アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 10

 

 アンジェラ・ヒューイットのバッハ・オデッセイ、第10回はイギリス組曲、第4番、BWV809、第5番、BWV810、第6番、BWV811、ソナタ、BWV963であった。(5日 紀尾井ホール)

 第4番の力強さ、第5番の暗さ、第6番の激しさ・深遠さ。第6番が傑出していた。この作品でヴィルヘルム・バックハウスの名演を知る一人としても、それに匹敵する名演だった。組曲の一つ一つの性格表現も見事だった。

 ソナタは若きバッハが、後にライプツィッヒ、聖トーマス教会カントールに着任する前、その職にあったヨハン・クーナウの「聖書ソナタ」の影響を受け、一つの試みとして作曲したものとしても興味深い。それなりに聞き応え十分であった。

 アンコールはフランソワ・クープラン「恋の鶯」で、豊かな歌心が余韻を残した。いよいよ、2020年5月、このシリーズも完結する。楽しみになってきた。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 9

 

 アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第9回はバッハ、イギリス組曲第1番、BWV806、第2番、BWV807、第3番、BWV808を中心に組曲、BWV823、前奏曲とフーガ、BWV894によるブログラムだった。(1日

紀尾井ホール)

 ヒューイットのバッハへの情熱が伝わってくる。歌心十分、深い精神性にも欠けていない。イギリス組曲はヴァイマール時代からケーテン時代初期にかけての作品で、前奏曲ーアルマンドーークーラントーサラバンドージークの定型を踏みつつ、ブーレ、ガヴォット、メヌエット、パスピエをはさんでいる。いささか保守的とはいえ、荘重さが漂う。

 第1番での明るさと荘重さ、第2番、第3番での重厚さが素晴らしい。ブーレ、ガヴォットでは長調と短調の対比がくっきりしていたし、サラバンドでの深い歌心は感動的だった。それゆえ、ジーグの重みが伝わってきた。

 組曲、BWV823は前奏曲ーサラバンドージーグによる構成とはいえ、サラバンドの深みある歌心は絶品。ジーグも古典主義への道を示しているかのようだった。前奏曲とフーガ、BWV894はバッハのヴィルトゥオジックな面を押し出した演奏とはいえ、歌も十分。この作品がライプツィッヒ時代のクラヴィーア、フルート、ヴァイオリンのための3重協奏曲、BWV1044となったことも頷ける。

 アンコールでのバロックの小品が味わい深かった。後半が楽しみである。

 

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェンプラス 第6回

 

 横山幸雄のベートーヴェンリサイタル・シリーズも大詰めとなった。今回は5大ソナタ、第8番、Op.13「悲愴」、第14番、Op.27-2「月光」、第17番、Op.31-2「テンペスト」、第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、第24番、Op.78、第25番、Op.79、第26番、Op.81a「告別」、第27番、Op.90、第28番、Op.101、第29番、Op.106「ハンマークラヴィーア」、自作主題による変奏曲、Op.76、幻想曲、Op.77、ポロネーズ、Op.89を取り上げた。(東京オペラシティ コンサートホール)

 前半の5大ソナタには円熟した横山の姿が伝わった。Op.90、Op.101のじっくりした味わい、Op.106「ハンマークラヴィーア」の素晴らしいまとまりが光る。変奏曲、Op.76は後のトルコ行進曲の主題によるもので、見事な演奏。幻想曲、Op.77の素晴らしさ、ポロネーズ、Op.89の見事さも光った。

 このシリーズも2020年、ベートーヴェン生誕250年で締めくくりとなる。最後の3つのソナタの他に、どんな作品が加わるだろう。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第134回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第134回定期演奏会は世俗カンタータ中心のプログラム。アントニオ・ヴィヴァルディによる協奏曲、BWV593、カンタータ第196番、BWV196「主は御心に止め」、第202番「消えよ、悲しみ」BWV202。シンフォニア、BWV1046a(ブランデンブルク協奏曲第1番初稿)第1楽章。第208番「狩りこそ喜び」BWV208。

 ヴィヴァルディによる協奏曲はオルガンのための作品とはいえ、オルガンの特性を見事に引き出している。鈴木優人の素晴らしい演奏が光る。BWV196ではゾフィー・ユンカー、青木洋也、ザッカリー・ワイルダー、ドミニク・ヴェルナーの歌唱も見事。BWV202ではジョアン・ランのソロが素晴らしい。

 後半はBWV1046aを前奏、BWV208につなげたことは、貴族の祝典を再現したものとして注目に値する。ユンカー・ラン・ワイルダー・ヴェルナーが見事に応えた。鈴木雅明がしっかりまとめた。

 11月は鈴木優人によるブランデンブルク協奏曲全曲。楽しみである。

 

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 2019

 サントリー芸術財団(音楽財団から改称)サマー・フェスティバル、2019年はジョージ・ベンジャミン、オペラ「リトゥン・オン・スキン」日本初演、ジュネーヴ出身のフランス系スイスの作曲家、ミカエル・ジャレル(1958-)のオーケストラ作品を中心としたコンサート、第29回サントリー芥川也寸志作曲賞、選考演奏会を聴いた。(29日 30日 31日 サントリーホール)

 ベンジャミンのオペラはサントリーホールでのホール・オペラ上演を活かした舞台で、休憩なしであった。中世フランスの作家、ギヨーム・ド・カプスタン「心臓を食べた話」に基づく。貴族とその妻アニエス、3人の天使が登場、天使が細密画本を書く少年、ヨハネ、マリアに姿を変えて登場する。貴族が細密画本を作る少年を城に招いたことから、妻が自我に目覚める。貴族が少年を殺し、その心臓を妻アニエスに食べさせ、殺そうとするものの、アニエス自ら死を選ぶ。3人の天使たちがその有様を見つめる。大野和士、東京都交響楽団をはじめ、アンドリュー・シュレーダー、スザンヌ・エルマーク、藤木大地、小林由佳、村上公太が素晴らしい舞台を見せた。

 ミカエル・ジャレルのオーケストラ作品。ヴァイオリン協奏曲「4つの印象」はヴァイオリンの特徴を生かしつつ、見事なまとまりを見せた。ルノー・カプソンのための作品で、カプソンの見事さが光る。「今までこの上なく晴れわたっていた空が突然恐ろしい嵐となり」は、一瞬の天候の急変、人生の突然の悲劇を描いたもので、心を打つ作品。横井祐美子「メモリウムⅢ」は聴き応え十分。アルバン・ベルク、3つの小品、Op.6は12音技法に寄りながら、旋律性豊かなベルクの特性が現れた作品。パスカル・ロフェ、東京都交響楽団も素晴らしい。

 第29回芥川也寸志サントリー作曲賞は鈴木治行「回転羅針儀」、稲盛安太巳「擦れ違いから断絶」、北爪裕通「自動演奏ピアノ、2人の打楽器奏者、アンサンブルと電子音響のための協奏曲」の3曲が上った。北爪作品がす素晴らしい発想だった。受賞は稲盛となった。今回から、聴衆の投票が取り入れられたものの、選考に反映されないことは如何なものか。聴き手こそ作品を判断できるはずではないか。新しい試みがあっても、選考に活かていく手立てを考えてはどうか。疑問が残った。

 

泣き 悲しみ 恐れ おののき 鈴木雅明 音楽講演会

 

 日本キリスト改革派、東京恩寵教会での鈴木雅明、音楽講演会は12回目となった。今回はバッハ、カンタータBWV12「泣き 悲しみ 恐れ おののき」を取り上げた。

 このカンタータはヨハネによる福音書、第16章、16節~24小節による。イエス・キリストはユダヤ教指導者、ローマ帝国に捕えられ、十字架にかからんとした時、弟子たちに語っている箇所である。イエスが処刑後、復活も予言している。

 第2曲の合唱は後に、ロ短調ミサ、BWV232「クルツィフィヌス」に転用された。人間の苦悩、イエスの十字架が一体となっていることがわかる。アリアは人間の苦しみ、信仰告白、神の業を歌う。コラールの救い。器楽のオブリガートには、十字架モティーフがかなりあることがわかった。その他、信仰に関係する音型も巧みに織り込んでいたことにも気づく。バロック音楽の修辞法にも注意したい。

 BWV12を聴いた後、いくつかの質疑応答の後閉会。聴き応えある一時だった。

 

菅野雅典 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 5

 

 菅野雅典、メンデルスゾーン・シューマン作品全曲演奏シリーズ、第5回を聴く。(19日 東京文化会館 小ホール)今回はメンデルスゾーンがスコットランド・ソナタ、Op.28、シューマンが幻想曲、Op.17を中心としたプログラムで、メンデルスゾーン、前奏曲とフーガ、Op.35-2、シューマン、アレグロ、Op.8、クラーラ・シューマン、前奏曲とフーガ、嬰へ短調、ファニー・ヘンゼル、序奏とカプリッチョ、ロ短調を取り上げた。

 クラーラはローベルトと共にバッハ、ベートーヴェン研究を日課としていた。ローベルトには4つのフーガ、Op.72、7つのフゲッタ、Op.126、オルガンのためのBACHの名による6つのフーガ、Op.60がある。クラーラの作品はその成果の一つで、1845年のローベルトの誕生日プレゼントとなった。そこにはメンデルスゾーンへのオマージュも感じ取れる。聴き応えのある作品だった。

 ファニーの作品はヘンゼル家のイタリア旅行中の作品で、こちらも聴き応え十分の作品だった。これはフランスの作曲家ジョルジュ・ブスケ、シャルル・グノーの評価も得た。ファニーの再評価が進んだ今、取り上げる機会が増えることを望みたい。

 メンデルスゾーンの前奏曲とフーガはバッハ、平均律クラヴィーア曲集へのオマージュとはいえ、ロマン主義の傑作のひとつとして再評価すべきではないだろうか。演奏から感じられてきた。スコットランド・ソナタはスケールの大きさ、歌心が調和していた。

 シューマン、アレグロの自由闊達さ、歌心が素晴らしい。幻想曲ではキズがあった箇所は惜しいとはいえ、シューマンの音楽の本質をしっかり捉えていた。歌心と物語。全て一体化していた。

 アンコールはクラーラ・シューマン、ロマンス。ローベルトに先立たれた悲しみが伝わる。ブラームス、インテルメッツォ、Op.118-2。深々とした歌心が素晴らしい余韻を残した。次回はどのようなプログラムになるだろうか。

 

 

調布国際音楽祭 バッハ・コレギウム・ジャパン 華麗なる協奏曲の夕べ

 調布国際音楽祭、フィナーレは鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンによるヴィヴァルディ・バッハ・ヘンデルの協奏曲、バッハ、管弦楽組曲第4番(初稿版)で締めくくりとなった。 (6月30日 調布グリーンホール)

 ヴィヴァルディ「調和の幻想」、RV565、「四季」より夏、RV315を聴きながらバロックの協奏曲が独奏楽器群とオーケストラによるものから独奏楽器による協奏曲へと至る進化を感じ取った。ヘンデル、合奏協奏曲、HWV324、オルガン協奏曲、HWV293、バッハ、ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲、BWV1060にも同様である。ヘンデルのオルガン協奏曲はオペラ、オラトリオの幕間に演奏されたとはいえ、芸術性もある。ヴィヴァルディは慈善院(オスペターレ)の女性たちによるオーケストラのために作曲され、バロック協奏曲の頂点ともいえよう。

 寺神戸亮、懸田貴嗣、三宮正満といったバッハ・コレギウム・ジャパンの名手たちのソロは素晴らしい。締めくくりにバッハ、管弦楽組曲第4番の初稿版としたプログラム構成も心憎い。

 ただ、プログラムにはコンサートごとの曲目解説などがあった方がよいようにも感じた。来場した聴衆の中にはどのような作品かわかりにくかった面もある。プログラムは記念品のため、一工夫欲しい。来年への課題として取り組んでほしい。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第133回定期演奏会

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン第133回定期演奏会は鈴木優人が指揮を取り、カンタータBWV147「心と口と

行いと生涯を持て」、BWV37「信じて洗礼を受ける者は」、マニフィカト BWV243、鈴木雅明のオルガンでバッハ、前奏曲、トリオとフーガ、BWV545-1、529-2、545-2、ブクステフーデ、第1旋法によるマニフィカト、BWV203によるプログラムであった。今回はイエスを身ごもったマリアが、バプテスマのヨハネを身ごもったエリザベツを訪れたことにちなむ構成であった。

 鈴木雅明による見事な演奏の後、カンタータBWV147のスケールの大きさには感心した。きびきびした音楽作りとはいえ、バッハの音楽を見事に踏まえている。BWV37も手堅くまとめていた。マニフィカトも壮麗、かつ深みにも欠けていない。

 ソリストでは櫻田亮、加耒徹の素晴らしい歌唱が光った。松井亜希、クリステン・ウィットマー、テリー・ウェイも好演。次回は狩りがテーマとなり、鈴木雅明の指揮となる。楽しみである。

 

 

アンドリス・ネルソンス ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 

 ラトヴィア出身のアンドリス・ネルソンスをカペルマイスターに迎えたライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がブルックナー、交響曲第5番を取り上げた。(30日 サントリーホール)

 第1楽章からドイツのオーケストラの響きが伝わってきた。ブルックナーの重厚な響き、音楽がホール全体を覆っていく。第2楽章の深い歌心。たっぷりした歌を堪能した。第3楽章のスケルツォの不気味さ。トリオでののどかな風景との対比もくっきり表れていた。第4楽章。この楽章にはシューマンの影響が感じられる。シューマンの交響曲第2番、第3番には他の楽章のモティーフを組み合わせ、纏めて壮大なフィナーレを形成する。ブルックナーがシューマンの技法に学んだことを再認識した。演奏も壮大さ十分であった。

 ここ最近、ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターを見ると、イタリア人のシャイー、ラトヴィア人のネルソンスといった外国人指揮者を迎えている。そろそろ、ドイツ人指揮者がカペルマイスターとなってもいい頃ではないか。それを痛感した。ドレースデン・シュターツカペレ、ドレースデン・フィルハーモニーがドイツのオーケストラと言うべき存在になっている。ゲヴァントハウス管弦楽団もドイツのオーケストラの姿に立ち戻るべきではなかろうか。

 

 

伊藤恵 ピアノリサイタル 春を運ぶコンサート ふたたび

 

 シューマン、シューベルトを中心としたリサイタルシリーズを行って来た伊藤恵が、ベートーヴェンを中心としたリサイタルシリーズ、第2回はベートーヴェン、ソナタ第30番、Op.109、ソナタ第32番、Op.111を中心にブラームス、3つの間奏曲、Op.117、シューマン「森の情景」Op.82より第7曲「予言の鳥」、細川俊夫、エチュードⅥ ピアノのための―歌、リートを取り上げた。(29日 紀尾井ホール)

 ブラームスではたっぷりした歌の中に、晩年の諦念の姿を垣間見る思いだった。シューマンの後に細川作品を置いたプログラミングは絶妙であった。「予言の鳥」はペダルの巧妙な効果の中に20世紀音楽を暗示することを踏まえ、その後に細川作品を置いたことは音楽面での繋がりを重視した配分だった。

 ベート―ヴェン、第30番では自由さの中に晩年の境地が感じられた。第3楽章でのたっぷりした歌心から、素晴らしい変奏曲が展開、主題の回想では深みある音楽を生み出した。第32番はソナタ全体の締めくくりと言うべき作品、円熟した味わいに満ちていた。第2楽章のたっぷりした歌からベートーヴェンが到達した境地を描きだしていた。

 次回も楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第132回定期演奏会 マタイ受難曲 BWV244

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2019年度定期演奏会は、マタイ受難曲、BWV244で幕を開けた。今年度は聖金曜日、イースターの2回にわたる上演となった。(19日 東京オペラシティ コンサートホール)

 今回、コラール声部はソプラノ2人の担当で、しっかりした線が聴き取れた。櫻田亮のエヴァンゲリストが充実していた。イムラーのイエスも素晴らしい。カウンターテノールはダミアン・ギヨン、クリント・ファン・デア・リンデの競演が聴きどころであった。ソプラノのキャサリン・サンプソン、松井亜希が好演。バスでは加耒徹の堂々たる歌唱が光る。「金閣寺」での素晴らしさが今でも印象に残っている。

 鈴木雅明が円熟した味わいを見せていた。オーケストラの統率力も素晴らしい。キリスト受難がひしひしと伝わってきた。残念なこともある。拍手が早く入ったことが余韻を損ねてしまった。ともあれ、キリスト受難の聖金曜日に相応しいものとなった。

 

渡邉康雄 ベート―ヴェンピアノ協奏曲の世界

 渡邉康雄がオーケストラ・アンサンブル金沢との弾き振りで、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲2曲、第1番、Op.15、第5番、Op.73「皇帝」を取り上げた。(紀尾井ホール)

 指揮者、渡辺暁雄の長男として作曲を学び、アメリカ留学でピアノに転向、長年にわたってくらしき作陽大学で後進の育成に当たってきたせいか、東京でのコンサート活動から遠ざかっていた。今、70歳にならんとしてベート―ヴェンのピアノ協奏曲弾き振りに挑戦する意欲は素晴らしい。

 第1番では若きベートーヴェンの覇気が伝わり、じっくりと聴かせる演奏だった。第1楽章のはつらつさ、第2楽章の歌心は聴きものだった。第3楽章でもベート―ヴェンの機知にとんだユーモアをたっぷりと味わうことができた。

 第5番「皇帝」は円熟味あふれる演奏で、ベートーヴェンがピアノとオーケストラを対等に扱い、交響曲的な深い内容の作品へと到達したことを示していた。第1楽章、第3楽章の豪快さはむろんのこと、第2楽章の深い味わいに満ちた歌は素晴らしい。

 アンコールはサン=サーンス、ピアノ協奏曲第5番、Op.105「エジプト風」第3楽章。これも内容豊かなであった。今後、ベートーヴェンでは第2番、第3番、第4番を取り上げるだろう。楽しみである。

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 8

 

 カナダのピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ・オデッセイ、第8回はトッカータ全7曲、BWV911,BWV916,BWV910,BWV914,BWV913,BWV915,BWV912、半音階的幻想曲とフーガ、BWV903であった。(13日 紀尾井ホール)

 若きバッハの野心、名技性溢れるトッカータであっても、音楽的な深さが要求される。ディートリッヒ・ブクステフーデ(1637-1707)の演奏を聴かんとしてリューベックへ赴き、その音楽の深さに圧倒されたとはいえ、バッハの音楽作りに大きな成果をもたらした。それゆえ、アルンシュタットではバッハの音楽への戸惑いもあった。リューベック滞在が長引いたこともあってか、ミュールハウゼンに移ることとなった。

 ヒューイットの演奏から、若きバッハの姿を聴き取ることができた。音楽的な深さも忘れていない。素晴らしい一時だった。

 半音階的幻想曲とフーガは、ケーテン時代に着手したとはいえ、ライプツィッヒで今の姿になった。名技性と音楽性が調和した名作で、大聖堂の壮大さが目に見えてくる。ヒューイットも壮大さ、深さを併せ持ったものを聴かせた。

 アンコールはカプリツィオ「最愛の兄の旅たちに」BWV992からを演奏、深い余韻を残した。10月のイギリス組曲が楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第131回定期演奏会

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第131回定期公演は「祈り」をテーマとした教会カンタータ3曲によるプログラムだった。(3日 東京オペラシティ コンサートホール)

 まず、鈴木優人によるオルガン・コラール「ただ愛する神の力に委ねる者は」BWV690,691,647,642が演奏され、カンタータの世界へといざなわれて行く。音楽家としての成長ぶりを伺わせるものがあった。

 BWV150「御身を、主よ、われは切に慕い求む」ではこじんまりとした楽器編成の中に、イエス・キリストへの信仰を切に歌い上げて行く。ブラームスが交響曲第4番に用いた終曲が印象深かった。BWV12「泣き、嘆き、憂い、怯え」はイエス受難前の心境を歌ったもので、こちらはリストがピアノ変奏曲の主題に用いている。後に「ミサ ロ短調」の「クルツィフィヌス」の原型となった第2曲をはじめ、じっくりと聴かせた。

 BWV21「わが心に数多の思い煩い満ちたり」はヴァイマールのヨハン・エルンスト公子の別れの曲としても知られる。悲しみから希望へ。その思いがじっくり歌い上げられた。

 ソプラノ、ハナ・ブラシコヴァ、バス、加耒徹が傑出していた。加耒は2月24日、東京二期会、黛敏郎「金閣寺」以来とはいえ、素晴らしい歌唱ぶりだった。金閣寺の好演も忘れ難い。カウンター・テノール、ロビン・ブレイズ、テノール、ユリウス・プファイファーもよかった。

 2019年度、「マタイ受難曲」で幕が開く。来季も楽しみである。

 

東京二期会 黛敏郎 金閣寺

 

 東京二期会による、黛敏郎「金閣寺」はフランス国立ラン歌劇場での宮本亜門演出によるフランス初演に基づく上演である。(23日、24日 東京文化会館)

 巨大なシェルター。そこに主人公溝口の心象風景を表している。これは1991年の日本初演でのヴィンフリート・バウエンファイントの演出を思わせる。宮本の演出では溝口の分身を出したことで、このオペラの本質をかえって明らかにしたともいえようか。また、有為子・女役の歌手を交互に出演させたことも成功した。

 溝口は23日が与名城敬、24日は宮本益光。与名城はストレートな歌唱と演技、宮本はストイックさが際立った。2015年の神奈川県民ホールでの上演以来で、役作りが深化していた。鶴川は23日が高田智士、24日が加耒徹。どちらも光った。柏木は23日が山本耕平、24日が樋口達哉。悪魔的な面を見事に表現した。道誼は23日が畠山茂、24日が志村文彦。こちらも好演。富平安希子、嘉目真木子、林正子、腰越真美、星野淳、小林由樹も光る。

 ストラヴィンスキー「オイディプス王」を手本としたこともあってか、合唱が重要である。二期会合唱団が見事な先導役となった。指揮のマキシム・パスカルの見事な統率ぶりが東京交響楽団、二期会合唱団の力を十分に引き出し、素晴らしい成果を上げた。

 ただ、ダブルキャストとはいえ現代ものの上演が3回、しかもBキャストが1回のみでは何のためかがわからない。せめて4回、A,B各2回ずつの上演にすべきではないだろうか。今後、この点を考えてはいかがか。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン ベート―ヴェン 交響曲第9番 Op.125

 鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンがベートーヴェン、交響曲第9番に挑んだ。昨年のミサ・ソレムニスに次ぐ快挙だろう。(24日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 鈴木自身、ベートーヴェンでは東京シティ・フィルハーモニック交響楽団と第4番、調布国際音楽祭での第5番を指揮してこのコンサートに臨んだといえよう。

 第1楽章、第2楽章の壮大さ、すさまじさ。第3楽章の深く、味わいに満ちた歌心。ベートーヴェンの音楽の本質が伝わってきた。そして第4楽章。シラー「歓喜に寄す」の精神が息づいた名演だった。ニール・ディヴィス、アラン・クレイトンの見事な歌いぶり、アン=ヘレン・モーエン、マリアンネ・ベアーテ・キントも光った。

 バッハ・コレギウム・ジャパンがベート―ヴェン全交響曲に挑むとなれば、大きな話題となるだろう。さて、どうなるかが楽しみである。

 

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第62回 NHKニューイヤ-・オペラコンサート

 クラシック・コンサートの聴き初めとして定着したNHKニューイヤー・オペラコンサートも第62回となった。日本のオペラ界が世代交代を迎えた今、その舞台に立つ歌手たちの活躍が楽しみである。(3日 NHKホール)

 オペラ指揮者として定評ある沼尻竜典を指揮台に迎え、東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部という布陣、アリア、重唱を中心にオペラの場面に合わせた設定がオペラを一段と身近なものにしたことを評価したい。

 ソプラノでは伊藤晴、安井陽子が初登場。共に素晴らしい歌唱で聴き手を魅了した。大村博美、森麻季、砂川涼子の歌唱ぶりも定評があり、それぞれの持ち味を出した歌いぶりはさすがだった。メゾ・ソプラノでは林美智子、藤村美穂子の成熟した歌唱が印象に残った。テノールでは名古屋出身の笛田博昭の素晴らしい歌唱が印象深いし、演技力も十分である。福井敬、村上敏明のヴェテランの味わいはいつ聴いても安定感がある。バリトンでは武蔵野音楽大学からアメリカに留学した大西宇宙がこれからの逸材として注目したい。大沼徹、黒田博、青山貴の安定感ある歌も味わい深い。バスの妻屋秀和の味わい深さ、聴きどころを抑えた音楽作りはさすがである。

 クラシック・ヴォーカル・グループ、イル・デーヴによる歌3曲が聴き応え十分、河原忠行のピアノ、青山の他に望月哲也、大槻孝志、山下浩司によるアンサンブルが見事だった。

 オープニング、フィナーレはヨハン・シュトラウス、オペレッタ「こうもり」から「夜会は招く」「ぶどう酒の燃える流れに」で新年に相応しかった。今年のオペラ界、どうなるだろうか。

 

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2019

 

 ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサート、2019年はフランツ・ヴェルザー=メストと共にドイツ・オーストリアの実力者、クリスティアン・ティーレマンを迎えた。

 昨年、ドレースデン・シュターツカペレと共に来日、シューマン・ツィクルスを行ってシューマンの交響曲の真価を再認識させたことは記憶に新しい。そのティーレマンがシュトラウス・ファミリー、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーの作品を取り上げ、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団から素晴らしい音楽を引き出した。

 奇をてらわない正攻法でありながら、ヴィーン音楽の心髄たるシュトラウス・ファミリーの音楽を心からじっくり味わえる一時だった。ヴィーン・フィルハーモニーの音を活かしつつ、重々しさと軽やかさとのバランスを取りながらじっくりと聴き手の心をつかんでいく。それがかえって、ヴィーン音楽の本質を伝えたことが成功に繋がった。ヴィーン・フィルハーモニーを知り尽くしているからだろう。ドレースデン・シュターツカペレも同じだろう。

 2020年はボストン交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任となったアンドリス・ネルソンスが指揮台に登場する。どうなるか。

 

 

ゲルハルト・オピッツ シューマン、ブラームス連続演奏会 第4回

 

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツのシューマン、ブラームス連続演奏会、第4回はシューマンがパピヨン、Op.2、カーナヴァル、Op.9、ブラームスがシューマンの主題による変奏曲、Op.9、ソナタ第2番、Op.2であった。(14日 東京オペラシティ コンサートホール)

 シューマンではパピヨンでの若きシューマンのユーモア、ロマンが溢れ出ていた。カーナヴァルはスケールの大きな演奏で、ロマン溢れる名演。エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋愛、クラーラへの愛の芽生え、ロマン主義の旗手としてのシューマンの姿を描きだしていた。

 ブラームスでは、シューマンの主題による変奏曲はシューマンへのオマージュとしての性格を浮き彫りにした演奏であった。ソナタ第2番では、ラプソディックながらも構成感を大切にまとめた第1楽章、第2楽章の深い歌心、第3楽章スケルツォ主部の不気味さ、トリオのロマン性の対比が聴きもの。第4楽章のロマン性溢れる演奏は絶品だった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.116-4。心に染み入る演奏で、余韻を楽しみながらと言ったところに拍手は失礼である。これはいただけなかった。

 最近、オピッツが軽く見られるようになったことは残念である。21世紀のドイツ・ピアノ界ではレーゼルと並ぶ大御所がこのような扱いを受けていることはいただけない。さて、次はどんなシリーズになるだろう。

 

 

北とぴあ国際音楽祭 2018 モンテヴェルディ「ウリッセの帰郷」

 古楽と現代音楽中心の北とぴあ国際音楽祭。2018年はクラウディオ・モンテヴェルディ「ウリッセの帰郷」を取り上げた。

 モンデヴェルディのオペラは現存するものが「オルフェオ」「ウリッセの帰郷」「ポッペアの戴冠」の3作のみで、「オルフェオ」「ポッペアの戴冠」上演機会に恵まれているものの、「ウリッセの帰郷」は恵まれているとは言えず、作品の真価が問われているとは言い難い。これは控えめな楽器編成に一因があるだろう。

 寺神戸亮率いるレ・ボレアード、エミリアーノ・ゴンザレス=トロのウリッセ、湯川亜也子のペネーロペ、ケヴィン・スケルトンのテレーマコ、クリスティーナ・ファネッリのミネルヴァ/運命、フルヴィオ・ペッティーニのイーロ、櫻田亮のエウメーネ、マチルド・エティエンヌのメラント、眞弓創一のエウリーマコ、波多野睦美のエリクレーア、渡辺祐介のネットゥーノ/時、谷口洋介のジョ―ヴェ、安倍早紀子のジュノーネ、中嶋俊春のピザンドロ、福島康晴のアンティーノモ、小笠原美敏のアンティーノオ、上杉清仁の人間のもろさ、広瀬奈緒の愛といった優れた歌手陣を迎え、素晴らしい上演となった。

 湯川の強靭な役作り、ゴンザレス=トロ、スケルトンの素晴らしさ、ファネッリが全体をしっかりまとめた。ペッティーニのコミカルな演技と歌唱、福島・小笠原・中嶋によるペネーロペへの求婚者たちの性格描写、谷口・阿部・渡辺が見せた神々の威厳。これらが一体となって、このオペラを盛り上げた。櫻田、波多野の役作りも忘れ難い。

 2019年はヘンデル「リナルド」を取り上げるという。「ポッペアの戴冠」も見たい演目の一つである。今後に期待しよう、

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第130回定期公演 バッハ クリスマス・オラトリオ BWV248

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第130回定期演奏会は、久々にバッハ、クリスマス・オラトリオ、BWV248によるコンサートとなった。11月25日、キリスト教歴ではクリスマスに向けての待降節となる。そうした時期に相応しいものとなった。

 ソリストはハナ・ブラシコヴァ(S)、クリント・ファン・リンデ(CT)、ザッカリー・ワイルダー(T)、クリスティアン・イムラー(B)を迎えた。ワイルダーは歌舞伎座7月公演、夜の部に出演して、話題となった。

 鈴木雅明が全体をしっかりまとめ、円熟の味わいに満ちた演奏を繰り広げた。第1部冒頭のティンパニの響きから、キリスト降誕から3博士来訪にわたるクリスマス物語の世界が広がった。降誕の喜びの中に受難ヘの予言を秘めていることも忘れてはならない。

 ワイルダーのエヴァンゲリストも聴き応え十分、アリアも素晴らしい。イムラーの堂々たる歌いぶり、リンデのしっとりした深みのある歌唱も印象に残る。ブラシコヴァの端正な歌いぶりも捨て難い。若松夏美、高田あずみのヴァイオリンが彩を添えている。三宮正満のオーボエ・ダモーレも味わい深い。

 器楽奏者たちも優れた人材揃いで、ソロなどでも活躍している。声楽陣では二期会会員が在籍、オペラ界で活躍する人材も輩出している。日本を代表する古楽演奏団体でありながら、優れた音楽家が活躍していることを思うと、貴重な存在だろう。

 

クリスティアン・ティーレマン ドレースデン・シュターツカペレ シューマンツィクルス

 

 クリスティアン・ティーレマンがドレースデン・シュターツカペレを率いて、シューマンツィクルスを行った。2晩でシューマンの交響曲の全4曲によるツィクルスは、日本では初めての試みである。ブラームスの交響曲全4曲はツィクルスの機会が多いものの、シューマンに至っては初めてである。(10月31日、11月1日 サントリーホール)

 シューマンの交響曲はシューベルト、メンデルスゾーン、ブルックナー、ブラームスほど取り上げられる機会はない。しかし、19世紀の交響曲史では重要な作品である。ティーレマンはこのコンサートシリーズで、シューマンの真価を問い直そうとしたと言えよう。

 第1番、Op.38「春」を聴くと、第1楽章再現部では序奏のファンファーレの後、第2主題に入るようになっている箇所では、春の喜びが高らかに響く。そこには交響曲を実現したというシューマンの喜びの声を聴き取った。第2楽章のたっぷりした歌は素晴らしかった。第3楽章の見事な構成力、第4楽章でもロマンあふれる演奏だった。

 第2番、Op.61では、ロシア旅行で健康を害した後、ドレースデンに移ったシューマンが病を克服するまでの過程を描いた作品である。第1楽章、第2楽章の闘い、第4楽章の勝利が見事に描かれていた。この楽章で、シューマンが病を克服した喜びを爆発させている。ティーレマンは、そんなシューマンの心境をしっかり捉えていた。それが、かえって第3楽章の内面性を引き出すことになった。

 第3番、Op.97「ライン」にはデュッセルドルフに移ったシューマンの喜び、意気込みの中に過去への思いと自らの運命への恐れが混じっている性格を見事に引き出した。ドレースデンからデュッセルドルフへ移るにも、デュッセルドルフに精神病院があることへの怯えがあったことは見逃せない。それが1854年の発狂、入院、1856年の死につながる。第1楽章の葛藤、第5楽章の希望に満ちた旋律からシューマンの感情が伝わった。

 第4番、Op.120は1841年、ライプツィッヒで「幻想曲」として初演したものの、評判が悪かったため、交響曲として改訂している。この方がシューマンの意図を出せたと言える。ティーレマンは全体が切れ目なく演奏されることによって、統一性強固な作品にしたかったことをかえって浮き彫りにした。ロマン性、構成感、響きが充実していた。

 ティーレマンによって、ドイツの重厚な音が響くようになったドレースデン・シュターツカペレによる充実したシューマンツィクルスをたっぷり味わった至高の一時だった。

 

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 第7回

 

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第7回は平均律クラヴィーア曲集、第2巻、BWV870-BWV893、終演時間が午後10時という長丁場だった。

 平均律クラヴィーア曲集、第2巻は1740年代、ライプツィッヒ、聖トーマス教会カントール時代に完成、バッハのクラヴィーア作品の総決算というべきだろう。全体を見ると、3-4声のフーガが中心で、第1巻のように2声、5声はない。プレリュードの性格が多様になり、性格付けも明確になっている。オルガン曲、トランペットのファンファーレ、カンタービレ風と多種多様になっている。フーガもガヴォット、パスピエ、ジーグといった舞曲、合唱曲など様々である。

 ヒューイットはプレリュード、フーガの性格を捉えつつ、この曲集の多様性、バッハ晩年の自由な境地を見事に表現していた。これだけの長丁場だったら、開演時間を早めた方がよかっただろう。午後6時30分開演なら、午後9時30分終演になっただろう。そういう面での配慮がほしかった。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第129回定期演奏会 モーツァルト レクイエム

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第129回定期演奏会はモーツァルトが死に際して未完のまま残したレクイエム、K.626を中心に交響曲第25番、K.183、コンサート・アリア「なぜ、あなたを忘れよう~心配しないで」K.503、アヴェ・ヴェルム・コルプス、K.618を取り上げた。今回は鈴木優人の首席指揮者就任記念ともなった。

 音楽家としての名を確立、マルチな才能の持ち主、鈴木優人が父、鈴木雅明と共に支えることとなったバッハ・コレギウム・ジャパンの第2の出発を記念したコンサートがモーツァルト・ブログラムというのは、いささか違和感があるかもしれない。モーツァルトが未完のまま残したレクイエムを取り上げたことに意義がある。

 前半の交響曲第25番では、若き天才の姿を生き生きとした姿で私たちの前に示し、コンサート・アリアではフォルテ・ピアノを演奏しつつ、オーケストラもまとめ上げた。レクイエムではジュースマイヤーの補筆も重視しつつも、鈴木優人自身の補筆が素晴らしい効果を上げた。アヴェ・ヴェルム・コルプスが華を添え、コンサートを締めくくった。

 11月23日は鈴木雅明がバッハ、クリスマス・オラトリオを取り上げる。こちらも楽しみである。

 

 

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェン・プラス 第5回

 

 横山幸雄によるベートーヴェン・プラスシリーズは第5回となった。今回はベートーヴェン中期の傑作「ヴァルトシュタイン」「熱情」を中心に6つの変奏曲、Op.34、エロイカの主題による変奏曲とフーガ、Op.35をはじめ、ショパン、ソナタ第3番、Op.58、ブラームス、パガニーニの主題による変奏曲、Op.35、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲(横山自身の編曲)」、ラヴェル「夜のギャスパール」を1日がかりで取り上げた。

 まず、6つの変奏曲とエロイカ変奏曲。どちらもベートーヴェンの変奏曲の傑作である。ベート―ヴェンの変奏曲の大部分は作品番号のないものがほとんどで、この2つの変奏曲の他に自作主題による変奏曲はOp.76、晩年の記念碑的なディァベッリ変奏曲はOp.120がついている。6つの変奏曲は調性を変えつつ、主題の性格を変えていくため、多様かつ深みがある。エロイカ変奏曲は、1804年作曲の交響曲第3番、Op.55のフィナーレでも同じ主題を用いているため、その名がある。ピアノによるものはその原型としても重要である。横山はその特徴を見事に表出していた。

 「ヴァルトシュタイン」、「熱情」は横山の円熟した姿を聴き取ることができた。その間のOp.54は奇妙な作品とはいえ、愛すべき面を引き出していた。

 ブラームスは、カール・タウジッヒのためとはいえ、ブラームスならではの深みも持ち合わせた作品で、ブラームスの深さ・渋さも表出していた。ショパンも歌心に満ちた名演であった。

 横山自身の編曲による「牧神の午後への前奏曲」は、ピアノの色彩感を見事に生かしていた。ラヴェルでは研ぎ澄まされたピアノの音色、スケールの大きさが光った。

 アンコールは横山自身の編曲によるバッハ=グノー「アヴェ・マリア」が見事にコンサートの余韻を残した。このシリーズもあと2回となった。どんな内容になるかが楽しみである。

 

 

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サントリー音楽財団 サマーフェスティバル イェルク・ヴィトマン フランス音楽回顧展 2

 

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバルの大詰めはテーマ作曲家イェルク・ヴィトマン(1973-)のオーケストラ作品、野平一郎によるフランス音楽回顧展、オーケストラ作品であった。(8月31日、9月1日 サントリーホール)

 クラリネット奏者、指揮者でもあるヴィトマンはまず、ヴェーバー、クラリネット協奏曲、第1番、Op.73の吹き振り、自作のクラリネットのための幻想曲でクラリネット奏者としての手腕を見せた。ヴィトマンの弟子、ヤン・エスラ・クール(1988-)「アゲイン」は聴き応えある内容。ヴィトマンによる演奏会序曲「コン・ブリオ」は、コン・ブリオの本質を見事に表現した。妹カトリンのために作曲したヴァイオリン協奏曲、第2番は現代のヴァイオリン協奏曲では注目すべき作品だろう。素晴らしい内容であった。

 20世紀から21世紀のフランス音楽史を辿った野平の企画は、ラヴェル「風景」、フィリップ・ユレル(1955-)「トゥール・ア・トゥールⅢ レ・レマナンス」、ピエール・ブーレーズ「プリ・スロン・プリ マラルメの肖像」を取り上げた。ラヴェルのものはブーレーズの編曲とは言え、あっという間の作品である。ユレルのものは神秘的な作品。ブーレーズは、ヴェルレーヌへの追悼を兼ねたマラルメの詩によるもので、浜田理恵の独唱も素晴らしい。指揮のピエール・アンドレ=ヴァラドもなかなかの手腕であった。

 2019年のサマーフェスティバルが楽しみである。

 

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル 第28回 芥川作曲賞選考演奏会

 

 サントリー音楽財団、サマーフェスティバル、第28回、芥川作曲賞選考演奏会は2016年に受賞した渡辺裕紀子「朝もやジャンクション」、芥川賞候補となった3人の作曲家たちの作品を取り上げた。(26日 サントリーホール)

 まず、高橋作品は朝もやの風景を取り上げた作品で、2016年のエジプト訪問がもとになったという。なかなかの力作だったといえよう。

 候補となった3人の作曲家の作品、まず、1981年生まれの中堅作曲家で愛知県立芸術大学卒業後、パリ、エコール・ノルマル音楽院、パリ高等音楽院で学んだ坂田直樹「組み合わされた風景」は音響が描く風景を表現した作品。入野賞、武満徹作曲賞、尾高賞などの受賞歴がある。2番目、1971年生まれの中堅作曲家で同志社大学法学部卒業後、パリ、エコール・ノルマル音楽院、リヨン音楽院で学んだ岸野未利加「シェーズ・オブ・ウォーカー」は自然の威力を表現した作品で、聴き応え十分だった。3番目、1992年生まれの若手作曲家で東京芸術大学大学院修了、日本音楽コンクールでの受賞歴がある久保哲朗「ピポ-ッ-チュ」は、バロック音楽のコンツェルト・グロッソの原理を生かした個性的な作品。ヴァイオリン、バス・クラリネット、テューバ、ピアノとオーケストラのための作品で、面白さも抜群だった。

 芥川作曲賞は坂田が受賞となった。今回はフランスに留学した作曲家が受賞したことはそれなりの意義がある。多くがドイツ留学だった。フランス留学の作曲家が受賞したことはその一石を投じたといえようか。

 

 

 

 

 

サントリー音楽財団 サマーフェスティバル  野平一郎 オペラ「亡命」

 

 サントリー音楽財団サマーフェスティバル、2018年は野平一郎、オペラ「亡命」初演で幕を開けた。1956年のハンガリー動乱で亡命を果たし、西側へ脱出、世界的な作曲家になっていくべーラ・ベルケシュ、ハンガリーに残ったもののパリなどから招かれるようになったゾルダーン・カトナ。この2人の作曲家、妻たち、子どもたちを軸に物語が展開する。東ヨーロッパの社会主義国家の現実、真の自由を求め、西側に出たとはいえ、社会主義体制が崩壊した今、「亡命」とは何だったか。重い問いかけである。(23日 サントリーホール ブルーローズ)

 ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルート、クラリネット、ホルンによる器楽編成。ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バス・バリトンからなる5人の歌手による室内楽的な小オペラとはいえ、オペラとしての完成度も高かった。藤原亜美、川田知子、向山佳絵子、山根孝司、高木綾子、福川伸陽といった奏者たち、幸田浩子、小野美咲、須鈴木准、松平敬、山下浩二といった歌手陣が「亡命」という重いテーマを見事に描きだしたと言えよう。

 セミ・ステージ形式でも十分上演できる機能を備えた作品としても注目したい作品である。

 

 

菅野雅紀 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 第4回

 

 菅野雅紀のメンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ、第4回はメンデルスゾーンがソナタ第1番、Op.6、無言歌集第2巻、Op.30、シューマンがソナタ第2番、Op.22、4つの小品、Op.32を取り上げた。(8日 ルーテル市ヶ谷センター)

 今回は楽譜を見ながらとはいえ、メンデルスゾーン、シューマンの知られざる作品の真価を問うには十分であった。また、よく知られている作品もそれなりの説得力ある内容であった。

 シューマン、4つの小品はOp.1から続くシューマンのピアノ作品の創作活動では最後の作品で、1840年9月12日、クラーラとの結婚が実現すると交響曲、室内楽曲、オラトリオへと創作活動を広げていく。1844年、ドレースデンへ移住するまでピアノ作品の創作は中絶することとなる。バロック時代の組曲とロマン主義のキャラクター・ピースとの結合と言うべき作品で、聴き応え十分であった。メンデルスゾーン、ソナタ第1番はベートーヴェン、ヴェーバーの影響を見事に消化した、個性豊かな作品で、もっと演奏会で取り上げるべきである。この作品の再評価に繋がる、見事な演奏であった。

 無言歌集第2巻での豊かな歌心に満ちた演奏は心和む一時であった。シューマン、ソナタ第2番はロマン性、歌心に満ちた演奏であった。フィナーレは現行版による。ゲルハルト・オピッツが取り上げた、初稿のプレスト・パッショナートによる演奏も聴かれるようになっている。初稿版による演奏も聴きたい。

 アンコールは無言歌集第1巻、Op.19から第6曲「ヴェネツィアのゴンドラの歌」、クラーラ・シューマン、音楽の夜会、Op.6から「ノットゥルノ」で締めくくった。次回のリサイタルは東京文化会館小ホール、メンデルスゾーンは幻想曲「スコットランド・ソナタ」、Op.28、シューマンでは幻想曲、Op.17を取り上げるという。楽しみである。

 

 

調布国際音楽祭 モーツァルト「バスティアンとバステイエンヌ」「劇場支配人」

 

 6月24日から1週間にわたった調布国際音楽祭、フィナーレは鈴木優人、バッハ・コレギウム・ジャパンによるモーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」「劇場支配人」で締めくくりとなった。

 昨年、モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」で音楽家としての名を確立した鈴木優人がモーツァルト少年期の名作「バスティアンとバスティエンヌ」、円熟期の往作「劇場支配人」に挑み、素晴らしい成果を収めた。

 「バスティアンとバスティエンヌ」は櫻田亮、ジョアン・ラン、加来徹が素晴らしい舞台を繰り広げた。加来のコミカルな中に恋人たちを元のさやに収めようとする節回し、歌唱が見事であった。ランはセリフ回しには苦労したものの、素晴らしい歌唱を聴かせた。それにもまして、櫻田の歌唱も全体を盛り上げた。ただ、楽譜を見ながらの歌唱、演技はいただけない。

 「劇場支配人」は鈴木優人、寺神戸亮も加わってドラマを盛り上げた。中江早希、森谷真理の自己顕示欲の強いプリマドンナに、2人をたしなめる歌手を櫻田亮が見事に演じた。そこに加来徹が全体の引き締め役として登場、全体を見事に締めくくった。

 今回の上演が、鈴木優人が本格的なオペラに挑戦するための飛躍の場となっていくだろう。二期会、藤原歌劇団、新国立劇場のオペラ公演に登場する日が来ることを切望する。

 

 

調布国際音楽祭 ヴェルサイユの光と影 フェスティバル・オーケストラ

 

 調布国際音楽祭、大詰めはたづくり くすのきホールでのヴェルサイユの光と影、グリーンホール、大ホールでのフェスティバル・オーケストラ、2つのコンサートが行われた。

 まず、鈴木優人、アンサンブル・ジェネンス、森下唯によるヴェルサイユの光と影ではクープラン、ラモーによるバロック期のフランス音楽、ドビュッシー、ラヴェルによる近代フランス音楽による聴き応え十分な内容だった。ラモー「クラヴサン・ドゥ・コンセール」第1番、第3番、クープラン「諸国の人々」よりスペイン人での素晴らしいアンサンブルからフランス趣味が溢れ出ていた。森下唯のドビュッシー「ベルガマスク組曲」、ラヴェル「クープランの墓」でもフランスのエスプリが滲み出ていた。

 フェスティバル・オーケストラは鈴木雅明の指揮、バッハ「管弦楽組曲」BWV1068ではコンサート・マスターが寺神戸亮、ストラヴィンスキー「プルチネッラ」、ベートーヴェン、交響曲第5番、Op.67ではコンサート・マスターが白井圭であった。バッハでは寺神戸、ストラヴィンスキー、ベートーヴェンでは白井の許、素晴らしいまとまりを見せた。バッハの後にストラヴィンスキー「プルチネッラ」を聴くと、第1次世界大戦直後、新古典主義の下でバロック、古典主義の作品受容による作品が多く生み出された背景をうかがい知ることができた。むしろ、ベートーヴェンはこれほど引き締まった、緊迫感溢れる演奏はないだろう。作品の本質を見事に抉り出したといえよう。

 明日はフィナーレ、モーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」、「劇場支配人」の上演が控えている。こちらも楽しみである。

 

 

田部京子 ピアノリサイタル シューベルトプラス 第4回

 

 桐朋学園大学院大学教授を務める田部京子が、シューベルトを中心としたリサイタルシリーズ、第4回を行った。(22日 浜離宮朝日ホール)シューベルト、4つの即興曲、D.935、メンデルスゾーン、夏の名残のバラによる幻想曲、Op.15、シューマン、カーナヴァル、Op.9によるプログラムであった。

 シューベルトではピアノの温かみある、深々とした音色が会場を満たし、歌心たっぷりの演奏であった。第1曲の堂々たる風格、第2曲のしっとりした美しさ、第3曲の変奏の性格付けは素晴らしい。第4曲のハンガリー風の旋律、情熱を帯びた響きも聴きもので、決してこれ見よがしではなかった。

 メンデルスゾーンはイギリス民謡「夏の名残のバラ」に基づく作品とはいえ、めったに演奏されない。そのような作品の美点を活かし、たっぷりした音色でじっくりと聴かせた。2009年の生誕200年以来、ようやくメンデルスゾーンの作品に日が当たり始めたことを実感した。

 シューマンはロマン主義の本質を捉えた名演であった。エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋愛が中心となっているものの、エルネスティーネがフリッケン男爵の婚外子であったことのみならず、貴族の令嬢にしては教養に欠けたこともシューマンはがっかりしたに違いない。貴族の場合、婚外子はよくあったようで、エルネスティーネもその一人だった。そういう事情もあって、教養のない子女も少なくなかった。

 アンコールはシューマン、交響練習曲、Op.13から遺作変奏5、こどもの情景、Op.15から「トロイメライ」。素晴らしい締めくくりだった。

 

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 5、6

 

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ オデッセイ 第5回、第6回は平均律クラヴィーア曲集 第1巻、ゴールドベルク変奏曲を取り上げた。(22日、24日 紀尾井ホール)

 平均律クラヴィーア曲集 第1巻ではケーテンからライプツィッヒへと移りゆくバッハの音楽世界をたっぷり味わうことができた。最近人気が上って来たイタリアの名器、ファツィオリを用い、2声から5声のフーガをはじめ、プレリュードの多様性を聴き手の前に示した。歌心、深みに溢れた演奏だった。

 ゴールドベルク変奏曲は2015年、王子ホールでのコンサートより表現に深みが増していた。この変奏曲における表現の多様性、深い歌心がホールを満たしていった。主題のアリアがたっぷり歌われ、第1変奏から第30変奏に至るまで、歌心とヴィルティオジティ、フランス風序曲のファンファーレ、深い嘆きのアリア、クォドリベットをへてアリアに戻る。ここは繰り返しなしで、「これでおしまい」と言うかの如くであった。全身全霊を傾けた名演と言えよう。

 9月の平均律クラヴィーア曲集 第2巻が楽しみである。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン 第128回定期演奏会 祝祭のカンタータ

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、第128回定期演奏会はペンテコステ(聖霊降誕)にちなんだ祝祭カンタータ3曲、ヤコブス・ガルス(1550-91)「アレルヤ、キリストよ、御身の復活に」、マルティン・ロート(ca.1580-1610)「主なる神にわれら絶え間なく喜び歌わん」によるプログラムだった。 (11日 東京オペラシティコンサートホール)

 まず、前奏として鈴木優人による前奏曲とフーガ、BWV531が演奏された。祝典気分を盛り上げ、カンタータ第182番「天の主よ、ようこそ」に入った。今回はソプラノ、ジョアン・ラン、アルト、ダミアン・ギヨン、テノールに櫻田亮、バスに加耒徹を迎えた。これが成功した。

 加耒の堂々たる歌唱が全体を引き締め、素晴らしい効果を上げた。櫻田の見事な歌唱も聴きものだった。ジョアン・ラン、ダミアン・ギヨンも光った。

 ガルス、ロートは低弦、オルガンによる簡素な編成がかえって、作品本来の良さを引き出した。カンタータ第31番「天は笑い、地は歓呼せん」、第172番「響け、歌よ、高らかに」に入り、聖霊降誕によりキリスト教会の始まりを告げた。第172番は5月6日、日本キリスト改革派、東京恩寵教会での講演会でも取り上げられた。この講演会は10月21日にも開催されるため、ぜひ足をお運びいただきたい。

 

 

 

 

ペーター・レーゼル ピアノリサイタル

 

 ゲルハルト・オピッツと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ペーター・レーゼルのリサイタルはモーツァルト、ソナタ第13番、K.333、ドビュッシー「版画」「子どもの領分」、フランク「コラール、プレリュードとフーガ」によるプログラムであった。(8日 紀尾井ホール)

 モーツァルトの風格、気品、歌心溢れる演奏からフランス印象主義、ドビュッシーに入ると、私たちがこれまで耳にしていたフランス音楽の演奏とは異なった、独自の味わい豊かな演奏であった。「版画」では色彩感を大切にしながら、一本の線を貫いていた上、「子どもの領分」でもユーモア、色彩感を大切にしながら独自の世界を築いていた。フランクも全体を貫く一本の線を重視した名演だった。

 アンコールはモーツァルト、ソナタ第11番から第3楽章「トルコ行進曲」、ドビュッシー「ベルガマスク組曲」より「月の光」で、「月の光」は深い余韻が残った。

 次回こそブラームス、ピアノ作品全曲演奏シリーズが実現してほしい。その折、ゲルハルト・オピッツとの共演による2台ピアノによるコンサートも聴きたい。

 

 

仲道郁代 ピアノリサイタル ベートーヴェンと極めるピアノ道 1

 

 仲道郁代のリサイタルシリーズ、ベートーヴェンと極めるピアノ道、第1回は「パッションと理性」としてモーツァルト、ソナタ第8番、K.310、ベートーヴェン、ソナタ第23番、Op.57「熱情」、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5の3曲を取り上げた。

 モーツァルトは流麗でありながら、暗い内面性をじっくりと描き出している。第2楽章の豊かな歌心がかえって第1、第3楽章とのコントラストを引き立てていた。ベートーヴェンは豊かなパッションと歌心が調和して深い内面性、ドラマトゥルギーの表出に成功した。

 ブラームスでは第2楽章、第4楽章の素晴らしい歌心が絶品だった。恋愛の高まり、失恋の思いを見事に描き出していた。それが第1、第3楽章のドラマトゥルギーを際立たせていた。第5楽章のコーダの追い込みから、ブラームスの青春の苦悩に打ち勝った喜びが伝わった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.118-2、エルガー「愛の挨拶」。ブラームスの味わいに満ちた歌が素晴らしい。

 伊藤恵、仲道郁代がベートーヴェン中心のリサイタルシリーズを始めたことは、2020年のベートーヴェン生誕250年、2027年の没後200年を見据え、ベートーヴェンの音楽への再認識を示すものとして意義深い。ベートーヴェン生誕250年で完結する横山幸雄のリサイタルシリーズ共々注目したい。

 

 

伊藤恵 ピアノリサイタル 春を運ぶコンサート ふたたび

 

 伊藤恵のリサイタルシリーズ、「春を運ぶコンサート ふたたび」はベートーヴェン中心のシリーズとして8年間続くこととなった。(紀尾井ホール)

 今回は中期の傑作、ソナタ第21番、Op.53「ヴァルトシュタイン」、第23番、Op.57「熱情」、シューマン、アラベスク、Op.18、ショパン、12の練習曲、Op.25を取り上げた。

 ベートーヴェンの2曲ではテンポの差をつけたりしてゆとりある音楽作りが目立つ。円熟味あふれる音楽作りが素晴らしい。シューマン、ショパンが間を開けずにそのまま一気に弾き通したことを思うと、伊藤の思い入れの強さが伝わった。ここでも円熟味あふれる音楽が聴き取れた。

 アンコールはシューマン、こどもの情景、Op.15より「トロイメライ」を取り上げ、締めくくりとした。次回のプログラムに期待しよう。

 

 

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清水和音 ピアノ主義 第9回

 

 2013年から続く清水和音のリサイタルシリーズ、ピアノ主義も大詰めを迎えた。これまで務めていた東京音楽大学教授を退き、演奏家としての道を歩んでいく。今回はショパン、スクリャービン、ラフマニノフといったスラヴ系音楽によるプログラムとなった。

 ショパンはバルカローレ、Op.60、子守歌、Op.57、4つのマズルカ、Op.24、ソナタ第2番、Op.35「葬送」を取り上げた。歌心、深々とした音色が円熟ぶりを伝えた。ソナタのテーマ「死」を捉え、一気に墓場の虚無感へと突き進む気迫が素晴らしい。

 スクリャービンは4つの前奏曲、Op.22、ラフマニノフは楽興の時、Op.16を取り上げた。たっぷりした音、歌心は作品の性格に相応しく、重厚さ、ロシアの暗さが調和した名演となった。

 アンコールはなかったものの、10月でこのシリーズも終了する。ベートーヴェン、ショパン、リストのソナタ3曲を取り上げ、締めくくりとなる。どんな演奏になるだろうか。

 

 

マリア・ジョアン・ピレシュ ピアノリサイタル 

 

 マリア・ジョアン・ピレシュ、日本最後のコンサート、モーツァルト、シューベルトアーベントとなった。どちらもピレシュ得意の作曲家である。モーツァルトのピアノソナタ全集で日本のレコード界にデビューして話題になった以上、当然だろう。シューベルトも同様だろう。 (17日 サントリーホール)

 ソナタ、K.332,K333にはモーツァルトの音楽が自由に息づき、素晴らしい躍動感、歌心に溢れていた。モーツァルトの音楽の本質が身についている。シューベルトは4つの即興曲、D.935が暖かみのある音色、深い歌心に支えられ、シューベルトの音楽の本質が伝わって来た。アンコールでは3つの即興曲、D.946-2を演奏、死に向かうシューベルトの心境が伝わった。

 これまで、テノールのルーファス・ミュラー、チェロのパヴェル・ゴムツィアコフをはじめ、日本のピアニストを含む若い演奏家たちとともにコンサートを開催して、将来性ある演奏家たちを育成したり、巨匠アントニオ・メネセスとの共演もあったりした。今年限りで引退する今、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトによるリサイタルで来し方を振り返りつつ、日本の音楽ファンたちへの感謝としたことは何者にも代えがたい贈り物である。

「ありがとう、ピレシュ」

 

 

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マリア・ジョアン・ピレシュ ピアノリサイタル

 

 ポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュが今年限りで引退するとのこと、日本でのさよならリサイタルとして12日、ベートーヴェン・アーベントを行った。(サントリーホール)

 ベートーヴェン初期の傑作、ソナタ第8番、Op.13「悲愴」、初期から中期への名作、ソナタ第17番、Op.31-2「テンペスト」、最後のソナタとなった第32番、Op.111を取り上げた。ピレシュはベートーヴェンの創作過程を見据え、ベートーヴェンがピアノに何を託したかを問いかけて来た。

 「悲愴」ではベートーヴェンが一つの動機を元に全体をまとめ上げ、有機的な作品に仕立てていく過程、「テンペスト」では幻想性、抒情性の中に2つの主要動機が中心となって全体をまとめる手法、無窮動的な動きの中にも確固たる統一性で全体をまとめる手法、最後のソナタではあらゆる無駄を捨て、簡潔かつ高貴な世界を築いたことを示した。ベートーヴェンがソナタというものをいかにして築き、高みに至ったか。ピレシュは私たちにしっかりと示した。

 アンコールはベートーヴェン最後のピアノ作品となった6つのバガテル、Op.126-5。ベートーヴェンが至った至高の境地を描きだし、余韻を残した。

 1974年の初来日以来、40年あまりにわたってモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパンを中心に素晴らしい音楽を伝えて来たピレシュが引退を迎えるにあたり、これだけ充実したベート―ヴェン・アーベントを行ったことは語り草になるだろう。

「ありがとう、ピレシュ。」

そう言いたい。17日のモーツァルト、シューベルトはどんな演奏になるだろうか。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ マタイ受難曲 BWV244

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2018年度定期演奏会はキリスト受難、聖金曜日に相応しくマタイ受難曲、BWV244で幕を開けた。エヴァンゲリストに櫻田亮、イエスにシュテファン・フォック、ソプラノにレイチェル・ニコルズ、澤江衣里、カウンター・テノールはクリント・ファン・デア・リンデ、藤木大地、テノールに中嶋克彦、バスに加耒徹を迎えた。(30日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 鈴木雅明の音楽作りは重々しさが増し、冒頭の合唱ではキリスト受難の重々しい足取りが聴こえた。合唱のドラマトゥルギーも深みを増している。櫻田のエヴァンゲリストは正統的、かつ朗々と響く。アリアも自然な流れを尊重した、深みある音楽作りを評価したい。フォックのイエスも自然な流れの中で朗々と響き、感動的である。アリアも素晴らしい。加耒の深みある歌いぶり、中嶋、藤木の正統的な歌唱、リンデ、ニコルズの素晴らしい歌唱も光った。

 最後のイエスを悼む合唱も感動的だったとはいえ、終了後の余韻で拍手を入れた人が何人かいて、興ざめにな

ったことは惜しい。余韻を味わうことの大切さを感じた。

 

 

小林五月 シューマンツィクルス 10

 

 シューマン演奏では伊藤恵と共に定評ある小林五月のシューマン・ツィクルス、第10回目はペダルフリューゲルのための6つの練習曲、Op.56といった珍しい作品とともにノヴェレッテン、Op.21から第8曲、第3曲、ヴァイオリンの原田幸一朗、チェロの毛利伯郎を迎え、ピアノ三重奏曲第1番、Op.63という地味ながら聴き応えある内容であった。(6日、東京文化会館小ホール)

 ノヴェレッテン第8曲はクラーラとの結婚への最後の戦い、歓びを描くかのようで、最後の部分で勝利の歓喜が聴こえてくるような演奏だった。第3曲はユーモアの中にふと、何かにとらわれているかのようなシューマンの心境が聴き取れる演奏だった。

 原田、毛利を迎えたピアノ三重奏曲はドレースデン時代のシューマンの心境、希望への思いが滲み出た名演だった。第1楽章のスケールの大きさ、メランコリーたっぷりの歌は絶品。第2楽章も見事にまとまった。第3楽章から第4楽章への解放感、溢れんばかりの歓びの声が会場を包んだ。

 アンコールはペダルフリューゲルのための練習曲から第6曲。清澄な響きが余韻を残した。次回はどんな組み合わせになるだろうか。

 

 

藤村美穂子 リーダーアーベントⅤ

 

 日本を代表する歌手の一人で、バイロイト音楽祭でも歌うメゾ・ソプラノ、藤村美穂子によるリーダー・アーベントはシューベルト、ブラームスの作品各5曲、ヴァーグナー「マティルデ・ヴェーゼンドンクの5つの詩」、マーラー「フリードリッヒ・リュッケルトの詩による5つの詩」によるプログラム。ピアノはヴォルフラム・リーガー。

 ヴァーグナー、マーラーの5つの詩による歌曲集を取り上げることから、シューベルト、ブラームスも5曲ずつ配置するプログラム構成は素晴らしい。考え抜かれたプログラムといえよう。

 シューベルト、ブラームスでの多彩な作品の性格付けもさることながら、ヴァーグナーでは「トリスタンとイゾルデ」と同時期の作品を素晴らしい統一性、性格付けで際立たせた。マーラーにも言える。ことに、ヴァーグナーでは「トリスタン」の響きを聴き取ることができた。

 アンコールはマーラー「曙光」、リヒャルト・シュトラウス「あした」。素晴らしい一夜の締めくくりに相応しい。久々にドイツ・リートを聴いた。そう感じた。(2月28日 紀尾井ホール)

 

 

東京二期会 ヴァーグナー「ローエングリン」

 

 東京二期会、ヴァーグナー「ローエングリン」は福井敬がタイトルロール、エルザが林正子、フリードリッヒ・フォン・テルラムントには大沼徹、その妻オルトルートには中村真紀、国王ハインリッヒ一世が小鉄和弘、伝令が友清崇、ブラバントの貴族は吉田連、鹿野浩史、勝村大城、清水宏樹によるキャストであった。

 小鉄和弘、友清崇の重厚な歌唱、大沼徹、中村真紀の悪役ならではの性格描写の素晴らしさ。その上に福井敬、林正子の清純、かつ高貴な歌唱が光った。中村は古代ゲルマンの神々を捨てて、キリスト教に改宗したドイツ人たちを許せない心情が見事だった。

 何よりも準・メルクルが東京都交響楽団から素晴らしいヴァーグナーの音を作り出し、オペラ全体を盛り上げたことが大きい。また、冒頭にヴァーグナーのよき後援者、ルートヴィッヒ2世の言葉「すべては謎」、その肖像画が出て来たことがオペラ全体のライトモティーフとなった。

 

 1849年、ヴァーグナーは革命に加わって亡命、「ニーベルンゲンの指環」の筆を進める。

「トリスタンとイゾルデ」、「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を経て全4部作を完成、「パルジファル」で締めくくった。その意味でも重要な作品たる意味づけは大きいだろう。

 

 

菅野雅紀 ピアノリサイタル メンデルスゾーン・シューマン全曲シリーズ 3

 

 メンデルスゾーン・シューマン全曲演奏シリーズを続けるピアニスト、菅野雅紀のリサイタル、第3回はシューマン、アラベスク、Op.18、子どもの情景、Op.15、メンデルスゾーン、アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート、シューマン、ノヴェレッテン、Op.21であった。(14日 すみだトリフォニー小ホール)

 アラベスク、子どもの情景はシューマンの詩情あふれる世界が広がっていく。メンデルスゾーンは歌心、スケールの大きさが調和して、素晴らしい世界を形成していた。

 ノヴェレッテン、全8曲を演奏することは大変なことである。一つの一つの性格付け、シューマンの心の揺れをどう表現するかにかかっている。菅野はそれを見事に成し遂げたといっていいだろう。

 アンコールはシューマン、花の曲、Op.19、クラーラ・シューマン、6つの性格的小品からノットゥルノ。余韻たっぷりだった。第4回目はどんな組み合わせになるか。

 

 

バッハ・コレギウム・ジャパン バッハ ヨハネ受難曲 BWV245

 

 バッハ・コレギウム・ジャパン、2017年度定期演奏会シリーズは鈴木優人によるヨハネ受難曲、BWV245、エヴァンゲリストにハンス・イェルク・マンメル、イエスは加耒徹、ソプラノは松井亜希、カウンター・テナーはロビン・ブレイズ、テノールはザッカリー・ワイルダー、バスはドミニク・ヴェルナーであった。(東京オペラシティ・コンサートホール)

 2017年11月、「ポッペアの戴冠」で音楽家としての名を確立した鈴木優人が「ヨハネ受難曲」に挑み、父鈴木雅明と肩を並べる、素晴らしい名演を聴かせた。もっとも、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでも「マタイ受難曲」を演奏、こちらも同様の成果を上げた。自立した、一人前の音楽家としての歩みを進めている姿は、バロックから現代に至る幅広い音楽活動からもうかがえる。テレビ朝日「題名のない音楽会」への出演もその一つだろう。

 マンメルのエヴァンゲリストは朗々とした中に、歌心も併せ持っていた。イエスを歌った加耒も堂々とした歌いぶりが素晴らしい。松井、ワイルダーの清澄な歌唱、ヴェルナーの真のある歌唱が全体を彩り、キリスト受難の物語のリアリティを伝えていた。

 2018年度の定期演奏会シリーズでは、モーツァルト「レクイエム」を中心としたプログラムを取り上げる予定である。

今後の活躍ぶりも注目したい。

 

 

マティアス・キルシュネライト ピアノリサイタル

 

 マティアス・キルシュネライトは巨匠の域に入ったドイツのピアニストで、ロストック音楽大学教授、「ゲッァィテン音楽祭」監督を務めている。CDもベルリン・クラシックスなどから出ている。今回は東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団との共演者としての来日とはいえ、上野学園大学・島村楽器共催によるリサイタルが実現した。

 メンデルスゾーン、無言歌、Op.67-3「巡礼の歌」、シューマン、こどもの情景、Op.15での豊かな詩情溢れる演奏をはじめ、メンデルスゾーン、厳格なる変奏曲、Op.54、ショパン、スケルツォ第2番、Op.31、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5でのスケールの大きさと詩情とのバランスの見事さ、どれをとっても聴き応えたっぷりであった。ことに、ブラームス、第2楽章の濃厚な歌は聴きものであった。

 アンコールはシューベルト、ハンガリーのメロディ、D.817、ラフマニノフ、前奏曲、Op.32-5、ドビュッシー、映像第2集から「運動」、ブラームス、ワルツ、Op.39-15で、素晴らしい締めくくりだった。

 楽器店がコンサートの企画、開催を進めることは、演奏家の育成・支援には重要である。外来演奏家の場合、来日してほしい演奏家を積極的に取り上げてほしい。おなじみの演奏家のみならず、「これは」という演奏家のコンサートもプロデュースして、音楽ファンの声に応えてほしい。

 

 

第61回 NHKニューイヤー・オペラコンサート

 

 新春恒例のNHKニューイヤー・オペラコンサートは第61回目を迎え、時代を代表する歌手たちがオペラの名アリア、場面を披露して、オペラ界の1年を占うコンサートとして定着してきた。今回はモーツァルトのオペラのアリア、重唱を構成したモーツァルト・ファンタジー、没後150年を迎えたイタリアの大作曲家ジョアッキーノ・ロッシーニ、ヴェルディ「椿姫」、「ドン・カルロ」、「イル・トロヴァトーレ」、プッチーニ「ラ・ボエーム」、「トスカ」、ヴァーグナー「ニュールンベルクのマイスタージンガー」からのアリア、場面を取り上げ、冒頭にヴァーグナー「タンホイザー」の「歌の殿堂を讃えん」、締めくくりにヨハン・シュトラウス2世「こうもり」のフィナーレとした構成による内容であった。(3日

NHKホール)

 モーツァルト・ファンタジーは「イドメネオ」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「皇帝ティトゥスの慈悲」のアリア、重唱、合唱を組み合わせたもので、聴き応えあるものとなった。砂川涼子、嘉目真木子、林美智子、櫻田亮、黒田博の見事な歌いぶりが光る。

 ロッシーニでは「猫の二重唱」での市原愛、小林沙羅、「フィレンチェの花売り娘」での幸田浩子、「踊り」の村上敏明「タンクレーディ」の藤木大地の見事な歌いぶりから、ロッシーニの本質は歌にあることを改めて示した。

 ヴェルディ「椿姫」の「乾杯の歌」の華やかさ、「さらば、過ぎし日よ」での中村恵理の迫真に満ちた歌とのコントラストが素晴らしい。「ドン・カルロ」では清水華澄と合唱が見事に調和していた。「ああ、わが恋人」、「見よ、恐ろしい火」での笛田博昭の素晴らしい歌唱が華を添えた。

 プッチーニ「ラ・ボエーム」では村上敏明、上江隼人のやり取り、「トスカ」での大村博美の見事な歌唱はトスカそのものだった。

 ヴァーグナー「ニュールンベルクのマイスタージンガー」は、福井敬の「朝はバラ色に輝き」での絶品の歌いぶり、妻屋秀和の堂々たる歌唱は見事で、ぜひ、このキャストで「ニュールンベルクのマイスタージンガー」を上演してほしいと切望する。

 「こうもり」のフィナーレは日本語訳での歌唱とはいえ、コンサートの締めくくりに相応しかった。

 2018年のオペラ界、どんなオペラが話題となり、歌手たちの活躍も楽しみである。

 

 

ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ニューイヤーコンサート 2018

 

 新春恒例のヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューイヤーコンサートは、ヴィーンからの生中継という、NHKとしては大胆な試みを行った。狙いとしては成功した。その前には、ニューイヤーコンサートにちなんだ番組もあり、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の魅力、ナチズムとの関係など、暗い歴史を取り上げた。(NHK Eテレ 18:00~18:55,

19:00~22:00)

 従来、NHKは東京のスタジオにゲストを招き、ゲストのトークを交えて番組を進めた。今回は、アナウンサー自らヴィーンに赴き、ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽員、べベーデンボルク和樹、直樹兄弟、ヴィーン国立歌劇場バレエのダンサー、橋下清香と共にコンサートを聴く形を取った。

 指揮はイタリアの巨匠、リッカルド・ムーティ。イタリアゆかりの作品が中心で、没後150年となったジョアッキーノ・ロッシーニ、歌劇「ウィリアム・テル」序曲を加えたプログラムであった。イタリアとヴィーンが融合した素晴らしいひと時だった。放送につきもののバレエは、ワルツ「南国のバラ」、Op.338で、シュヴァルツアウ城が舞台となった。また、第1次世界大戦終結、ハプスブルク帝国終焉100年もあってか、オーストリアの歴史にちなんだ映像も目立った。

 NHKがコンサート直前に関連番組を放送したり、ヴィーンでの完全中継といった大胆な試みを行ったことを高く評価したい。2019年のニューイヤーコンサートには、ドレースデン・シュターツカペレ常任を務め、フランツ・ヴェルザー=メストと共にドイツ・オーストリアの実力者の一人、クリスティアン・ティーレマンが登場する。楽しみである。

 

 

ゲルハルト・オピッツ シューマン ブラームス連続演奏会 第3回

 

 ペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツのシューマン、ブラームス連続演奏会、第3回はシューマン、クライスレリアーナ、Op.16、ソナタ第2番、Op.22(初稿版)、ブラームス、ソナタ第3番、Op.5であった。(15日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 クライスレリアーナでの見事な統一感、歌心、E.T.A.ホフマンが描いた楽長クライスラーとシューマンとが重なりあっていた。最後はクライスラー、シューマンの死を暗示したかのようであった。ソナタ第2番はプレスト・パッショナートをフィナーレとした初稿版による演奏で、この方がシューマンの意図に叶ったと言えよう。現行のフィナーレも素晴らしいまとまりのある作品とはいえ、クラーラの忠告によっている。こちらの方がかえって困難ではないだろうか。

 ブラームスでの素晴らしい円熟味ある演奏が素晴らしい。第1楽章のスケールの大きさ、第2、第4楽章の詩情あふれる歌、第3楽章のコントラスト、第5楽章の見事なまとまり。どれをとっても絶品だった。

 アンコールはブラームス、インテルメッツォ、Op.116-4。余韻たっぷりであった。

 

 

北とぴあ国際音楽祭 2017 グルック「オルフェオとエウリディーチェ」

 

 北とぴあ国際音楽祭のメイン、寺神戸亮、レ・ボレアードによるオペラは、クリストフ・ヴィリバルド・グルック「オルフェオとエウリディーチェ」を取り上げた。(8日 北とぴあ さくらホール)

 グルックがイタリアの詩人、カルツァビージと共に音楽・ドラマ中心のオペラ改革に着手した作品、日本のオペラ上演史では重要な作品である。1903年、三浦環が初めてオペラの舞台に立ち、日本でのオペラ公演の始まりとなった。

 18世紀前半のオペラはカストラートによる声のアクロバットと化し、音楽・ドラマは二の次となった。ニコラ・ポルポラ、トマーゾ・ヨンメッリが音楽・ドラマ中心のオペラ創作を進め、グルックへと受け継がれた。それがモーツァルトにつながり、素晴らしい傑作オペラを残すこととなった。

 寺神戸はパリ版を用い、ギリシア神話に基づく「オルフェウス」の世界を見事に表現していた。ラ・ダンス・コントラステのバレエはドラマに忠実に、オペラの世界を描きだした。

オルフェオのマティアス・ヴィダル、エウリディーチェのストゥキン・エルベルスの素晴らしい歌唱、演技が観客の心に深い感動をもたらした。むしろ、鈴木美紀子のアムールが全体を引き締め、オペラの要となったことを評価したい。合唱も見事な歌唱力で、オペラ全体を主導した功績は大きい。

 来年はモンテヴェルディ晩年の名作「ウリッセの帰郷」を取り上げる。どんな舞台になるかが楽しみである。

 

ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル

 

 フランスの中堅、ピエール=ロラン・エマールがオリヴィエ・メシアンの大作「幼子イエススにそそぐ20のまなざし」に取り組んだ。この作品によるリサイタルは、2000年、ミシェル・ベロフが東京オペラシティ・コンサートホールで行って以来、16年ぶりになるためか、多くの聴衆を集めた。(6日 東京オペラシティ・コンサートホール)

 メシアンがローマ・カトリック信仰に基づく作品には、ドイツでの捕虜生活中に作曲した「世の終わりのための四重奏曲」(1941年)がある。この作品はパリ解放の年、1944年に完成している。フランスがドイツの占領下から解放されたことを神に感謝したという意味でも大きいだろう。

 マリアのイエス・キリスト受胎、イエス・キリスト誕生、エピファニー、イエスの布教の始まり、受難、復活、教会の形成をさまざまな角度で描き、ピアニスティックな技法も用いつつも音楽の深みも忘れていない。メシアンの信仰告白である。エマールは、メシアンの信仰告白の本質に迫る、素晴らしい名演を聴かせたと言えよう。

 因みに、エマールもメシアン夫人、イヴォンヌ・ロリオに師事している。また、マリア・クルツィオにも師事し、1973年、16歳でメシアン・コンクールに優勝以来、ピアニストとしてのキャリアを重ねて来た。現代音楽にも優れ、初演も多い。メシアンの大作に取り組んだリサイタルはその真頂骨と言えよう。

 

 

2017/11/26

NHK交響楽団 第96回オーチャード定期演奏会

 NHK交響楽団のオーチャードホール定期演奏会も96回目となった。今回はシンガポールの若手指揮者ダレル・アン、ピアノはペーター・レーゼルと共にドイツ・ピアノ界を代表する大御所、ゲルハルト・オピッツを迎え、ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5番、Op.73「皇帝」、ムソルグスキー=ラヴェル「展覧会の絵」を取り上げた。

 今回の演奏会はオピッツの出演と相まって、ほぼ完売、立見席も出た。それだけに期待の大きなコンサートだった。ちなみに、2016年の定期にはレーゼルが第3番を演奏している。このシリーズにドイツ・ピアノ界の大御所2人が出演した意義も重い。

 「皇帝」でのオピッツの円熟した、素晴らしい演奏には安定感が増し、確固としたものが感じられた。豪放さ、抒情性が一体化した大きな世界が広がった。「展覧会の絵」はアンの卓越した指揮ぶり、音楽作りが作品の性格を浮き彫りにした。アンコールではラヴェル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」が余韻たっぷりであった。

 プログラムについて1か所指摘したい箇所がある。オピッツはヴィルヘルム・ケンプの許で学んでいるとあるのに、ヴィルヘルム・バックハウスに師事したと記している。全くの誤りである。こんな誤りを記すとはオピッツにも失礼だろう。

 12月15日、東京オペラシティ・コンサートホールでのオピッツのシューマン、ブラームスシリース第3回が楽しみである。2018年は5月にレーゼル、11月~12月にオピッツがやって来る。ドイツ・ピアノ界の両大御所によるドイツ・ピアノ音楽の心髄を心ゆくまで味わえる一時は、多くのファンを集めるだろう。

 

 

2017/11/23 

鈴木優人 バッハ・コレギウム・ジャパン モンテヴェルディ ポッペアの戴冠

 モンテヴェルディ生誕450年記念として、鈴木優人が晩年の傑作「ポッペアの戴冠」に取り組み、素晴らしい成果を上げた。

 暴君ネロと将軍オットーネの妻ポッペアの恋愛。皇后オッターヴィアの知る処となった。そんなオッターヴィアを慰め、力づける哲学者セネカ。しかし、ポッペアはセネカを亡き者にせんとする。オットーネはポッペアへの思いを断ち切れない。そんなオットーネの前に女官ドゥルシッラが現れ、慰める。オッターヴィアはポッペアを殺すよう、オットーネに迫る。ポッペアは愛の神アモーレのおかげで難を逃れる。ネロはオッターヴィアと離婚、ローマから追放した後、ポッペアを皇后に迎えた。

 森麻季のポッペア、レイチェル・ニコルズのネロをはじめ、ディングル・ヤングルのセネカでの威厳ある歌唱が全体を引き締めた。波多野睦美がオッターヴィアで見せた皇后の高貴で威厳ある歌唱も見事だった。藤木大地のアルナルタもコミカルな面を浮き彫りにした歌唱が光る。オットーネのクリント・ファン・デア・リンデも素晴らしい。加秉徹がメルクーリオで聴かせた歌唱も威厳ある神を浮き彫りにした。

 史実では、ポッペアが皇后となった後、皇女を産んだものの僅か数か月で亡くなった。再び妊娠したものの、ネロとの夫婦喧嘩がもとで亡くなった。キリスト教迫害にはポッペアの存在があったとされる。ただ、この時期、ユダヤ人とギリシア人との対立が激化、ポッペアはユダヤ人側に着いたという。ネロがギリシア人に有利な裁定を出したため、66年~70年に至るユダヤ戦争をはじめとした内乱が起った。ネロはその最中に自殺、ヴェスパシアヌスが皇帝となってローマ帝国を立て直すこととなった。

 セミ・ステージ形式による上演形式が素晴らしい効果を上げ、このオペラの性格付けを明確にしたといえよう。音楽家鈴木優人の名を確立した上演としても大きいだろう。

 

2017/11/23

北とぴあ国際音楽祭 ベートーヴェン、シューマン、ショパンが愛したピアノたち

 1995年から始まった北とぴあ国際音楽祭は、東京都北区と公益財団法人、北区文化振興財団が中心となって秋から冬の時期に開催されてきた。その間、北区の財政難から中断、記念事業として継続した時期もあった。2005年から再開となり、今日に至る。(22日 北とぴあ さくらホール)

 今回の「ベートーヴェン、シューマン、ショパンが愛したピアノたち」は、フォルテピアノの第一人者、小倉貴久子がドイツ系イギリス人テノール、ルーファス・ミュラーの共演も得て、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパンのピアノ作品、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの歌曲を交えたコンサートを行った。

 使用したピアノはモーツァルト、ベートーヴェンがアントン・ヴァルターのレプリカ、歌曲、シューマンがシュトライヒャー、ショパンがプレイエルであった。

 モーツァルト、「ああ、お母様聞いてちょうだい(きらきら星変奏曲)による12の変奏曲」K.265、ベートーヴェン、ピアノソナタ第14番、Op.27-2「月光」ではモーツァルトならではの高貴な響き、ベートーヴェンの革新性が際立っていた。

 ミュラーとの歌曲では、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン本来の味わい深さが伝わってきた。ミュラーの歌唱も素晴らしい。

 シューマン、パピヨン、Op.2ではジャン・パウル「生意気盛り」の場面を彷彿とさせた。第12曲の終り近くになると、物語の結末が目に見えて来るかのようだった。ショパン、ピアノソナタ第2番、Op.35「葬送」では第3楽章のトリオでの即興が入っていたことから、ショパンがパッセージ、装飾を自由に挿入していたことを伺わせるものだった。ショパンが何故、パッセージなどを加えた自筆を残したかも明らかになった。その上でも大いに参考になった。

 アンコールではミュラーと共にボーリーヌ・ヴィアルドーがショパンのマズルカを編曲した歌曲「愛の嘆き」、グノー「アヴェ・マリア」を演奏、コンサートの締めくくりとした。

 歌曲のコンサートでは1曲ごとに拍手が入っていたことは残念である。プログラム全体が終わってから拍手した方がよかっただろう。その点では惜しまれる。

 

2017/11/14 

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ヴィーン楽友協会合唱団 ブラームス ドイツ・レクイエム Op.45

 ヘルベルト・ブロムシュテット、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートは13日、会場をNHKホールに移し、ブラームス、ドイツ・レクイエム、Op.45を取り上げた。これはNHK音楽祭の一環としてのコンサートで、ヴィーン楽友協会合唱団、ソプラノ、ハンナ・モリソン、バリトン、ミヒャエル・ナジによる。(13日 NHKホール)

 ブラームス畢竟の大作、ドイツ・レクイエムは旧約聖書から詩編、イザヤ書、続編から知恵の書、シラ書、新約聖書からマタイによる福音書、ヨハネによる福音書、コリントの信徒への手紙 1、ヘブライ人への手紙、ペトロの第1の手紙、ヤコブの手紙、ヨハネの黙示録をテキストに用い、ドイツ・プロテスタント教会音楽の新しいジャンルを開いた作品で、死者への追悼と共に人生の希望へ思いがある。ブラームスは聖書、フラウィウス・ヨセフス「ユダヤ古代史」、「ユダヤ戦記」を傍らにおきつつ、マルティン・ルターの著作も熱心に読んていただろう。

 第1曲「貧しい人は幸いである」が静かに歌われる中、人生の希望が伝わる。世の無常と希望、常にイエス・キリストの救いを待ち望む人々の思いを歌い上げている。ミヒャエル・ナジ、ハンナ・モリソンの素晴らしい歌唱がこの作品を一段と引き立てた。ヴィーン楽友協会創立は1812年、最初の名誉会員がベートーヴェン、シューベルトも理事を務めた。ブラームスも楽友協会の指揮者となった。ブラームスゆかりの合唱団が素晴らしい演奏を聴かせた。何といっても、オーケストラによるブラームス特有のいぶし銀の味わいが伝わった。

 ブラームスがドイツ・レクイエムに取り組んでいた時、ヴァーグナーは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に取り組んでいた。この2人がヴィーンで出会い、親交を温めたことは大きい。ブラームスの音楽の中にはヴァーグナーが忍び込んでいる。それなら、なぜ、党派抗争に至ったか。今後の課題だろう。

 ゲヴァントハウス管弦楽団の常任だったクルト・マズア、ヘルベルト・ブロムシュテットが1927年生まれということは興味深い。20年以上常任となり、1989年の東欧革命の折のマズアの行動は語り草となっているし、来日した時のベートーヴェン・ツィクルスではその息吹が伝わっていた。マズアは2015年、88歳でこの世を去っている。その後を継いだブロムシュテットが90歳の今、現役で活動、ゲヴァントハウス管弦楽団と来日した。この来日公演では久々にドイツ音楽を堪能できた充実感を味わうことができたといえようか。

2017/11/12 

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 ヘルベルト・ブロムシュテット、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、Op.64、ブルックナー、交響曲第7番を取り上げた。

 メンデルスゾーンはレオニダス・カヴァコスのヴァイオリン、オーケストラが見事に調和し、素晴らしい音楽作りを見せた。メンデルスゾーンはヴァイオリンの技巧のみならず、音楽でも充実したものに仕上げた。全曲続けて演奏される中で、オーケストラとのバランスも考えた名曲である。メンデルスゾーンはこの作品を基に、ピアノ協奏曲を作曲たものの、未完におわったため、補筆した完成版もある。ご一聴をお勧めしたい。

 ブルックナーは素晴らしい名演。第1楽章は森の神秘を伝えるの如き演奏。ヴァーグナーの訃報に接した悲しみを表現した第2楽章をはじめ、不気味なスケルツォ、フィナーレの勝利のファンファーレは絶品。全曲が終わった後の余韻を味わった後、盛大な拍手が起こった時の充実感はすがすがしい。

 明日はNHKホールでのブラームス、ドイツ・レクイエム、Op.45、楽しみである。

 

2017/11/11

ヘルベルト・ブロムシュテット ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 1743年創立、世界最古のオーケストラとして275年の伝統を誇るライプツィッヒ・ゲヴアントハウス管弦楽団が、90歳のヘルベルト・ブロムシュテットと共に来日した。ドイツのオーケストラの響き、音楽を十分に堪能した。(サントリーホール)

 ブラームス、ヴァイオリン協奏曲、Op.77はレオニダス・カヴァコスのヴァイオリンが素晴らしい。深い音楽性、歌心が調和し、オーケストラの響きとも調和していた。初めてのイタリア旅行実現後、ペルチャッハで着手。風光明媚なこの地の情景が活きた名作の息吹が伝わった。

 シューベルト、交響曲第8番、D.944「グレート」は第1楽章から気迫のこもった音楽が展開する。序奏。この曲を発見したシューマンが、このメロディーを交響曲第1番、Op.38「春」に用いたことでも有名である。第3楽章のトリオでのヴィーン情緒、第4楽章の素晴らしいクライマックスも聴きものだった。

 リッカルド・シャイーの時の来日公演でドヴォルジャーク、ショスタコーヴィチを取り上げたことは、ドイツのオーケストラの来日公演には相応しくない。エストニア出身のアンドリス・ネルソンスが常任となるとはいえ、ドイツのオーケストラの来日公演に相応しいプログラムを心がけてほしい。名誉指揮者ブロムシュテットとの来日で、ドイツのオーケストラとしての魅力を味わうことができたことは喜ばしい。

 

2017/11/5 

ペルゴレーシ オリンピーアデ

 2015年10月に日本初演となったペルゴレーシ「オリンピーアデ」の再演は、キャスティングは初演時のままであった。(紀尾井ホール)

 18世紀の宮廷オペラの一環として発展したオペラ・セリアは、ギリシア神話、古代の貴人を題材とし、ハッピーエンド、封建君主の美徳を中心に国家への尊敬、倫理、道徳心を教え込むことで絶対王政の威光を誇示するために一役買った。宮廷の祝典も担っていた。モーツァルトですら「アルバのアスカーニオ」、「シピオーネの夢」、「皇帝ティトゥスの慈悲」を作曲している。

 しかし、この種の宮廷オペラは啓蒙主義が広まるとオペラ・ブッファ、自国語によるオペラ作品に押され、市民革命と共に終わりを告げる。こうしたオペラ台本作者として名を馳せた存在が、ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)であり、1729年から50年あまりに渡り、オーストリア帝国宮廷詩人として君臨した。これに対して、音楽とドラマの一体化を図ったラニエージ・カルツァビージが出現、グルックのオペラ改革につながった。

 このオペラを原曲通り上演すると5,6時間ほどになるため、いくつかカットしている。また、今回は前回カットしたものを上演、ドラマとしても見ごたえ十分であった。

 アルカンドロを演じた弥勒忠史、アミンタを演じた望月哲也、クリステーネを演じた吉田浩之の手堅い演技、歌唱は素晴らしい。メガークレを演じた向野由美子、リーチダを演じた澤畑由美、アリステーアを演じた幸田浩子、アルジェーネを演じた林美智子が前回より深化した歌唱、演技を見せた。

 紀尾井ホールによる、この種の試みが続くことを切望したい。

2017/10/22 

マティアス・ゲルネ マルクス・ヒンターホイザー シューベルト 冬の旅

 マティアス・ゲルネがクリストフ・エッシェンバッハとともに予定していたシューベルト「冬の旅」が、エッシェンバッハの手の故障でマルクス・ヒンターホイザーに代わったとはいえ、名演であった。(サントリーホール)

 2007年、東京オペラシティ コンサートホール、2014年、紀尾井ホールで3大歌曲集としてコンサートを行ったゲルネが、CD12枚のシューベルト・エディションで共演、指揮者に転向したエッシェンバッハのピアノも聴けるコンサートなら期待が大きかっただろう。代わったヒンターホイザーも素晴らしいパートナーとして、ゲルネを盛り立てていったことは評価したい。

 ゲルネが全24曲で、恋に破れた若者として演技性溢れる歌唱を披露、リアリティに満ちた「冬の旅」を聴かせたこと。これが大きい。オペラでの経験を活かしつつ、この作品に挑んだ姿勢は見事だった。最後の「辻音楽師」の余韻溢れる歌が絶品だった。

 ただ、曲が終わったとたんに拍手が入ったことは残念だった。作品全体の余韻を感じてから拍手すべきではなかろうか。いささか興ざめだったことは指摘したい。

2017/10/21 

清水和音 ピアノ主義 第8回

 清水和音の2014年から2018年の5年間にわたるリサイタルシリーズ、ピアノ主義も第8回を数える。今回はシューマン、こどもの情景、Op.15、ベートーヴェン、ソナタ第30番、Op.109、ショパン、スケルツォ全4曲(第1番 Op.20、第2番 Op.31、第3番 Op.39、第4番 Op.54)を取り上げた。

 シューマン、こどもの情景は詩情溢れる演奏、ベートーヴェン、ソナタは最近の清水の円熟ぶりが感じられた。ショパンにしても安定した出来で、ドラマトゥルギー、抒情性、歌心が調和した名演であった。アンコールのドビュッシー、夢もコンサートの余韻が伝わった。

 2018年、このシリーズも大詰めを迎える。東京音楽大学で後進の育成にあたる清水がどんな演奏を聴かせるか。楽しみになって来た。ベートーヴェン・ツィクルスの再演を望む。

 

2017/10/18 

福田直樹 ピアノリサイタル

 桐朋学園大学からシュツットガルト、ヴィーンに留学、作曲家としても活躍、福祉施設、病院、養護施設、ホスピス、少年院などでもコンサートを開き、社会活動にも力を入れる福田直樹が紀尾井ホールでデコビュー30周年記念リサイタルを開いた。

 バッハ、平均律クラヴィーア曲集第1巻から、第1番、BWV846、第2番、BWV847、第15番、BWV860、第16番、BWV861、第23番、BWV868、第24番、BWV869、シューマン、クライスレリアーナ、Op.16によるドイツ音楽中心のすっきりした構成であった。

 バッハでは地味ながら、心から湧き上がる歌心、ポリフォニーの厳格さが調和した音楽作りは見事。真摯な姿勢が伝わった。シューマンでは作品の本質を捉えた、素晴らしい演奏で、楽長クライスラーとシューマンとが一体化していた。尤も、シューマンはクライスラーの中に自分の運命を見て取っていたと言えよう。そこまでしっかり見抜いていた。

 アンコールはシューマン、子どもの情景、Op.15から第7曲「トロイメライ」、ショパン、英雄ポロネーズ、Op.53、ドビュッシー、ベルガマスク組曲から第3曲「月の光」を演奏、締めくくりとした。

 

2017/10/17

メナヘム・プレスラー ピアノリサイタル    

 

 

     1923年、ドイツ、マグデブルク出身、ユダヤ系だったためにナチスの迫害を逃れ、イスラエルを経てアメリカに亡命したピアニスト、現在93歳のメナヘム・プレスラーのリサイタルは、ヘンデル、シャコンヌ、HMV.435、モーツァルト、幻想曲、K.475、ソナタ第14番、K.457、ドビュッシー、前奏曲集第1巻より「デルフィの舞姫」、「帆」、「亜麻色の髪の乙女」、「沈める寺」、「ミンストレル」、レントより遅く、夢、ショパン、マズルカ第25番、Op.33-4、第38番、Op.59-3、第45番、Op.67-4、バラード第3番、Op.47を取り上げた。(16日 サントリーホール)

 介添えに支えられ、杖を突き、楽譜を見ながらの演奏とはいえ、ヘンデル、モーツァルトでの豊かな表現力、若々しさ、みずみずしさ、深い歌心は素晴らしい。ドビュッシーの素晴らしい音色、ショパンの歌心溢れる演奏は多くの人々の感動を誘った。アンコールでのショパン、ノクターン、遺作、ドビュッシー、ベルガマスク組曲から「月の光」は素晴らしい音の芸術で、ため息を誘った。ホール全体のスタンディング・オベーションに送られ、ステージを後にした。

 1955年にボザール・トリオを結成、多くの室内楽作品をレコーディングした後、2008年にソロに転じたとはいえ、93歳の今日、現役ピアニストとして活動する姿には恐れ入る。ショパン、バラード第3番では弾きづらさも感じられたとはいえ、音楽の核心を捉えた演奏は深い感動を呼ぶ。長寿を祈りたい。

2017/10/15

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル

       ヴァレリー・アファナシエフのピアノリサイタル、会場紀尾井ホールに移して、ベートーヴェン、ソナタ第7番、Op.10-3、第17番、Op.31-2「テンペスト」、ショパン、ノクターン第1番、Op.9-1、第7番、Op.27-1、第8番、Op.27-2、第9番、Op.32-1、第19番、遺作、Op.72-1であった。

 リサイタル全体がアファナシエフの世界であった。一見奇異に見えても、音楽の本質を捉えた演奏で、聴き手の心をしっかり掴んでいる。ベートーヴェンでは、「テンペスト」第1楽章、再現部のレチタティーヴォでは奇をてらったかのように見えても、絶望の淵からの叫び声のような強烈な印象を残していく。かえって音楽の本質が見えてくる。

 ショパンはじっくり歌い込みつつ、ノクターンの本質に迫っている。音色も素晴らしい。全体に遅めのテンポを取っていた。アンコールでのマズルカ、Op.67-4、Op.68-2もテンポは遅めとはいえ、じっくりといつくしむかのような演奏で、聴き応え十分だった。

 来年は佐渡裕とブラームス、ピアノ協奏曲第2番、Op.83を共演するという。どんな演奏になるだろうか。

2017/10/10 

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル

 ロシア生まれの鬼才、ヴァレリー・アファナシエフの来日リサイタル、浜離宮朝日ホール(10日)のプログラムはシューベルト、即興曲、D.899-1,3,4、アゼルバイジャンの作曲家、アレクサンドル・ラヴィノヴィチ「悲しみの音楽、時に悲劇的な」、ブラームス、4つのバラード、Op.10、2つのラプソディー、Op.79によるプログラムだった。

 シューベルトではD.899中、第2番を取り上げず、第1,3,4の3曲で構成したことには、ラヴィノヴィチの作品がD.899-4、トリオを基にした作品だったことを思うと頷けた。シューベルトの歌心と寂しさ、悲しさが伝わり、音色も素晴らしかった。

 ブラームス。バラード第1曲「エドワード」のドラマトゥルギー、第2曲の荒涼とした原野、第3曲のロマンティシズム、第4曲の悲しみ。全体が一つの物語として構成された統一性を示し、ブラームスがひとつの「ドラマ」として構成したことを改めて感じた。2つのラプソディー、Op.79。スケールの大きさ、歌心、情熱、諦念を見事に描き出していた。

 アンコールはブラームス、幻想曲集、Op.116から第5曲、第6曲。まさに、アファナシエフの世界だった。15日は紀尾井ホールでベートーヴェン、ショパンを取り上げる。こちらも楽しみである。

 

2017/10/9

明治学院バッハ・アカデミー ベートーヴェン ミサ・ソレムニス Op.123

 日本を代表する音楽学者の一人、樋口隆一率いるバッハ・アカデミーがベートーヴェン晩年の傑作ミサ・ソレムニス、Op.123を取り上げた。2月3日のバッハ・コレギウム・ジャパン以来、2度目になる。(サントリーホール)

 このコンサートで樋口が使用した版は2010年出版、エルンスト・ヘルトリッヒ校訂によるカールス原典版。プログラムによると、2006年、明治学院大学招聘教授として来日した際、ご夫妻でバッハ・アカデミー合唱団に出演したという。このコンサートもヘルトリッヒとの友情から生まれた。

 全体をキリエ、グローリアの後に休憩20分、クレード、サンクトゥス、アニュス・デイにわけて演奏する形式を取った。ベートーヴェンとなれば、かなりのエネルギーを要するためか、上演形態としては一つの型だろう。バッハ・コレギウム・ジャパンは休憩を入れず、全曲を通した。一長一短だろう。

 オーケストラを見ると、バッハ・コレギウム・ジャパンからの参加もある。合唱団も明治学院関係者、首都圏のバッハ愛好家からなり、カール・リヒターが率いたミュンヒェン・バッハ管弦楽団、合唱団を思わせる。それで、樋口の指揮の下、素晴らしいまとまりを見せていた。

 ソリストではテノール、ジョン・エルヴィスをはじめ、鷲尾麻衣、寺谷千枝子、河野克典が素晴らしい歌唱ぶりを見せた。また、コンサート・マスター、桐山健史のヴァイオリン・ソロも絶品だった。

 2018年はバッハ、カンタータ、ブランデンブルク協奏曲第5番によるプログラムで、樋口自身、「新バッハ全集」での校訂に当たったもの取り上げるという。楽しみである。

 

ギロック生誕100年記念 トーク・コンサート

 アメリカの作曲家、ウィリアム・ギロック(1917-1993)生誕100年を記念して、ギロック作品のCDをリリースした熊本マリ、小原孝、三舩優子によるトーク・コンサートが銀座、山野楽器主催で行われた。(27日 銀座山野楽器 7階 イベント・スペース)

 ギロックは多くのピアノ教育用の作品を残した。日本では「日本ギロック協会」が設立され、ピアノ指導者たちが中心となって、ギロックの作品普及に努めた。しかし、ギロックの作品が子どものみならず、大人をはじめ、全ての人々に訴えかける暖かさが注目されるようになった今、音楽作品としてのギロックを広める動きが始まった。そこで、ギロック作品を多くレコーディングしている小原孝、ギロックの暖かさに触れた熊本マリ、アメリカ生活を体験、かつ留学していた三舩優子がギロックの作品によるCDをリリースしたため、このコンサートとなった。

 長井進之介の司会が素晴らしい。会場の雰囲気を盛り上げ、素晴らしいコンサート作りを心がけ、素晴らしい時間を過ごせた。三人三様の解釈、演奏が聴きもので、トークも見事だった。ただ、小原が楽譜の誤りについて、自身のCD解説で言及したことには注意が必要である。ギロックの作品は1996年以降、全音楽譜出版社から次々に出版され、急速に広まった。そのため、その頃から出回ったものは注意する必要がある。

 1969年、「抒情小曲集」の出版で初めてギロックの作品が日本に紹介されてから48年経った今、ギロックが音楽作品として広まろうとしている。今回の試みはその第1歩だろう。

 

バッハ・コレギウム・ジャパン モンテヴェルディ 聖母マリアの夕べの祈り

 ルネッサンスとバロックの橋渡し役を果たしたイタリアの作曲家、クラウディオ・モンテヴェルディ(1547-1643)生誕450年記念として、バッハ・コレギウム・ジャパンがモンデヴェルディの傑作一つ「聖母マリアの夕べの祈り」を取り上げた。これは1993年、モンテヴェルディ没後350年記念の際、上野の石橋メモリアルホールでの上演以来、24年ぶりの再演となる。

 鈴木雅明の解釈が深みを増し、素晴らしい音楽となった。今回のコンサートマスターは北とぴあ国際音楽祭でのバロック・オペラ上演で定評ある寺神戸亮である。若松夏美をはじめとした名手たちが見事なまとまりを見せ、コンツェルト・パラディーノの好演も華を添えた。

 ソリストではテノールの桜田亮、谷口洋介が傑出していた。ソプラノのソフィ・ユンカー、松井亜希も好演だった。カウンター・テノールの青木洋也、バスの加未徹、その他何人か印象に残った歌手たちもいる。

 モンテヴェルディはルネッサンスのマドリガーレから出発、これをバロック様式へと発展、バロックが生んだジャンル、オペラを確立した。「聖母マリアの夕べの祈り」はバロックの宗教音楽におけるコンツェルタンテ様式を確立した。従来の楽曲様式から新しいものを生み出し、新しいジャンルを確立した背景には、保守派の理論家アルトゥージとの論争もある。旧来の様式から新しい様式を生み出す。そこにモンテヴェルディの偉大さがある。

 いよいよ、11月には鈴木優人によるオペラ「ポッペアの戴冠」(セミ・オペラ形式)が控えている。どんなポッペアを見せるだろうか、大いに期待したい。

横山幸雄 ピアノリサイタル ベートーヴェン・プラス 第4回

 今や日本を代表するピアニストとなった横山幸雄が、2013年から2020年のベートーヴェン生誕250年に至るコンサート・シリーズ、ベートーヴェン・プラスも第4回となった。昨年はデビュー25周年を記念して、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を取り上げた。今年はリサイタルに戻り、ピアノ・ソナタ創作では実験期に当たる第13番から第18番の6曲を中心に、「幻想」をテーマとして、バッハ、モーツァルト、ショパン、シューマンの作品を取り上げた。

 第13番、Op.27-1「幻想風」、第14番、Op.27-2「月光」第15番、Op.28「田園」は集中力と抒情性、スケールの大きさ、歌心が調和した演奏だった。7つのバガテル、Op.33は抒情性、ユーモアに溢れ、全ての調整による2つの前奏曲、Op.39はめったに聴かれないとはいえ、なかなかの聴きものであった。

 第16番、Op.31-1はユーモアと歌心に満ち、第17番、Op.31-2「テンペスト」はドラマトゥルギーの表出、スケールの大きさ、抒情性が調和していた。第18番、Op.31-3もスケールの大きさ、ユーモアと抒情性十分であった。

 バッハ、半音階的幻想曲とフーガ、BWV903は整然とした中にもスケールの大きさが感じられた。モーツァルト、幻想曲、K.397はロマン的な性格を捉えていた。ショパン、幻想曲、Op.49はリストがこの作品をヒントにして、ソナタを作曲した可能性が感じられた。幻想即興曲、Op.66も聴きものだった。幻想ポロネーズ、Op.61はジョルジュ・サンドとの関係が破綻に向かう中でのショパンの心境を描きだしていた。シューマン、幻想曲、Op.17はボン、ベートーヴェン記念碑建立のためのソナタとして構想したとはいえ、クラーラへの思いを秘めていることを掴み、見事に表現していた。

 アンコールは横山自身が編曲したバッハ=グノー「アヴェ・マリア」。素晴らしい編曲だった。上野学園大学の経営問題で苦しい立場にあるとはいえ、精力的な活動を行っている姿を見ると、心から励ましの言葉を贈りたい。

 

 

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 4

 アンジェラ・ヒューイット、バッハ・オデッセイ、第4回はパルティータ第3番、BWV827、第5番、BWV829、パルティ、BWV832、第6番、BWV830を取り上げた。

 ヒューイットのヒューマンで暖かいバッハは、バッハの音楽の本質をしっかり捉え、聴く人たちに深い感銘を与える。この点では、グレン・グールドとは根本的に異なる。第3番のファンタジー豊かな歌心、第5番の喜びに漲る歌、それらが内面からほとばしり出て、素晴らしい世界を作り出している。パルティでも素晴らしい歌心に満ちた演奏であった。第6番はバッハの内面と真摯に向き合い、じっくり、かつ壮大な音楽にまとめ上げ、じっくり歌い上げていた。

 パルティータ全曲を聴き、バロック組曲が古典主義のソナタ、キャラクターピースを集めた近代組曲へと変貌を遂げていく過程が見える。第3番ではブルレスケ、スケルツォを置いたり、第5番はテンポ・ディ・メヌエット、第6番はテンポ・ディ・ガヴォットとしてキャラクター・ピース化している。バッハは自由な発想により、バロック組曲から近代組曲へと変貌させていったと言えよう。

 アンコールは平均律クラヴィーア曲集第2巻から第9番のフーガ。このコンサートの締めくくりに相応しかった。

アンジェラ・ヒューイット バッハ・オデッセイ 3

 カナダの女性ピアニスト、アンジェラ・ヒューイットのバッハ全曲演奏シリーズ、バッハ・オデッセイ第3回はパルティータ第1番、BWV825、第2番、BWV826、ソナタ、BWV964、パルティータ第4番、BWV828を取り上げた。(紀尾井ホール)

 ヒューイットのバッハは人間的な温かみたっぷりで、バッハの音楽と一体化している。第1番での歌心たっぷりな演奏、第2番の峻厳さと新しさ、ソナタの厳格さ、第4番の喜びにあふれた演奏。どれを聴いても、バッハの音楽そのものである。パルティータはバロック組曲解体への道を示している。第2番の締めくくりをカプリツィオとしたのは、近代ソナタへの道を示したともいえる。第4番のアリアの自由な曲想からも窺える。

 ソナタはバッハ自身による無伴奏ヴァイオリン・ソナタの編曲で、クラヴィーアによるバロック・ソナタである。峻厳さと歌心たっぷりの演奏で、聴き応え十分だった。

 アンコールは平均律クラヴィーア曲集第1巻から第5番のフーガ。喜びに満ちた締めくくりであった。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦中日本のリアリズム アジア主義・日本主義・機械主義

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバル、ザ・プロデューサー・シリーズは戦中日本のリアリズム、アジア主義・日本主義・機械主義というテーマで尾高尚忠、山田一雄、伊福部昭、諸井三郎のオーケストラ作品によるコンサートで締めくくった。

 尾高尚忠、交響的幻想曲「草原」Op.19はアジアの広大な草原風景を描いた、雄大な作品である。尾高作品では、ピアノのためのソナチネがよく知られている。この作品に接して、これだけの作品を残した尾高の作曲家としての才能を再認識した。山田一雄、おほむたから(大みたから)、Op.20は1945年元日に放送初演されたもので、戦意高揚のためとはいえ、もう、日本の敗色が濃厚で空襲、沖縄戦、原爆投下、ロシア参戦、8月15日の敗戦となる。しかし、この作品には「葬送行進曲」の性格があった。そうした性格が打ち出されていた。

 伊福部昭、ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲は、円熟期の小山実稚恵の素晴らしいピアノが聴きもので、モダニズム、モートリッシュな性格、北国の孤独も描きだしていた。この作品は、日本人作曲家のピアノ協奏曲のレパートリーとしても定着してほしい1曲である。

 諸井三郎、交響曲第3番、Op.25は戦時中の日本の作曲家たちの思いが聴こえた。戦局が厳しさを増す1943年、音楽家、音楽学生も学徒出陣で戦場へ送られた。そんな中で、全てを注ぎ込んだ作品を残そうとした諸井の思いが伝わった。

3楽章形式で、終楽章が穏やかなハ長調で終わっていく。そこには、ショスタコーヴィチの第8番に共通するものが見られた。この楽章も穏やかに終わる。戦争の後の静けさ、安堵感の中に悲しみも秘めている。

 何より、下野竜也、東京フィルハーモニー交響楽団の素晴らしい演奏は特筆すべきだろう。下野は新日本フィルハーモニー管弦楽団と共に三善晃、矢代昭雄、黛敏郎の作品を取り上げたコンサートも行っている。今回のコンサートも下野の偉業の一つになろう。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 細川俊夫監修 国際作曲家委嘱シリーズ ゲオルク・フリードリッヒ・ハース

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場を大ホールに移し、細川俊夫監修による国際作曲家委嘱シリーズ、第40回としてオーストリアの作曲家、ゲオルク・フリードリッヒ・ハースの作品を中心としたオーケストラ作品によるコンサートとなった。(7日 サントリーホール)

 1953年、グラーツ生まれのハースはグラーツ音楽院ではドリス・ヴォルフ、ゲスタ・ノイヴィルト、ヴィーン音楽大学大学院ではフリードリッヒ・ツェルハに師事、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加、フランス国立音響研究所ではコンピューター音楽を学んだ。ドナウエッシンゲン、ヴィッテン現代音楽祭、ヴィーン・モデルン音楽祭などでの作品演奏、ノーノ、ブーレーズ、ハーバ、ヴィシネグラツキといった作曲家たちの研究など多岐にわたる活動を続けている。

 まず、ハースの師ツェルハ「夜」は、夜の神秘性を描いた作品。ロマン主義における夜は幻想、神秘、恐怖、憧れだろう。現代は神秘性の中に音の神秘を秘めている。そうした世界を描いた、注目すべき作品の一つだろう。ハースのヴァイオリン協奏曲、第2番はサントリーホール、シュツットガルト州立歌劇場、カーサ・ダ・ムジカの共同委嘱作品で今回が世界初演。ヴァイオリンはミランダ・クックソン、素晴らしい名手である。現代の技法、中世・ルネッサンス、バロックが見事に調和している。9つの部分からなり、最後の「アリア」にはバッハ、管弦楽組曲第3番の影が感じられた。

 後半は1991年生まれのアメリカの作曲家、現在コロンビア大学でハースの教えを受けているキャサリン・ボールチ「リーフ・ファブリック」が聴きものだった。植物の神秘を音楽で表現しようとした作品で、これも神秘性の強い音楽だった。最後は、ハースが2009年のメンデルスゾーン生誕200年記念として作曲した「夏の夜に於ける夢」で、メンデルスゾーンの音楽と現代の響きが見事に調和している。劇音楽「真夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、「静かな海と楽しい航海」からの引用が現代の響きにこだましている。

 イスラエルの指揮者、イラン・ヴォルコフ、東京交響楽団の見事な演奏も特筆すべきである。これらの作品が再演されることを願いたい。

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦後日本のアジア主義 はやたつ芥川 まろかる松村

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場を小ホール、ブルーローズに移し、戦後日本のアジア主義として芥川也寸志、松村貞三の室内楽作品、ピアノ作品を取り上げた。(6日 サントリーホール 小ホール ブルーローズ)

 泊真美子による芥川「ラ・ダンス」は、モダニズムの中にフランス的なエスプリを感じさせる作品で、音楽コンクールでも取り上げるべき、優れた作品である。松村「ギリシャに寄せる2つの子守歌」は、桐朋学園音楽教室「こどものための現代ピアノ曲集」の委嘱作品とはいえ、コンサート・プログラムになり得る作品である。こうした作品を取り上げるピアニストが出てほしい。松村「弦楽四重奏とピアノのための音楽」も往作である。

 松村「肖像」はサントリー会長、佐治敬三氏へのオマージュで、堤剛と土田英介の素晴らしいデュオが絶品だった。「弦楽のための音楽 第1番」、「弦楽のためのプネウマ」の神秘性も聴きものであった。芥川「弦楽のための3章(トリプティーク)」はアメリカ、ロシアで演奏され、ロシアで楽譜出版も実現、芥川の国際的な評価を決定づけた。これもコンサートでどんどん取り上げてほしい。

 4日、6日と会場を小ホール、ブルーローズに移し、武満と黛の雅楽、芥川と松村の室内楽作品、ピアノ作品を取り上げて来た。10日は大ホールで尾高尚忠、山田一雄、伊福部昭、諸井三郎のオーケストラ作品で締めくくりとなる。この種の試みをどんどん続けて、日本の作曲家の作品をどんどん紹介してほしい。

 

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 戦後日本と雅楽 みやびな武満 あらぶる黛

 サントリー芸術財団、サマー・フェスティバルは会場をブルーローズに移して「戦後日本と雅楽 みやびな武満 あらぶる黛」のタイトルで、戦後日本を代表する作曲家の雅楽、武満徹「秋庭歌一具」、黛敏郎「昭和天平楽」を取り上げた。

 遠く飛鳥・奈良時代、平安時代の貴族社会の音楽であった雅楽は、武家社会となった鎌倉時代、室町時代には衰退していった。しかし、明治の近代日本では洋楽と共に共存、現代に至る。武満、黛が日本の伝統音楽、雅楽で重要な作品を残したことは大きいだろう。

 武満はあくまでも雅楽の伝統を重視して、新しいものを築いていった。世界に大きな衝撃を与えた「ノーヴェンバー・ステップス」を深化させ、無駄のない音楽に仕上げた。武満の音楽は尤も雅楽の本質に行きついた作品と見ることが出来るだろう。

 これに対し、黛はパリに留学しながら、「西洋に学ぶものはない」として半年で帰国、ミュジック・コンクレート、電子音楽に取り組む。パリ留学中、三島由紀夫と出会ったことは、黛の後半生を決定的にした。「昭和天平楽」を作曲した1970年11月25日、三島が自衛隊に乱入、割腹自殺した「三島事件」以降、黛の政治発言が本格化、創作活動はオペラ「金閣寺」、「古事記」、バレエ「ザ・カブキ」と少なくなった。この作品は黛が雅楽に新しい感覚、廃れた林巴楽を復活させんとして取り組んだもので、黛ならではの意気込みが感じられた。

 今回出演の怜楽舎、指揮の伊佐治直の素晴らしい演奏は、武満、黛の雅楽の本質を伝えた。「みやびな武満 あらぶる黛」に相応しい。

サントリー芸術財団 サマーフェスティバル ザ・プロデューサー・シリーズ 片山杜秀がひらく日本再発見 忘れられた作曲家 大澤寿人

 サントリー芸術財団、サマーフェスティバル、ザ・プロデューサー・シリーズは平尾貴四男(1907-1953)と同じく46歳で早世した作曲家、大澤寿人の作品3曲によるコンサートからスタートした。大澤は戦前日本のモダニストとしてアメリカではコンヴァースに学び、アメリカに亡命直後のシェーンベルクにも学んだ。フランスではデュカス、ナディア・ブーランジェに学び、作品発表会も開き、オネゲル、イベールの賞賛を受け、1936年に帰国した。東京、大阪で自作を披露しても、大澤のモダニズムは当時の日本には先鋭過ぎたため、評価を得られなかった。また、1931年から1945年の15年間にわたる戦争の影もあっただろう。今回は世界初演となったコントラバス協奏曲、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」の3曲を取り上げた。

 指揮山田和樹、日本フィルハーモニー交響楽団、コントラバス独奏が佐野央子、ピアノが福間洸太郎。山田が素晴らしい統率力で日本フィルハーモニー交響楽団から素晴らしい響き、音楽を引き出した。佐野のコントラバスは好演だった。福間のピアノの素晴らしさが際立った。まさに神風だろう。交響曲は編成、楽曲規模では戦前の日本洋楽史では最大だった。それだけの響き、音楽が伝わった。

 戦後の大澤は神戸女学院での後進の育成、放送、宝塚歌劇団での活躍で多忙だった。1953年に急逝。アメリカ行きを考えていたものの、実現しなかった。今回のコンサートが本格的な大澤再評価への第1歩となって、その全体像解明にもつながることを期待したい。

 

サントリー芸術財団 サマー・フェスティバル 第27回芥川作曲賞選考演奏会

 サントリー芸術財団、サマーフェスティバルは例年は8月下旬開催である。2017年はサントリーホール大改修のため、9月上旬となり、オープニングとして第27回芥川作曲賞選考演奏会となった。今回は茂木宏文「不思議な言葉でお話しましょ!」、中村ありす「ネイカース」、向井航「極彩色――Prinsessgade,1440」の3曲が候補となった。

 最初に2015年の受賞者、坂東祐大「花火 ピアノとオーケストラのための協奏曲」が演奏された。永野英樹のピアノが見事だった。

 茂木、中村は2016年度武満徹作曲賞を受賞したものとはいえ、聴いていて、作曲家としてのメッセージ性が薄いように感じた。向井はピアノとオーケストラのための作品で、こちらの方にはメッセージ性が感じられた。結果として、茂木が芥川作曲賞を受賞したことには不満がある。言葉の根源を問いかけた作品であると、茂木自ら述べたにせよ、どのような世界を描きたかったかがわからなかった。これは中村にも言える。真珠を構成する真珠層をヴィブラフォン中心のオーケストラで描いたといっても、何を伝えたかったかわからない。このような作品が作曲賞を受賞することもわからない。

 昨年の芥川作曲賞が心に訴えかける作品がなかったことが残念だっただけに、今年こそそれだけの作品に出会えると思った。期待外れだったような気がする。

読売日本交響楽団 第604回名曲シリーズ

 読売日本交響楽団、第604回名曲シリーズはポーランドの巨匠ヤツェク・カスプシク、ヴァイオリンのギドン・クレーメル、チェロのギードレ・ディルヴァナウスカイテを迎え、ヴァインベルク、ポーランドのメロディ、Op.47-2、フィリップ・グラス、ヴァイオリンとチェロのための2重協奏曲、ムソルグスキー=ラヴェル「展覧会の絵」を取り上げた。(東京芸術劇場)

 まず、ボーランドの作曲家ヴァインベルクの作品は、ポーランドの馨りが漂う中、ユダヤ系だったためロシアに亡命後、スターリン治世の下、弾圧を受けていた時期の苦しみが伝わった。グラスは日本初演で、クレーメル、ディルヴァナウスカイデの息の合った演奏、オーケストラとの対比が興味深かった。ラヴェル編曲による「展覧会の絵」は、原曲のピアノ曲として聴くと、かえってムソルグスキーの思いが伝わってくるだろう。オーケストラ版でも、ラヴェルの素晴らしいオーケストレーションの色彩感で華を添えている。それなりに聴かせる演奏だった。

 カスプシクは2018年、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共に来日、ショパン、ドヴォルジャークを取り上げるという。今回のコンサートを聴く限り、しっかりした実力の持ち主であることを示した。

 

Liu Weiサロン 成城コンサート ヴィーンの香り 第31回 FINAL

 中国出身の女性ヴァイオリニスト、劉薇がヴィーン在住のピアニスト、森谷真理子を迎えて、成城の自宅サロンでのコンサートシリーズ「ヴィーンの馨り」を行った。(6日 Liu Weiサロン)

 劉薇自ら、今の自宅を手放し、新しい家に移ることを考えていること、しかし、ヴァイオリンが弾ける環境がないため難しいと語った。現在の成城の自宅は周囲の自然が豊かで、静かな環境のため、いささか惜しい気がする。娘さんが自立したこともあって、これからの自分に相応しい家でサロンコンサートを再開しようという。

 プログラムはモーツァルト、ヴァイオリンソナタ、K.304、クライスラーのヴァイオリン曲集から「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」、「愛の悲しみ」、「グルックによるメロディー」、「真夜中の鐘」、「ユーモレスク」、「アルベニスのタンゴ」、アンコールには「美しいロスマリン」、ジージンスキー「ヴィーン、わが夢の町」を演奏した。

 モーツァルトは当時、パリで母親を亡くしている。ソナタにはそうした感情が満ち溢れている。そんなモーツァルトの感情を見事に描き出した。クライスラーでは、森谷が音楽におけるヴィーンを語りかけた。劉薇のヴィーンでの体験も交え、楽しい一時となった。ヴィーンそのものだった。

 コンサート終了後、聴衆に手作りのデザート、お茶が振舞われ、一時、夏の暑さを忘れることが出来た。

 

ピーター・ゼルキン ピアノリサイタル

 アメリカを代表するピアニスト、ピーター・ゼルキンがモーツァルト、バッハによるリサイタルを行った。(1日 すみだトリフォニーホール)

 前半はモーツァルト、アダージョ、K.540、ピアノソナタ、K.570、後半はバッハ、ゴールドベルク変奏曲、BWV.988。メインはゴールドベルク変奏曲である。

 モーツァルトは、アダージョの暗く、心を打つ音楽が心に響いて来た。ソナタ、K.570は澄み渡ったモーツァルトの世界を描きだし、歌心に満ちていた。

 バッハ、ゴールドベルク変奏曲は繰り返しを入れたり、ストレートで演奏したりと変化に富んでいた。繰り返しを入れた際、装飾音を変化させたりして、創意工夫に満ちていた。第25変奏はこの世のものとは思われない、大変美しい変奏で、繰り返しを入れると5分かかってしまう。ピーターはストレートで通し、かえって感銘深い演奏になった。第30変奏、クォドリベットでは、この部分に組み込まれた歌をくっきりと浮び上がらせた演奏は注目すべきだろう。多くの演奏ではかえって聴き取れない。チェンバロの演奏でも同様である。そうした面に光を当てたことは高く評価したい。全曲が終わった後の余韻が心地よかった。

 ピーターは1965年にデビュー盤としてレコ―ディングした後、1986年、1994年と3度録音している。4度目のレコーディングも済ませたという。尤も、父ルドルフ・ゼルキンは1921年、ベルリンのリサイタルでアンコールとして、この変奏曲を演奏した。しかし、レコーディングはしなかった。ゴールドベルク変奏曲をデビュー盤としたのがグレン・グールド、マルティン・シュタットフェルトなどがいる。

 ピーターが偉大な父ルドルフを超える存在になるには、様々な形で自分探しを続けた。ピアニストとしてのキャリアを中断、一家で世界中を放浪した上で、ピアニストとしての自分を再確認、武満徹をはじめ、現代音楽の作曲家たちと交流して、己の道を確立したことは大きいだろう。そして、古典に立ち返って父を超える存在になった。ゴールドベルク変奏曲への取り組みも成長過程の一つだろう。

 父ルドルフがラジオ番組でグールドの談話を聞いた時は腹立たしかったとはいえ、演奏を聴くと良しとしたという。仮に、ピーターがグールドの放送番組を聴いていたらどう感じたか。ゴールドベルク変奏曲を聴き、ふと考えてしまった。

 

 

東京二期会 リヒャルト・シュトラウス ばらの騎士

 東京二期会、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」は二期会創立65周年、財団設立40周年記念公演として、イギリス、グラインドボーン音楽祭との提携公演との上演となった。2003年、二期会創立50周年記念上演の際は、ケルン歌劇場との提携公演だった。ケルンの演出が現代的な部分を取り入れていたのに対し、グラインドボーンの演出は古典色を活かしつつ、現代的な面とを見事に調和させた演出だった。(東京文化会館)

 グラインドボーン音楽祭は1934年、資産家ジョン・クリスティがオペラ歌手だった夫人のために創設した音楽祭でモーツァルト、ヘンデル、ビゼー、ヴァーグナー、ヤナーチェクのオペラをはじめ、ガーシュウィン「ポーギーとベス」も上演している。観客はロンドン市民がほとんどで、グラインドボーンへの専用列車もあるという。

 今回はベルリン生まれで、最近注目されつつあるドイツの中堅指揮者、セバスティアン・ヴァイグレ、読売日本交響楽団との上演で、ヴァイグレはリヒャルト・シュトラウスの響き、音楽を読売日本交響楽団から見事に引き出し、素晴らしい成果を上げた。

 時は18世紀、マリア・テレジア時代のオーストリア、ヴィーン。若い貴族との戯れの恋に生きる元帥夫人。そこへ親族のオックス男爵が新興貴族、ファーニナル家の娘ゾフィーと結婚するため、婚約の使者「ばらの騎士」を推薦するよう依頼するためにやって来る。そんなオックス男爵を懲らしめようとする夫人、また、自分の若き日を思い出し、老いに向かう姿を思うと憂鬱になる。戯れの恋の相手、オクタヴィアンが「ばらの騎士」としてファーニナル家を訪れ、ゾフィーに一目惚れ、未熟ぶりに気づく。オックス男爵の粗野な言動に嫌気がさしたゾフィーを救うべく立ち上がる。ゾフィーもオクタヴィアンに惹かれ、救いを求める。若い2人が大人へと成長する過程、戯れの恋に終止符を打つ元帥夫人の葛藤。古き良き貴族社会を舞台に繰り広げられるオペラとはいえ、20世紀初頭のドイツ・オーストリアは、貴族社会も終わりに近づいていた。1918年、第1次世界大戦終結と共に貴族社会は崩壊する。ここには「過去への郷愁」が漂う。

 オクタヴィアンを演じた小林由佳は、大人の貴族へ成長する男の姿を見事に演じた。林正子も戯れの恋から成熟した女性に至る姿、妻屋秀和は好色な田舎貴族のオックス男爵、ゾフィーを演じた幸田浩子も大人の女性に成長する姿を見せた。このオペラのキーロール、陰謀屋ヴァルツァッキ、アンニーナを演じた大野光彦、石井藍の素晴らしい演技は大きい。加賀清孝のファーニナルも見事だった。

 

 

野平一郎 ピアノリサイタル