ヴィルヘルム・ケンプ ザルツブルク音楽祭リサイタル

 ヴィルヘルム・バックハウスと共に「2人のヴィルヘルム」と言われたドイツの名匠、ヴィルヘルム・ケンプが1958年7月31日、ザルツブルク音楽祭で行ったリサイタル・ライヴである。シューマン、幻想曲、Op.17、ベートーヴェン、6つのバガテル、Op.126、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5である。

 まず、シューマン。第1楽章冒頭の勢いの中にシューマンのロマンが漂う。しかし、この時期のシューマンが愛するクラーラとの交際を父フリードリッヒ・ヴィークから禁じられていたことも相まって、絶望に近い憧れ、希望への道を切り開かんとする姿がある。ヴィークにも言い分がある。シューマンが結婚をどう考えていたか。ライプツィッヒの酒場で飲み歩き、たばこを燻らす姿に反感を抱いていた。寝たばこから命を落とす寸前だったことすらある。それを考え、結婚するなら身を固めてほしい。果たして、シューマンはヴィークの真意を本当に理解していたか。第2楽章の堂々たる風格。その中にロマン主義ならではの歌心を秘めている。第3楽章。ロマン主義音楽ではもっとも内面的、かつ深い歌心溢れるものの一つだろう。ピアノの響きとともにシューマンの深遠な世界が広がっていく。

 ベートーヴェン。文字通り最後のピアノ作品で、「軽みの世界」と言うべきベートーヴェンの心境が伝わる。この作品を書き終え、弦楽四重奏曲の創作に勤しんだ。しかし、既に成人して、自立の道を歩まんとする甥カールの心を理解しなかったベートーヴェンにとって、1826年夏の自殺未遂は大きな打撃となり、1827年、この世を去る。ベートーヴェンは亡き弟カールの子、甥となったカールを引き取り、音楽家、学者にせんとして育てた。それは義妹との訴訟の末、後見人となった。あまりにも歪んだ愛情が甥の自立を妨げ、カールは大学に進んでも勉学に集中できなかった上、工芸学校に転学して勉強に勤しむものの、はかばかしくなかった。それが大きな悲劇をもたらした。第1曲、第3曲、第5曲の深々とした歌、第2曲の激しさ、第4曲の激しさと静けさの対比、締めくくりに相応しい第6曲。歌心と激しい流れとの対比が聴きものである。

 ブラームス。第1楽章。1853年、シューマンの許を訪ね、自作を披露したブラームス。これを聴いたシューマンは「新しき道」を書き、ブラームスを激賞、世に送り出す。1854年、シューマンは発狂してライン川に身を投げてしまう。クラーラ、子どもたちのために尽くす中、クラーラへの恋愛が芽生える。精神病院入院中のシューマンを訪ねては様子を伝える。そんなブラームスの葛藤を聴く思いがする。第2楽章。シュテルナウの詩に基づくとされる。恋人たちの愛の喜びが伝わって来るかのようである。第3楽章。スケルツォ主部の激しさ、トリオの歌心との対比。じっくり歌われるトリオはケンプの持ち味だろう。第4楽章。ここでは第2楽章の世界から諦念の世界へと変わっていく。ここではシューマンの死を悼みつつ、新しい道へ乗り出さんとするブラームスがいる。第5楽章。葛藤に苦しみつつも抜け出すブラームスの姿、全てに打ち勝ち、己の道を確立するブラームスがある。ケンプもブラームスではバックハウスとともに定評があるものの、バックハウスはブラームスのソナタをレコーディングはおろか、レパートリーとしていなかったようである。バックハウスがソナタの演奏を残してくれればよかったかもしれない。

 この時期のケンプは絶頂期にあったせいか、堂々たる演奏を見せる。シューマンの勢いから感じられる。それがベートーヴェン、ブラームスへと繋がっている。ケンプ最良の名演の一つだろう。