伊福部昭と黛敏郎 世界が認めた作曲家

 テレビ朝日「題名のない音楽会」は、井上道義が伊福部昭(1914-2001)、黛敏郎(1929-1997)を取り上げた。伊福部と黛。共に世界が認めた日本人作曲家である。

 伊福部は北海道釧路市出身、独学でヴァイオリン、作曲を学び、パリでアレクサンドル・チェレプニン賞を受賞、この時は松平頼則も受賞している。松平も独学だった。民族色の強い作品を残し、東京芸術大学で教鞭を執った後、東京音楽大学教授から学長となって、大学の改革を行い、レヴェルアップを図った。

 黛は神奈川県横浜市出身、東京音楽学校で橋本国彦、伊福部に学び、ジャズピアニストとしても活躍した。別宮貞雄、矢代秋雄とともにパリに留学するものの、1年で「西洋に学ぶものなし」として帰国、パリ留学中に三島由紀夫(1925-1970)と出会い、一時期仲違いがあったとはいえ、交友が途切れることはなかった。帰国後、芥川也寸志(1925-1989)、団伊玖磨(1924-2001)と3人の会を結成、当時の先端を行く音楽をどん欲に取り入れ、作曲活動に猛進した。また、1964年8月から1997年4月10日に亡くなるまで「題名のない音楽会」の司会を務めた。一方、1970年11月25日に起った、三島由紀夫が自衛隊に乱入、割腹自殺した「三島事件」以降、保守論客となったことが災いし、作曲活動はオペラ「金閣寺」、「古事記」、バレエ「ザ・カブキ」、「M」のみが主要作品となった。

 井上は、伊福部作品では、後の映画音楽「ゴジラ」に用いられた旋律が出て来る「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」からの部分を取り上げた。この作品が1952年に書かれている。「ゴジラ」は2年後の1954年である。なるほどと肯いた。

 黛作品では「饗宴」からの部分を取り上げた。これも、黛のモダニズムを代表する作品で、ジャズの要素を巧みに取り入れている。尤も、黛は学生時代、ショパン「24の前奏曲」に倣い、24の調性で前奏曲集を作曲しようとした。残念ながら12曲のみとなった。昨年、野平一郎がリサイタルで演奏した際、黛がずば抜けた才能の持ち主であり、パリ留学を1年で切り上げたことを裏付けることにもなった。

 井上が「世界が認めた日本人作曲家」として伊福部、黛を取り上げたことは高く評価したい。それは、「題名のない音楽会」を創設した黛へのオマージュでもある。