ペーター・シュライヤー、クリストフ・エッシェンバッハ シューマン アイヒェンドルフの詩によるリーダークライス Op.39

 既に引退、伝説のテノールとなったペーター・シュライヤーがクリストフ・エッシェンバッハとの共演によるシューマンのアイヒェンドルフによるリーダークライス、Op.39は今聴いてもみずみずしい魅力にあふれている。1988年の録音、この翌年の1989年、ベルリンの壁は崩れ、1990年の東西ドイツ再統一となる。

 第1曲「異郷にて」のしっとりした味わい、第2曲「間奏曲」、第4曲「静けさ」の深い味わい、第3曲「森での語らい」のローレライに取りつかれた若者、第5曲「月の夜」の素晴らしさ、息をのむような一時である。第6曲「美しい異郷」では迫り来る結婚の予感が聴こえる。第7曲「古城にて」の渋さ、第8曲「異郷にて」の訴えかけるような歌、第9曲「悲しみ」ではうわべだけではないような、複雑な人間の感情、第10曲「黄昏」での人間の裏の顔を示すような歌いぶり、第11曲「森の中で」の描写から第12曲「春の夜」での喜びに満ちた表現は聴きものである。

 1840年、ローベルト・シューマンは大恋愛の末、音楽の師フリードリッヒ・ヴィークの娘でピアニスト、クラーラ・ヴィークと結婚。しかし、ヴィークが2人の結婚に反対した背景には、シューマンの飲酒がライプツィッヒでは有名だった上、たばこがもとで命を落とす寸前だったこと、浪費癖など、シューマンの生活習慣上の問題を熟知していたことによる。その上、フェリックス・メンデルスゾーン、フレデリック・フランソワ・ショパンはシューマンをプロではなく、音楽に関する文章を書くアマチュア音楽家とみていた。そんなシューマンが結婚して家庭を持つことに対するヴィークの懸念もあった。後年、シューマンがデュッセルドルフの音楽監督となったものの、ヴィーク家に住み込んでいた際に罹患した梅毒が原因での精神障害はもとより、完全にプロの音楽家になりきれなかったことにある。

 シューマンもだんだん、プロの音楽家への脱皮を図り、1840年、「歌曲の年」と言うべく、このリーダークライス、Op.39、ハイネのものによるOp.24、ケルナーの詩による歌曲集、Op.35、「女の愛と生涯」Op.42、「詩人の恋」Op.48へと続く。この時期のシューマンの魅力にあふれた演奏の一つだろう。