29日、NHK,BSプレミアム、「音楽サスペンス紀行」は日本のオーケストラの父、近衛秀麿(1898-1973)のヨーロッパでの知られざる素顔を取り上げた。1936年から欧米で活躍していた近衛は、ナチス・ドイツの迫害を受けていたユダヤ人音楽家たちの亡命を助けたり、1943年、ドイツ占領下のポーランドの首都、ワルシャワでポーランド人音楽家たちを救ったコンサートも行った。
近衛がレオニード・クロイツァー(1884-1953)の日本移住を進めたことは有名で、ヨーロッパに残った夫人の生活費を援助していた。また、反ナチス活動家との親交もあり、ナチスがにらみを効かせていたようだった。とりわけ、1943年、ワルシャワでのコンサートから、ナチスがポーランド人音楽家を劣等人種として差別し、クラシック音楽の演奏、コンサートから締め出した過酷な事実が明らかになっている。また、クラクフにはポーランド総督府が置かれ、総督ハンス・フランク(1900-1946、ニュルンベルク裁判で処刑)の残虐な支配、ポーランド人狩りの過酷な支配を行っていたことからしても、近衛の行動は立派なものだった。1945年、ドイツ敗戦により、ドイツは東プロイセン、ポンメルンの東半分、シュレージエンをポーランド、ロシアに取り上げられ、住んでいたドイツ人が追放となったことは、ナチスの残虐行為の代償である。それはチェコスロヴァキアも同様、ズデーテン地方のドイツ人も追放になっている。今でも、チェコにはドイツの侵略による反ドイツ感情がくすぶっている。
1944年、近衛がグラーフ・コノエ・オーケストラを結成、ユダヤ人音楽家の亡命を助けたり、若き音楽家たちの活動の場を生み出したことは大きい。その中には、スイスの大指揮者、エルネスト・アンセルメ(1883-1969)も加わっていたことも明らかになった。
日本はナチス・ドイツと同盟を結んでも、ユダヤ人迫害には与しなかった。その点は評価すべきである。1945年、近衛はアメリカ経由で帰国、日本での指揮活動を繰り広げたものの、晩年は惨めだったという。今、近衛秀麿再評価が始まりつつある中、ヨーロッパでの近衛の良心ある行動も含めた再評価が進んでほしい。
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