クリスティアン・ティーレマン ドレースデン・シュターツカペレ シューマンツィクルス


 クリスティアン・ティーレマンがドレースデン・シュターツカペレを率いて、シューマンツィクルスを行った。2晩でシューマンの交響曲の全4曲によるツィクルスは、日本では初めての試みである。ブラームスの交響曲全4曲はツィクルスの機会が多いものの、シューマンに至っては初めてである。(10月31日、11月1日 サントリーホール)

 シューマンの交響曲はシューベルト、メンデルスゾーン、ブルックナー、ブラームスほど取り上げられる機会はない。しかし、19世紀の交響曲史では重要な作品である。ティーレマンはこのコンサートシリーズで、シューマンの真価を問い直そうとしたと言えよう。

 第1番、Op.38「春」を聴くと、第1楽章再現部では序奏のファンファーレの後、第2主題に入るようになっている箇所では、春の喜びが高らかに響く。そこには交響曲を実現したというシューマンの喜びの声を聴き取った。第2楽章のたっぷりした歌は素晴らしかった。第3楽章の見事な構成力、第4楽章でもロマンあふれる演奏だった。

 第2番、Op.61では、ロシア旅行で健康を害した後、ドレースデンに移ったシューマンが病を克服するまでの過程を描いた作品である。第1楽章、第2楽章の闘い、第4楽章の勝利が見事に描かれていた。この楽章で、シューマンが病を克服した喜びを爆発させている。ティーレマンは、そんなシューマンの心境をしっかり捉えていた。それが、かえって第3楽章の内面性を引き出すことになった。

 第3番、Op.97「ライン」にはデュッセルドルフに移ったシューマンの喜び、意気込みの中に過去への思いと自らの運命への恐れが混じっている性格を見事に引き出した。ドレースデンからデュッセルドルフへ移るにも、デュッセルドルフに精神病院があることへの怯えがあったことは見逃せない。それが1854年の発狂、入院、1856年の死につながる。第1楽章の葛藤、第5楽章の希望に満ちた旋律からシューマンの感情が伝わった。

 第4番、Op.120は1841年、ライプツィッヒで「幻想曲」として初演したものの、評判が悪かったため、交響曲として改訂している。この方がシューマンの意図を出せたと言える。ティーレマンは全体が切れ目なく演奏されることによって、統一性強固な作品にしたかったことをかえって浮き彫りにした。ロマン性、構成感、響きが充実していた。

 ティーレマンによって、ドイツの重厚な音が響くようになったドレースデン・シュターツカペレによる充実したシューマンツィクルスをたっぷり味わった至高の一時だった。