小澤征爾のルーツは満州だった

 世界のオザワ、小澤征爾の死に際し、多くの人々が弔辞を送った。小澤の父、開作は歯科医で、満州に渡り、満州国を五族協和王道楽土として実現させようとする熱烈な理想主義者であった。軍人・満州官僚たちが利権を貪っていた現実を見た後、満州を去り、北京で歯科医を開業した。日中戦争にも反対していた。岸信介が自民党総裁になった折、

日本から満洲に来た官僚の中で一番悪いのは岸信介だ。地上げをし、現地人は苦しめ、賄賂を取って私財を増やした。だから、岸が自民党総裁になったときにこんなヤツを総裁にするなんて、日本の未来はない。」

と言った。戦後、神奈川県川崎市に歯科医院を開業、1970年に急逝した。安倍公房、武満徹も満州生まれだった。

 ベートーヴェン、ブラームスはリズム感、色彩感に溢れていた一方、大変深みのある内容だった。大地の香り、深さも感じられた。日本の指揮者がアメリカの名門、ボストン交響楽団を30年にわたって率いた功績は忘れてはならない。ただ、文化・学術の分野で、世界で活躍する日本人が少なくなったことは、最近の日本の零落ぶりを物語る。

 子どもの貧困が深刻化して、習い事を諦める子どもが急増した。自宅で音楽教室を構える人たちの収入も減りつつある。ヤマハ・カワイの音楽教室も生徒が少なくなった上、講師がタダ働き、楽器店のハラスメントにも遭う実態が明らかになった。上野学園の経営問題、名古屋芸術大学の経営問題も表面化した。

 小澤の父、開作が岸信介に向けた怒りを思うと、孫を鼻にかけた安倍晋三が9年近く首相の座にいて、日本をダメにしたことも肯ける。政治・社会には、安倍晋三の負の遺産の尻ぬぐいが続いている。音楽文化全体を見ると、1960年代から1970年代を支えた音楽家たちが続々、鬼籍入りしている。

 日本は経済・社会のみならず、文化も再建の時期が来ている。小澤征爾という巨星が堕ちた今、後に続く世代から世界に羽ばたく日本の芸術家たちを育てるためには、あらゆる面で日本を再生する時である。

テレビ朝日 題名のない音楽会 楽器は役者!熱くドラマチックなオーケストラの音楽会 後編

 テレビ朝日、題名のない音楽会、後編。水谷豊、檀れいをゲストに迎え、「太陽とボレロ」にちなみ、小林研一郎、東京フィルハーモニー交響楽団を迎えての企画。

 ラヴェル「ボレロ」、管弦楽曲の名曲。バレエ音楽として作曲されたとはいえ、1つの旋律が楽器を変え、音楽として流れていく。酒場で踊り子がボレロを踊る。客たちも1人1人と踊りに加わり、最後には全員が踊りに加わり、高揚感の中に締めくくりとなる。

 ラヴェルが楽器を変えつつ、延々と音楽を進める手法には、「オーケストラの魔術師」としての面目躍如がある。それが、音楽としての高揚感を高める。ムソルグスキー「展覧会の絵」オーケストラ版での素晴らしいオーケストレーションからも窺える。

 小林研一郎が見事に東京フィルハーモニー交響楽団をまとめ、素晴らしい音楽に仕上げている。今回はこの1曲だけでも30分の枠では精一杯だろう。

 1964年、黛敏郎が東京交響楽団と共に、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で始め、現在はテレビ朝日(当時はNETテレビ、1977年に現社名に変更)、黛亡き後は羽田健一郎、佐渡豊、石丸幹二に受け継がれている。この番組が今後も長く続くことを祈りたい。

テレビ朝日 題名のない音楽会 楽器は役者!熱くドラマチックなオーケストラの音楽会 前編

 テレビ朝日、題名のない音楽会が2度にわたり、炎のマエストロ、小林研一郎を迎え、6月4日にわたり、オーケストラの魅力を伝える特集番組を放送した。

 水谷豊が監督・主演の映画「太陽とボレロ」にちなみ、映画に出演する檀れい、水谷豊を迎えた。曲目は次の通りである。

 

   1.ビゼー アルルの女 第2組曲 第4曲 ファランドール

   2.山上路夫作詞 馬飼野廉二作曲 ベルサイユのばら 薔薇は美しく散る

   3.ベートーヴェン 交響曲 第7番 Op.92 第2楽章

 

小林研一郎は1940年生まれ、今年で82歳。小澤征爾に次ぐ日本のマエストロとして活躍中。ファランドールでの躍動感は素晴らしい。ベートーヴェンでの精神的な深さ、歌心。現役を続けると、朝比奈隆に匹敵する存在になるだろう。朝比奈はオーケストラをしっかり鳴らし、響かせることができた指揮者だった。小林は熱く、ドラマティックにオーケストラを響かせ、鳴らし、歌わせる。このままで行けば、朝比奈に匹敵する存在になるだろう。長寿、さらなる活躍を期待しつつ、後半を楽しみにしたい。

 

人間とリズム

 この3月で終了するNHK総合テレビ「ためしてガッテン」では、人間とリズムとの関係を取り上げていた。まず、パーキンソン病の治療にメトロノームを用いた治療法から始まった。パーキンソン病の歩行障害が、人間のリズム障害であることが分かったため、メトロノームを用いると、歩行可能となった。それでも、薬の服用は続けてほしいとの注意書きがあった。

 人間には様々なリズムがある。包丁の音、大工の釘の音、駅員の切符の音。掛け声。その道の達人と言われる人々にもリズムがある。そうしたリズムが私たちの営みを作り上げてきた。また、力を抜くことで、素晴らしいものが出来上がることで、良いものが生まれる。

 メトロノームに戻ると、オランダの発明家、ディートリッヒ・ニコラウス・ヴィンケルが考案、ドイツの発明家、ヨハン・ネポムク・メルツェルが1816年、特許を取得、実用化が始まった。ベートーヴェンは、メトロノーム活用によって、自作が正しく演奏されることを望んでいた。ピアノソナタ第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」で、メトロノームの指示が用いられていた。

 今、メトロノームが病気治療に用いられるようになり、ヴィンケル、メルツェルをはじめ、ベートーヴェンをはじめとした音楽家たちはこれをどう思うだろうか。人間の中にあるリズムこそ、私たちの日常の営みを支えていることを改めて感ずる。その意味でも、興味深い番組だった。

ダニエル・バレンボイムが目指す「音楽による中東和平の道」

 ダニエル・バレンボイムが来日、ベートーヴェン・リサイタルを開催した。バレンボイムがウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を結成、音楽によるユダヤとアラブの共存共栄、中東和平への道を目指していることは日本でも知られている。親友、アメリカのパレスチナ系文学者エドワード・サイードと共にユダヤとアラブの共存共栄を文化の力で実現しようという意図から結成したオーケストラの演奏活動から、中東和平の道を呼び掛ける取り組みは日本でももっと注目すべきだろう。

 ドナルド・トランプ前アメリカ大統領は娘イヴァンカの夫、ジャレッド・クシュナーがユダヤ系のため、イスラエルの利益になるような政策を打った。アメリカ大使館をエルサレムに移設したり、イスラエルとアラブ湾岸諸国との関係改善と言いながら、イランを牽制するため、かえって戦争の火種を蒔くようなことにもなった。バレンボイムは、トランプの政策に対し、怒りでいっぱいだっただろう。それがかえって、音楽によるユダヤとアラブの共存共栄、中東和平の道を進めようと決意を新たにしているかもしれない。

 サイードは、パレスチナ民族評議会議員であったものの、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)との間に結ばれたオスロ合意に反対した。イスラエル領内に住むパレスチナ人の権利を擁護する立場から許せなかった。サイードが「一国家」構想を打ち出すなら、イスラエルとパレスチナが連邦国家を作って共存共栄を図る道も可能ではないだろうか。ピアニストでもあったサイードが音楽評論・音楽学でも功績を残していることも忘れてはならない。

 サイードとバレンボイムが音楽の力でユダヤとアラブの共存共栄、中東和平の道を目指す取り組みを進めていることは世界平和への呼び掛けとしても大きなものがある。バレンボイムは、

心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。」

とイスラエルの国会で演説したことを、私たちはどのように受け止めるか。音楽家であっても、政治・社会発言は当然である。日本学術会議の問題に対しても、学問としての音楽学の立場から発言もあった。そうした発言を無視することは許されるか。私たちにも重い問いを投げかけている。そうした意味で、バレンボイムの言動には音楽家を越えた人間の良心・平和への思いに満ち溢れている。音楽すら、政治・社会・歴史と関わり合っている。バレンボイムの問いにどうこたえるか。

 

 

上野学園大学の閉鎖に思う

 上野学園大学が2021年度の学生募集を行わず、閉鎖することとなった。ここ最近、学生が定員割れしていたこともあって、経営が立ち行かなくなったことが原因という。

 上野学園には、田部京子・横山幸雄など、一線の演奏家が看板教授となっていた上、ヴァン・クライバーンコンクールで優勝した辻井伸行を輩出した。しかし、創業者の石橋一族による学園運営の失敗から、教授陣・学生たちが「新しい上野学園を作る会」を立ち上げ、そのあおりで横山幸雄が教授の座を追われることとなった。これが上野学園の経営にも打撃を与えた。

 日本の音楽大学が首都圏、京阪神に集中していることが大問題である。首都圏を見ると、国立音楽大学・武蔵野音楽大学・桐朋学園大学・日本大学芸術学部・玉川大学・桜美林大学・東京音楽大学・東邦音楽大学・洗足学園音楽大学・昭和音楽大学、計11大学が林立している。これでは、学生の奪い合いになってしまうし、音楽教室などに受験生斡旋を依頼するようになっている。

 一方、地方の音楽大学も自力をつけている。北海道の札幌大谷大学、宮城県の宮城学院女子大学、岡山県のくらしき作陽大学、広島県のエリザベト音楽大学、熊本県の平成音楽大学、鹿児島県の迫水女子大学などがある。そろそろ、音楽大学の一極集中も是正する時期に来たようである。

 上野学園の事例を機に、首都圏の音楽大学も地方移転を考え、地方の音楽文化興隆に貢献することを考える時期に来たように思える。地方移転を考える大学も出て来てもいい時期だろう。

宮城まり子とねむの木学園

 

 「すべての子どもたちに教育を」をモットーに、私財を投じて障害児教育のための学校「ねむの木学園」を設立した女優、宮城まり子さんが94歳で亡くなった。

 宮城まり子さんが「ねむの木学園」の教育に音楽を取り入れている。それもあってか、クリストフ・エッシェンバッハが「ねむの木学園」を訪問している。その頃、エッシェンバッハはピアニストとしての活動が中心で、指揮者としての活動を少しずつ始めたばかりだった。エッシェンバッハがドイツ・グラモフォンにバイエルからツェルニー、ソナタなどを含むピアノ教育のためのレコード大全集「ピアノ・レッスン」をリリース、日本でも発売され、好評を博した。「ねむの木学園」を来訪、子どもたちに素晴らしい演奏を聴かせた。

 もっとも、エッシェンバッハ自身、戦争孤児の一人だった。1940年、ポーランド領となったブレスラウ(ブロツヴァフ)に音楽家、ヘルベルト・リングマンを実父として生まれたものの、母が出産時に亡くなり、実父もナチスに殺される。1945年、ドイツの敗戦と共に故郷を追われ、難民キャンプに引き取られた。リングマン家の遠縁にあたるエッシェンバッハ家に引き取られ、エッシェンバッハを名乗るようになった。戦後ドイツの俊英と注目されたとはいえ、指揮者に転向した。指揮者エッシェンバッハとしてもなかなかの演奏だったし、マティアス・ゲルネと共演したコンサートもさすがだった。

 「ねむの木学園」を訪れたエッシェンバッハは、「ピアノ・レッスン」を寄贈した。宮城さんもこれには大喜びだっただろう。エッシェンバッハにせよ、障害児たちのために大きな贈り物ができてよかっただろう。宮城さんの訃報を聞き、エッシェンバッハのことも思い出してしまった。

 

 

生誕120年 近衛秀麿 再発見

 

 「日本のオーケストラの父」近衛秀麿の生誕120年に因み、近衛の生涯、演奏活動、創作・編曲活動を取り上げ、近衛秀麿の業績をシンポジウム、トーク・コンサートで再評価する試みが明治学院大学、近衛音楽研究所、日本音楽学会東日本支部、日本アルバン・ベルク協会の共催で行われた。

 近衛の生涯に就て、NHK-BSプレミアムで放送されたユダヤ人音楽家救済活動は記憶に新しい。菅野冬樹がNHK出版から「戦火のマエストロ 近衛秀麿」、東京堂出版から「近衛秀麿 亡命オーケストラの真実」を出版、これを裏付けている。また、音楽家たちの手形を集めている。

 近衛のオーケストラ編曲については雅楽の編曲が有名で、「越天楽」は素晴らしい。これらの編曲版を21世紀の今、もう一度耳にする機会が訪れることを祈りたい。また、ベートーヴェンの交響曲などでスコアに手を入れたり、改変して、素晴らしい効果を上げられるようにしたことは、当時の日本のオーケストラのレヴェルが低かったこともあっただろう。今、日本のオーケストラの質も向上している以上、どうだろう。

 近衛の創作活動では、声楽曲が中心で、いくつかの歌曲、1928年の昭和天皇即位の大礼に際して作曲した「大礼カンタータ」から第4楽章がピアノ3重奏版で演奏され、聴きものだった。

 近衛の演奏論にも注目したい。身体の自然な動きを重んじ、表情豊かな表現にとんだものだったという。シューマン「トロイメライ」を近衛の孫、水谷川優子のチェロで演奏された際、シューマンの音楽の本質に添った、素晴らしい内容だったことからも覗える。

 近衛が始めてベルリンに行った際、久野久子に会ったこと、1925年、久野が自殺した際の葬儀にも参列したという。この件についても、ご親族から伺ってみたい。

 

 

ピアノのレッスンもインターネットの時代へ

 

 今日、日本ギロック協会、東京DT支部、友の会の集まりでiPadを用いたピアノ・レッスンのアプリケーションを取り上げた。今、ピアノ教室では生徒たちの読譜力をどうつけるか、先生方も苦慮しているという。そこで、読譜力をつけるための初見教材のアプリケーションを用いて、どのようにレッスンを進めていくかについて実験した。

 ここ最近、インターネットでコンサートを聴くことが可能となったり、You Tubeによる投稿も可能となり、往年の巨匠たちはもとより、若手演奏家たちの登竜門ともなった。韓国の若手、HJ・リム(リム・ヒョンジョン)がインターネットを用いて成功している。また、公開講座もインターネット配信によって、多くの人々が聴くことも可能となった。クラシック音楽もインターネットにより、多くの人々に届くようになった。

 ピアノのレッスンでインターネットを用いることは、アメリカで進んでいる。日本でも進みつつある。子どもたちもインターネットを用いるようになった今、指導者たちも対応を迫られるだろう。一方、インターネット・アプリケーションの普及が果たして、どこまで効果をもたらすか。これも一考を要するだろう。インターネット・アプリケーションによるピアノ・レッスンのあり方にも批判が出る可能性もある。

 ピアノ・レッスンとインターネットの関係。これからの音楽教育のあり方に一石を投ずるだろう。

 

 

2017/10/29

日本音楽学会 第68回全国大会を終えて

 10月28日、29日、京都教育大学で2日館にわたり日本音楽学会、第68回全国大会が開催された。また、台風襲来、大会中止になるかという心配もなくなり、無事終了した。悪天候にたたられたとはいえ、熱気がみなぎっていた。

 全体的に意欲的な発表が目立った。ロマン主義音楽では、シェーンベルクのシューベルト受容は別な面でのシューベルト再評価につながるものがあった。シューベルトの即興曲、D.899と歌曲集「冬の旅」D.911との関連性に関するものは、内容は素晴らしいはいえ、発表が拙かった。ブラームス、ピアノ曲集、Op.118,119ではブラームスの作曲技法では重要なカノンについて、演奏を交えながらの発表だった。レジュメというより、論文として保存価値のあるものだった。ブルックナー、交響曲第6番の調性に関する研究も聴きごたえ十分なないようだった。

 中世、ルネッサンス、バロックでは中世の音楽理論、タリスの典礼作品、ゼレンカのミサ曲、バッハのライプツィッヒ時代のカンタータ、「フーガの技法」、平均律クラヴィーア曲集第1巻のテンポといった聴きごたえ十分なものが出て来た。バッハでは次男エマヌエルの言説の信憑性、平均律クラヴィーア曲集のテンポではカナダの奇才、グレン・グールドの演奏再考につながるものがあった。ただ、「フーガの技法」では時間配分面で惜しかった。

 モーツァルトでは、1780年代のザルツブルクでの作品受容、カンタータ「悔悟するダヴィデ」受容、ベートーヴェンでは初期変奏曲に関するもの、同時代の作曲家アントン・エーベルルの作品との比較分析からの個人様式再考に関するものが出た。モーツァルトがヴィーンに移住し、ザルツブルクになかなか帰郷できなかった時期、父レオポルトが作品普及に努めたこと、カンタータ「悔悟するダヴィデ」が様々な形で受容され、本来の形に戻るまでの変遷をたどる中で、一つの作品が本来の姿で演奏されることの難しさを浮き彫りにした。ぺ―トーヴェンの初期変奏曲が当時のオペラ、オラトリオを主題にした背景から、作曲家としてのベートーヴェンが名声を得る過程をたどることが出来た。ベートーヴェンは同時代の作曲家たちと切磋琢磨して、自己を確立したことが明らかになった。

 総会では、日本音楽学会の役員選挙をインターネットによる電子投票にすることに対して、かなり紛糾した。そのため、情報交換会の開始が遅れてしまった。とはいえ、こうした重要な問題の難しさを改めて感じた。来年は東日本支部担当になるものの、会場が決まらないという。11月には決まるとはいえ、どうなるか。

2017/10/20

ショッピングモールの新しい役割とコンサート、オペラ開催への道

 金曜夜7時30分、NHK「金曜イチから」、「"夢の舞台"はショッピングモール」は、ショッピングモールのステージに懸ける人々の姿から、クラシック音楽を広める一つのヒントがあると思った。

 ショッピングモールのステージで歌を歌い続ける中、多くの人々に足を止めて聴いてもらえるにはどうしたらよいかを考え、人々への思いやりの歌へと変わったシンガーソングライター、半崎美子。ダンサーを夢見た男性が若者たちと共にもう一度、自分の夢に挑戦しようと全身全霊で頑張る社会人の姿。「夢」に懸ける人々を追いながら、ショッピングモールのステージがクラシック音楽を広めていく空間の可能性が拡大するチャンスが訪れるだろうと感ずる。

 1972年、山本直純がTBS系列での音楽番組「オーケストラがやって来た」を開始、11年にわたる長寿音楽番組となった。コマーシャルを入れず、ゲストを招いても手抜きしなかった。世界の名演奏家たちも出演、高い水準を保っていた。このような番組がクラシック音楽の普及に大きな役割を果たしてきた。今、全国に広がったショッピングモールでもクラシック音楽のコンサート、オペラを上演できる可能性があるだろう。

 音楽の裾野を拡大することに生涯をかけた山本直純の功績は大きい。ショッピングモールでもクラシック音楽のコンサート、オペラ上演も可能性があるだろう。そうなれば、地方のオーケストラ、演奏家たちの活動の場が広がっていく。地方のコンサートも活気づき、音楽による地方創生への道が開けて来るだろう。音楽による地方活性化も日本の音楽界を押し上げていく要因になり得る。

 音楽も東京一極集中から、地方拡散の時代へと変わっていくためにも、ショッピングモールでのコンサート、オペラ上演の試みが出てほしい。

 

第2次世界大戦直後の東京、音楽と文化

 NHKスペシャル「東京・戦後ゼロ年」は、1945年8月15日から1年間の東京を、戦後の復興がどのようにして始まったか、文化面での復興がどう進んだかをアメリカ軍などに保管されていた資料を基に取り上げた。

 アメリカ軍は劇場など、主要施設を接収、占領軍専用として、日本人の立ち入りを禁じた。東京宝塚劇場はアーニー・パイル劇場となり、占領軍専用となった。2013年7月6日、武蔵野音楽大学で行われた日本音楽学会、東日本支部定例研究会で、国際基督教大学大学院の竹島唯がアーニー・パイル劇場期に関する記録、資料研究を取り上げた発表がある。劇場の上演形態、日本人舞台芸術家たちの関わり、アーサー・サリヴァン「ミカド」上演がアメリカン・ミュージカルとして上演したこと、この上演を通じて占領軍とのつながりを深めた長門美保がアメリカン・スタイルを取り入れたオペラ上演を目指したこと、ミュージカルが戦後日本の新しい舞台芸術になると確信した帝国劇場社長、秦豊彦が作品シリーズ「帝劇ミュージカルズ」を発表、ミュージカル興隆の礎となった。

 日本音楽学会では5-7月にかけて、大学院修士課程を修了した若手研究家の修士論文発表が行われる。竹島の発表もその一つだった。ただ、内容の割には発表が不十分だったことが災いして、残念な結果になったことは否めない。

 それでも、占領期の日本の舞台音楽芸術の実態を明らかにした研究が出たことは大きい。第2世界大戦、戦争直後の日本の音楽文化に関する研究は始まったばかりである。音楽学校と学徒出陣、戦争直後の舞台音楽芸術に関する研究が出て来た今、今後、どのような研究が出て来るか注目したい。

 

音楽学校と学徒出陣

 8月のこの時期、テレビでは戦争に関する特集番組、ニュースが多くなる。1943年から始まった学徒出陣に関する調査が進んできている。音楽学校も学徒出陣によって、多くの音楽学生が戦地に赴いていった。音楽家たちも戦争に応召するようになった。無事復員して、戦後の日本の音楽界を支えていく人材となった人々がいる一方、戦争で命を落とした人々も少なくない。

 音楽学校での学徒出陣に関する研究・調査が始まり、2016年11月13日、名古屋、中京大学で行われた日本音楽学会、第67回全国大会では、東京音楽学校(現東京芸術大学)学徒出陣に関する発表があった。発表に当たった橋本久美子氏が、戦死した作曲科の学生4名の作品を取り上げたコンサートを開催したことがNHKおはよう日本、首都圏ネットワークで、戦後72年「戦没学生 よみがえる音色と思い」で取り上げられた。その一つに、日本を代表する作曲家の一人、草川信の息子、宏の歌曲「浦島太郎」がある。1940年に東京音楽学校に作曲家を志して入学するも、戦争の影が濃くなっていく。そんな中で書き上げた作品だった。

「これまでにない、新しい音楽を作り出そうとしていた。」

と語る弟の誠の言葉には、戦争に倒れた兄の無念が感じられる。草川宏は1944年、応召して1945年にフィリピンで戦死した。

 東京芸術大学に残った戦没学生の作品は30曲以上にのぼり、アーカイヴス化を目指し、インターネットで公開するという。他にも国立音楽大学、武蔵野音楽大学での学徒出陣の調査を行うとのことである。

 音楽学校でも学徒出陣に関する調査が始まっている。復員して戦後の音楽界を支えた人々もいれば、戦争に倒れた人々もいる。その中には、将来を期待された、素晴らしい逸材がいただろうし、無事復員できれば、戦後の音楽界で素晴らしい活躍ができただろう。改めて、戦争が音楽学生、音楽家の命をいかにして奪い、将来を潰したかを問い直し、平和な文化国家こそが音楽文化の源になることを改めて思い知る。

 

ヨーロッパでの近衛秀麿 知られざる素顔

 29日、NHK,BSプレミアム、「音楽サスペンス紀行」は日本のオーケストラの父、近衛秀麿(1898-1973)のヨーロッパでの知られざる素顔を取り上げた。1936年から欧米で活躍していた近衛は、ナチス・ドイツの迫害を受けていたユダヤ人音楽家たちの亡命を助けたり、1943年、ドイツ占領下のポーランドの首都、ワルシャワでポーランド人音楽家たちを救ったコンサートも行った。

 近衛がレオニード・クロイツァー(1884-1953)の日本移住を進めたことは有名で、ヨーロッパに残った夫人の生活費を援助していた。また、反ナチス活動家との親交もあり、ナチスがにらみを効かせていたようだった。とりわけ、1943年、ワルシャワでのコンサートから、ナチスがポーランド人音楽家を劣等人種として差別し、クラシック音楽の演奏、コンサートから締め出した過酷な事実が明らかになっている。また、クラクフにはポーランド総督府が置かれ、総督ハンス・フランク(1900-1946、ニュルンベルク裁判で処刑)の残虐な支配、ポーランド人狩りの過酷な支配を行っていたことからしても、近衛の行動は立派なものだった。1945年、ドイツ敗戦により、ドイツは東プロイセン、ポンメルンの東半分、シュレージエンをポーランド、ロシアに取り上げられ、住んでいたドイツ人が追放となったことは、ナチスの残虐行為の代償である。それはチェコスロヴァキアも同様、ズデーテン地方のドイツ人も追放になっている。今でも、チェコにはドイツの侵略による反ドイツ感情がくすぶっている。

 1944年、近衛がグラーフ・コノエ・オーケストラを結成、ユダヤ人音楽家の亡命を助けたり、若き音楽家たちの活動の場を生み出したことは大きい。その中には、スイスの大指揮者、エルネスト・アンセルメ(1883-1969)も加わっていたことも明らかになった。

 日本はナチス・ドイツと同盟を結んでも、ユダヤ人迫害には与しなかった。その点は評価すべきである。1945年、近衛はアメリカ経由で帰国、日本での指揮活動を繰り広げたものの、晩年は惨めだったという。今、近衛秀麿再評価が始まりつつある中、ヨーロッパでの近衛の良心ある行動も含めた再評価が進んでほしい。

 

 

日本の音楽教育のあり方はこれでいいか

 10日、桐朋学園大学調布キャンパスで行われた日本音楽学会、東日本支部第44回定例研究会で弘前大学大学院、小原光織「近現代の音楽から考える鑑賞教育の可能性」は日本の音楽教育のあり方を根本から考える大きな問題を提起した。

 音楽の時間における鑑賞教育は、クラシックの名曲を聴かせて感想などを書かせたりすること、感想などを語り合うことが中心で、多くの子どもたちは退屈、かつ苦痛だろう。その上、指導書を見ると、子どもたちはもとより教師も苦痛だろう。「音楽とはかくあるものだ」と教えるべしでは、本当の音楽の楽しさ、面白さに到達できない。

 鑑賞教材を見ると、クラシック中心で古典主義、ロマン主義偏重で、中世・ルネッサンス、バロック音楽、20世紀音楽は皆無に近い。これでは楽器、殊にピアノ・ヴァイオリンなどを習っている子どもたちはいいとしても、他の子どもたちは置き去りである。

 第一、今の学校教育で音楽の時間が本当に必要か。教師がピアノの前に坐り、子どもたちが歌を歌ったりハーモニカ、リコーダーを吹いたりするだけの内容なら、時代遅れの産物に過ぎない。それなら、地域のカルチャー・センター、コミュニティー・センターで楽器を習えるようなシステムにしたり、コーラス、バンド活動を進める方がかえって音楽への関心が高まるし、進んでコンサートへ行く子どもたちが増えてくるだろう。鑑賞教育という形でいやいやながら聴かされるよりいいと思う。

 小原自身、現職教員として鑑賞教育、ひいては日本の音楽教育のあり方への疑問から、かなり重い提言を行ったことを評価したい。もう、学校における音楽の授業から地域のカルチャー・センター、コミュニティー・センターにおける音楽教育への転換を考えるべき時期に来ている。その上、音楽大学の音楽教育学科のあり方も再考してはどうか。

 

日本は真の文化国家になったか

 日本国憲法施行から70年、日本は「文化国家」を目指してきた。焦土の中、ラジオから聴こえる音楽、安心して足を運べるコンサートには多くの人々が群った。日本で教鞭を執っていたアレクサンドル・モギレフスキー、レオニード・クロイツァーなどが活動を再開した。

 オーケストラでは東京交響楽団など、今日の楽壇を支えるオーケストラが成立、活発な演奏活動を開始した。毎日新聞社、NHK共催の日本音楽コンクールの他に学生音楽コンクールも設立、多くの逸材を送り出した。オペラでは藤原歌劇団、長門美保歌劇団、二期会が誕生した。二期会は人材面では藤原、長門美保を凌ぐ団体に成長した。藤原歌劇団もイタリア・オペラ中心のレパートリーで、共に日本のオペラ界を支える団体となった。

 一方で、音楽評論家たちはモギレフスキー、クロイツァーなどを誹謗するような評論を出したり、日本人ばかり聴かされるのはご免、外来演奏家を呼べなどと言いだす。作曲家、指揮者として活躍した尾高尚忠が1951年、39歳で夭折、ピアニスト、原智恵子へのバッシング、東京交響楽団の楽壇長の自殺、若き小澤征爾とNHK交響楽団との確執、日本フィルハーモニー交響楽団の存続問題と新日本フィルハーモニー交響楽団への分裂、日本の作曲家を侮辱したNHK交響楽団事務長の発言などの事件も起こっている。

 外来音楽家、オペラ引越し興行の入場料が20000円から60000円という高額入場料となり、音楽愛好家たちの経済状況には重荷となっている。最近、高い入場料のためか、あまり高いランクの席は売れなくなったという。そんな中で、2005年から始まったコンサートシリーズ、ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンは安い入場料で外来音楽家、日本の音楽家も聴けるため、多くの音楽愛好家、家族連れを集めている。

 とはいえ、日本では社会が音楽家を育てる土壌が弱い。オペラでは市民オペラ運動があっても、地域差がある。アマチュア・オーケストラも津々浦々とはいえ、レヴェルもまちまちである。聴き手を集めるにも困難だろう。

 果たして、日本は音楽面では「文化国家」になったかと言えば、なり切れていない。高額入場料問題の解決、音楽家を育てる土壌づくり、音楽大学の問題などが山積している。最近、学芸員を侮辱するような大臣の発言も物議を醸している。こうした裏方と言うべき人々も音楽文化に貢献している。こうした人々をないがしろにするようでは「文化国家」ではない。音楽関係の書物を見ても、ガセネタ的なものが増えて来た。2014年におきた佐村河内問題にしても、発端となった「全聾の天才作曲家 佐村河内守は本物か」の文章が子どもじみた内容で、こんな文章に騒ぐ音楽愛好家たち、世相も情けない。こんなもので騒ぐようでは、日本は「文化国家」とは言えないだろう。

出版の現実を見る

 音楽評論家、林田直樹がメルマガ「よく聴く、よく観る、よく読む」で日本の出版業界の現実を取り上げていた。若手ライターがある指揮者の評伝を翻訳、出版しようとした際、版元との交渉を行っても定価3500円、初版1500部で収入は原稿料で1万円、2万円だという。これはあまりにも出版する側をバカにした話ではなかろうか。

 自分たちで苦労して書き、訳したものが原稿料という形で買い叩かれ、印税すら入ってこないようではまともな本が出しにくくなるし、ガセネタ本が横行するだけではないか。出していただけるならありがたいと思うだけではなく、自分が印税を受け取る権利も主張して、出版社などとの関係を永続的な関係にして、自分の権利を守ることにある。そうでないと、本当によいものが残らなくなってしまう。

 とはいえ、翻訳書の場合、ひどい誤訳・原書の読み落しで売り物にならないものは即座に絶版にすることはむろんのこと、早期に新訳出版可能にしてもいいだろう。実際、マイケル・クラークソンがグレン・グールドの恋愛を取り上げた著作が道出版から岩田佳代子訳「グレン・グールド シークレットライフ」で出たとはいえ、誤訳・原書の読み落しがひどかったため、新訳を起した。現時点では道出版との兼ね合いから新訳出版は不可能という。少なくとも2~3年待つしかない。これではグールド・ファンはもとより、音楽愛好家、研究家たちに正しい版を伝えられない。

 翻訳書の場合、出版社が版権を取得、翻訳家に依頼することが多い。その場合、大手出版社は専門分野で定評ある翻訳家に依頼したり、専門家に依頼するようである。専門書の出版では専門家に依頼することが当然だろう。ただ、いささか問題ある出版社が版権を取得すれば、翻訳家に依頼してもお門違いの人材なら誤訳などかあってもチェック、修正もきかないケースもある。

 そろそろ、日本の出版業界も体質改善の時期に来ている。本を出す側が自分たちの権利をしっかり主張して、永続的な関係を作ることはもとより、原稿料で買い叩くようなことは止めて、出した側の権利も認め、良い関係を築き、良いものを出してはどうか。翻訳書出版にしても、訳者を厳選してほしい。

日系人ダンサー ソノ・オーサト

 日本アルバン・ベルク協会例会として、21日の日本音楽学会東日本支部、特別例会でレナード・バーンスタインについて講演を行ったハーヴァード大学教授、キャロル・オジャ女史が第2次世界大戦中に活躍した日系人ダンサー、ソノ・オーサトをバーンスタインと関連付けて講演した。

 アメリカでは日系人を強制収容所に送ったことは誤りだったことを認め、謝罪している。また、政治学者、朝河貫一にも戦争の影響があったという。ソノ・オーサトは秋田県出身のジャーナリストを父、フランス系カナダ人を母に生まれ、シカゴでバレエを学び、モンテカルロ・ロシア・バレエに入団して活躍、ニューヨーク・シティ・バレエ団で活躍した。ソノの父はシカゴで拘束され、1944年に釈放されたという。強制収容所もなくなった。

 1940年、バーンスタインはミュージカル「オン・ザ・タウン」を作曲、上演した際、ソノを起用した。バーンスタインは音楽における人種差別撤廃を進めていたため、厳しい立場にあった日系人でありながら、ソノを起用した。ソノはその後、ブロードウェイ、バレエで活躍、戦後引退したという。

 バーンスタインは「オン・ザ・タウン」ではフランス・モダニズム、チャイコフスキー風の要素を取り入れ、社会へのメッセージとした。作曲家バーンスタインは折衷主義を取り、社会性豊かな作品、パロディー性豊かな作品を生み出した。それこそ、アメリカ音楽の多様性ではなかろうか。社会に目を向け、行動してきた。こうした形でもレナード・バーンスタインを再評価することにつながる。その意義でも大きな成果があった。

今も生きるレナード・バーンスタイン

 日本音楽学会東日本支部、特別例会はアメリカ、ハーヴァード大学教授、キャロル・オジャ女史がレナード・バーンスタインの社会活動の源泉となった、クラシック音楽における人種差別撤廃に関する講演を行った。1月20日、アメリカでは人種差別・女性蔑視・排外主義を唱えたドナルド・トランプが大統領に就任したことも手伝い、タイムリーなテーマとなった。

 バーンスタインの社会活動の始まりは1940年代、アメリカのクラシック音楽における人種差別撤廃運動であった。バーンスタインは、クラシック音楽で黒人、中南米系、スラヴ系、アジア系音楽家たちにもアメリカ楽壇での活路を広めんと尽力した。また、クラシックのみならずジャズ、ポピュラー、映画音楽、放送音楽も聴き、アメリカ音楽の多様性への道を開いた。これがアメリカ音楽はもとより、ヨーロッパをはじめ、世界的に影響を及ぼした。ことに、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団が夏に開催したスタディアム・コンサートにはルイ・アームストロング、マリアン・アンダーソンといった黒人音楽家たちが登場した。しかし、メトロポリタン歌劇場をはじめとしたアメリカのオペラハウスは、黒人歌手を締め出していた。指揮者のディーン・ディクソン、エヴェレット・リーはヨーロッパで活躍後、アメリカで指揮台に立っている。

 バーンスタインは、ニューヨーク・タイムズで黒人たちがクラシック音楽の教育を受けられるようにすることを唱えたりした。それがアンドレ・ワッツなどの活躍にもつながっている。また、レーリ・グリスト、グレース・バンブリー、レオンタイン・プライスなどが活躍できるようになった。

 こうしたバーンスタインの活躍が黒人公民権運動につながり、マッカーシズム、ベトナム戦争の折のリチャード・ニクソン大統領への抗議につながった。バーンスタインは平和主義者であり、常に社会を見つめ続けた。今、バーンスタインが生きていたら、ドナルド・トランプに抗議しただろう。その意味でもバーンスタインは今も生き続けている。

 

東日本大震災、福島第一原子力発電所事故による民俗芸能の現状

 12月17日、福島で行われた日本音楽学会、東日本支部第42回定例研究会では福島県浜通り地区での民俗芸能の現状報告があった。2011年3月11日、マグニチュード9の巨大地震による津波が東北地方を襲い、多くの人命が失われた上、東京電力、福島第一原子力発電所の事故も発生した。

 福島第一原子力発電所事故では浜通り地区の民俗芸能が存続の危機に瀕している中で、どのように復興してきたかを報告している。その中で、学校で民俗芸能を取り上げることに対して、憲法上の問題を上げて応じない事例があった。民俗芸能は、庶民の自発的な信仰心、即ち海への感謝、郷土愛と連帯、亡くなった方々への感謝、慰霊から生じたものであって、僧侶・神職などが進める宗教とは異なるということが学校側としても理解できていない。信仰と宗教とは何かという問題は、今こそしっかり考えることが日本国憲法を真に理解することにもつながっていく。今、安倍晋三首相が日本国憲法改正を進めようとしていることを思うと、この点をしっかりと理解することが急務だろう。

 何より、祭り・芸能が「ふるさと」、「生きる魂」の原動力、地域コミュニティの核となっていること。これが大切だろう。その原点に立ち、復興の原動力となっている民俗芸能の意義は大きい。ただ、福島第一原子力発電所事故で多くの人々が避難生活を送る中、民俗芸能復興のための費用もかかっていると聞く。それでも「ふるさと」を忘れまいとする心は強い。今回の報告を聞きながら、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故は、東北の人々が失ったものの大きさを考えさせられてしまう。

 今、原子力発電所再稼働を進めんとする安倍晋三首相は、この事故をどう考えているだろうか。もう、原子力発電より、再生エネルギーを活用して、本当に豊かな社会を作りだす時期ではなかろうか。2度とこのような事故で、多くの人々が「ふるさと」、民俗芸能を失うようなことをすべきではない。

 

日本音楽学会 第67回全国大会を終えて

 11月12日、13日の2日間にわたり名古屋、中京大学で開催となった日本音楽学会、第67回全国大会が終わった。今回、第2日目に研究発表「久野久子と兼常清佐、篤子夫妻――著作、書簡、日記から読み解く久野と兼常夫妻」を出し、無事に終えられた。

 第1日目ではリストの歌曲、レーガーの歌曲に関する研究、マーラーの交響曲第4番の自筆譜における修正の問題、ブラームスとシェーンベルクに関する発表があった。リストの歌曲には再評価が必要であり、レーガーの作品研究は立ち遅れていること。マーラーの交響曲第4番にはかなりの修正が加えられ、決定稿の問題にも頷かされた。ブラームスとシェーンベルクには、ブラームスこそ真に新しかったことを改めて感じた。リストのピアノ編曲には、ピアノを通じて様々な様式の音楽を体得させんとしたリストの真意があった。ヴォーリズ建築とピアノとの関連についても、日本のピアノ普及史再検証の必要性を痛感した。アメリカの音楽評論に関する研究では、アメリカのベートーヴェン受容史の重みを感じた。本格的ベートーヴェン伝を書いたアレクサンダー・ウィーロック・セイヤー、メイナード・ソロモン、ルイス・ロックウッドがアメリカ人であり、ドイツでは本格的ベートーヴェン伝が出なかったことをどう考えるか。これは重い研究であった。

 第2日目では昭和初期に設置された東京音楽学校作曲科、創設時のことについての研究には昭和初期にようやく作曲科が設置された経緯、草創期の事情がわかって来た。戦争による学徒動員が東京音楽学校にもおよび、将来を期待された人材が戦争で命を失ったことが大きな損失になったことを考えさせられた。

 ドビュッシーがデュラン社からショパン全集校訂を依頼され、ドビュッシーがつけた指使いに関する考察はドビュッシーの音楽への一つのカギになることを実感した。パリ音楽院教授だったヅィメルマンの音楽蔵書、19世紀フランスの音楽事情に関する研究は、この時代のフランス音楽事情再検証として貴重だった。サン=サーンスが日本に強い関心があったことは、サン=サーンスが日本文化、近代日本をどう捉えたかを明らかにした。フローベルガー研究に関するものには、ドイツ・バロック音楽研究の問題を改めて感じた。バッハ、平均律クラヴィーア曲集第1巻のメタファーについては、ヨーロッパの本質を改めて考えさせられた。

 最後に、「久野久子と兼常清佐、篤子夫妻」については、日本の有力音楽評論家の言説の信憑性を改めて問うことが真の近現代日本音楽史確立への道であることを感じ、来年に向けての課題としたい。

 

音楽愛好家たちの町おこし

 Facebookを見ていると、「聴き逃されていた音源を再発見し、文化として楽しもう」という趣旨のもと、大井町レコード倶楽部が結成されたという。

 1980年代はLPレコードからCDへと変わり、今はCD主流となって久しい。そんな中でSP、LP時代の演奏で聴き逃され、忘れられた演奏を再発見しようと始まった音楽愛好家たちの集まりは評価すべきだろう。ただ、眉間にしわ寄せて聴くより、飲み物を片手に音楽を楽しもうという姿勢は素晴らしい。

 第一、クラシック音楽愛好家は真剣に音楽を聴くだけで、あまり面白くない存在と捉える向きが多い。ここでは、飲み物を片手に気楽に、お喋りしながら聴こうという、肩の凝らない集まりになっているという。肩肘張らずに楽しもう。これがクラシック音楽愛好家の層を広めることになるだろう。

 この発起人となった石田陽一郎氏は東京、大井町で12年間商業に携わっておられ、ここから文化発信、町おこしを考えているそうである。音楽愛好家たちが飲み物を片手に、お喋りしながらレコードに耳を傾け、今まで忘れられていた音源を再発見していく、肩の凝らない集まりから、文化発信、町おこしにつなげる試みが広まっていくことを祈りたい。

 

宇野功芳先生お別れの会

 日本の音楽評論家の大御所、宇野功芳氏のお別れ会が東京、九段下のホテル、グランドパレス2階で音楽、出版関係者など多くの人々が集い、盛大に行われた。

 家族ぐるみでの付き合いだったという遠山一行氏夫人でピアニスト、遠山慶子氏、中田喜直氏夫人、中田幸子氏など、宇野氏ゆかりの人々がそれぞれの思い出を語り、和やかな宴となった。氏が高く評価していた鳥羽泰子、佐藤俊成、氏が育成していたアンサンブル・フィオレッティの演奏が華を添えた。最後に、由美子夫人による挨拶で一連の宴を締めくくった。

 氏の著作を見ると、演奏家論は特定の演奏家への評は変わらないとはいえ、新たに登場した演奏家への激賞ぶりも目だつ。それが新たな視点に立った評にもつながる。ピアニストではHJ・リム(リム・ヒョンジョン)への評価が高いものの、彼女の演奏、特にベートーヴェンではもっと視野を深めてほしい。リムのトークを聞いた際、ベートーヴェンに取り組むら、セイヤー・ソロモン・ロックウッドのベートーヴェン伝を読むべきだと感じた。フランスのエリック・ハイドシェックの評価が、長い低迷期だったハイドシェックの復活にもつながった。宇野の評価が演奏家の発見、復活につながったことは評価したい。ただ、全てその通りかと言い難い面もある。

 一方、カラヤンへの厳しい評価も忘れてはいけない。とはいえ、全てが当てはまるか。カラヤンが最もよかった時期は1960年代から1970年代前半だった。その頃のカラヤンの演奏も聴き直すべきときではなかろうか。1980年代のベートーヴェン、ブラームスの交響曲にはある種の緊迫感が漂っている。ベルリン・フィルハーモニーとのギクシャクした関係がかえって良いものをもたらしていた可能性もあろう。その上で、宇野のカラヤン評を読み直してみることが大切だろう。

 とはいえ、宇野の著作全集刊行も考えてはいかがだろうか。その全体像を示すことで、再評価にもつながるだろう。吉田秀和にも全集があり、これも再構成すべきではなかろうか。

 

 

日本経済の現状と音楽

 KAJIMITO会長、梶本尚康氏と日本舞台芸術振興会・東京バレエ団代表、佐々木忠次氏の逝去で音楽マネージメントの一つの時代が終わった。2,3万円台から5,6万円台の高額入場料時代は終焉に向かうだろう。1980年代末から1990年代初めにかけてのバブル経済による悪しき慣習となった高額入場料が日本経済の低迷期となり、格差社会となった今、1995年から始まったラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンによる廉価な入場料で家族で気軽にコンサートが聴けるようになったことも相まって、見直しを迫られるだろう。もはや、コンサート・オペラに2,3万から5,6万円出せる時代は終わるだろう。

 また、格差社会が進み、子どもの貧困問題が深刻化して給付型奨学金創設が叫ばれる今、ピアノ教師たちを始めとした音楽教師たちも生徒が集まらない。いずれ、音楽教師も貧困化していくだろう。生活困窮家庭の子どもたちへの進学の道を開くため、無料学習教室が増えつつある。こうした子どもたちに音楽の道を開くためにも無料音楽教室を開設して、日本の音楽文化向上につなげることを考えるべき時ではなかろうか。

 無料音楽教室を開設するなら、最近増えつつある空き家を利用し、ミニ・ホールを設置してコンサートを開催することを考えてもいいだろう。子ども、高齢者を無料として、地域が繋がることも大切である。殊に高齢者の場合、孤立しやすいため、気軽に外出できる手段になり、本格的なコンサートに足を運べない親子連れにもいい機会となる。コンサートが地域活性化の場になることは経済効果をもたらすことにもなる。

 日本も本当の文化国家になる時期が来ている。いつまでも過去の高度経済成長期の遺物にしがみつくより、自分たちの文化を創り出す時が来た。そうした意味でも今の日本に見合った音楽文化のあり方を考える時期である。

 

 

 

 

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