浦久俊彦 ベートーヴェンと日本人

 浦久俊彦は、新潮社の新書でリスト、パガニーニに関する著作を発表している。3作目として、生誕250年を迎えたベートーヴェンについて、日本人とベートーヴェンの関わりを取り上げた「ベートーヴェンと日本人」を出版した。

 明治維新の近代化に乗って、西洋音楽が再移入された日本。ベートーヴェンが日本における西洋音楽の代名詞となった過程を丹念に追っている。明治の黎明期から大正期の教養主義的なベートーヴェン受容。幸田延・久野久子にも言及している。スキャンダルで教職を追われ、ヨーロッパに渡った後、「審声会」を立ち上げ、民間での人材育成、紀尾井楽堂といった、当時では最高の音楽サロンも起こし、外来演奏家を招いたコンサートも行った幸田。

幸田に学び、ベートーヴェン受容史の礎となり、留学先で自殺した久野。どちらも、伝記研究が進んでいる。久野の場合、原田稔「『熱情』の使徒は二度甦る 私本 久野久子伝1」(自費出版)を参照すべきではなかったか。この点が惜しまれる。

 1920年のベートーヴェン生誕150年祭、1927年のベートーヴェン没後100年祭でのベートーヴェン熱、近衛秀麿がベートーヴェン受容史に大きな役割を果たしたことも再評価した。第2次世界大戦中、近衛がユダヤ人音楽家たちへの救済に当たった事実も明らかになった。また、ベートーヴェンの交響曲のオーケストレーションにも手を加えたことも一つだろう。近衛にも再評価の波が押し寄せている。

 日本人のベート―ヴェン受容では、ロマン・ロランの影響が大きい。ベートーヴェンの作品研究は大きな役割を果たしたとはいえ、伝記ではアントン・フェリックス・シンドラーの「英雄神話」ベートーヴェン像の焼き直しに過ぎない。ドイツをはじめ、ヨーロッパ諸国のベートーヴェン伝は、未だにシンドラーの「英雄神話」に毒されていると言えようか。新しいベートーヴェン像は、メイナード・ソロモン、ルイス・ロックウッドといった英米圏のものになる。その先駆けがアレクサンダー・ウィーロック・セイヤーだった。

 今、ヨーロッパ、ドイツでのベートーヴェンの伝記はどのようになっているだろうか。その意味でも大きな問題になる。日本でも「英雄神話」ベートーヴェンは卒業すべきだろう。

 他にも、ベートーヴェン受容ではレオニード・クロイツァー、レオ・シロタの功績も再評価すべきである。クロイツァーの校訂譜、シロタが当時のNHK大阪放送局で行ったベートーヴェン、ピアノソナタ全曲演奏シリーズなど、大きなものがあった。クロイツァーの再評価を進める今、大きな課題である。

 

(新潮社 820円+税)