大山眞人 「陸軍分隊行進曲」とふたつの「君が代」

 日本における西洋音楽受容は室町末期のキリスト教伝来による受容、天正遣欧少年使節たちの西洋音楽演奏に始まる。しかし、キリスト教禁教令・鎖国による中絶をへて幕末期・明治期による再受容となった。特に、明治期の西洋音楽受容は近代日本の象徴と言うべきものである。

 近代国家成立には国旗・国歌が重要視された中、国歌をどうするかが問われた。また、学校教育での音楽の重要性も認識され、1887年には東京音楽学校設立へと至った。それでも、西洋音楽受容には多くの時間を費やすこととなった。

 陸軍軍楽隊では、フランスからシャルル・ルルーが着任、本格的な教育を施しても軍楽隊員の規律もなっていなかった。また、欧化政策による「鹿鳴館」時代が始まり、西洋音楽の需要も高まった。軍楽隊も駆り出された。国歌「君が代」は宮内庁楽長、林広守作曲とされてきた。しかし、奥好義作曲だったことがわかった。今、私たちが歌う「君が代」は、ドイツから軍楽隊の指導に当たったフランツ・エッケルトによる和声付のものによる。

 時代は下り、1941年12月8日、日本はアメリカ・イギリス相手に第2次世界大戦に突入、次第に戦争は日本に不利となり、大学生たちも「学徒出陣」となっていく。その際、ルルーが作曲した「陸軍分隊行進曲」により、学生たちは戦場へと送られていった。また、アメリカ・イギリスなどの敵性音楽を禁止していた。その頃、フランスが新ドイツのヴィシー政権だったこともあってか、フランスの音楽も認められていた。大山眞人はそうした矛盾もついていた。

 戦後日本の「新国歌」制定にせよ、「君が代」から抜け出せなかった現実も見抜いている。「君が代」問題を考えるにもこれは好著ではなかろうか。一方、日本人が胡弓・三味線を創り出したことについても、

「なんでも取り込み、日本風にアレンジした。」

ということは日本人特有ではなかろうかと指摘したことも頷ける。

 軍楽で「敵性音楽」を使ったといえど、曖昧な基準があっただろう。日本人の矛盾も透けて見える。その意味でも、日本の音楽のあり方を知る上では重要だろう。ぜひ、ご一読をお勧めしたい。

 

(平凡社 840円+税)