辻田真左憲 古関裕而の昭和史

 2020年、NHK連続テレビ小説「エール」は福島県が生んだ国民的作曲家、古関裕而・妻、金子をモデルにしている。古関の生い立ち、金子との出会い・結婚、上京・コロムビアレコードとの専属契約、ヒット曲を出すまでの苦闘、軍歌と戦争、戦後の活動、栄光のうちに生涯を終えた古関を昭和史の中で捉えた。

 老舗呉服商の長男として生まれ、音楽に目覚めるとレコードに夢中になり、ハーモニカ・オーケストラに専念する一方、商業学校は留年していた。それだけ、音楽一筋だった。作曲も独学で、英国音楽協会の作曲コンクールで2位を獲得、留学への夢を羽ばたかせたものの、1929年の世界大恐慌で潰えてしまった。コロムビアレコードの専属作曲家となって、上京した。

 ヒット曲に恵まれず、契約解除の危機にも見舞われた。そのさなかに、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」、「日米野球行進曲」などを作曲している。「船頭可愛いや」が三浦環の吹込みもあってか大ヒットした。時代が、満州事変・日中戦争・第2次世界大戦に至る「15年戦争」となり、古関は軍歌の作曲で名を上げていく。戦争になると、古関も戦地慰問と称して、自作の演奏に取り組む。一方、ディズニー「ファンタジア」をみた古関はアメリカの凄さに驚嘆した。破竹の勢いだった日本が、アメリカ・イギリスの反攻を受け、敗戦の道をひた走る。空襲が日本を襲い、東京も焼け野原となった。金子が通っていた帝国音楽学校は戦災で廃校となり、広島・長崎に原爆投下、ロシア(ソ連)参戦、ポツダム宣言受諾による敗戦。

 古関は戦犯として罪に問われず、戦後はラジオ・ドラマ「山から来た男」「鐘の鳴る丘」「君の名は」の音楽を担当、「栄冠は君に輝く」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」などを生み、映画「ひめゆりの塔」「モスラ」、1964年の東京オリンピックのための「オリンピック行進曲」、NHKの委嘱による行進曲「スポーツショー」など、多くの作品を生んだ。まさしく、昭和と共に生きた作曲家だった。

 1980年、妻、金子に先立たれた古関には死の影が忍び寄る。友人・知人たちにも先ただれた古関も1989年、平成に改元された8月、80歳でこの世を去った。

 著者、辻田真左憲は、古関が昭和という時代と共にあり、その音楽も時代を象徴するものだったと記した。戦争から民主主義国家へと再生した日本の姿だったことを改めて再認識した。

 古関裕而と昭和を考えるための好著としてお勧めしたい。

 

(文藝春秋社 950円+税)

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コメント: 1
  • #1

    タケモリイサオ (水曜日, 26 8月 2020 12:14)

    日本の音楽歴史の1ページをかざった作曲家として脳裏に刻まれています。いや?共に昭和という時代を生きてこられた方、そして音楽愛好家の小生を元気づけてくれた方だと思っています。生まれ落ちて軍歌に鼓舞され、母が待ち焦がれたラジオ放送「君の名は」に紅潮する母の顔が忘れられません。齢、70を超えた今、しみじみと古関さんの「エール」を楽しみに見ていす昨今です。