アレクサンダー・ウルマン シューマン パピヨン Op.2

 

 1991年、ロンドン生まれの若手ピアニスト、アレクサンダー・ウルマンによるシューマン、パピヨン、Op.2。

イントロダクションを聴くと、幻想豊かなシューマンの音楽の世界が広がっていく。

 これはジャン・パウル「生意気盛り」に基づくとされる。カーナヴァルの仮面舞踏会。双子の兄弟ヴァルト、ヴルトがヴィーナという娘に恋をし、ヴァルトがヴィーナを見事に射止め、舞踏会も終わりを告げる。第12曲を聴くと、舞踏会のフィナーレというよりも夜明けと共に全てが終わる。

 ウルマンの演奏には小説の登場人物の性格描写はさることながら、物語に捉われず、音楽中心足ることを心がけている。それでも、ジャン・パウル「生意気盛り」は必読である。音色も豊かで、シューマンの音楽の本質、ファンタジーが伝わってくる。

 2017年、ロンドン、ウィグモア・ホールのリサイタルのライヴ。

 

 

伊藤恵 ベート―ヴェン ソナタ Op.53「ヴァルトシュタイン」 Op.57「熱情」 アンダンテ・ファヴォリ WoO.57

 

 シューベルト、シューマン中心に取り組んで来た伊藤恵がいよいよ、ベートーヴェンに挑んだ。その第1弾としてソナタOp.53「ヴァルトシュタイン」、Op.57「熱情」という中期の傑作を選んだ。

 「ヴァルトシュタイン」第1楽章。どっしりした重量感。抒情性も十分。展開部もじっくり味わい深いとはいえ、スケールの大きさも忘れていない。円熟味が感じられる。第2楽章。序奏。深々とした歌心、渋みのある音色。伊藤が円熟した、見事な演奏を聴かせる。ロンド。主題が深々とした音色でじっくり歌われる。第1エピソードはイ短調からハ長調に転じ、主題が復帰。中間部の対位法。名人芸の要素があっても、ベートーヴェンの音楽ではひけらかしではない。主題の展開。抒情性たっぷりに歌わせ、主題へつないでいく。第1エピソードがハ長調で現れる際にもコーダへとつなげ、スケールの大きな演奏で、歌心も併せ持っている。素晴らしい。

 「熱情」第1楽章。ここでも円熟した伊藤の演奏が聴ける。楽章全体を支配する第1主題。「運命の動機」も聴こえ、第2主題となり、全てを否定する。変イ長調で提示される主題を第2主題とする見方は正しくない。展開部は第1主題中心で、ベートーヴェンの思いのたけが爆発する。再現部でも激しいドラマが全体を貫き、コーダとなる。ベート―ヴェンが繰り返しを置かず、バラードとしたことが頷ける。ベートーヴェンの告白を聴く思いが強い。第2楽章。抒情性豊かな歌が聴こえる。変奏ごとに気分が高揚、歌心も深い。主題が回想、第3楽章に入る。

伊藤の円熟味、ドラマトゥルギーの表出も十分、スケールの大きな演奏になっている。コーダでの爆発力。円熟した伊藤の境地を垣間見る。

 アンダンテ・ファヴォリ。「ヴァルトシュタイン」の第2楽章として作曲したとはいえ、ロンドに序奏部を置いたことでかえって作品の重さが増したことを思うと、ベートーヴェンとしては成功した。こちらも音楽として聴くと抒情性豊かとはいえ、かえってソナタ全体として長くなったことは否めない。それでも、伊藤の演奏を聴くと、ロマン性豊かな音楽となっている。

 伊藤の円熟した味わいに満ちた演奏が聴けたことが嬉しい。

 

 

 

アンジェラ・ヒューイット ベート―ヴェン ソナタ Op.31-2「テンペスト」 Op.27-1「幻想風」 Op.79 Op.109

 

 アンジェラ・ヒューイットのベートーヴェン、ソナタ集も第7集となった。Op,31-2「テンペスト」、Op.27-

1「幻想風」、Op.79、Op.109を取り上げている。

 まず、Op.31-2「テンペスト」第1楽章はどうだろう。ドラマトゥルギーも十分。再現部のレチタティーヴォとカデンツァから第2主題、コーダに至るまでベート―ヴェンのロマン性の表出も見事である。第2楽章でのたっぷりした歌心。深々とした音色。おのずと引き込まれて行く。第3楽章。内面性豊かでかつスケールの大きな音楽が展開する。ドラマトゥルギーも申し分ない。

 Op.27-1、ベート―ヴェンの新しい試みが始まる。第1楽章。アンダンテの深い歌、アレグロ・コン・ブリオの闊達さとの対比がくっきりしている。アンダンテに戻り、コーダのたっぷりした余韻は素晴らしい。第2楽章。

スケルツォ主部がノン・レガート気味に響く。かえって不気味さが際立つ。中間部が浮び上がる。スケルツォ主部に戻り、嘲笑するかの如くに締めくくる。第3楽章。序奏-ロンド-序奏-コーダによる。序奏を第3楽章、ロンド以下を第4楽章とする捉え方がある。これは第3楽章として見るべきではないだろうか。序奏の深い歌心がロンドを際立たせている。ロンドの重量感が全体を引き締めている。序奏-コーダの締めくくりも聴きもの。

 Op.79。第1楽章のドイツ舞曲風の性格を捉え、一気に流れて行く。展開部はかっこうの鳴き声を思わせるため、「かっこう」のタイトルでも親しまれ、ドイツの森そのもの。第2楽章。メンデルスゾーン、無言歌「ヴェネツィアのゴンドラの歌」を思わせる深みに満ち、それに相応しい音色、歌心が一層が全体の性格を際立たせている。第3楽章。ベートーヴェンのユーモアを捉え、生気に満ちた演奏で締めくくっていく。

 Op.109。第1楽章はOp.79、第3楽章の旋律を用いているものの、幽玄の世界と言った方がいいだろう。第2主題があってもつかの間に過ぎない。ベート―ヴェンが到達した世界に相応しい、深い音色で歌い上げている。第2楽章。苛酷な運命を象徴するかのスケルツォ、ここでも深い音色が聴きものだろう。第3楽章。「心から歌い上げて」とベートーヴェンが指示するように、深々とした音色でじっくり歌い上げる。変奏の性格を捉えつつ、音色を活かしている。第6変奏の盛り上がりから主題の回想に至り、深々とした音色で締めくくっていく。バッハ「ゴールドベルク変奏曲」を意識したとはいえ、ベートーヴェンの澄み切った境地を表現している。

 ヒューイットも2020年、ベートーヴェン生誕250年を意識しているだろうか。

 

 

2

アンドレアス・ボイデ ブラームス ピアノソナタ 第1番 Op.1 ピアノソナタ 第2番 Op.2 スケルツォ Op.4 

 ドイツの中堅、アンドレアス・ボイデはオルシャッツ出身、ドレースデンでアマデウス・ヴェーバージンケ、クリスタ・ホルツヴァイリッヒ、ロンドンでジェームズ・ギップに師事、ヘンレ版のブラームス、ピアノ作品集の校訂に当たっている。これはオームスからリリースしたブラームス、ピアノ作品全集の第1巻で、ペーター・レーゼル、ゲルハルト・オピッツにに次ぐもので、一聴の価値がある。

 ソナタ第1番は第1楽章、第1主題がベートーヴェン、ソナタ第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」の第1主題に似ていると指摘される。ブラームスは偉大な大先輩の偉業を受け次ごうとする意気込みが感じられる。壮大さとロマン性が融合した素晴らしい作品である。第2楽章はドイツのミンネリートを主題とした変奏曲。ここにもブラームスがドイツの古謡を重視する姿勢が感じられる。「ドイツ民謡集」を編纂、出版していることからもうかがえる。ハ短調の渋みからハ長調の明るさへと移り、第3楽章へ繋がる。ホ短調、8分の6拍子のスケルツォ。トリオはハ長調、4分の3拍子、第1楽章との繋がりがある。若きブラームスの意気込み、ロマン性も十分である。第4楽章、フィナーレは第1楽章に基づく8分の9拍子の主題、ト長調で現れるロマン性豊かな主題、8分の6拍子で現れる主題はスコットランド風で、コーダでは8分の9拍子、6拍子が混ざり合い、最後は8分の6拍子で力強く締めくくる。

 第2番は第1楽章の激しい、ドラマティックな第1主題に始まる。全体に暗い、情熱的な楽章でバラード風な楽章で、こちらの方がブラームスの本質に近いような気がする。第2楽章もドイツのミンネリートにより、暗い雰囲気で第3楽章、スケルツォに繋がる。8分の6拍子で、トリオはスコットランド風の響きが聴こえる。第4楽章、フィナーレは序奏付きソナタ形式、ロマン的で歌心に満ち、構成力も見事である。ロマン主義であっても、一定の構成感、統一感が感じられる。

 スケルツォ、Op.4は、リストがショパン、スケルツォ第2番、Op.31との類似性を指摘している。2つのトリオがある。トリオ1はロマン性に溢れ、トリオ2は歌心に満ちている。ブラームスはショパンへのオマージュとして書き上げたようにも思える。

 1853年6月12日、ブラームスはヴァイマールにリストを訪ねた折、リストがソナタ第2番、スケルツォを初見で演奏した際、ブラームスの才能を認め、出版社も紹介しようとした。しかし、リストのサロンの雰囲気になじめず、それまで同行していたヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニと袂を分かち、生涯の友となったヨーゼフ・ヨアヒムの励ましのもと、1853年9月30日、10月1日、デュッセルドルフにローベルト、クラーラ・シューマン夫妻を訪ね、ソナタ第1番、Op.1、第2番、Op.2、スケルツォ、Op.4を演奏、シューマンの賞賛を得た。シューマンは「新しき道」でブラームスを音楽界へ送り出した。

 ボイデの演奏は野心的なブラームスの姿、ロマン主義と形式との融合を求めんとするブラームスの姿を見事に描きだしている。

 

伊藤恵 シューマニア―ナ 1

 

 小林五月と共にシューマン演奏では定評ある伊藤恵によるシューマニア―ナ、第1作はクライスレリアーナ、Op.16、幻想小曲集、Op.12、3つの幻想小曲集、Op.111を聴く。

 シューマンの傑作、クライスレリアーナではクラーラ・ヴィークへの熱い思いを胸に、E.T.A.ホフマンの未完の小説「楽長クライスラーと牡猫ムルの人生観」をシューマン自身にたとえ、奔放さ、狂気に閉ざされた死を描いている。ホフマンは音楽家、小説家、プロイセンの官吏でもあり、多才な人物であった。シューマンはホフマンに惹かれ、「ドーデとドガレッサ」のオペラ化も考えていた。ホフマンは1822年、46歳でこの世を去った。シューマンも狂気に閉ざされ、ホフマンと同じく46歳でこの世を去っていることは奇縁ではないか。ホフマンはクライスラーが狂死するように構想を練っていたにせよ、シューマンはそのことを読み取り、第8曲を再弱音で消え去るように締めくくったことも偶然ではなかろうか。

 幻想小曲集、Op.12もホフマン「カロの手法による幻想曲」を基にしている。ここには、クラーラとの結婚が実現しない心の焦り、気まぐれ、ユーモアの中にも苦悩がやってくる。クラーラの父、フリードリッヒ・ヴィークがシューマンとの結婚に頑強に反対した一番の理由は、酒とタバコだった。ライプツィッヒ中の酒場をのみ歩いたり、寝タバコから命を落とすようなこともあった。そうした生活態度を改め、結婚して家庭を持つことの厳しさ、重さを感じてほしかっただろう。シューマンがヴィークの厳しい忠告にも耳を貸そうとせず、結婚を望んだとて、本当に幸せな家庭を築けないだろう。ヴィークはそう見ていた。

 3つの幻想小曲集、Op.111はハ短調-変イ長調-ハ短調、切れ目なく演奏されるようになっている。クラーラを妻に迎え、8人の子どもに恵まれたとはいえ、幼くして亡くなった長男エミール、一生の大半を精神病院で送った次男ルートヴィッヒ、銀行員になり、結婚して子どもに恵まれたものの普仏戦争に従軍、その際に負傷、治療のために与えられたモルヒネがもとで中毒になって世を去った三男フェルディナント、父の顔も知らずに育ち、詩才に恵まれたものの肺結核で夭折した四男フェリックスを始めとした男の子たちの悲しい運命、生涯母に寄りそった長女マリー、幸せな結婚生活を送った次女エリーゼ、ブラームスが密かに愛したもののイタリア貴族と結婚、肺結核で世を去った三女ユーリエ、プロイセン王立音楽大学でブラームスなどに学び、演奏家としても成功を収めた四女オイゲニーを始めとした女の子たちの自立心には目をみはるものがある。

 この作品では、第1曲の激しい曲想は注目すべき傾向がある。ブラームス後期のピアノ作品を思わせる重厚さが見られる。作曲は1850年、3年後、1853年9月30日、ブラームスはシューマン家を訪ねたものの、シューマンに会うことができず、10月1日、両者は対面、シューマンはブラームスの自作を聴き、真の新しさを読み取った挙句、「新しき道」でブラームスを楽壇に送り出す。あたかもブラームスの出現を予言したかのようである。

 伊藤が第1作を出したのが1987年、それから31年経った今でもその演奏は色あせない。クライスレリアーナ、ショパン、24の前奏曲による新録音がある。こちらも聴きたい。19世紀ロマン主義を代表する作曲家、シューマンの音楽の本質を伝えた演奏として、その名を残すだろう。

 

 

マティアス・キルシュネライト メンデルスゾーン 無言歌集第2巻 Op.30

 

 ドイツのピアニスト、マティアス・キルシュネライト(1962-)のメンデルスゾーン、無言歌集のCDから第2巻、Op.30を聴く。これはフェリックスの姉ファニー・ヘンゼルの無言歌集もあり、姉弟の作品の全体像を知るには貴重で、

フェリックスの作品中、ファニーの作品ではないかとされるものもある。

 第1曲「瞑想」から流れ出る豊かな歌、第2曲「不安」には揺れ動く心から安どの様子を描く。第3曲「慰め」は1ページだけとはいえ、深々とした歌が聴こえる。讃美歌にもなったほどである。第4曲「さすらい人」は孤独な面影が伝わる。第5曲「小川」はせせらぎ、のどかな田園風景が浮んで来る。第6曲「ヴェネツィアのゴンドラの歌」はOp.19-6、Op.62-5と共にメンデルスゾーンが名付けている。この作品がもっとも知られ、演奏されていると言えようか。トリルがもの悲しさを引き立てている。

 21世紀のドイツ・ピアノ界はペーター・レーゼル、ゲルハルト・オピッツを中心にクリスティアン・ツァハリアス、ゲオルク・フリードリッヒ・シェンク、ミヒャエル・コルシュティク、ミヒャエル・リシェ、ミヒャエル・エンドレス、このキルシュネライトが続く。キルシュネライトもモーツァルトの協奏曲全集をはじめ、メンデルスゾーン、シューマンで注目すべきCDをリリースしている。キルシュネライトももっと注目すべきピアニストではなかろうか。

 

 

ヘルムート・ヴァルヒャ バッハ パルティータ 第4番 BWV827 第5番 BWV829 第6番 BWV830

 

 ヘルムート・ヴァルヒャのバッハ、パルティータ、第4番から第6番を聴く。全体を見るとアルマンド、クーラント(コレンテ)、サラバンド、ジーグといった組曲の基本線を守りながら、配置が自由になったり、テンポ・ディ・メヌエット、テンポ・ディ・ガヴォットと指示するだけになっている。

 第4番は序曲に始まる。堂々とした序奏、闊達な主部は素晴らしい。がっちりとした太い線が通っている。堂々たる足取りの中に歌心たっぷりのアルマンド、クーラントは生気に溢れている。アリアは舞曲風でありながら、歌が溢れている。サラバンドの深遠な歌心は素晴らしい。メヌエットは古風でありながらも歌に満ちている。ジーグの高揚感とスケールの大きさ、歌が一体化している。

 第5番はプレアンプルムに始まる。スケールの大きさと歌が調和して、素晴らしい世界が広がる。アルマンドは堂々とした足取りの上に細やかな音形が流れて行く。コレンテは流麗さと歌に溢れている。サラバンドは符点リズムによりつつもじっくりと歌い上げて行く。テンポ・ディ・メヌエットはクロス・リズムが特徴で、後にショパンがワルツ、Op.42、シューマンがダヴィド同盟舞曲集、Op.6の第10曲で用いている。リュート・ストップを用い、リュートを思わせる。歌も豊かである。パスピエの洗練されたフランス趣味と歌は聴きものである。ジーグも高揚感とスケールの大きさ、歌が一体化している。

 第6番はトッカータに始まる。ホ短調と言う調性特有の侘しさの中に、バッハの心境を見る思いがする。主部に入ると、厳格なフーガとして展開する。その堅固さが曲を深いものにしている。アルマンドの深遠な歌、コレンテの引きずるような動き、細やかさの中に歌が活きている。エールの豊かな歌に溢れた演奏、サラバンドの重厚でありながらも深遠な歌には、当時のバッハの思いが窺える。テンポ・ディ・ガヴォッタはフランス風の流麗さの中に深みのある歌が素晴らしい。ジーグは6曲のパルティータの締めくくりに相応しい深遠さ、壮大さを併せ持った1曲で、ヴァルヒャが歌を大切にしながら堅固さに根差したスケールの大きな演奏を見せ、締めくくる。

 今聴いても、ヴァルヒャのバッハ演奏はドイツの大地に根差した素晴らしい演奏である。ヴァルヒャのバッハも長く残るだろう。

 

 

ヘルムート・ヴァルヒャ バッハ パルティータ第1番 BWV825 第2番 BWV826 第3番 BWV827

 

 バッハのライプツィッヒ時代初期の傑作のひとつ、クラヴィーアのための6つのパルティータから第1番、BWV825,826,827をバッハ演奏の大家、ヘルムート・ヴァルヒャ(1907-1991)で聴く。ライプツィッヒ生れ、幼年期の予防接種が原因で視力を失い、オルガン、クラヴィーアでバッハの全作品をレコーディング、バッハ演奏の規範となっている。

 ライプツィッヒはドイツの音楽の魂と言うべき偉大な演奏家を生み出している。バッハではヴァルヒャ、ベートーヴェン、ブラームスではヴィルヘルム・バックハウスがいる。ドイツ音楽の魂と言うべき名演奏家を生み出した都市としても忘れ難い。

 第1番、プレリュードはかつて仕えたケーテンのレオポルト候に世継ぎが生まれたたため、この候子に捧げられているためか、バッハの献辞を聴くような気がする。アルマンド、コレンテ、サラバンド、メヌエットには歌が満ち溢れている。生気に溢れるジーグは素晴らしい。

 第2番、シンフォニアの堂々たる序奏、アダージョの歌、アレグロでの推進力。見事である。アルマンドのたっぷりした歌、クーラントの風格と歌、サラバンドの深々とした歌、活気あふれるロンド、カプリツィオはジーグの代わりとはいえ、もはや、バッハが既存の組曲形式にこだわらなくなったことを示している。生気溢れる締めくくりになっている。

 第3番、ファンタジアの自由でありながらも歌に溢れる演奏に始まり、アルマンドも歌に満ちている。コレンテの堂々とした演奏、サラバンドの自由さ、ブルレスカ、スケルツォのユーモアの中に秘められた深みは聴きものである。ジーグの堂々たる締めくくりは圧巻である。

 ヴァルヒャのバッハ演奏に耳を傾けて見ると、ドイツの風土に根差したどっしりしたものが感じられる。グレン・グールドのバッハ演奏とは違う、深遠な世界である。コープマン、レオンハルトなどの演奏も素晴らしいとはいえ、もう一度聴き直すべき演奏ではなかろうか。

 

 

ヴィルヘルム・ケンプ ザルツブルク音楽祭リサイタル

 

 ヴィルヘルム・バックハウスと共に「2人のヴィルヘルム」と言われたドイツの名匠、ヴィルヘルム・ケンプが1958年7月31日、ザルツブルク音楽祭で行ったリサイタル・ライヴである。シューマン、幻想曲、Op.17、ベートーヴェン、6つのバガテル、Op.126、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5である。

 まず、シューマン。第1楽章冒頭の勢いの中にシューマンのロマンが漂う。しかし、この時期のシューマンが愛するクラーラとの交際を父フリードリッヒ・ヴィークから禁じられていたことも相まって、絶望に近い憧れ、希望への道を切り開かんとする姿がある。ヴィークにも言い分がある。シューマンが結婚をどう考えていたか。ライプツィッヒの酒場で飲み歩き、たばこを燻らす姿に反感を抱いていた。寝たばこから命を落とす寸前だったことすらある。それを考え、結婚するなら身を固めてほしい。果たして、シューマンはヴィークの真意を本当に理解していたか。第2楽章の堂々たる風格。その中にロマン主義ならではの歌心を秘めている。第3楽章。ロマン主義音楽ではもっとも内面的、かつ深い歌心溢れるものの一つだろう。ピアノの響きとともにシューマンの深遠な世界が広がっていく。

 ベートーヴェン。文字通り最後のピアノ作品で、「軽みの世界」と言うべきベートーヴェンの心境が伝わる。この作品を書き終え、弦楽四重奏曲の創作に勤しんだ。しかし、既に成人して、自立の道を歩まんとする甥カールの心を理解しなかったベートーヴェンにとって、1826年夏の自殺未遂は大きな打撃となり、1827年、この世を去る。ベートーヴェンは亡き弟カールの子、甥となったカールを引き取り、音楽家、学者にせんとして育てた。それは義妹との訴訟の末、後見人となった。あまりにも歪んだ愛情が甥の自立を妨げ、カールは大学に進んでも勉学に集中できなかった上、工芸学校に転学して勉強に勤しむものの、はかばかしくなかった。それが大きな悲劇をもたらした。第1曲、第3曲、第5曲の深々とした歌、第2曲の激しさ、第4曲の激しさと静けさの対比、締めくくりに相応しい第6曲。歌心と激しい流れとの対比が聴きものである。

 ブラームス。第1楽章。1853年、シューマンの許を訪ね、自作を披露したブラームス。これを聴いたシューマンは「新しき道」を書き、ブラームスを激賞、世に送り出す。1854年、シューマンは発狂してライン川に身を投げてしまう。クラーラ、子どもたちのために尽くす中、クラーラへの恋愛が芽生える。精神病院入院中のシューマンを訪ねては様子を伝える。そんなブラームスの葛藤を聴く思いがする。第2楽章。シュテルナウの詩に基づくとされる。恋人たちの愛の喜びが伝わって来るかのようである。第3楽章。スケルツォ主部の激しさ、トリオの歌心との対比。じっくり歌われるトリオはケンプの持ち味だろう。第4楽章。ここでは第2楽章の世界から諦念の世界へと変わっていく。ここではシューマンの死を悼みつつ、新しい道へ乗り出さんとするブラームスがいる。第5楽章。葛藤に苦しみつつも抜け出すブラームスの姿、全てに打ち勝ち、己の道を確立するブラームスがある。ケンプもブラームスではバックハウスとともに定評があるものの、バックハウスはブラームスのソナタをレコーディングはおろか、レパートリーとしていなかったようである。バックハウスがソナタの演奏を残してくれればよかったかもしれない。

 この時期のケンプは絶頂期にあったせいか、堂々たる演奏を見せる。シューマンの勢いから感じられる。それがベートーヴェン、ブラームスへと繋がっている。ケンプ最良の名演の一つだろう。

 

 

2

アルトゥール・シュナーベル シューベルト ピアノソナタ 第21番 D.960

 

 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの演奏では第1人者であった。ベートーヴェン、ブラームスではヴィルヘルム・バックハウス、ヴィルヘルム・ケンプに押されがちである。シューベルトではソナタの再評価に貢献している。

 シューベルト最後のソナタとなったD.960の演奏を聴くと、第1楽章では息の長い旋律をたっぷりと歌いながらも、死を悟ったシューベルトの姿を描きだしている。自然な流れが息づいている。第2楽章では死と直面するシューベルトの姿、救いを求める姿との対比が際立ち、素晴らしい音楽に昇華している。第3楽章ではピアノと戯れるかのような、円熟の境地が感じられる。第4楽章のスケールの大きな演奏も聴きものである。

 シュナーベルはユダヤ系だったため、ナチス台頭に伴ってアメリカへ亡命、戦後ヨーロッパへ戻り、この世を去った。日本では国立音楽大学で教鞭を執った青木和子がシュナーベルに師事している。青木自身、日本の終戦記念日に亡くなったことを象徴的に捉えていた。

 このシュナーベルの演奏は、アルフレート・ブレンデル(1931-)にも大きな影響を与えたような気がする。いかがだろうか。

 

 

ヴィルヘルム・バックハウス バッハ イギリス組曲 第6番 BWV811

 

 ヴィルヘルム・バックハウスのバッハ演奏の貴重な遺産の1つ、イギリス組曲、第6番は作品の性格からしても堂々たる風格が漂う。

 プレリュードでは、序奏の歌心、主部の堂々たる風格が素晴らしい。アルマンドでの風格溢れる歌、クーラントの堂々たる風格、サラバンドでの深々とした歌心と内面性は聴きものである。変奏でも深々とした歌心、内面性が際立っている。ガヴォット主部の闊達さ、歌心溢れるトリオとの対比が際立つ。ジーグの推進力も見事。

 バックハウスは日頃から音階、アルペッジョを練習後、バッハ、平均律クラヴィーア曲集をはじめとした作品を演奏して来た。それがベートーヴェン、ブラームスに結び付いている。リストの難曲を弾きこなせるよりも大切ではなかろうか。その意味で、バッハの大切さ、重さを誰よりも知っている。

 ライプツィッヒがドイツ音楽の魂といえる鍵盤音楽奏者を産んだことは大きい。バッハではヘルムート・ヴァルヒャ、ベートーヴェン、ブラームスではバックハウスを産んだ。その意味で素晴らしいモニュメントである。

 

 

ヴィルヘルム・バックハウス バッハ フランス組曲 第5番 BWV816

 

 20世紀ドイツ最高の名匠、ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)のバッハ演奏はフランス組曲、第5番の他にイギリス組曲、第6番、平均律クラヴィーア曲集、第1巻の第15番、第2巻の第15番、ライヴでの平均律クラヴィーア曲集第2巻の第24番くらいしか残っていない。1954年、ただ一度来日した際、イタリア協奏曲も演奏したという。

 それでも、この第5番ではアルマンドから歌に満ちたバッハの演奏が繰り広げられていく。クーラントの闊達さ、サラバンド、ルールの深みに満ちた味わい、ガヴォット、ブーレでは快活さと歌心が調和している。ジーグても闊達さ、歌心を調和させて一気に締めくくっていく。

 グールドの演奏を聴いた後にバックハウスの演奏を聴いてほしい。この1曲だけでも、ドイツ最高の名匠が遺した素晴らしいバッハ演奏の魅力に触れてほしい。

 

 

マリア・ローザ・ギュンター バッハ ゴールドベルク変奏曲 BWV988

 1991年、ブラウンシュヴァイク出身、ハノーファー音楽大学でマッティ・ラエカリオ、イェレナ・レーヴィットに師事、現在、ベルント・ゲツケの下、大学院で研鑽を積んでいるドイツの若手女性ピアニスト、マリア・ローザ・ギュンターは、ドイツではいくつかのコンクール入賞歴があり、特別賞も受賞している。このCDがデビュー盤だろう。2015年、ライプツィッヒ、メンデルスゾーン・ホールでのレコーディング、使用ピアノはスタインウェイである。

 主題のアリアの清純な響き、深い歌心。変奏の繰り返しの度に装飾音を入れ、変化をつけている。闊達さの中にも歌心が滲み出る。抒情性も豊かで、バッハへの深い思いが伝わって来る。聴き手が自然とバッハの世界へと引き込まれていく。変奏間の間の取り方も考えられている。ヴィルトゥオーソ的な部分にも歌心を忘れていない。第25変奏は8分余りとはいえ、音色・歌心が素晴らしい。この変奏こそ、演奏では大変難しいだろう。半音階的進行、アダージョで深みのある演奏を要する。ギュンターはじっくり歌い上げている。第30変奏のクォドリベットには豊かな歌が溢れている。主題アリアの再現。余韻豊かに締めくくる。

 1955年、グレン・グールドがこの作品でレコード・デビューしたことは有名である。最近、この作品をデビューCDにする若手ピアニストが増えた。その意味でも貴重な1枚である。

 ドイツ・ピアノ界は1990年の東西再統一以来、優れた若手が育ってきた。21世紀ドイツ・ピアノ界はペーター・レーゼル、ゲルハルト・オピッツを中心に、中堅クラスも充実している。どのような逸材が現れるかが楽しみである。

グレン・グールド マウリツィオ・ポリーニ シェーンベルク ピアノ曲 Op.33a,b

 シェーンベルクのピアノ作品最後の作品となったOp.33はaが1928年、bが1931年の作品で、ピアノ作品ではこの2曲で打ち止めになっている。1933年1月30日、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党が政権の座につき、ヒトラーが首相となった。シェーンベルクはナチスの反ユダヤ主義を嫌い、パリを経てアメリカに亡命、プロテスタント信仰を捨て、ユダヤ教に回帰する。そんな不安の時代を先取りするかのようなこの2曲は、シェーンベルクのピアノ作品の集大成となった。

 グールドは迫りくる不安の時代を先取りするかのような演奏である。ヨーロッパに迫りくる暗雲が立ち込める状況が伝わっている。ポリーニはグールドよりテンポが速めで、緊迫感が漂い、激しい表現である。

 グールドのシェーンベルクへの傾倒ぶりが、CBSコロムビアによるシェーンベルク全集として結実した。また、放送でもシェーンベルクを取り上げた。シェーンベルク受容史でのグールドの功績は大きい。ポリーニもシェーンベルク演奏はもとより、20世紀音楽受容史という視点から見ると、ポリーニの功績も見逃せない。2002年、日本でルネッサンスから20世紀に至る音楽史を辿るコンサート・シリーズを行い、大きな話題を呼んだ。

 グールドにせよ、ポリーニにせよ、20世紀音楽受容史の功績は大きい。その意味でも避けて通れない演奏である。

 

グレン・グールド マウリツィオ・ポリーニ シェーンベルク ピアノ組曲 Op.25

 シェーンベルク、ピアノ組曲、Op.25はバロック組曲の形式を12音技法で20世紀によみがえらせた作品で、12音技法を確立したシェーンベルクの自信に満ち溢れた姿が伝わる。1921年~1923年の2年間にわたって作曲している。

 まず、グレン・グールド。彼自身のハミングが聴こえてくる。あっという間のプレリュード、ガヴォット-ミュゼット-ガヴォットは全体で8分余りの演奏時間とはいえ、かえってシェーンベルクの音楽の本質に迫っている。インテルメッツォはじっくり演奏している。メヌエットは神秘的な雰囲気が漂う。ジーグは神秘的な舞曲となって、全曲を締めくくる。

 次はマウリツィオ・ポリーニ。完全に20世紀音楽の世界である。プレリュードもあっという間である。ガヴォット-ミュゼット-ガヴォットはグールドと異なり、全体は3分余りとなっている。舞曲の性格付けはポリーニの方だろうか。インテルメッツォはグールドより遅めで、歌心を大切にしている。メヌエットは20世紀音楽に解体された姿を示している。ジーグは鋭く、果敢である。

 グールドはシェーンベルクとブラームスの繋がりを強調している。ポリーニは完全に20世紀音楽の視点に立つ。両者の決定的な違いだろう。

 

アンジェラ・ヒューイット シューマン こどもの情景 Op.15

 カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのシューマンのCDはピアノとオーケストラのためのものを含めると3枚出ている。

 こどもの情景、Op.15はダヴィド同盟舞曲集、Op.6、ピアノソナタ第2番、Op.22とともにレコーディングした1枚の一つで、「異国から」はテンポの揺らめきの中に子どもたちの外国への憧れが滲み出ている。「鬼ごっこ」、「おねだり」、「満足」と聴き進めていくと、古今東西子どもたちは同じようなものだと思わざるを得ない。「トロイメライ」は打って変わって、じっくりと弾き進つつも、中間部ではテンポの揺れが心の揺らぎを表現している。「炉端で」、「木馬の騎士」、「向きになって」、「恐い」も子どもたちの姿を彷彿とさせる。「眠る子どもたち」ではベットで無心に眠る子どもたちを描き、「詩人は語る」では子どもの頃を振り返る大人のモノローグとなっている。

 シューマンはクラーラと結婚した後、8人の子どもを儲けた。しかし、クラーラには重荷となった上、演奏活動も妊娠、出産を繰り返しつつ続けていた。その一方、ピアニストとしてのクラーラの名声がローベルトを傷つけるようなこともあった。

 子どもたちのうち、女の子マリーエ、オイゲニーは独身、エリーゼは結婚して家庭に恵まれた。ユーリエは結婚したものの、肺結核で早世している。男の子エミールは病弱で1歳余りで夭折、ルートヴィッヒは一生の大半を精神病院で送るという、不幸な宿命を辿った。フェルディナントは銀行員となって結婚、多くの子どもに恵まれたものの、普仏戦争に従軍した際負傷した。その治療としてモルヒネを投与されたことが原因で、モルヒネ依存症にかかって世を去った。フェリックスは父ローベルトが精神病院入院後に生まれ、父を知らずに育っていく。ハイデルベルク大学に入学するも、肺結核で早世した。父譲りの文才を発揮して、いくつかの詩を残し、ブラームスが歌曲として作曲した。

 シューマンとクラーラの結婚生活は16年、実際は14年だった。最高のカップルと言われた2人の生活は、本当に幸せとは言えない。デュッセルドルフの音楽監督としてのシューマンは病気の悪化、社会性のなさから失敗に終わり、発狂してライン川へ投身自殺を図り、精神病院での闘病生活の後、46歳でこの世を去った。クラーラは40年にわたる未亡人生活の後、76歳でその生涯を終えた。シューマンのピアノ作品の真価を世に問い、広めつつ、フランクフルト音楽大学で後進を育成した。

 今、シューマンの結婚に関する真実が明らかになると、父フリードリッヒ・ヴィークの反対も頷ける。それを踏まえて、この作品を聴くと、改めてシューマンとクラーラの結婚生活を再考することが出来るだろう。

 

ミヒャエル・コルシュティク シューマン クライスレリアーナ Op.16

 ドイツのピアニストで注目株、ミヒャエル・コルシュティクによるシューマン、クライスレリアーナを聴く。コルシュティクはベートーヴェン、ピアノソナタ全集をOEHMSからリリースしている。このシューマンもOEHMSからで、アラベスク、Op.18、カーナヴァル、Op.9が入っている。

 第1曲から聴き進めていくと、シューマンの音楽の本質を捉えた名演で、E.T.A.ホフマン「牡猫ムルの人生観」に登場する楽長ヨハネス・クライスラー、「カロ風幻想画集」のエッセイ「クライスレリアーナ」をもとに、シューマンが緻密な統一法を用いて、この傑作を完成していったことがわかる。

 ホフマンは作家、指揮者、作曲家として活躍、しかしプロイセンの官吏として46歳の生涯を終えている。シューマンは、ホフマンの人生に自分の人生の縮図を見ただろう。第8曲が弱音で終わっていることを考えると、自分がホフマン同様、46歳で世を去ること、「牡猫ムルの人生観」が未完であり、クライスラーが狂死するようになっていた構想からしても、1854年、デュッセルドルフのライン川に入水自殺を企て、エンデニッヒの精神病院に入院した後、1856年に自らの生涯を終えたことと重なる。第8曲はクライスラー、シューマンの死を描いたものだといえようか。

 コルシュティクもベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集がある以上、来日してほしいピアニストの一人である。レーゼル、オピッツに続く存在としての期待は大きい。ぜひ、来日が実現してほしい。

 

マティアス・キルシュネライト メンデルスゾーン 厳格な変奏曲 Op.54

 マティアス・キルシュネライトは1963年、ヴェストファーレン生れ、アフリカ南部のナミビア育ちでドルトムント音楽大学でクレッチュマー-フィッシャ―に師事した後、クラウディオ・アラウ、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー、オレグ・マイセンベルク、マレイ・ペライアに師事、ボンのドイツ音楽コンクール、チューリッヒのゲザ・アンダコンクール、シドニーのオーストラリア国際コンクールに入賞、1997年からロストック音楽大学教授となり、ハンブルクに居を構えている。

 キルシュネライトの演奏は一つ一つの変奏の性格を捉え、ヴィルトゥオジックな面、抒情的な面、ストイックな面のバランスを取りつつ、大きな世界を作り上げている。メンデルスゾーンの音楽は流麗さが目立っても、音楽としての統一性、精神性も豊かである。キルシュネライトはこれ見よがしに技巧をひけらかすようなことはない。

 メンデルスゾーンの変奏曲にはアンダンテと変奏曲、Op.82、Op.83がある。Op.82は変ホ長調、主題が厳格な変奏曲と似ている。Op.83は変ロ長調、こちらも雰囲気が似ている。ただ、どちらもあまり演奏されないことが残念である。この3曲が1841年に作曲されていることを考えると、メンデルスゾーンが重要視したのはOp.54だったことがわかる。メンデルスゾーンの自信作、古今の変奏曲の名作の一つとして今日までコンサート・レパートリーとして定着したことも頷けよう。

 一方、メンデルスゾーン生誕200年となった2009年以降、メンデルスゾーン再評価の動きも活発になっている。その中で、メンデルスゾーンのピアノ作品も再評価が進み、新たなメンデルスゾーン像が出て来るだろう。

ヴィルヘルム・ケンプ シューマン パピヨン Op.2

 ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)と並ぶドイツの名匠、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はシューマンの主要ピアノ作品をレコーディングした上、ブライトコップ・ウント・ヘルテルから出ているクラーラ・シューマンによるピアノ曲全集の校訂も行った。

 シューマン初期の名作の一つ、パピヨンはジャン・パウル「生意気盛り」によるとされる。シューマンの場合、文学、当時の社会への風刺も隠れていることに注意すべきである。しかし、文学、社会風刺があっても、あくまでも音楽としての客観性、統一性も重視していたことも見落としてはいけない。

 ケンプはシューマンの才気の裏に隠れているロマン性を見事に引き出している。全体に暖かい、パステル調の色彩が漂っている。幻想性豊かで、シューマンの世界に引き入れられてしまう。この色彩感が弟子のゲルハルト・オピッツに受け継がれている。オピッツがペーター・レーゼルとともに21世紀、ドイツ・ピアノ界の大御所になっていることも頷ける。第12曲の終止はさりげないようで、余韻を残している。味わい深い名演である。

 

グレン・グールド、マウリツィオ・ポリーニ シェーンベルク 5つのピアノ曲 Op.23

 

音楽 ピアノ曲

 1920年、シェーンベルクが12音技法を確立した作品で、第1曲、第2曲が1920年、全曲は1923年に完成した。初演はエドァトルト・シュトイアーマンが行った。

 グレン・グールドは1964年~1965年にかけての録音。12音技法への鋭い感性が伝わる。時折、グールドのハミングが聴こえる。レコ―ティング中心となり、さらに意欲的にシェーンベルクに取り組んでいる。

 マウリツィオ・ポリーニは全体的にグールドよりテンポが速めである。ポリーニの方がかなり、シェーンベルクの音楽の本質を理解しているような気がする。それがかえって、音楽の鋭さを明確にしている。

 グールドは20世紀初頭の空気が漂っている。ポリーニは完全に20世紀後半、前衛音楽の空気が漂い、神秘性が強くなっている。最も、グールドは講演、ラジオ番組でシェーンベルクの音楽について語り、著書にもなっている。ポリーニも自ら演奏しながら、ルネサンス期から20世紀に至る音楽史プロジェクト・コンサートシリーズも行っている。日本でも何度か行い、評価も高い。どちらも実践・理論を一致させる試みを行い、私たちに音楽を問いかけている。

 ただ、グールドはコンサートを捨て、レコーディング・放送・執筆活動に専念、1982年、50歳でこの世を去った。その生涯で本当に残したものは何だったか。

アンジェラ・ヒューイット ベートーヴェン ピアノソナタ Op.14-1 Op.49-1 Op.49-2 Op.31-1 Op.81a「告別」

 カナダの女流ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットによるベートーヴェン、ピアノソナタ全集第6巻は第9番、Op.14-1、第19番、Op.49-1、第20番、Op.49-2、第16番、Op.31-1、第26番、Op.81a「告別」の5曲である。

 Op.14-1。第1楽章は清々しさ、抒情性が調和した世界を描いている。第2楽章の深々と歌われる主部、内面から訴えかけてくる。トリオの豊かな歌も素晴らしい。主部に戻り、コーダの余韻が聴きもの。第3楽章は内面から湧き上がる歌、推進力が一体となっている。Op.49-1。第1楽章はじっくり歌いあげた演奏。第2楽章は喜びに満ちた主部、情熱的な経過句から抒情的な中間部、主部、中間部、コーダに至る。この頃のベートーヴェンが伝わる。Op.49-2。第1楽章は

音楽が清らかに流れ、一気に進んでいく。第2楽章。優雅にもじっくり歌いあげていくロンド風メヌエットである。そこにはヒューイット自身によるヴァリアントもあり、聴き応えがある。

 Op.31-1。第1楽章。第1主題での調性面での試み、力感、抒情性を見事に捉えている。中期へと進むベートーヴェンの実験性が現れている。第2主題の歌心も素晴らしい。展開部のドラマトゥルギーも十分てある。第2楽章。明るさの中に秘めた豊かな抒情性が素晴らしい。第3楽章。楽し気、かつ喜びに満ちたロンドがスケール豊かに展開していく。歌心も十分である。コーダはドラマティックでありながらも、静かに終わっていく。その迫力が見事である。

 Op.81a「告別」1809年、ナポレオンがヴィーンに侵攻、オーストリア帝室はヴィーンを逃れていく。帝室でベートーヴェンを後援、音楽の才能に溢れ、弟子となって作品を残し、大司教となったルドルフ大公との別れ、占領下のヴィーン、ヴィーンへ戻って来たルドルフ大公との再会を描きだした。第1楽章の別れ、再会への希望、永遠の別れになるかもしれない思いが伝わる。第2楽章では占領下のヴィーンのわびしい光景を描き、第3楽章へと続く。再会の喜びの高まり、つかの間の辛い思い出、それを吹き飛ばすかのような喜び、互いに目を見つめ合い、喜び合う風景が目に浮かぶ。そんな感情を描きだした演奏である。

 ヒューイットのベートーヴェン、ソナタ全集も半ばまで来た。次が楽しみである。

 

豊増昇 バッハ ゴールドベルク変奏曲 BWV.988

 日本を代表し、バッハ、ベートーヴェンの権威と謳われ、ドイツ(旧東西)はもとより、オーストリア、イギリスでもコンサートを行った豊増昇(1912-1975)が遺したバッハ、ゴールドベルク変奏曲は1965年、旧東ドイツの放送局による録音で、デジタル・リマスタリングにより鮮明なものとなっている。1964年、ライプツィッヒでのバッハ・コンクール審査員に招かれ、ハレ、ドレースデン、フランクフルト・アン・デア・オーデル、ベルリンでコンサート、オーケストラとの共演を行っている。その折のものだろう。バッハ・コンクールへは1968年、1972年にも招聘されている。ちなみに1973年、旧東ドイツとの国交が樹立され、音楽家たちの来日も増加している。

 全体を聴くと繰り返しがなく、一気に流れていく。人間的な温かみも十分で、歌心、深さも十分で、味わい深いものとなっている。短調による3つの変奏の彫りの深さ、歌心の深さは聴きものである。日本人によるレコーティングは神西敦子によるものが最初となっているが、この豊増のものが発見され、CD化されたことは大きい。

 世界的な大指揮者になった小澤征爾は豊増に師事していた。小澤がけがのため、ピアノを断念せざるを得なくなった時、豊増は指揮者になることを勧めたという。門下には同じくバッハ、ベートーヴェンの権威となった園田高弘がいる。日本におけるベートーヴェン受容史上、豊増と園田は重要な存在で、その意義を評価すべき時期ではなかろうか。

 

パウル・バドゥラ・スコダ シューベルト 3つのピアノ曲D.946

 パウル・バドゥラ・スコダによるシューベルト、3つのピアノ曲、D.946を聴く。これはスコダ自身、ヴィーン原典版の校訂にあたっている。自筆草稿、ブラームスが出版した初版を基に行った本格的なもので、日本ではあまりに注目されなかったこの作品を紹介した意義は大きい。作曲はシューベルトが亡くなる半年前、1828年5月で、まさに燃え尽きんとするシューベルトがこの3つの小品に込めた思いは大きい。

 第1曲は変ホ短調、ロ長調、変ホ短調から変ホ長調へ戻っていく。ギャロップ風の急速な主部、歌に満ちた中間部、主部にはシューベルトが自らの死期を悟ったかのような思いに満ちている。せめて、あとわずかな時期、何かを残したい思いを伝えて来る。しかし、もう一つ、変イ長調の部分があったが、シューベルトが削除した。スコダはこの部分も公にしている。

 第2曲はシューベルトらしい歌が漂うものの、いささかメランコリックなA、激しい動きでハ短調からハ長調へ転ずるBからA、変イ短調の哀愁に満ちたCを経てAに戻るロンド形式。悲しみに満ちたCにはシューベルトの絶望感がひしひしと伝わって来る。

 第3曲はハンガリー舞曲風の主部、変ニ長調の中間部、主部による3部形式。全3曲の締めくくりに相応しい、スケールの大きさが素晴らしい。

 この3曲の内容はD.899、D.935の即興曲集より深い。この3曲の後、3つのピアノ・ソナタに取り組み、シューベルトは11月19日、この世を去っていく。スコダはそんなシューベルトの心境を克明に描き出している。

ヴァレリー・アファナシエフ モーツァルト ピアノ・ソナタ K.310,K.330,K.331「トルコ行進曲付き」

 ロシア生まれの鬼才ピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフがモーツァルトに挑んだ。K.310、イ短調、K.330、ハ長調、K.331、イ長調「トルコ行進曲付き」の3曲である。10月29日、浜離宮朝日ホールでのリサイタルではK.330、K.331「トルコ行進曲付き」を取り上げていた。

 K.310。第1楽章は重々しい、暗い音楽を強調、遅めのテンポでじっくり進める。殊更第1主題を強調していることが聴き取れる。第2主題は歌に満ちている。展開部ではさらに重々しく、暗い性格を浮き彫りにしている。第2楽章。一見たどたどしく聴こえるようでも芯のしっかりした音楽である。じっくり歌う姿勢も聴き取れる。第3楽章。プレストとありながら、急がずじっくり弾き進めていくとはいえ、この作品の性格をしっかり捉えている。中間部の暖かさがかえって際立って来る。

 K.330。第1楽章。引きずるかのようであっても、典雅な響きが全体を包む。歌にも満ち溢れている。第2楽章。深みがあってもクリアーな音の響きが快く、歌心十分である。中間部でのほの暗さが素晴らしいコントラストを生み出す。コーダの余韻が素晴らしい。第3楽章。明るさ、喜びに満ち溢れている。歌も見事である。締めくくりもしっかりしている。

 K.331。第1楽章の変奏曲。アファナシエフはどう弾くか。主題は歌を大切にしている。第1変奏、ぎこちなさが目立っても歌がある。第2変奏、個性的な演奏、歌が生きている。第3変奏、悲しみに満ちた歌が流れ、印象深い。第4変奏、暖かな歌が聴きものである。第5変奏、いささか速めのテンポ、歌を忘れていない。第6変奏、締めくくりとはいえ遅めのテンポで、装飾音の弾き方が独特である。歌が生きている。第2楽章、メヌエット。歌にあふれ、主部中間部の悲しげな部分も聴かせる。トリオは温かみに満ち、和やかである。第3楽章、トルコ行進曲。遅めのテンポで始まる。モーツァルト自身「アラ・トゥルカ」と記し、ロンドとして作曲している。イ長調の主題がかえって威厳あるものとなっている。嬰ヘ短調のパッセージとも好対照になっている。アファナシエフはモーツァルトがロンドを意図して作曲していたことを我々に示したような気がする。

 このCDは2016年、生誕100年を迎えた師エミール・ギレリスに捧げている。アファナシエフがギレリスから得たものは大きかったことを改めて示したとも言えようか。

パウル・バドゥラ・スコダ シューベルト ピアノ・ソナタ D.850

 イェルク・デムス(1928-)、フリードリッヒ・グルダ(1931-2001)とともにヴィーンの三羽ガラスと言われ、今年89歳になるパウル・バドゥラ・スコダ(1927-)のシューベルト。ヴィーンの香りを伝える名演である。

 第1楽章はシューベルトが訪れた温泉地バート・ガシュタインについた時の喜びが伝わって来る。構成力、ヴィルティオジティも十分である。また、シューベルト特有の転調による色彩感も豊かである。第2楽章。ガシュタインの壮大な風景を前にしたシューベルトの思い、自然の息吹が伝わって来る。第3楽章。スケルツォも自然と戯れるシューベルト、町の音楽師たちが演奏する舞曲が聴こえてくるような情景が広がっていく。トリオはガシュタインの風景か。第2楽章の余韻も聴こえる。第4楽章。ここではシューベルトが軽やかな足取りで、鼻歌交じりに散歩している。途中で立ち止まり、草原の花を見たり、小川のせせらぎが聴こえてくる。にわか雨に見舞われても、再び日が差し、軽やかな足取りで鼻歌交じりに歩き出す。やがて、もと来た道をたどっていく。

 シューベルトが自然の息吹、壮大さを感じている。そんな思いが伝わる演奏である。2017年には90歳、どんな演奏を聴かせるだろうか。

グレン・グールド、マウリツィオ・ポリーニ シェーンベルク 6つのピアノ曲 Op.19

 グレン・グールド、マウリツィオ・ポリーニによるシェーンベルク、6つのピアノ曲、Op.19を聴き比べてみる。グールドは1964年1月2日、9日の録音。この年の4月、最後のリサイタルを開き、コンサートから引退した。全体的にストイックで、鋭さが目立つ。かなり直線的な解釈である。

 ポリーニもストイックで鋭く、かなり直線的である。ただ、リサイタルでは鋭さが影を潜め、味わい深い演奏に変わっていた。神秘的な雰囲気も強い。

 1909年の3つのピアノ曲で無調音楽を作り上げたシェーンベルクは、ここでは12音音楽を確立せんとして短い6つの楽曲の中で様々な試みを行っている。ピアノの響きも凝縮さている。それでも、調性音楽から完全に脱し切れていない面がある。とはいえ、Op.11、Op.19がピアニストたちのレパートリーとして定着していることは見逃せない。Op.23以降の作品はまだ、多くの聴衆には理解し難いだろうか。

高橋アキ シューベルト ソナタ D.784  D.845

 高橋アキは作曲家、ピアニスト高橋悠治の妹。現代音楽の旗手の一人が2007年からシューベルトのピアノ・ソナタに取り組んでいるという。ここでは2つのイ短調ソナタ、D.784, D.845を取り上げた。

 D.784。暗い、情念に満ちた第1楽章に始まり、展開部は怒涛のような動きになり、スケールの大きさを感じさせる。シューベルトの歌心、抒情性も豊かである。コーダは盛り上がりを見せても靜かに閉じていく。第2楽章の素晴らしい歌はつかの間の安らぎがある。第3楽章は不気味な動きに始まり、次第に高揚していく。ドラマトゥルギーも見事で、抒情的な歌に満ちた対句によるロンド形式で、コントラストも見事である。コーダは力強く締めくくる。

 D.845。第1楽章。ここでも暗い情念が中心的で、力強く発展する。シューベルトのソナタへの自信が垣間見られる。第1主題中心に左手に歌わせたり、カノンを用いて深い内容の楽章にしている。第1主題が全体の中心となり、展開していることが明白である。力強いコーダで全曲を閉じる。第2楽章。主題と5つの変奏。シューベルトの歌が広がり、見事な変奏が繰り広げられていく。第3楽章。ベートーヴェン風のスケルツォで、トリオはシューベルト風な歌に満ちている。主部とのコントラストが素晴らしく、緊迫感に満ちている。第4楽章。無窮動風のロンド形式で、推進力が見事である。抒情性も豊かで、迫力に満ち、力強く締めくくる。

 シューベルトの音楽に潜む暗さ、情念。高橋がこの2曲を並べた意図が見えてくる。D.845に至ると、シューベルトの自信が漲っている。この面から見ると力強さ、音楽面での円熟ぶりがはっきりする。その意味でも大きな意義があろう。

グレン・グールド、マウリツィオ・ポリーニ シェーンベルク 3つのピアノ曲 Op.11

 20世紀音楽を語る上で重要な12音音楽を確立したアルノルト・シェーンベルク(1874-1951)最初のピアノ作品、3つのピアノ曲、Op.11。カナダの奇才グレン・グールド、20世紀最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニで聴き比べていく。

 まず、グールド。神秘的な雰囲気が漂う。1958年録音、この頃のグールドはコンサート・ピアニストとして華々しい活躍ぶりをみせ、作品への共感が高い。第2曲ではけだるい性格を見事に表現している。第3曲も性格付けが素晴らしい。

 ポリーニも20世紀音楽を得意とし、シェーンベルクは研ぎ澄まされた感性、音色が聴きものである。グールドより鋭く、峻厳な音楽となっている。1974年録音、全体的に洗練され、宇宙の神秘を伝えるかのような演奏である。むしろ、グールド以上にシェーンベルクの本質を伝えているようにも思える。

 シェーンベルクはブラームスの音楽を深く研究し、12音音楽を確立するに至った。ブラームスの緻密な音楽技法を自らのものとして12音音楽の体系化、理論化につなげた。また、論文「革新主義者ブラームス」も残している。

 シェーンベルクはマーラーと親交を結んだことで、世に出る機会となった一方、マーラーはシェーンベルクの作品に触れ、シェーンベルクを経てブラームスの音楽を受容することとなる。

マーラー自ら、

「視野の狭い小人。」

と批判したブラームスの音楽をシェーンベルクから知ることとなり、自らを恥じただろう。ブラームスなくして12音音楽を語ることはできない。

 

リリー・クラウス ピアノリサイタル シューベルト・プログラム

 イングリット・ヘブラーと共にモーツァルト弾きとして名声を博したリリー・クラウス(1903-1986)が1967年6月14日、東京文化会館で行ったシューベルト・プログラム、ライヴ録音。これはNHKアーカイヴに残っていたものをCD化したもので、今でもその輝きを失っていない貴重な記録である。(キング KKC-2074/75 2枚組)

 まず、即興曲、D.899。第1曲のしっかりしたまとまり、第2曲の軽やかな流れ、第3番のしっとりと心にしみる歌いまわし、第4曲の玉を転がすような流れと響き、中間部の深い悲しみを称えた歌との対比が見事。時折ミスもある。それはクラウスの暖かい音楽には何の影響もない。

 楽興の時、D.780から第1曲、第2曲、第3曲。第1曲の流れるような抒情性としっとりした歌、第2曲の深い歌と悲しみとの対比、第3曲の悲しみとユーモア、歌心が素晴らしい。

 高雅なワルツ、D.969。ヴィーン情緒が香る名演。古き良きヴィーンの情景が伝わって来る。シューベルトの抒情性も十分である。

 ソナタ、D.959。第1楽章の力強さと抒情性の調和。シューベルト最後のソナタの一つに相応しい。クラウスのテンポは速めで、提示部を繰り返している。時折ミスも見られるとはいえ、ライヴの場合致し方ないだろう。第2楽章の絶望感溢れる主部、ドラマトゥルギーに満ちた中間部との対比が見事で、地獄に落ちるかのような迫力が素晴らしい。第3楽章スケルツォ主部の軽やかさとヴィーン情緒の調和、トリオの素晴らしい歌。聴き手を惹きつけていく。おやっと思わせる箇所があっても、見事な音楽である。第4楽章ロンドのスケールの大きさ、歌心も忘れていない。コーダも見事で、堂々と締めくくった。

 アンコールはモーツァルト、ソナタK.331から第3楽章、トルコ行進曲。バルトーク、ルーマニア民族舞曲。シューベルト、グラーツのギャロップ、D.925。リサイタルの余韻が聴き取れる。

 ヘブラーにもシューベルト作品集の7枚組CDがあり、シューベルト弾きとしてのヘブラー再評価に繋がる素晴らしい演奏だった。クラウスのこのリサイタルで、シューベルト弾きとしてのクラウス再評価への道を開くきっかけになることを祈りたい。

 

小管優 ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ Op.109 Op.110 Op.111

 小菅優のベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集第5巻、いよいよ最後の3つのソナタOp.109,Op.110,Op111となった。当初、マクシミリアーネ、アントーニア・フォン・ブレンターノ母娘への献呈を考えていたものの、Op.109はマクシミリアーネ、Op.110は無献呈、Op.111はルドルフ大公への献呈となった。しかし、ロンドンで出版したものではOp.110,Op.111はアントーニア・フォン・ブレンターノ夫人に献呈した。ここにはブレンターノ母娘のとの日々を振り返りつつも、今まで取り組んできたピアノ・ソナタの総まとめ、深い精神性、高みに登らんとしている。

 まずOp.109。第1楽章の深々とした情緒、無限の境地が聴こえてくる。第2楽章は過酷、かつ激しい叫びとなっている。第3楽章はじっくり、かつ深々と歌われる主題、第1変奏もじっくり歌われる。第2変奏は軽快さと深い歌が見事に調和している。第3変奏は一気に駆け抜けていくようである。第4変奏は深々とした歌が流れていく。第5変奏のフーガ風の展開も厳格、かつ深みを帯びている。第6変奏はこれまでの変奏のまとめというべく、スケールの大きさ、深さを見せる。主題の回帰も深々と歌い、このソナタを締めくくっている。

 Op.110。第1楽章の素晴らしい歌が聴きものである。心の奥深くからじっくりと湧き出ている。第2楽章の深刻さがかえって深みを与えている。第3楽章アダージョの深い歌、レチタティーヴォ、深々と歌うアリオーソ・ドレンテが素晴らしい。フーガはしっかりとした足取りで進んでいく。再びアリオーソ・ドレンテの深々とした歌いぶりからフーガへと戻り、次第に盛り上がりを見せ、力強く締めくくっていく。ここはイエス・キリスト復活、勝利を描くかのようである。

 Op.111。第1楽章。重厚かつ深刻な序奏、主部は力強さがあっても無駄がない。音楽は全てを語り尽す。ベートーヴェンが到達した無我の境地がある。第2楽章。深々と歌われる主題から5つの変奏曲が展開、自由で天衣無縫の境地となっている。小管のピアノの響きが素晴らしい。深みのある豊かな音色、高音の響きもまぶしいほどの光、ことにトリルでは輝く光のごとく響く。そして、静かに消えていく。

 これだけ充実した、深みのある演奏はないだろう。小管もいずれ、再録音があるだろう。その時を楽しみにしたい。

 

小管優 ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ Op.13「悲愴」 Op.26   Op.54   Op.57「熱情」

 小菅優のベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集第5巻からOp.13「悲愴」、Op.26、Op.54、Op.57「熱情」を聴く。これは2010年から始まったソナタ全集の締めくくりで、2枚組。もう1枚には最後の3つのソナタがある。

 まずOp.13「悲愴」。第1楽章序奏の重々しさ、主部のたたみかけるような迫力、抒情性。ドラマトゥルギーも十分。第2楽章のじっくりとした、内面的な響き。歌心十分である。第3楽章ロンドは抒情性と憂いとが大きな世界を作り上げていく。コーダのドラマトゥルギーも素晴らしい。

 Op.26。第1楽章変奏曲。全曲の俯瞰図というべきもので、それぞれの変奏の性格を捉えている。第2楽章スケルツォ。推進力十分の主部、トリオ。ベートーヴェンのスケルツォの本質をつかんでいる。第3楽章葬送行進曲。厳粛な雰囲気を醸し出している。革命期のフランスにおける凱旋式での戦死者への追悼として葬送行進曲を演奏する風習に基づいている。第4楽章。一気にロンドを弾きだしていく。凱旋式後、人々が家路につき、式場は無人と化す情景が浮かぶ。

 Op.54。ベートーヴェンが初めて試みた2楽章制ソナタである。これがOp.78、Op.90、Op.111へと至る。第1楽章は即興的な印象を受ける。そんな一面を描きだしている。第2楽章。ベートーヴェンのユーモアを見事に描きだす。

 Op.57「熱情」。バラードというべき第1楽章。ドラマトゥルギー十分で、抒情性も併せ持っている。第2楽章、第3楽章。

変奏曲主題をじっくり歌い込み、変奏ごとに気分が高まっていく様をつかんでいる。休みなしに入っていく第3楽章は冷徹、かつ素晴らしい迫力を秘めている。コーダも素晴らしい。

 全体を聴くと、小管自身の成長ぶりが感じられる。いすれ再録音もあるだろう。その場合、どんな演奏ぶりになるかが楽しみである。

ベス・レヴィン  ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ Op.109、Op.110、Op.111

 ベス・レヴィンによるベートーヴェン、Op.109、Op,110、Op.111。この3曲はベートーヴェン、ピアノ・ソナタの最後を飾る作品で、マクシミリアーネ、アントーニア・フォン・ブレンターノ母娘に捧げるつもりだった。しかし、Op.109はマクシミリアーネへの献呈となったものの、Op.111はルドルフ大公への献呈となり、Op.110は無献呈となった。

 まず、Op.109。第1楽章はゆったり始まり、第2主題ではたっぷりと歌う。展開部では盛り上がりを見せ、再現部でのフォルテが印象的である。ここでの第2主題もじっくり歌い、コーダも余韻たっぷりに歌い、第2主題に入る。第2楽章のスケルツォはソナタ形式による。過酷なまでの生々しさがある。第3楽章。主題の深みに満ちた響き。後に、シューマンはこれをユーゲント・アルバムの補遺に残している。シューマンもこれを子どもたちへの教材と考えていたようである。第1変奏は深々と歌う。第2変奏はハープを思わせる部分、歌に満ちた部分とが調和して、素晴らしい世界を作り出している。その性格を捉えつつ、じっくり歌っていく。第3変奏。一気呵成に弾き進めていく。第4変奏。音楽の流れを重視して、じっくりと弾き込んでいく。

第5変奏。フーガの性格をしっかりつかんでいる。第6変奏。全体の締めくくりとして、また無限のスケールを秘めている。素晴らしい音の流れが印象に残る。主題の回想は、より一層深みの中に終えている。

 Op.110。第1楽章の深みに満ちた響きは印象的である。第2主題のじっくり歌う姿勢、展開部での追憶、再現部での深みに満ちた響き。晩年のベートーヴェンの心境を歌いあげている。第2楽章。激しいスケルツォ。中間部もピアノの響きを重視して、素晴らしい流れを生み出している。第3楽章。アダージョの深い悲しみ、悔後の思い、フーガでの救い、深い嘆き、フーガから勝利に向かう。この楽章は緩-急-緩-急、教会ソナタの原理による。Op.27-1の構成原理を考える際、大きなカギとなるが、これはその時に触れたい。じっくり、また静かに、力強く歌いあげている。最後は堂々、かつ力強くキリストの勝利を歌いあげる。ヴィルヘルム・バックハウス(1884-1969)とともに20世紀ドイツを代表する名匠ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は、Op.110が無献呈になった理由について、ベートーヴェン自身への献呈だっただろうと推察する。西原稔は、第3楽章のアダージョ部のレチタティーヴォにバッハ、ヨハネ受難曲、BWV245、イエス・キリストの死と救いの成就を表すアルトのアリア「成し遂げり」との関連性を指摘する。ベートーヴェンがクリスマスの夜にOp.110に着手したことを考えると、西原の指摘は的を得ている。

 Op.111。ベートーヴェン、ピアノ・ソナタの総決算となる。第1楽章。序奏、主部の力強さ。無駄のない構成。すべてが整然、かつ大きな流れを作り出している。諦念も加わり、一層深い境地に達している。それだけの内容をしっかり表現するだけの要素が備わった、見事な演奏である。繰り返しがない分、かえってベートーヴェンの心境が伝わって来る。第2楽章。主題も淡々と歌う。無駄がない。第1変奏、第2変奏と気分を盛り上げ、第3変奏でクライマックスとなる。第4変奏で静まりを見せると、第5変奏では堂々と歌い上げ、静かに消えていく。レヴィンは、この変奏曲でのベートーヴェンの心境を捉え、素晴らしい演奏を聴かせる。

 ベートーヴェン、最後の3曲のソナタのCDとして推薦したい1枚である。レヴィンもぜひ、来日してほしいピアニストの一人である。

ベス・レヴィン バッハ、ゴールドベルク変奏曲 BWV.988

 ベス・レヴィンは1950年12月17日、ペンシルヴァニア州フィラデルフィア生まれのピアニスト。3歳からピアノを始め、フィラデルフィア、セツルメント音楽院でマリアン・フィラー、カーティス音楽院でルドルフ・ゼルキン、ボストン大学でレナード・シュール、タウブマン・インスティトゥートでドロシー・タウブマンに師事。ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ブラームス、ラフマニノフ、ラヴェル、現代に及ぶレパートリーを誇る。

 12歳でフィラデルフィア管弦楽団と共演、マールボロ音楽祭で活躍、ボストン交響楽団、ボストン・フィルハーモニーとも共演、スペイン、アイスランド、セルビア、トルコへ演奏旅行を行い、室内楽でも活躍している。CDはベートーヴェン、ピアノ・ソナタ、Op.109、Op.110、Op.111の3曲を収めたもの、ディアベッリ変奏曲、Op.120、ここに紹介するバッハ、ゴールドベルク変奏曲、BWV988(Centaur CRC 2927)である。

 このバッハはレヴィンのデビュー盤で、2007年4月28日、ニューヨーク、スタインウェイ・ホールでのリサイタルのライヴ録音。この作品をライヴながらデビュー盤としたことは、グレン・グールドを思わせる。主題のアリアから温かみ、慈愛あふれる音楽が流れていく。正統的な音楽の流れに乗り、歌心に満ちている。繰り返しを忠実に行ったり、行わなかったりする変奏もある。レヴィンは全体の流れの中で音楽を作り上げているといっていいだろう。

 第25変奏は大変美しい、悲しみにあふれた変奏で、この変奏の繰り返しは行っていない。その歌心たっぷりの演奏は聴きものだろう。技巧をこれ見よがしにひけらかさず、あくまでも音楽を大切にする。第30変奏もじっくり、しっかりと歌い込んでいる。再び、アリアに戻るとじっくり、かつ余韻たっぷりに歌っていく。

 一音一音、じっくり、いつくしむかのような味わい深い演奏で、もう一度じっくり聴き直してみたい。

ロベール・カザドシュ ドビュッシー・ピアノ作品集 その3

 ロベール・カザドシュのドビュッシー、前奏曲集第2巻。この曲集は、青柳いづみこが未完に終わったオペラ「アッシャー家の崩壊」の素材との共通点を見出し、博士論文としてまとめている。「アッシャー家の崩壊」は改めて取り上げよう。

 「霧」はピアノの音色が生きている。「枯葉」は秋のわびしい風景を簡潔な書法で伝える。「ヴィーノの門」は「版画」、「グラナダの夕べ」に続き、スペイン情緒豊かな作品である。「妖精はよい踊り子」はピアノの特性をふんだんに生かした作品だろう。「ヒースの茂る荒地」は第1集「亜麻色の髪の乙女」に共通した世界が広がる。「変わり者のラヴィーヌ将軍」は「子供の領分」、「ゴリウォークのケークウォーク」で用いたケークウォークを用い、風変わりな将軍のカリカチュアが伝わって来る。「月光がきらめくテラス」は幻想的、かつエキゾティックな雰囲気が伝わる。「水の精」は波間に漂う水の精を豊かなピアノの音色で描きだしている。「ピックウィック卿賛」はイギリス国家を用い、荘重に始まる。ピアノの細やかな動きと好対照をなす。「カノープ」は古代エジプトの雰囲気を簡潔な書法で無駄なくまとめている。「3度の交代」は一種の無窮動というべき主部、穏やかな中間部との対象が素晴らしい。「花火」はフランス革命記念日としてのパリ祭を彩る花火を描き、ピアノの音色をふんだんに用いている。最後のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の引用で締めくくる。やはり、ドビュッシーにはフランスの音楽家としての誇りがあった。

 このドビュッシー作品集は1950年代前半のモノラル録音でありながら、ピアノの音色が心地よく聴こえる。フランスのエスプリ、香り、明晰さが伝わる。フランス音楽の記念碑として残していきたい名演である。

ロベール・カザドシュ ドビュッシー・ピアノ作品集 その2

 ロベール・カザドシュのドビュッシー、今回は前奏曲集第1巻。トビュッシーのピアノ作品の総決算というべき作品である。

「デルフィの舞姫」は荘重な曲想、和音、オクターヴ中心の書法から、古代ギリシアの神殿の儀式を伝える。よく響く明晰な音色がすばらしい。「帆」は和音の響きが巧みである。「野を渡る風」でもピアノの響きを重んずる。「音とかおりは夕暮れの大空に響く」でも和声の明晰さが中心となる。「アナカプリの丘」はピアノの音色そのもの。「雪の上の足跡」はわびしい冬の風景が伝わる。「西風の見たもの」でもドイツ音楽とフランス音楽の違いが鮮明である。「亜麻色の髪の乙女」の静かな気品、「とだえたセレナード」でもピアノの響きをふんだんに生かしている。「沈める寺」伝説の町の大聖堂の幻影が素晴らしい。あくまでも明晰なピアノの響きを重んずる。「パックの踊り」妖精の不思議な雰囲気を伝える。「ミンストレル」はヨーロッパでも人気を博したアメリカのミンストレルショーをからかうかのような演奏で、「子供の領分」の「ゴリウォークのケークウォーク」、「プティ・ニグロ」で用いたジャズの技法が生きている。

 カザドシュの演奏を聴くと、ピアノの響きもさることながら、フランス音楽の本質たる明晰さ、エスプリが漂ってくる。その意味でも長く残っていく演奏だろう。

ロベール・カザドシュ トビュッシー・ピアノ作品集 その1

 アルフレット・コルトー、ラザール・レヴィ、ヴラド・ペルルミュテールと共にフランスを代表する名ピアニストの一人、ロベール・カザドシュのドビュッシー、ピアノ曲集(SICC 1702-3)。最初の「仮面」からフランスのエスプリ、高雅な香りが匂ってくる。イタリアのコメディア・デッラルテを基にした作品で、喜怒哀楽ぶりがにじみ出ていた。ヴァトー「シテール島への船出」に霊感を得た「喜びの島」は、ピアノの色彩感が見事に生きている。「映像」第1集は、「水の反映」のきらめく響きの中からにじみ出るエスプリ、「ラモー賛」は近代和声学の父で18世紀フランス・バロックオペラの完成者、ジャン・フィリップ・ラモーへの敬愛の念がにじみ出ている。「動き」もフランスの香り高い名演である。第2集は日本の蒔絵などに霊感を得たもので、「葉ずえを渡る鐘の音」、「かくて月は廃寺に落つ」、「金魚」ではピアノの音色が見事である。

 「2つのアラベスク」では、第1曲の音色、第2曲の軽やかさが素晴らしい。「版画」は「パゴダ」は東洋の響きを伝えている。「グラナダの夕べ」は、物憂げなハバネラの調べが幻想的な世界を描く。「雨の庭」にはフランス情緒豊かな名演。

 「子どもの領分」は音の画集。「ゴリウォークのケークウォーク」はユーモアたっぷり。中間部、ヴァーグナーを揶揄した部分は笑いを誘う。

 ドビュッシー、ラヴェルはピアノの音色、響きを巧みに引き出し、素晴らしい世界を作り上げている。そこにはサン=サーンスに始まったフランス音楽復興が一つの到達点に至ったと見ることができようか。