エリック・ライディング、レベッカ・ペチェフスキー ブルーノ・ヴァルター 音楽に楽園を見た人

 20世紀を代表する名指揮者、ブルーノ・ヴァルターの本格的な評伝で2001年初版、これは2006年版の訳である。本文だけでも578ページにわたり、1876年、ベルリンに生まれ、マーラーの助手を務めた後ミュンヒェン、ヴィーン、ベルリン、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任を務めたものの、ユダヤ系ゆえにナチスの迫害を受けアメリカに亡命、ニューヨークめフィルハーモニック管弦楽団、メトロポリタン歌劇場でも活躍、晩年はコロンビア交響楽団でレコーディングを続け、1962年、この世を去った。作曲家としても交響曲、室内楽曲、歌曲を残している。

 ヴァルターの生涯をたどると妻エルザ、長女ロッテ、次女グレーテルをはじめ、ソプラノ歌手デリア・ラインハルト、トーマス・マンの娘エリカといった女性たちが登場する。また、アルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、オットー・クレンペラー、ディミトリ―・ミトロプーロス、レナード・バーンスタインといった名指揮者たちとの関係も生々しい。ことにフルトヴェングラーについて、トスカニーニ宛の手紙で、

「フルトヴェングラーの感じはーー少なくとも私にとっては――政治的にも、人格的にも、芸術的にもーー我慢できません。(中略)フルトヴェングラーの念頭にはただ一つのことしかありません。それは自分のこと、自分の栄光、自分の成功です。彼には才能があり、存在感のある人ですが、心根は悪い。それは彼の音楽作りにすら表れています。私は今ヴィーンにいて、彼がいかに悪い人間であるかの新しい証拠も手にしました。私に対する彼の『陰謀』のせいです。」

と人間性に関する辛辣な批判を綴っている。フルトヴェングラーに関して、これだけ厳しい批判はないだろう。

 実際、フルトヴェングラーの人間性に関して、あまりにも自己中心的という批判が根強い。リヒャルト・シュトラウスへの嫌がらせなどの事例がある。今後の課題だろう。

 デリア・ラインハルトは妻エルザの死後、再婚相手として考えていたとはいえ、長女ロッテの反対にあい、断念する。デリアはヴァルターが亡くなるまで、側に付き添っていた。

 高橋宜也の訳は読みやすく、こなれている。かなりの分量とはいえ、ご一読をお勧めする。

 

(音楽之友社 6500円+税)