ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベート―ヴェン 交響曲第3番 Op.55「英雄」

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーのベートーヴェン、交響曲も第3番「英雄」へと差し掛かってきた。フランス革命

とともに現れたナポレオン・ボナパルトの姿を描いたとはいえ、ナポレオンの皇帝即位に抗して、表紙を破り捨てたという話は有名なものの、最近、その説は否定されつつある。

 これは2007年9月30日、仙台、宮城学院での日本音楽学会第58回全国大会で、桐朋学園大学教授だった大崎滋生氏が新説を発表したことによる。これは、2008年の研究紀要で見ることが出来る。ただ、中川右介「モーツァルトとベートーヴェン」でこの説を出しても、雑多な文献からの寄せ集めである。大崎氏の場合、厳密な資料研究に基づいている。

 ベート―ヴェンは晩年、イギリス行きを計画したものの実現しなかった。「英雄」の成立には、ベートーヴェンがパリ移住計画を立てていたことがはっきりした。ボン時代の幼馴染、アントン・ライヒャ(1770-1836)にしきりにパリの音楽事情について尋ねていた手紙を残していた。その間、ヨーロッパ諸国とフランスの関係が悪化、オーストリアとて同様だった。ベートーヴェンの後援者の一人、ロプコヴィッツ侯爵は、ベートーヴェンのパリ移住を押し留めた。

 第1楽章は新時代の英雄の登場を告げるべく、スケールの大きな演奏である。第2楽章「葬送行進曲」は、戦に倒れた者たちへの哀歌で、フランス革命時の市民集会では、戦死した兵士たちへの追悼として演奏されていた。これは、ピアノ・ソナタ第12番、Op.26「葬送」の成立にも関わってくる。この頃から、ベートーヴェンはパリ移住を考えていたふしがある。ナポレオンをはじめ、フランスの音楽愛好家たちに自作を披露したかったと見ていいだろう。この楽章は単なる哀歌以上の深みを有している。フルトヴェングラーはそれを感じ取っている。第3楽章はどっしりした演奏、スケルツォを越えている。第4楽章。ベートーヴェンは変奏、主題展開を極限まで推し進め、変奏の本質を露わにしている。フルトヴェングラーのスケールの大きい、深い名演だろう。

 ベートーヴェンがパリ移住を考えた際、ピアノ・ソナタ第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、ヴァイオリン・ソナタ第9番、Op.47「クロイツェル」もパリで披露することも考えていたようである。ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための3重協奏曲、Op.56はパリのサンフォニー・コンセルタント様式を踏まえた作品だったことを考えると、それなりに合点がいく。アントン・フェリックス・シンドラーの英雄神話としてのベートーヴェンは崩れつつある。ベートーヴェンのパリ移住計画は、晩年のイギリス旅行計画を考える上でも重要ではなかろうか。