックス・シンドラーの所有で、第8番と共にフランクフルト・アム・マインのドゥンスト社から出版された。第1楽章は大変のびやか、かつ歌に満ちている。第2楽章はスケルツォ。こちらも歌に満ちた楽章。後のベートーヴェンのスケルツォの抒情的な部分を暗示するかのようである。ピアノ・ソナタではキャラクターピースとしてのスケルツォを追及するようになる。ブラームスは、ベートーヴェンのスケルツォ楽章も丹念に研究していた可能性を伺わせる。ブラームスのスケルツォの中には、ベート―ヴェンの影響が顕著に見られる。その意味でも、ベートーヴェンのスケルツォは重要である。第3楽章もスケールが大きいとはいえ、歌が溢れている。3人が音楽の喜びを味わいつつ演奏している。

 第10番、Op.44は自作の主題による変奏曲。主題が3つの楽器のユニゾンで始まる。ピアノ独奏のみの変奏、ヴァイオリン中心の変奏、チェロのみの変奏、それぞれの特性を生かしている。ピアノとヴァイオリン、チェロとの掛け合いによる変奏にも楽器間の対等な関係を築こうとするベートーヴェンの姿がある。短調の第7変奏、第13変奏の深みある歌も素晴らしい。第14変奏での晴れやかさ、コーダでのハ短調のアンダンテの部分からプレスト、6小節での終結部に至る手法が見事である。名人の手になる素晴らしい演奏である。

 第11番、Op.121aはヴェンツェル・ミュラーのジングシュピール「プラハの姉妹たち」の「仕立て屋カカドゥ」の主題による変奏曲で、ト短調、アダージョ・アッサイによる重々しい序奏に始まる。ベートーヴェンは変奏曲とはいえ、音楽としての深みを追及していたふしがある。カカドゥの主題が始まり、10の変奏曲が展開する。ピアノ独奏による変奏、ヴァイオリンとチェロのみの変奏もある。ヴァイオリン中心の変奏、チェロ中心の変奏もある。第9変奏では序奏の深身に戻るとはいえ、深々とした歌が見事である。第10変奏はプレストの晴れやかさとと短調の部分とのコントラストが緊迫感ある音楽になっている。コーダはアレグレットとなり、行進曲風となり、主題を回想して、堂々と曲を閉じる。ベートーヴェンは楽器の独立性・可能性も生かした変奏を作曲するにあたり、ピアノ3重奏曲、弦楽4重奏曲、チェロ・ソナタ作曲に活用している。その意味でも2曲の変奏曲は重要である。ここでも名人の味が感じられる。

 ケンプ、シェリング、フルニエの名人ならではの味、音楽の深さ、歌心がベートーヴェンの音楽全体にしみわたり、素晴らしい全集として完成度の高いものになっている。ベートーヴェン生誕250年記念の今でも立派に通用する内容となっている上、今こそ聴くべき全集である。

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第7番 Op.97「大公」

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲全集もルドルフ大公に献呈した第7番、Op.97「大公」にたどり着いた。

 この時期のベートーヴェンはモットー中心の統一法から、カンタービレ主題中心とはいえ、潜在する動機により全体を統一する「潜在的動機統一法」に基づく。また、楽器間の関係も緊密になっている。ベートーヴェンの室内楽曲の一つの到達点に達したといえようか。

 第1楽章を聴くと、高貴な第1主題がじっくりピアノに歌われ、ヴァイオリン・チェロが絡み合っていく。ケンプ、シェリング、フルニエが一つに溶け合っている。展開部でのヴァイオリン・チェロが第1主題の動機を展開、クライマックスを築き、再現部に至る。3人がじっくり会話を楽しんでいるかのようである。歌心も素晴らしい。名人の至芸だろう。

 第2楽章のスケルツォ。形式はA-B-A-B-Aのロンド形式をとる。ヴァイオリン、チェロのカノンからピアノが入っていく。そこでも名人の技、音楽作りが見事である。歌心も十分。トリオでも名人ならではの味が聴ける。

 第3楽章。ピアノがじっくり歌い上げる主題に基づく変奏曲。ヴァイオリン・チェロも加わり、深みを増す。名人の深々とした歌心が素晴らしい。フルニエが深々と歌い上げると、シェリングも深々と歌う。ケンプが全体を支えつつ、深々とした歌心で支える。しっとりした気分の会話が聞こえるようである。第4楽章へと続く。

 第4楽章。ピアノがロンド主題を歌うと、ヴァイオリン・チェロが絡み合って、スケールの大きな音楽へと発展する。これ見よがしではなく、気品漂う名演になっている。再現部ではヴァイオリン・チェロからピアノへ引き継がれ、厚みも増す。コーダは8分の6拍子となり、テンポも早くなって力強い終止となる。3人が力を出し合い、一つになっていく。見事な演奏である。

 かつて、NHKではユーディ・メニューインがヴァイオリンを担当した演奏を放送したことがある。もし、メニューインとの演奏があったら、もう一度聴きたい。

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第6番 Op.70-2

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲第6番は正に名人の味が漂う。

 第1楽章の序奏を聴くと、ほの暗さから明るさへと進むうちに、聴き手をベートーヴェンの音楽へ誘う。主部での躍動感も素晴らしい。円熟期のベートーヴェンならではの熟達した手法をはじめ、歌心が滲み出ている。ケンプの味わい深く、慈愛に満ちたピアノの音色が素晴らしい。力強い終結ではなく、静かで味わい深い。ピアノの音色がそれを機を糺せている。

 第2楽章もベートーヴェンならでの試みが素晴らしい。2つの主題による変奏で、ケンプ、シェリング、フルニエが親しげに会話を楽しんでいるように思える。歌と味わいに満ちている。

 第3楽章はスケルツォ。抒情性に富んだ主部ではシェリングの深々とした歌が聴きものである。それをケンプが引き立てている。フルニエも暖かみのある演奏で支える。

 第4楽章も序奏付きとはいえ、3人がそれぞれ主張すべきはしても、和やかな会話を楽しみつつ、熱が入ってくると活気づいてくるような印象が強い。室内楽の醍醐味に溢れつつも味わい深い。深い歌心も素晴らしい。名人ならでの味わい深い演奏だろう。

 ベートーヴェン生誕200年記念の全集とはいえ、250年記念でも十分存在価値ある演奏としても長く残るだろう。

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベート―ヴェン ビアノ3重奏曲 第5番 Op.70-1「幽霊」

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベート―ヴェン、ピアノ3重奏曲第5番、Op.70-1を聴く。ベートーヴェン生誕200年記念とはいえ、50年後の生誕250年の今、名演の一つとして語り伝えられている。

 第1楽章の力強さ。統一感。円熟期のベートーヴェンの姿が浮かび上がる。ケンプのピアノの雄弁さ、シェリング、フルニエも素晴らしい。第2楽章。ここから「幽霊」の名がついたとはいえ、不気味さ・たっぷりした歌心が素晴らしい。ベートーヴェンはシェークスピア「マクベス」のオペラ化を考え、魔女の合唱にしたかったという。魔女が登場するような雰囲気が伝わる。第3楽章。勢い込んで始まるものの、流れがせき止められる。その後、スケールの大きな流れが続く。ケンプ、シェリング、フルニエが一体となって、大きな世界を形成する。雄弁さと調和、歌心たっぷりの名演と言えよう。

 生誕200年が1970年、この50年の間、ベートーヴェン研究も進んだ。ベート―ヴェン時代のピアノ・ヴァイオリン・チェロによる演奏も当たり前となっても、この演奏は色あせない魅力がある。

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第3番 Op.1-3

 

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲、第3番。この作品はハ短調で、ハイドンは出版には反対だったとはいえ、ベートーヴェンの自信にあふれた1曲である。ベートーヴェンのハ短調と言えば、ピアノ・ソナタ第5番、Op.10-1、第8番、Op.13「悲愴」、第32番、Op.111、ヴァイオリン・ソナタ、第7番、Op.30-2、ピアノ協奏曲、第3番、Op.37、交響曲第5番、Op.67があり、傑作揃いである。

 第1楽章。ベートーヴェンの自信にあふれた姿が伝わる。ヴァイオリン、チェロが独立して、全体の調和も考えられている。動機展開も充実している。短調ならでのパトスも伝わってくる。第2楽章はベートーヴェンならではの心からにじみ出る歌による変奏曲。ベートーヴェンの見せ所だろう。3人の名手たちが見せる歌心、深い味わいをじっくり聴き取れる。第3楽章はメヌエットとありながら、スケルツォだろう。それでも、名手たちの歌心が見事である。トリオでは暖かい歌が聴き応えある。第4楽章は力強い始まりから、ベートーヴェンならではのスケールの大きな音楽が広がっていく。それでも、抒情性豊かな部分があり、じっくり聴かせる。コーダは、全てを噴出した後、静かに全曲を締めくくる。

 ケンプ、シェリング、フルニエがベートーヴェンの音楽の本質を捉え、味わい深い世界を生み出した名演であり、長く残るだろう。50年前のベートーヴェン生誕200年記念に出たものとはいえ、生誕250年の今聴いても素晴らしい。

 

 

 

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第2番 Op.1-2

 

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲、第2番。若きベートーヴェンの野心溢れる作品である。

 第1楽章の序奏のたっぷりした歌。主部の闊達さ、若さ。いささか古典的かもしれない。展開部ではチェロも独立した部分を担っている。それでも、ベートーヴェンの個性が顔をのぞかせる。第2楽章はホ長調、3度関係となっている。ここにも、ベートーヴェンの個性が際立っている。たっぷりとじっくり歌い上げている。円熟の音楽家ならではの味わいに満ちている。第3楽章はスケルツォ。歌心たっぷりの主部、抒情性豊かである。第4楽章は闊達さ、若さが溢れる。チェロのオスティナートが聴きもの。こうした手法が見られるようになったことは大きいだろう。チェロの独立性が増しつつあるとはいえ、これからの作品ではどう発展するか。Op.70以降だろう。

 3人の円熟した音楽家が繰り広げるベートーヴェンの世界を堪能できる名演だろう。

 

 

ヴィルヘルム・ケンプ ヘンリック・シェリング ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第1番 Op.1-1

 

 ヴィルヘルム・ケンプ、ヘンリック・シェリング、ピエール・フルニエによるベートーヴェン、ピアノ3重奏曲、第1番、Op.1-1。ベートーヴェン生誕200年記念とはいえ、250年記念の今、聴いても色あせていない。

 ピアノ中心とはいえ、ヴァイオリン、チェロの独立した動きが出て来るとはいえ、まだ、完全に独立しているとは言えない。全体に若きベートーヴェンの野心が満ちている。

 第1楽章の闊達さ、チェロが独立した動きを見せている。これまでの低弦を支えるだけではなく、主題動機の発展に寄与している。ヴァイオリンの動きも目立つ。第2楽章ではたっぷりした歌が聴こえる。ベートーヴェン特有の心から歌い上げていく歌心に溢れている。第3楽章。スケルツォは変ロ長調かと思えば、主調の変ホ長調に落ち着く。ベートーヴェンならではの巧妙な書法である。トリオのたっぷりした歌も聴きものである。コーダも余韻たっぷりである。第4楽章。闊達さの中にヴァイオリン、チェロが独立した動きを見せても、まだ、十分とは言えない。推進力も十分。

 ヴィーンにやって来たベートーヴェンが作曲家としてデビューした記念碑として、3曲のピアノ3重奏曲をOp.1として世に送り出した。その第1曲から、ベートーヴェンの個性が見え隠れしていることは重要だろう。

 

 

ヴィルヘルム・ケンプ カール・ライスター ピエール・フルニエ ベートーヴェン ピアノ3重奏曲 第4番 Op.11「街の歌」

 ヴィルヘルム・ケンプを中心とするベートーヴェン、ピアノ3重奏曲全集の第4番、Op.11は、クラリネットにカール・ライスターを迎え、若きベートーヴェンの明朗闊達さが滲み出た演奏になっている。

 第1楽章の快活さ、ライスター、チェロのフルニエがピアノと一体化して、若きベートーヴェンの覇気溢れるものになっている。展開部もベートーヴェンらしく、充実したものになっている。

 第2楽章。チェロ、クラリネットのたっぷりした歌が素晴らしい。ケンプのたっぷりした歌心も彩を添えている。中間部のほの暗さ、ピアノの歌が聴きものだ。チェロ、ピアノとの対話も絶品。ベートーヴェンの緩徐楽章の歌心は真摯で、聴き手の心に迫って来る。その本質を捉えている。

 第3楽章。ベートーヴェンと同時期のオペラ作曲家、ヨーゼフ・ヴァイクル(1766-1846)オペラ「船乗りの愛、または海賊」の三重唱「約束の前に」を主題とした変奏曲で、当時流行していた旋律を用いたため、「街の歌」というタイトルがついている。ベートーヴェンならではの変奏技法を用い、音楽を深いものにしている。3人の奏者たちが持ち味を発揮して、心和む演奏に仕上げている。

 1970年のベートーヴェン生誕200年記念に向けた、素晴らしい全集の一こまだろう。

アルフレード・ブレンデル、トーマス・ツェートマイヤー、タベア・ツィンマーマン、リヒャルト・ドゥヴェン、ペーター・リーゲルバイヤー シューベルト ピアノ5重奏曲 D.667「ます」

 アルフレート・ブレンデルがトーマス・ツェートマイヤー、タベア・ツィンマーマン、リヒャルト・ドゥヴェン、ペーター・リーゲルバイヤーといった名手たちとのシューベルト、ピアノ5重奏曲「ます」はドイツ・オーストリアの香り高い演奏といえよう。

 ブレンデルは梶本音楽事務所が招聘先となって何度か来日していた。2001年に高柳音楽事務所の招きでの来日が最後となって、2008年に引退となったことは残念である。これは、1990年代~2000年代初頭、日本の音楽マネージメントの世代交代が原因である。大手の高柳音楽事務所、神原音楽事務所が廃業、コンサート・エージェンシー・ムジカ、ムジーク・レーベン、日本交響楽協会が倒産した。代わって大手はパシフィック・コンサート・マネージメント、ヒラサ・オフィスが出て来た。このどちらかが招聘先になっていたら、ブレンデルのさよならコンサートが実現しただろう。

 第1楽章はブレンデルのピアノがツェートマイヤーらと見事に調和して、素晴らしい音楽を生み出している。シューベルトの歌心が自然と滲み出ている。第2楽章もシューベルトの世界を堪能できる。第3楽章はシューベルトがヨハン・ミヒャエル・フォーグルとともに訪れたシュタイヤーの自然の香りが漂う。ブレンテルと名手たちとの自然な呼吸が心地よい。第4楽章は歌曲「ます」の主題による変奏曲で、弦による主題の後、ピアノが加わり、変奏を繰り広げる。川に泳ぐます、新鮮な水しぶきが眼の前に浮かぶかの如くである。第5楽章はスケールの大きな演奏で、シューベルトの歌も大切にしている。

 日本の音楽マネージメントの世代交代が外来演奏家招聘に大きな影響を与えたことは大きいだろう。ブレンデルは貧乏くじを引かされ、引退まで来日公演がなかったことは惜しい。新しい大手音楽マネージメントが招聘先にならなかったことは残念である。

ラルス・フォークト クリスティアン、タニア・テツラフ    ブラームス ピアノ3重奏曲第3番 Op.101

 ラルス・フォークト、クリスティアン、タニア・テツラフ兄妹によるブラームス、ピアノ3重奏曲も第3番、Op.101となった。1886年、トゥーンで作曲。ハ短調という調性から、ブラームスはベートーヴェンを意識していただろうか。

 第1楽章。第1主題の力強いトゥッティが発展、じっくり歌いあげる第2主題へとすすみ、提示部が終了後、展開部も力強いトゥッティで始まる。ピアノと弦とのやり取りが続き、再現部。第1主題から第2主題、ここはハ長調となる。コーダではハ短調に戻り、力強く締めくくる。

 第2楽章。スケルツォの暗い雰囲気と抒情性、力強さが一体化している。ピアノと弦の関係も緊密である。無駄のない音楽作りがかえって深みを醸し出している。

 第3楽章。ブラームスならではの深い歌が聴こえる。ピアノと弦の対話も見事で、中間部の暗い部分と一対をなす。主部に戻り、深みのある歌が歌われ、力強く閉じていく。

 第4楽章。スケールの大きなフィナーレ。ロンド・ソナタ形式で、小刻みに始まり、力強く発展する主部。伸びやかな対句、主部に戻り、力強く展開する。不気味な対句に入り、情熱的に歌われる。ハ長調に転調、力強いコーダとなって全曲を締めくくる。

 全3曲を聴き終わると、ブラームスの音楽がしっかり伝わって来る名演の一つだといえよう。2014年5月、ブレーメンでのレコーディングで、音質も素晴らしい。ぜひ、一聴してほしい。

 

ラルス・フォークト クリスティアン、タニア・テツラフ ブラームス ピアノ3重奏曲第2番 Op.87

 ラルス・フォークト、クリスティアン、タニア・テツラフ兄妹によるブラームス、ピアノ3重奏曲第2番、Op.87。Op.8が若きブラームスの悩み、苦しみなら、Op.87は堂々たる大家、ブラームスの姿である。1882年、バート・イシュルでの作曲で、ヨハン・シュトラウス2世などと親交を深め、自信に満ち溢れている。

 第1楽章の堂々たる、円熟した佇まいは、前年に作曲したピアノ協奏曲第2番、Op.83に通ずるものがある。ピアノの堂々たる書法、ヴァイオリン、チェロとの調和も十分である。

 第2楽章はイ短調の情熱的な主題に始まる。シューマン家を訪問する前から親友だったヨアヒムとの友情が崩れ、和解を求めんとしたブラームスの心境を見事に表現している。中間部の穏やかな主題には安らぎが感じられる。

 第3楽章は不気味な主題に始まるスケルツォ、ブラームスの本領が発揮されている。トリオのじっくりと歌いあげていく主題にはブラームスの歌心が満ちている。

 第4楽章はスケールの大きなフィナーレ。ハンガリー風の主題が発展、素晴らしい盛り上がりを見せていく。力強い締めくくりとなる。

 フォークト、テツラフ兄妹の自信に満ちた姿を彷彿とさせる。

 

ラルス・フォークト クリスティアン、タニア・テツラフ ブラームス ピアノ3重奏曲第1番 Op.8(1889年改訂版)

 ドイツの中堅ピアニスト、ラルス・フォークトがヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフ、チェリストでクリスティアンの妹タニアとともにブラームス、ピアノ3重奏曲全曲に取り組んだ。まず、第1番を聴く。

 若きブラームスの面目躍如とはいえ、ブラームス自身1889年に改訂している。第1楽章は落ち着いた、どっしりとした第1主題に始まり、大きく発展する。その後、憂鬱な第2主題が発展、情熱的に提示部を締めくくる。展開部は第1主題を中心に緻密、かつじっくりと発展、盛り上がりを見せていく。再現部では第1主題を変奏しつつ、スケールの大きな音楽となっている。コーダは堂々と締めくくる。

 第2楽章、スケルツォ、ロ短調の不気味な主部に始まる。トリオの穏やかな歌が聴きもので、歌に溢れている。次第に曲想が高揚、主部に戻っていく。フォークト、テツラフ兄妹の息の合った演奏が見事である。主部に戻った後、コーダではロ長調に戻り、静かに消えていく。

 第3楽章。たっぷりした歌心にあふれている。フォークトがじっくり歌い上げ、テツラフ兄妹もこれに応じていく。渋いながらも温かみを感じさせるブラームスの音楽の本質を捉えている。中間部の情熱のほとばしりもしっかり捉え、歌に満ちたこの楽章を閉じていく。

 第4楽章。フィナーレがロ短調を取ることには、当時のブラームスの心の葛藤がある。ブラームスは次第にクラーラ・シューマン夫人への思いを募らせていく。しかし、自分を楽壇に送り出したローベルト・シューマンへの罪悪感も感じるようになり、己の葛藤を表現しようとしただろう。3人がそんなブラームスの思いをしっかり掴んで、スケールの大きな演奏を繰り広げている。

 後年、ブラームスが改訂を加えた事情には、己の葛藤を生々しく描こうとしたことに対して、若き日の思いを見据え、冷静に振り返っていこうとしたからではなかろうか。