越懸澤麻衣 ベートーヴェンとバロック音楽

 東京芸術大学出身の越懸澤麻衣が2017年に提出した博士論文「ベートーヴェンと『過去の音楽』――ヘンデル、バッハ受容の観点から」に基づく著書で、ベートーヴェン生誕250年の今、ベートーヴェンがバッハ・ヘンデルから何を学び、創作活動に活かしたかを問い、新しいベート―ヴェン像を提示した。

 ベート―ヴェンは少年期、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事してクラヴィーア・作曲の基礎を学んていた際、ネーフェはバッハ、平均律クラヴィーア曲集をベート―ヴェンに与えた。ネーフェがライプツィッヒ大学に学んでいた際、バッハの音楽が弟子たちの筆写譜で伝わっていたため、筆写譜を入手することができた。ベートーヴェンも筆写譜を作ったことは当然だった。少年期のバッハ受容が、ベートーヴェンがヴィーンに出てピアニストとして活躍するにあたり、大きな武器になった。

 ベートーヴェンは作曲家として、ハイドン・シェンク・アルブレヒツベルガーの基で基礎を学び直し、対位法の習得にも務めた。ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵、カール・フォン・リヒノフスキー侯爵、ルドルフ大公がバロック音楽にも通じていたため、ベートーヴェンがバッハ・ヘンデルの作品に触れる機会があったことも明らかになって来た。ベートーヴェンのスケッチ帳にバッハ、教会カンタータ、BWV196「主はわれらを覚えたもう」のパート譜があったことは、バッハの声楽作品演奏史への新たな一石を投ずるものとなった。1770年代の「マタイ受難曲」パート譜の筆写譜が発見されたこともその一つだろう。

 ベートーヴェンはバッハ・ヘンデルの作品を筆写し、創作活動に活かしてきた。自作主題による32の変奏曲、後期のピアノ・ソナタ、ディアベッリ変奏曲、献堂式序曲、弦楽4重奏曲、ミサ・ソレムニスだろう。特に、ディアベッリ変奏曲の難解さがバッハ・ヘンデル受容にあったこと、ピアノ・ソナタ、Op.106、フィナーレのフーガもバッハ受容の成果であったこと、ミサ・ソレムニスにはバッハ・ヘンデル受容の成果だったことを裏付けた。

 ベートーヴェンがバッハへのオマージュとして序曲、ミサ、ヘンデルのオマージュとしてオラトリオ「サウル」への創作意欲を示したものの、甥カールとの関係が悪化した挙句の自殺未遂事件がベートーヴェンを死に導くこととなったため、実現しなかった。ベートーヴェンがカールの真の自立のために身を引き、創作活動に集中していたら実現しただろう。やはり、ベートーヴェンには親業は向いていなかっただろうか。

 ベートーヴェン生誕250年の今、バッハ・ヘンデル受容からベートーヴェンの音楽を再発見、再評価するための好著として高く評価したい。

 

(音楽之友社 2300円+税)