小澤征爾 逝去

 「世界のオザワ」、小澤征爾が6日、心不全でこの世を去った。88歳。2002年、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、最後となったヨハン・シュトラウス1世、ラデツキー行進曲、Op.228を上げておく。

 中国東北部、瀋陽生まれ。帰国後、ピアニストを志し、バッハ、ベートーヴェン演奏で定評があり、ベートーヴェン受容史でも大いに貢献した豊増昇に師事した。ラグビーで指を痛め、ピアニストの夢を断念しようとした小澤に、

「指揮者も立派な音楽家だよ。」

と豊増が諭した。桐朋学園で斎藤秀雄に指揮を学び、1959年2月1日、スクーター・ギターを供に、フランスに渡った。第9回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、カラヤン指揮者コンクールでも優勝、ヘルベルト・フォン・カラヤンに師事した。1960年、アメリカ、ボストン郊外で開催されたバークシャー(後の丹グルウッド)音楽祭でクーゼヴィッキー賞を受賞、シャルル・ミュンシユに師事した。1961年、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者となって、レナード・バーンスタインに師事した。

 1964年、カナダ、トロント交響楽団常任に就任、グレン・グールドの家に遊びに行ったという。サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団常任となった。ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立つようになった。2002年、ヴィーン国立歌劇場音楽監督に就任、2010年まで務めた。

 2006年に白内障の手術を受けた後、次第に健康の衰えが目立った。ガンに見舞われたり、腰の痛みなども慢性化した。世界のオザワも年に勝てなくなった。それでも、小澤征爾音楽塾を立ち上げ、後進の育成に熱心に取り組み、斎藤秀雄顕彰のため、長野県松本市でサイトウ・キネン・フェスティバルも立ち上げ、音楽文化育成にも取り組んだ。

 日本が生んだ世界的マエストロとなった小澤は、カラヤン・ミュンシュ・バーンスタインといった、時代を代表する指揮者に師事、ドイツ・オーストリア音楽、フランス音楽、現代音楽の演奏を学び、自分のものにした。ピアニストを諦めようとした小澤に、指揮者の道を進めた豊増昇こそ、世界のオザワの生みの親である。あらゆる面で、後進の育成に努め、日本の音楽文化向上に尽くした。

 1972年に起こった日本フィルハーモニー問題では、昭和天皇に直訴したことも忘れてはならない。そこまでして、日本の音楽文化を守り、発展させた功績は、近代現代の日本音楽史に特筆すべき存在である。新日本フィルハーモニー交響楽団を創設、日本を代表するオーケストラに育てた。

 小澤征爾が日本楽壇に貢献した功績は計り知れない。文化勲章を受章したこともその表れである。日本の音楽界に貢献した音楽家が文化勲章を受章できるようになってほしい。武満徹・安川加寿子・園田高広・中村紘子など、受章に値する音楽家たちは少なくなかった。音楽家からも文化勲章を受章する人が増えてほしい。